事変(2)
アビオラを襲った犯人はISCO創立時からアビオラの秘書官として働いていたベテラン女性。動機は全くわからない。彼女はアビオラを刺してすぐに自殺していた。自らの首を切り落とすという正気とは思えない行動。証拠も根拠もないのだが、外部から秘書官が操られたと考えるのが、むしろ自然に思えた。
アビオラは運よく即死には至らなかったものの、危篤状態であり予断は許されない。ISCOの医療チームが迅速な措置を取り、辛うじて死を免れたに過ぎなかった。全快の見込みは薄く、意識を取り戻せるかも不明だ。アビオラの体力的なものを考えて、今はコールドスリープ処置によって延命されている。
ヴィクトールが滞在する「冒険者」はISCO本部「ネクサス(ISCO Nexus Center)」と同じラグランジュポイントに位置していることから、ヴィクトールは事件発生後2時間足らずでネクサスを訪れている。臓器移植に必要なアビオラのクローンを持ってきたのだ。おかげでアビオラの手術は成功したのだが。
「どれくらい持ちそうですか?」
ヴィクトールの問いにISCOの医療責任者は、軽く首を横に振る。
「持って1年・・・」
コールドスリープは冬眠を模した装置で、体温を下げて代謝を極端に落とし、生存に必要な物資を節約すると同時に体の老化を遅らせようとするものである。代謝速度は1/100となるため、理論上は100倍延命できるということになる。それでいて1年と持たないということは、通常であれば4日持つかどうかというほどの重体ということだ。
「せめて5年あれば・・・」
現在エクセル・バイオの「冒険者」では、新たな男性クローンを育成中である。男性は卵子を作れないため、クローンの元となる除核卵は他人である女性の卵子を使用する以外にない。エクセル・バイオでは卵子をホムンクルス用の卵子を除核卵とすることで、親和性を高めようとする実験を始めたばかりなのだ。育成中のクローンは3倍速育成しても、憑依転生が安定すると定義している15歳の肉体になるまで5年は要する。ヴィクトールの発言の真意はここにあった。
仮に15歳より若い肉体に憑依転生したらどうなるか?実験されたことはないが、「スピリチュアル科学協会(Spiritual Science Society)」の研究によれば、「発達していない子供の脳では、膨大な経験を持つ前世の記憶を維持できず、意識の奥底に沈め忘却してしまう」のだという。そもそもヒトというのは子宮内での胎児のときに、前世でもある死者の魂が宿ることにより自意識が芽生え個性となるのだ。「前世を記憶する子供たち」という人物が古来より存在しうることから、25世紀のスピリチュアル学会では「輪廻転生」は定義とされていた。前世を記憶していても5~8歳で多くの子供たちが前世の記憶を失い遅くても17歳ぐらいまでには前世の記憶が無くなることから、個人差はあるだろうが子供の肉体に憑依転生しても、転生前の記憶と人格が正常に引き継がれる可能性は極めて低かった。
1年ではクローンは3歳児にしか育成できない。
ISCOは「クワメ・アビオラ」という指導者を失うことが、ほぼ確実だと言えた。




