元所長(1)
アメリカ・カリフォルニア州。海岸が一望できる高級リゾート地。QP(GraviScience Quantum Phantom Research Institute=グラビサイエンス・量子幻影研究所)の元所長が静かに暮らしていた。結婚もしなかったため家族もいない。介護ロボットと家を管理するAIとの一人暮らしだ。
「引退が遅すぎたなぁ~」
すでに年齢は89歳になる。長年に渡る宇宙生活で筋力は衰え、ロッキングチェアに揺られながら毎日目の前に広がる太平洋を眺めて暮らすのが精一杯だった。地球に戻ったら世界一周でもしようかと思っていたのだが、体が言うことを聞かなくなっていた。
「ボクは一体、何年宇宙にいたんだっけ?」
彼は18歳で飛び級にて大学を卒業した後、未来エネルギー研究連盟(Future Energy Research Federation)に入った。未来エネルギー研究連盟は2345年にブラックホールの量産化に繋がる「ブラックホール生成エンジン理論」を発表した実績のある科学研究団体だ。天才と言われた彼は入所後すぐに未来エネルギー研究連盟が提携しているグラビサイエンス研究所(GraviScience Institute)の宇宙ステーション「GECRI(GraviScience Energy Core Research Institute=グラビサイエンス・エネルギーコア研究所)」に出向となった。
ブラックホールエンジンの開発に携わり、彼が加わってからわずか1年で人類初のブラックホールエンジン「オッドボール(Oddball=異色)」を完成させた。しかし彼は元々ナディヤ・カザンスカのファンであり、ブラックホールエンジン完成という実績を残したこともあって、幽子と霊子の研究のために地球へ戻るつもりであった。
グラビサイエンスはすでに資金力も人員も研究施設も、未来エネルギーよりも遥かに上回る研究団体となっていた。GECRIの所長からグラビサイエンスがこのまま宇宙で霊子の研究に特化することを告げられると、彼はグラビサイエンスに移籍し新しい研究施設である「QP」で霊子の研究を続けることとなった。
QPの2代目の所長に昇進した後、ほとんど地球に帰ることもなく81歳で引退するまで宇宙で研究し続けたのである。
「うわ~60年もいたのか・・・『変人』を越えちゃったじゃないか~」
「変人」とは重力子・幽子・霊子を発見した「新素粒子の父」とも呼ばれた「J.ナカオカ博士」の異名である。J.ナカオカ博士は50年もの間、宇宙で研究を続けていた鬼才だ。
「思えばずっとアビオラさんに振り回されていたような気がするよ。・・・懐かしいな」
彼が引退を決意したのは、クワメ・アビオラの凶事があったからだ。どうせ死ぬのなら、故郷のカリフォルニアで死にたいと思ったのだった。
「故郷に戻っても、歩くことすらままならないなんて思ってもみなかった。・・・暇だなぁ~」
話し相手がいるわけではない。思ったことを口に出してしまうのは、年老いたせいなのだろうか。
「お客様が見えられました」
来訪者を告げるAIの音声が部屋に響いた。
「ボクに客?地球に知り合いなんて、いないはずなんだけどね」
門のモニターに映ったのは金髪で背の高い美女と、黒人の男の子。親子にも姉弟にも見えないが。
「お久しぶりです、所長さん。いえ『ケイン・ マックスウェル(Kane Maxwell)』さん」
ケイン・ マックスウェル。彼の本名だ。
「・・・ひょっとして、クローネルさんかい?」
門に立っていた美女は「ヴィクトール・クローネル」だった。