戦闘能力の低い冒険者がハーレムを作れるのにはそれなりに理由がある
「エルサ・ヴァルキュリア。今すぐヴァルキュリアから抜けてくれないかな」
王国北西部にある、国内に数あるダンジョン街の一つ、デラリサス。
北部に広がる未だ踏破した者のいない魔樹の迷宮『ヴァルトメーア』を攻略するための拠点として十六年前に作られた街であり、数多くの冒険者が拠点として利用している。
そんな街の中央、夕暮れに染まる大通り。
探索を終えた冒険者や一日の勤務を終えた住人がごった返す場所で、声をかけられた。
艶やかな黒髪を背中でまとめた、華奢な体躯と人形のように整った愛らしい顔立ちから少女と勘違いされることの多い少年――エルサ・ヴァルキュリアは、脚を止めた。
声をかけてきたのは、幾つもの傷が刻まれた鎧を身に纏う金髪の青年であった。
使い込まれた防具に腰に下げた使い古されたサーベル、隙がなく体幹のブレもない立ち姿から、青年がそれなりの実力者であることが見て取れた。
「えっと――」
「これは何も俺が自分勝手に君に告げていることではない。ヴァルキュリアのリーダーであるレベッカ・ヴァルキュリアから、君に伝えるように頼まれたんだ」
ヴァルキュリア。
王国内で名を轟かせる、第一級冒険者が三名も所属しているパーティーである。
数多くの未踏破ダンジョンの攻略、冒険者が安全に攻略できる情報が詰め込まれた詳細マップの作製、これまで謎に包まれていた魔獣や魔物の生態情報の提供、新種の鉱物の発見。
誇張された噂かと思ってしまうほどの功績を数多く上げている。
ヴァルキュリアは十六年間攻略されていないヴァルトメーアを踏破するよう王国から依頼を受け、二週間ほど前からこの街を拠点にし活動していた。
エルサは、そんなパーティーの中で唯一第一級冒険者ではなかった。
そのため、このように同業者から疎まれ絡まれることは多かった。
声高々に告げる青年に周囲の人たちが集まってくる。
更に話題がヴァルキュリアのことであり、青年の相手がヴァルキュリアでも悪い方で有名なエルサともなれば、興味を抱かないものなどいなかった。
いつのまにか、エルサと青年を中心に輪が形成されていた。
「それより――」
「君も自覚しているだろう。自分が彼女たちの脚を引っ張っていることを。まぁ、当然だ。なにせ彼女たちは第一級冒険者なのに対し、君は第九級冒険者なのだから。その実力差は大人と子供以上に離れている。普通ならば身の丈に合わないとすぐにパーティーを出ていくはずだ。それなのに君は、彼女たちが言い出さないことをいいことに、ずっとヴァルキュリアに寄生し続けている。彼女たちの功績で甘い汁を吸い続けるなんて、卑怯で最低な行いだと思わないのか」
王国内に存在するダンジョンは全て王国直属の機関であるギルドが管理しており、ギルドに登録しダンジョンに入る権利を得た者は冒険者と呼ばれている。
そして、実力のない人間が高難易度のダンジョンに挑戦し死亡しないよう、ギルドは等級という制度で冒険者を管理し、適切なダンジョンに挑戦できるようにしていた。
等級が高ければ高いほど危険なダンジョンに挑むことができ、高難易度の依頼を受けることができる。そして、危険なダンジョンでは希少な素材や宝が入手でき、高難易度の依頼は依頼者が貴族や王族であるため繋がりを持つことができる。
そのため、人々は等級が高い冒険者に尊敬の念を抱いており、また冒険者は一攫千金を夢見て等級を上げようとする者がほとんどであった。
第九級冒険者は下から数えて二番目の等級であり、第一級冒険者は最上位の等級だ。
通常、これほど離れた等級の冒険者がパーティーを組むことはない。
パーティー内の実力が乖離していればいるほど、ダンジョン探索においては危険だからだ。
そのため、第一級冒険者のパーティーに所属するエルサのことを寄生虫であり足手纏いであると、ほとんどの人間が声には出さないが認識していた。
事実、周囲を囲む人々がエルサに向ける視線には、侮蔑や軽蔑の色が多く含まれている。
エルサ・ヴァルキュリアに対し好意的な印象を抱いているものは、この場には居なかった。
とはいえ、ヴァルキュリアとして活動する中でそんな視線に晒されることは日常茶飯事であるエルサにとっては、気にするようなものではなかった。
「あの――」
「ああ、君が抜けた後は気にしなくて大丈夫だ。この街で最も優れた冒険者である俺が後釜としてヴァルキュリアに入ることが決まっているから。第九級冒険者の君とは違い、俺は第二級冒険者。しかも、近々第一級冒険者への昇級試験を受ける予定となっているんだ。君とは違い、彼女たちの脚を引っ張ることはないから安心してくれ」
青年の言葉に嘘偽りはないのだろう。
周囲からは青年ならば当然だという声が上がり、それに異を唱える者はいなかった。
「その――」
「それと、君のような実力が上の冒険者に寄生するような人間にこの街に居てほしくないから、今すぐに荷物を纏めて出て行ってくれないかな。レベッカには僕から伝えておくから」
第一級冒険者の名前を、まるで恋人のように甘く口にする。
それはまるで自分と第一級冒険者が男女の仲であることを周囲に知らしめるようであった。
周囲を囲む男性の多くが、青年に羨望の眼差しを向けた。
「だから――」
「なんだ、もしかしてまだ現実を受け入れることができないのか? なら、一ついいことを教えてあげよう。これだけ説明しても理解できない君はこれまで知らなかったのかもしれないが、ヴァルキュリアの皆は君のことを嫌っていたんだ。これは俺の勝手な妄想じゃない。実際、君が嫌われている場面を目撃している人も沢山いるんだ」
曰く、ヴァルキュリアが宿泊する施設では少年だけ別の部屋に分けられており、少年の部屋からは毎夜怒鳴り声が微かに聞こえてくる。
曰く、宿の食堂にて少年が一人だけでいる場面が何度も目撃され、ヴァルキュリアの他の面々だけで買い物をしている場面も幾度となく目撃されている。
曰く、野営の時少年だけ別のテントに隔離されている。
曰く、曰く、曰く――
次々とあげられるのは、エルサとヴァルキュリアの確執を裏付けるとされる目撃証言。
デラリサスに住む住人と拠点として活動している冒険者は、これらのことからエルサはヴァルキュリアの面々から嫌悪され避けられているのだと考えていた。
「街の人達も気付いているんだよ。君が、彼女達から嫌悪され避けられていることに。そして、第一級冒険者に嫌悪されるような人間には一刻も早くこの街から出ていってほしいとも考えている。だからそう、これはいわばデラリサスの総意なんだよ」
そうだそうだ、と野次馬の誰かが声を上げた。
誰かが一歩を踏み出してしまえば、立ち止まっていた他の者も踏み出してくる。
堰を切ったように、誰も彼もが一斉に声を上げた。
罵詈雑言とはまさしくこういうことを指すのだろうというほどの、悪意のある言葉の数々がエルサへ投げつけられる。
それは糾弾というには悪意があり、私刑というには残酷であった。
声の濁流がエルサを飲み込み、圧し潰そうとする。
青年がすっと手を挙げると、波が引くように静かになった。
「これで分かっただろう。さぁ、さっさと荷物を纏めて出て行ってくれ」
青年の顔に浮かぶのは、愉悦。
エルサという第九級冒険者でありながらヴァルキュリアに所属する害虫を排除し、自分がヴァルキュリアの一員として彼女たちをものにできるという悦びに満ちていた。
誰も彼もが口を噤む――ようやく、話が一区切りしたのだ。
エルサは、青年に声をかけられてからずっと疑問に抱いていたことを、口にした。
「あの――ごめんなさい。貴方は誰ですか?」
―――
青年が、聴衆が、時を止めた。
少年の口から飛び出すのは、みっともない言い訳か、涙に塗れた敗北宣言だろうと思われていただけに、その問いかけは彼らの思考を止めるには十分なものであった。
「は……はぁ?」
「最初からずっと気になってて、何度も聞こうとしたんですが遮られてしまって。あのぉ……僕と貴方は一度も会ったことないですよね? もし以前にお会いしてて忘れてたらごめんなさい」
「ちょ、ちょっと待て! 君は、俺のことを知らないのか!?」
「え、ええ」
「俺はこの街で最も有名な冒険者なんだぞ!? それを知らないわけないだろう!」
「と言われても、知らないものは知らないので……依頼を達成する上で必要な情報じゃないから、その街で有名な冒険者をいちいち調べたりしませんし。あの……ごめんなさい」
申し訳なさそうにエルサが謝ると、誰かがくすりと笑った。
自分は第二級冒険者だのこの街で有名だのヴァルキュリアに相応しいだの、これまで相手が自分を知っているのが当然という顔で振る舞ってきた青年の言動が、完全に一人で空回りしているものだと分かり、耐えきれなくなったのだ。
羞恥からか、憤怒からか、青年の顔が朱色に染まる。
エルサをヴァルキュリアとデラリサスから追い出そうと流れていた空気が乱れる。
「ま、まぁ俺の名前を知らないことは別に構わない。レベッカや他のヴァルキュリアのメンバーは俺の名前をしっかりと知ってくれていればね。これからパーティーも街も出ていく君が知らなかったところで、何の問題も――」
「僕が知らない情報なら、レベッカも知らないですよ。ヴァルキュリアはプライベートな情報以外は全てパーティー内で共有するようにしていますから。この街に来てから、冒険者の名前が共有されたことはありません」
「黙れ! そんなもの、足手纏いでもうすぐパーティーを抜ける君に教える必要はないから共有されていないだけに決まっているだろう!」
「そうだそうだ、その話。僕を追放して貴方のヴァルキュリアの新しいメンバーに加えるって話ですけど、嘘ですよね?」
「お前、いうに事欠いて俺が嘘をついているっていうのか?」
「はい」
青年からジワリと漏れ出す殺気を受け流しつつ、エルサは告げる。
「レベッカは大切な情報は必ず自分の口で共有するようにしています。他人を介すると情報が捻じ曲がっちゃう可能性があるので。だから、僕を追放して貴方を入れるなんて重要な話を、レベッカ本人じゃなくて貴方に伝達を頼むなんてこと、絶対にありえません」
「事実を受け入れられないからと言いがかりをつけるのは辞めろ。確かに私はレベッカから伝達するように頼まれたんだ。いいからすぐに荷物を纏めて――」
「そうやって今すぐに出ていかせようとするのは、レベッカに確認されると困るからですか? 正直、この場にレベッカを呼んで本当かどうか確認すればわかると思うんですけど」
「……第一級冒険者の時間を、足手纏いを追放するのに割かせるわけにはいかないだろう」
ほんの少し、青年の言葉が勢いを失った。
その切っ先の揺らぎは、周囲の人々も見て取ることができた。
「それに、そもそもの話なんですけど……レベッカが僕を追放するなんてことありえないんです。絶対に」
「はっ、足手纏いの癖にどこからそんな自信が湧いてくるんだ。虚勢を張るにしてももうちょっとマシな張り方があるだろう」
「虚勢じゃないです。だって、僕はレベッカと――ヴァルキュリアの皆とずっと冒険をしてきているんですから。脚を引っ張るかどうか、嫌われているかどうかなんて、外側から言われなくてもちゃんと分かりますよ」
大勢に囲まれ、青年に糾弾されても、エルサの態度は全く変わらず、言葉も揺らがない。
反対に、青年はエルサの言葉に当初は余裕のあった態度が崩れ始めていた。
だからだろう。当初は外野の誰もが青年の味方をしていたが、徐々に青年がただ言いがかりを告げているだけなのではないか考える者が現れ始めた。
エルサをヴァルキュリアからもデラリサスからも追い出すための後押しとして機能するはずであった聴衆は、いつしかエルサと青年のどちらが正しいことを言っているのか判断しようとする裁判官へと変貌しつつあった。
とはいえ、エルサに対して足手纏いという印象を抱いている人間はまだ多数いるため、すぐに戦況がひっくり返るというわけではない。
だが、今すぐこの場で荷物を纏めさえ追い出すことは不可能に近い状況になっていた。
なにより、当人であるエルサ・ヴァルキュリアが青年の発言を信じていないのだ。
天地がひっくり返ろうとも、不可能である。
「あの、これ以上お話がないのなら失礼します」
頭を下げたエルサは、輪の内側から出ようとする。
その足を止めたのは、青年の大きなため息であった。
「穏便に済ませようと考えていた俺が馬鹿だったよ。俺たちは冒険者だ。なら、気に食わないことがあったならコレで解決するべきだったよ」
青年は腰に下げたサーベルを引き抜いた。
使い古されながらも十分に手入れが行き届いた白刃が、陽光を鈍く弾く。
冒険者はギルドに登録すれば誰でもなることのできる職業だ。それ故に荒くれ者も多く、なにかあったら力で解決しようとする傾向がある。特に、同業者でのいざこざは決闘や制裁で解決されることがほとんどであった。
勝者こそが正義――これは冒険者になって一か月もすれば誰もが知る理屈であった。
「ある程度いためつけて、それから君自身の意志で出て行ってもらおうことにするよ。大丈夫、手元が狂わない限りは死ぬようなことにはならないからさ!」
第二級冒険者と告げた青年の言葉に嘘はなく、あっと言う間に彼我の距離が縮まる。
エルサの戦闘能力は低い。
辛うじて、青年がサーベルの射程範囲にまで距離を縮め、その凶刃を振りかぶるところまでは視認することができた。
だが、あまりにも速いその動きに身体は反応することができず、無防備なままであった。
空を裂いた刃はエルサの肉も骨も断ち切るだろう――そう思われた、刹那。
黄金色の風が吹き抜けた。
「がぐぇっ!!??」
馬車に轢かれたかのような轟音が響き、青年の身体が吹き飛んだ。
地面をバウンドし、回避し損ねた外周を形成する人の脚に衝突し、停止した。
しかし誰も青年に目を向けない。
この場にいる全員が、彼女に視線を奪われていた。
神々に匹敵すると称される美貌、黄金比で形作られた肉体、黄金すらも霞む金糸の髪。
呼吸どころか心臓の拍動すらも奪っていくその女性に、エルサは微笑みかけた。
「ありがとうレベッカ、助かったよ」
「いえ、間に合ってよかったです、エルサ」
ヴァルキュリアのリーダー、レベッカ・ヴァルキュリアはエルサに傷一つないことを確認すると、目を細めた。
―――
存在するだけで場を支配できる人間が存在する。
レベッカ・ヴァルキュリアも、その類の人間であった。
他者から言葉を奪うほどの美貌と意志の弱い者ならばひれ伏させかねない圧倒的なカリスマは、人々に自然と道を譲らせる。
彼女の命令に喜んで従う人間もいれば、己の愚かさを自覚し懺悔する人間もいる。
レベッカという人間は、つまるところの生まれながらにして『選ばれた存在』であった。
「よくここが分かったね」
「それは――」
「アンタの声が聞こえたから、立ち寄ってみただけよ」
「うふふ。なにかヤバそうな雰囲気だから早くいくわよって、焦っていたのは誰だったかしらねぇ」
「ちょっ、そんな焦ってなんかいないわよ! 本当だからね!」
レベッカより少し遅れて、新たに二人の女性が現れた。
幼さと鋭さが混在した整った顔立ちと、一部が慎ましやかだがしなやかな肉体をもつ、緑黄色の頭髪を三つ編みにして肩口から流している、小柄な女性。
気だるげな垂れ目と口元の黒子が妖艶な顔立ちに、赤子の頭部が入っているかのような起伏に富んだ胸部を持つ、紫色の頭髪を腰まで伸ばした、艶やかな女性。
「おい、あれって――」
「ああ……ミュリィ・ヴァルキュリアと、ウィッカ・ヴァルキュリアだ」
自分の名前を挙げた外野へと、ミュリィが視線を向ける。
元々鋭い眼付をしているため、睨まれたと勘違いした外野が慌てて口を閉ざした。
レベッカ、ミュリィ、ウィッカ、そしてエルサ。
この四名が、名高いヴァルキュリアのメンバーであった。
一人でいても周囲の視線を集める彼女たちが揃うと、呼吸すらままならない圧倒的強者の雰囲気が無差別に撒き散らされる。
辛うじて声を上げることができたのは、登場の衝撃からつい名前を声に出してしまった二人だけであり、残りの人々は皆一様に雰囲気に呑まれ声を出せないでいた。
「それで、これは一体どういう状況なのでしょうか。ひとまず、エルサに危害を加えようとしていた不届き者は殴り飛ばしましたが」
「私も声が聞こえただけでその内容までは詳しく把握していないわよ。そこの転がっている男がごちゃごちゃ言っていたっぽいけど。どうせまたエルサが余計なことを言っちゃったんじゃないの? だとしたら自業自得よ自業自得」
「そんなこといってぇ、一番心配してたのはミュリィじゃない」
「べ、別に私は心配なんかしてないわよッ! こ、こいつがヴァルキュリアの評判を落とすんじゃないかって、気がかりだっただけよ!」
「心配してくれてありがとう、ミュリィ」
「~~~~ッ」
「顔が真っ赤になっていますよ」
周囲などそっちのけでワイワイと会話をするヴァルキュリア。
そこには一切の不和は見て取れなかった。
青年の言葉が嘘だったのではないかという疑いが、ジワリと人々に染みわたっていく。
「いや、それがさ。あの男の人……結局名乗ってくれないから名前を知らないんだけど、あの人がレベッカから僕にパーティーを抜けろと伝えてくれって頼まれたって絡んできたんだよ」
「……それは本当ですか?」
空気に亀裂の入った音を、誰もが聞いた。
息苦しさに喉を掻き毟りたくなるほどの殺気であった。
青年の言動がレベッカの逆鱗に触れるものであったのだと、この場にいる全員が理解した。
「勿論、レベッカがそんなこと言うはずないから信じなかったんだけど。それにこの人、随分と自分を過大評価しているようでさ、自分の方がヴァルキュリアに相応しいって何度も言ってきたんだよ」
「へぇ……そこに転がっているゴミ、そんなことを言っていたのね」
「うふふ……身の程を弁えさせてあげる必要があるわねぇ」
エルサが事実を告げるたびに、場の雰囲気が重苦しいものへと変質していく。
周囲の人々は今すぐにでもこの場から離れたい衝動に駆られたが、脚が地面に縫い留められたかのように動かなかった。
人々の視線は、自分をこんな理不尽な状況へと追いやった青年へと向けられる。
多数の視線に気づいたのか、吹き飛ばされ意識が飛んでいた青年が目を覚ました。
「う、俺は一体……」
「――答えて下さい。貴方は私の名前を騙り、エルサにヴァルキュリアから抜けるように告げましたか?」
意識を取り戻した青年は、眼前に突き付けられた切っ先に息を呑んだ。
左側からミュリィの構えた弓が、右側からはウィッカが待機させている魔法が突き付けられている。
冷静な判断が下せる冒険者であれば、第一級冒険者三名に武器を突き付けられた時点で頭を下げ、脱兎のごとくこの場から逃げ出すだろう。
しかし意識を取り戻したばかりで危機察知能力が鈍っており、さらにはヴァルキュリアの第一級冒険者を自分のものにしたいと欲望を抱いていた青年は、その場から闘争せず、喉を鳴らすと口を開いた。
「お目にかかれて光栄です。ヴァルキュリアの皆さん。俺はこの街で最も優れた冒険者、ギ――」
「貴方の名前は街外れに住む遠い親戚のランチぐらい興味はありません。私の質問に答えてください。貴方は私の名前を騙り、エルサにパーティーを抜けるよう言いましたね?」
殺気がさらに膨れ上がる。
最早呼吸すら意識しなければできないほどの重圧であった。
青年はようやく事態を理解し始めたのだろう。
少しばかり青褪めた顔を、多量の汗が流れていく。
「……貴女のいう通り、確かに俺はあの少年にパーティーを抜けるようにいいました。けれどそれは、貴女たちのことを思ってしたことなんです。貴女たちが彼に言えなかったことを、代弁しようとしただけなんです!」
「は?」
「あの少年はヴァルキュリアの癌です。脚を引っ張る寄生虫です。第九級の癖に、遥か高みにいる第一級の貴女たちに付きまとう屑です。最高で最上の存在である貴女たちの価値を、エルサ・ヴァルキュリアという存在が貶めている。それは決して許されることではない。
彼は貴女たちに相応しい存在じゃない。ヴァルキュリアの皆さんもそう思っているはずだ。だから俺は貴女たちに代わって彼にパーティーを抜けるよう言ったんです。そして、貴女たちに相応しい俺が新しく――」
「それ以上、不快な口を開かないでください」
――この場にいる誰もが、自分の首が切り落とされたかと思った。
レベッカが放つ殺気は最早人々に己の死を幻視させるほどに濃密で、凶悪であった。
ミュリィとウィッカからも、同様の殺気が放たれている。
第一級冒険者三名の殺意は、直接殺気を浴びせられていない周囲を囲む人々の心さえも圧し折った。
「全く……どこの街でもどうしてこういう害虫が湧いてくるのかしら」
「うふふ。害虫なら、しっかりと駆除しないといけないわねぇ。これ以上増えないように、念入りに」
「あ、ぅあ……」
虎の尾を踏みつけたのだと気づいた時には、もう遅い。
猛獣の牙は愚者に反省の機会も与えずに噛み砕く。
「口が二度と開かないようにしましょう」
レベッカが目にも止まらぬ速度で剣を振るい、青年の頭部と身体を隔てようとする。
「レベッカ、止まって」
あとほんの僅か。瞬きをするほどの時間があれば、血の噴水が生まれていただろう。
エルサの声でぴたりと止まった断頭の刃は、皮膚を僅かに裂いたところで停止していた。
「ミュリィとウィッカも殺気を収めて。僕のために怒ってくれるのはとっても嬉しいけど、皆がそのために血に汚れるのは嬉しくないよ。それにそもそも、僕はその人たちが言っていたことなんて気にしてないしね」
「……ふぅ。エルサがそういうなら分かりました」
「ちっ、仕方ないわね」
「エルサに言われたら、仕方ないわねぇ」
「けれどこのままにしておくのは納得できないので、誤解は解いていきます」
「うん、分かった」
まるで最初から存在していなかったかのように、殺気が霧散する。
夢かと錯覚してしまうほどの変化。青年が何度も己の首を撫で繋がっていることを確認していた。
「それではそうですね……貴女」
「わ、私ですか!? わ、私は何もしていません!? 決して彼を馬鹿にするようなことも貶めるようなことも口にしていませんから!?」
「別に何かをするつもりはありません。貴女は、今回の事態を最初から見ていましたか?」
「は、はい……」
「ならば、この場で起こったことを最初から簡潔に説明しなさい」
命じられた女性は、涙目になりどもりながらも、一連の騒動を簡単に説明する。
青年の言動を説明するたびにヴァルキュリアが眉を寄せ、その反応に女性は怯えて身体を震わせていた。
「なるほど。それでは、今説明したことについて、一つ一つ訂正していきます。一つ目はエルが私たちの脚を引っ張っているという話ですが、そんなことはありません。むしろ、ヴァルキュリアのパーティーはエルサがいるから成り立っています。彼が居なければ、私たちはこれほどの成果を上げることはできていません」
「そ、そんな馬鹿な! ありえない! そいつは第九級冒険者――」
否定の声を上げた青年を、レベッカが眼光だけで黙らせる。
この状況で未だ声を上げることができるのは、胆力が凄まじいのか単なる馬鹿なのか。
「勘違いしている人も多いですが、そもそもギルドが定める冒険者の等級は『戦闘能力』におけるものです。ギルドが定める戦闘能力に関する試験に合格した場合、等級が上がる。反対に言えば、どれだけ優れていようと戦闘能力がなければ等級は上がりません」
ギルドはダンジョンへの入場許可の権限を持つ唯一の機関であり、『ダンジョンの難度に応じて生存できる人間を選別する』ことを目的として作られている。
ダンジョンから採取される様々な素材は、王国の主要な輸出品だ。
高難度のダンジョンで手に入る素材が高価なのはもちろんだが、成り立ての冒険者でも攻略できるダンジョンで手に入る素材も、ダンジョンのない他国ではそれなりの価値を持つ。
そのため、王国としては冒険者には生存して素材を持ち帰ってもらわなければ困るのだ。
だからこそ、ギルドでは戦闘能力に応じた等級を定め、確実に生存できる範囲のダンジョンにのみ入る許可を与えている。
なぜ戦闘能力なのかといえば、ダンジョンにおける最大の脅威が魔獣や魔物だからだ。
「ほんと、あの等級審査どうにかならないのかしらね。ダンジョンじゃ戦闘能力は確かに大事だけど、それだけじゃ生きていけないっていうのに。それだからそこの馬鹿みたいに、等級を絶対視する勘違い野郎が出てくるのよ」
「まぁ、冒険者が新しいダンジョンに挑む際に最初にぶつかる壁は魔獣や魔物の強さだものぉ。そこを突破できないことには挑ませることは無理って判断なのよぉ。ほら、世にある冒険譚も大体魔獣とか魔物とかの話ばかりじゃない」
「ふんっ。それだから勘違いした奴がのさばるのよ。もっと毒性のある植物を摂取してお腹を壊した勇者の話とか、罠に嵌って恥ずかしい目にあった聖女の話とか、残すべき話は色々とあるでしょうに」
「格好悪い話は往々にしてもみ消されるって話よぉ。それに格好のいい話ばかりの方が、素材の納品量や依頼の達成率が上がるからでもあるのよねぇ」
英雄譚や冒険譚に憧れや一攫千金の夢を抱き、冒険者になる者は多い。
そして、そういった人たちが多ければ多いほど王国は輸出量を増やすことができ、もうけを得ることができる。
王国直属であるギルドはそういう心理を利用し、『貴方ならばあのダンジョンに巣食う魔獣や魔物を斃すことができます』という事実を定かにするための審査を行う。
様々な思惑や利益が重なり合った結果の、等級である。
「ギルドの等級は言い換えるならば『戦闘能力のランク』です。その点だけで言えば、エルサは間違いなく第九級。しかし――彼はそれ以外の全ての点で、圧倒的に優れています」
マッピングは正確なだけでなく、出現する魔物や魔獣、採取可能な植物や鉱物の情報まで記載されており、ギルドでも正式なものとして採用され販売されている。
魔獣の解体は迅速で無駄がなく、採取や採掘も一切の澱みがない。
ヴァルキュリアで使用しているポーションは全てエルサが調合した者であり、特殊な効力を持つ装備品である魔具のいくつかはエルサが錬金術で作り上げたものだ。
また、直接の戦闘能力は低いが支援魔法に優れており、基本的な強化や弱体化の魔法は全て扱うことができる。
「私がこれまでに出会った全ての冒険者の中で、エルサに勝てる人はいません」
レベッカ・ヴァルキュリアをしてそれほどまで言わしめる少年に、驚愕の目が向けられる。
驚きの視線に晒されることに馴れているのだろう。エルサは少し恥ずかし気に頬を掻くだけであった。
「森の民として育った私よりも植物に詳しい人間なんて、初めてよ」
「学園の教授でも簡単には作成できない魔具をポンポン作っているのを見た時はぁ、自分の頭がおかしくなったかと思ったわぁ」
「私たちがこれまで未踏破ダンジョンを踏破できたのは、エルサの支援があったからです」
レベッカたちには第一級冒険者として認められるだけの戦闘能力がある。
しかし、ダンジョンの探索は戦闘能力さえあればどうにかなるものではない。
複雑な構造、未知の魔獣や魔物や植物、消耗品や装備品の質。
これらを全て、エルサ一人が支えていたのだ。
いわばエルサ・ヴァルキュリアは、万能のサポーターなのであった。
「だからエルサが足手纏いなんてことは絶対にありえません。そして、エルサの足元にも及んでいない貴方をヴァルキュリアに入れることも、決してありません」
強烈な拒絶に己のプライドを刺激されたのか、青年が反射的に口を開いた。
「お、俺はもうすぐ第一級冒険者になるんだぞ! つまりお前たちと――」
「アンタの力量がどうとか関係ないから。マッピングも調合も錬金術も支援魔法も劣ってるアンタを入れるわけがないって言ってんのよ。それに勘違いしているみたいだけど、第二級冒険者までと第一級冒険者は全く別の存在よ。第二級冒険者という一点においてだけでも、貴方をパーティーに入れることはあり得ないわ」
「上限に達して試験に合格すればなれる第二級冒険者までとは違ってぇ、第一級冒険者には上限が存在しないのよぉ。だから第一級冒険者と一口に言っても実力は様々なのぉ。そして私たちはそんな第一級冒険者の中でも最上位に位置しているのぉ」
第一級冒険者とは、脅威度が不明なダンジョンへの立ち入りが許可される等級であり、ギルドにおいて最上級の権利が与えられた存在である。
そのため、第一級冒険者として活躍し百のダンジョンを攻略した者と、第一級冒険者になって一週間しか経過していない者、どちらも等しく『第一級冒険者』として扱われる。
正確な実力を測るにはその第一級冒険者がこれまでに成し遂げた偉業を見るほかなく、肩書だけで判断する方法は存在しない。
そしてヴァルキュリアは、第一級冒険者の中でも数多くの偉業を成し遂げている、文字通り冒険者の中でも最上位の存在だ。
そのスタートラインにすら立っておらず、未だ第二級冒険者である青年を入れる必要は、どこにもない。
わざわざ足手纏いを仲間に入れたいものなど、いるわけがないのだ。
「私の拳を回避できず気を失うような冒険者では、第一級冒険者になってもすぐに死んでしまうのがオチだと思いますが」
青年が口を開閉させるも、声は出ない。
もうすぐ第一級冒険者になれることこそが青年が自負する己の価値であったのに、第一級冒険者から等級が上がったとしてもすぐ死ぬ程度の実力しかないと告げられたのだ。
その心を圧し折るには十分であった。
「さて、それでは最後に私たちがエルサを嫌っているという噂を払拭しておきましょう。私たちがエルサを嫌うことなど、例え天地がひっくり返ろうともありえません。なぜなら――私たち全員、エルサの『女』だからです」
レベッカの衝撃的な発言に、人々はポカンと口を開けた。
女――つまりは男女の関係にあるということ。それも、三人全員が。
頬を赤らめそっぽを向くミュリィも、頬に手を当てるウィッカも、否定しない。
誰も彼もが、彼女たちとエルサで視線を往復させる。
「私たち三人が同じ部屋でエルサだけ別の部屋なのは、一緒の部屋だと三人とも歯止めがきかなくなるからと、抜け駆け防止のためです。そして彼の部屋から漏れる、怒鳴るような声は、私たちが可愛がられている時の声です。毎回防音の部屋を選んでいるから大丈夫だと思っていたのですが……」
宿屋で薄っすらとその声を聴いたことがある者たちが、顔を赤らめる。
まさかあれが情事の声だとは誰一人として考えていなかった。
「朝食の席にエルサ一人だけしかいないことがあるのは、全員でシたからです。腰砕けになって、お昼までまともに動けないことが多いですから。テントや買い物が別々なのも、抜け駆けをしないための取り決めのようなものです。他の噂も――」
淡々とレベッカが囁かれている噂を訂正していく。
そこに羞恥の感情は一切ない。
自分達に恥ずべき部分など何一つ存在しないと、その顔は語っていた。
時折ミュリィとウィッカが口を挟みつつ、全ての噂が正されていった。
そして、この場に集まっている人々は理解した。
このヴァルキュリアというパーティーは――エルサを中心としたハーレムなのだと。
足手纏いなどではなく、あの少女と見紛う容姿をした少年こそが、中核なのだと。
全員が『ヴァルキュリア』と名乗っているのは、他者に付け入る隙を与えないためなのだと。
第一級冒険者三名から好意を寄せられ、さらには毎日のように誰かと行為をしていながらも、レベッカをして及ぶものなしと言わせる支援を維持している少年に、人々はもはや畏怖を抱いていた。
「――こんなところですか。まだ、エルサを足手纏いとか、私たちが嫌っているとか、勘違いしている人はいますか?」
レベッカがぐるりと見回す。
誰も彼もが頭がもげてしまいそうな勢いで、首を左右に振った。
「そうですか、それじゃあこれで終わりにしましょう。エルサ、もう十分です」
「そっか。相変わらずレベッカの説明は分かりやすいね。ただ、できればもうちょっと表現とか評価を柔らかくしてもらえると助かるんだけど……」
「評価は正当です。表現も、あれでかなり柔らかくしています」
「そうかな?」
「はい。しっかり表現するなら、私たちの夜の生活を赤裸々にかつ大量に語る必要がありますから。艶本が何十冊と書けてしまうほどに」
「別にそれは赤裸々に語らなくてもいいんじゃない!?」
「ふんっ。アンタが変態だからそればっかになっちゃうのよ」
「うふふ。そんなこといって、一番エルサにおねだりをしているのは貴女じゃない。ほら、この間も――」
「あああぁぁぁッ!? 喋るな喋るな喋るなーーッ!!」
和気藹々と話しつつ、ヴァルキュリアはその場を後にした。
後に残されたのは、衝撃的な真実を立て続けに突きつけられ放心する外野と、自信も尊厳も圧し折られ呆然としている青年だけであった。
―――
それから数日後、ヴァルキュリアは街の北西にある未踏破ダンジョン『ヴァルトメーア』を踏破した。
エルサが書き記したヴァルトメーアの詳細なマップは冒険者たちがこぞって購入した。
また、エルサはヴァルトメーアだけでなく、街の付近に存在する攻略済みダンジョンの詳細なマップ、さらにはダンジョン外で入手できる希少な素材や鉱物の採取マップすらも作成し、ギルドに提供していた。
冒険者たちはそのマップを利用することで安全かつ効率的に素材を入手できるようになり、ギルドは持ち込まれる素材の質と量に狂喜乱舞した。
ヴァルキュリア、その中でも街に多大な利益をもたらしたエルサを人々は尊敬し、そんな少年を追放しようとした青年を、痛烈に非難した。
未踏破ダンジョンを踏破した後別の街へとヴァルキュリアが旅立ってしまったため、青年は少年に謝罪し贖罪する機会を失ってしまった。
ヴァルキュリアの女性たちを己の者にしたいと欲望を抱かなければ、第九級冒険者であるエルサならばどうにでもできると甘く見なければ、青年の結末は変わっていただろう。
居場所を失った青年はいつの間にか街から姿を消し、人々から忘れさられていった。