憑依実験(2)
佐藤洋子が自室に戻り部屋着に着替え終わった頃、脳裏にいくつかの思考が流れ込んできた。時計はちょうど9時。実験が始まり、3人が佐藤洋子のクローンに憑依したのだろう。テレパシーとも違う異質な思考だ。テレパシーならばお互いの意志が介在する。言わば機材を用いない会話のようなものだ。しかし流れ込んでくる思考は無意識なため、どちらにもコントロールすることが出来ない。3人分の思考は佐藤洋子自身の思考能力を奪ってしまう。意識が脳内に囚われてしまい、何も目に入らない聞き取れない状況だった。
「二度寝しよう」
佐藤洋子はベッドに潜り込む。脳は早くも披露していて、欠伸が頻繫に出た。しかし眠ることはできない。流れ込む3人の思考が、脳に休むことを許さなかった。
「・・・そういえば、みんな何を考えてるのかな?」
3人の思考が同時に流れ込んできたため、それぞれの思考が判別できなかった。疲れた脳をフル回転して、誰が何を考えているのか識別しようとする。徐々に慣れたようで、3人の違いがわかるようになった。
ユリは迷っている。どのレポート作成に手を付けるべきか。リリーに相談したいようだが、テレパシーを禁止されているために迷ったままだ。一方のリリーは紅茶を飲んでリラックスしている。長時間のレポート作成に備えているようだ。普段はあまり見分けのつかない双子の違いが明確になる。
ヴィクトールは早くも仕事に取り掛かっていた。社内社外を問わず、ヴィクトールの元には様々な報告が上がってくる。複数の端末を立ち上げ、同時に作業しているようだ。内容はさっぱり理解できないものの、一人だけ違う思考スピードに佐藤洋子は驚いていた。
「・・・ちょっと、おもしろいかも」
三種三様の思考を、佐藤洋子は楽しむことにした。思考の流入は止められないのだ。頭痛を堪えながら耐え忍ぶよりは、楽しんだ方がずっといい。
しかし佐藤洋子が楽しんでいられたのは30分もなかった。ユリとリリーが端末を立ち上げレポート作成に入ると、専門用語の嵐に飲まれた。追いつかない理解と3人の集中力に、頭痛が激しくなる。
「・・・寝ちゃえば楽になるかな~眠れないよ~」
最初に開放されたのはランチタイムだ。3人ともONとOFFの切り替えがはっきりしているため、仕事のことは何も考えていなかった。リラックスした思考は佐藤洋子もリラックスさせる。心地よい思考にいつの間にか眠ることが出来た。とはいえ午後になると、仕事モードに入った3人の思考に佐藤洋子は無理矢理覚醒させられた。適度に休憩は挟まれるものの、タイミングがバラバラなので、佐藤洋子の脳は休まる暇がない。
佐藤洋子は不思議に思っていた。クローンとは言え、憑依している以上使っている脳は佐藤洋子の脳だ。自分には3人のような仕事はできない。
「クローンの育て方が上手なのかな~。私もクローンに転生したら、こんな仕事できるようになるのかな~」
3人のディナータイムもバラバラだ。さらに3人はディナーの後も仕事を続け、佐藤洋子の脳がリラックスできたのは、深夜過ぎてからだった。