2300年代後半
「ブラックホールエンジン」と「重力コントローラ」の両方の研究を、総じて「ブラックホール事業」と世間では言われている。
2300年代後半に入り、ブラックホール事業は実現に向けて大きく前進していた。グラビウム塗料のおかげで、既存の設備がそのまま重力軽減効果を付与しつつ使えるようになったのは大きい。さらにグラビウムを層にした重ね掛け効果で、重力軽減をゼロに近くできることも一因だろう。次々と100トンクラスの大きさのブラックホール実験が繰り返されていた。
中でも「エンリコン社(Enricon Incorporated)」と「エーコアール社(EcoR Inc.)」の二社の躍進が目立つ。
両社は共に、元々は地球上における原子力事業を牽引してきた原子力エネルギー大手企業だ。地球上での原子力使用禁止条約により、ブラックホール事業に活路を見出していた。いや、彼らの生き残る道はブラックホール事業の成功しかなかった。
さらに両社は資本増強と、研究の集中の名目で合併を果たす。お互いをライバル視して競い合うのではなく、他業界との競争を重視したためだ。核融合業界はまだ本格的にブラックホール事業には参入していない。しかしブラックホール事業にはエネルギー供給など、核融合は欠かせない。今はまだ研究ベースなので、利益を顧みない研究団体がリードしているが、商用ベースになれば必ず参入してくる。その前にアドバンテージを稼いでおこうという狙いだ。
新会社は「エンリコンR社(Enricon- R Inc.)」といい、エンリコン社とエーコアール社の対等な新設合併であった。
ブラックホールはグラビサイエンスからの提供、電力は自社の原子力発電を使用している。原子力の経験からブラックホールが放出する放射線対策も万全。原子力の経験で培った技術を応用し、グラビテック社にはオリジナルのグラビウムを発注している。ブラックホールの質量増大には、処理に困り宇宙に放置していた使用済み核燃料を使用。すでに1000トンクラスのブラックホール実験へと移行していた。
国際素粒子物理学協会、通称「IAPP」は2350年に「重力コントローラ理論の確立」を単独で学会に発表した後、2368年に「重力トラクション理論の確立」を学会に発表した。
「重力トラクション」とは、重力コントローラによって物体の動きを制御する技術である。物体に対して引力や斥力を発生させることで、無重力空間での移動を制御することが可能となる。原則的には重力コントローラに作用するものであり、重力コントローラを搭載している機器を移動させる原動力となる。理論上、光速の99%のスピードを出すことが可能となった。宇宙探査や宇宙での移動にとって革命的な理論となる。
続いてIAPPは2372年に「重力フィールド理論の確立」を発表した。
「重力フィールド」とは、重力コントローラにより重力コントローラを中心とした球形上のフィールドを形成。フィールド内の重力を一定方向、一定の重力に維持することが可能となる。例えば宇宙船を重力フィールドで覆うことにより、宇宙船内部に重力を発生させることができる。また無重力状態の小惑星上でも重力フィールドにより都市を建設することができるようになる。重力フィールド内では一定の重力で固定されるため、外部からの重力の影響を受けなくなる。これは相対性理論からの脱却を意味し、新たな宇宙物理学の可能性を意味していた。
さらに2373年には「重力シールド理論の確立」を立て続けに発表した。
「重力シールド」とは重力フィールドと対になる理論で、重力フィールドの外側に展開する「重力線の壁」である。重力線の強さを調整することにより、外部からの有害な放射線をカットし、内部の空気をフィールド内に留めておく作用をする。重力線を弱くすれば光を透過するが、重力線を強くすると光も遮断する。物理的防御も可能だが、別の重力コントローラによる重力フィールドは通過が可能となる。これは重力フィールド同士が接触すると、お互いの重力フィールドが同化してしまうためである。同程度の重力フィールド同士であれば、お互いの重力コントローラを中心とした楕円球体の重力フィールドが形成される。
重力コントローラによる三つの機能は、世界に衝撃を与えた。これまで宇宙への移住は地球型惑星への移住が当然だと思われていたのだが、重力コントローラを使えば、重力が弱く空気の無い小惑星でも移住が可能になるのだ。さらに重力コントローラを使えばロケットも必要なくなる。宇宙がぐっと身近になったと言えるだろう。
ブラックホール事業に携わる人々にも、別の意味で衝撃を与えた。重力コントローラの機能が巨大すぎたのだ。想定外とも言えよう。巨大なブラックホールエンジンは理論上可能だが、一歩間違えば「人類滅亡」の可能性も否定できない。
かくして、事故は起こるべくして起きた。