法令違反
西暦2449年1月。ヴィクトールはエクセル・バイオの研究施設「Cloning Explorer」通称「冒険者」に来ていた。ISCOから「クローン法違反による立ち入り捜査」の通達が、エクセル・バイオに届いたからだ。
「よろしかったのでしょうか・・・クローン法案を早期に可決させてしまって」
今更ながらヴォッタ・アクアグリーンがヴィクトールに尋ねる。ヴォッタ・アクアグリーンはヘイゼル・ブランカの分体だ。その気になれば評議員の体を憑依して乗っ取り、ISCOを意のままに操ることもできる。当然、クローン法案の内容を都合よく変えることも、施行を遅らせることも可能だった。しかしヴィクトールはアクアグリーンに「クローン法案には何があっても賛成すること」と命じていた。さらにクローン法制定から本日の施行まで、何一つ対策を取らなかった。ISCOの捜査員が来れば、エクセル・バイオの法令違反を免れることは不可避だ。
「面倒ごとは早く済ませるに限ります。好都合ですよ」
ヴィクトールはアクアグリーンに対して笑顔で応えた。
ISCOには警察に相当する組織はまだない。よってエクセル・バイオの「冒険者」への立ち入り捜査はISCO職員が行うことになった。捜査員を指揮しているのは超大国の理事である。
超大国にとって厄介なのは独善国家ではなくエクセル・バイオの方だ。故に今回の立ち入り捜査は、クローン法を盾に取ることでエクセル・バイオに大きな譲歩をさせるのが目的である。古くから人間のクローン実験をしていたエクセル・バイオが、1年足らずでクローン法対策を十分にできるはずがない。少なくとも総帥である「ヴィクトール・クローネル」がクローンへの憑依転生を果たしているのは周知の事実である。いや「実験」と称して他の者もクローンへの憑依転生をしていることも考えられる。エクセル・バイオが組織ぐるみのクローン法違反なのは確実であった。
ICSA(International Court for Space Affairs=国際宇宙裁判所)の設立前というのも都合がいい。裁判ともなれば公正な判決が言い渡されるはずなのだが、第三者目線では「初物」に対して「前例」という判断基準になりうるためか慎重になる。罪と罰が相応にならないことの方が多いのだ。今回の場合も犯罪者はいるものの被害者はいない。故に「犯罪者の権利」を主張されるおそれもある。
しかし裁判所設立前であれば、捜査員とエクセル・バイオとの話し合いでの量刑になるはずだ。つまり交渉次第なのだ。重大なクローン法違反という弱点を持つエクセル・バイオならば、量刑を罰金刑で済ませたいと思っているだろう。今やISCOの中枢とも言えるエクセル・バイオは、ISCOによる多大な恩恵を受けている。宇宙に於ける食糧事情はエクセル・バイオのクローン肉がほぼ独占状態であり、加盟企業の重鎮たちがこぞって自らのクローン育成を依頼している。CROUNは大規模クローン育成設備ではあるものの、まだ研究段階であり商業ベースには至っていない。あと数年はエクセル・バイオの独占状態が続き、莫大な利益を得るのは確実視されている。加えてCROUN売却益「30兆Crd」もあるのだ。罰金刑など痛くも痒くもないだろう。
ならば痛くさせればいいし、痒くさせればいい。クローン法が施行された以上、どうあってもエクセル・バイオの不利は免れないのだ。ふんだくれるだけふんだくってやろう。罰金はISCOのものとなり超大国である自分たちのものにならないのは癪だが、ISCOの研究支援金を増大させれば済む話だ。「3G計画」の研究資金の糧となってもらう。元々は我らの金だったのだから。
超大国の理事はエクセル・バイオの研究施設「冒険者」へと宇宙シャトルを急がせた。