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映画の話を

作者: 杜若表六

「昇くん、今日はありがとう。とっても楽しかったよ。映画も二倍くらい面白く感じたような気がする」

 尚子しょうこちゃんはそういって微笑んだ。

「よかった。僕なんかと一緒じゃ退屈かなって心配してたんだけど」

 僕はうつむいたまま答えた。

「そんなこと全然ない。だって、私の周りにハルキを読んでる人がひとりもいないんだもの。そんな中で、昇くんは貴重な仲間だよ」

「僕もうれしいな。ハルキストがこんな近くにいるなんて……」

 僕と尚子ちゃんは、今日ふたりで『ノルウェイの森』の映画を観てきたのだった。本当は二回くらい観る予定だったけど、尚子ちゃんが映画の出来に満足して、もう十分といったので、予定を早めに切り上げて、こうして近くの公園でベンチに座ってのんびりしている。

 僕は幸せだった。休み時間、いつも教室でひとり文庫本を読み耽っている尚子ちゃんは、なんだか透明な壁に囲まれているようで、近づきにくい雰囲気と、ミステリアスな魅力があってとても気になっていた。そんな尚子ちゃんと一緒に映画を観られるなんて、昨日まで思ってもみなかった。

 尚子ちゃんは昨日の下校時、とつぜん帰り支度をする僕の前に立って「昇くん、もしかして、村上春樹とか好きだったりする?」と話しかけてきた。まず、ほとんど話したことがないのに名前で呼ばれたのに驚いたし、なぜ村上春樹なのかもわからなかった。僕はハルキを読んでいないわけではなかった。「まあ、好きかな……」と答えると、「やっぱりね。昇くん、休み時間とか、いつも私のことずっと見てるでしょう」といわれ、僕は「ご、ごめん」と反射的に謝った。むっつりスケベなんでしょ、といわれているのかと考えてしまったのだ。「どうして謝るの?……私がいつも読んでる、ハルキの本が気になるんでしょ」と尚子ちゃんはいった。僕は彼女より後ろの席だから、表紙なんてわからない。それに何を読んでるかなんて問題じゃなかった。彼女のひとを寄せ付けない孤独な感じが気になっていただけだ……でも僕は「う、うん、そうだよ。ハルキ好きなんだ、僕と同じだな、とか思っててさ」といった。すると尚子ちゃんは「じゃあ、お願いがあるんだけど」と僕の耳元で囁いた。

 尚子ちゃんは村上春樹を好きそうなめぼしい人を探して、となりのクラスまで声をかけたようだったけど、結局、尚子ちゃんと映画を観に行くことになったのは僕だけだった。来週は小さなテストがあるから勉強したい、という人が多かった。僕も本当はこの週末に勉強する気でいたけど、尚子ちゃんと映画を観に行けるなら、それは問題にならなかった。

 話は現在に戻る。

「でもさ、けっこう怖いシーンとかもあったよね」

「そうそう、音楽も迫力があってさ」

「音楽よかったよね」

「あれって、たしかレディオヘッドのギターが担当してるんだよ」

「へえ、詳しいね!」

 事前にしっかり調べておいたから、ちょっとした知識ならすらすら出るのだった。でも、実は僕自身、そもそも『ノルウェイの森』を半分くらいしか読んでいなかった。たしか、上巻で読むのをやめてしまった。尚子ちゃんには「すごく好きな作品だよ」といった。「とっても好きな小説なの。うれしいな」という尚子ちゃんの表情は、花のようだった。

 今、尚子ちゃんは、ふいにマジメな顔になって、

「友達ができて、うれしいなあ……」と呟いた。

 僕の身体に、なにか電気のようなものが走った。僕はまたうつむいて、じっと自分の手を見つめた。


「ねえ、あれは何かな?」

 尚子ちゃんの指さす方を見ると、コンクリートでできた水飲み場の近くに、変なものがいる。

 それは工事現場とかでよく見る、普通の赤い三角コーンだった。確かにそれだけだったら公園にあってもそんなに不思議じゃない。でもそれは上半分。そのコーンに、黒いスラックスと黒い革靴の脚が生えていた。けっこう形が良くて、僕の脚より長い。僕は最初、誰かがふざけてコーンを被っているのかと思った。でもよく考えると、それだと脚の長さのわりに上半身がすごく小さいことになる。そんなに大きいサイズのコーンじゃないからだ。もし僕が被ったら、お腹から腰くらいまでははみ出るだろう。だからそれは小さなコーンから、長い脚だけがスラッと伸びている状態のものだった。

 それが、千鳥足で水飲み場のあたりをフラフラ、ウロウロしている。何かが僕の手に触れた。尚子ちゃんの手だ。彼女は視線を歩くコーンに向けたまま、僕の手をぎゅっと握りしめている。

「あれが何か知ってるの?」

 僕は手を握りかえしながら訊ねた。

「知らないから私も訊いたの。何だろうね」

「とりあえず、どこか他のところに行く?」

「どうして? あれが……気にならないの?」

「いや、気になるからさ、ここを離れたほうがいいかと思って」

 尚子ちゃんは視線を僕に向けた。

「ここを離れて、どこへ行くの?」

「まあ……安全なところかな」

「安全なところ。そうだね。普通に考えればそうかも。でも、もうそれはどこにも無いんじゃない?」

「無い?」

「あれがなんだかわからないけれど、ああいうものが存在するようになった世の中に、逃げる場所なんて存在しないんじゃないかな。もう世界にひびが入っちゃったっていうか、ちがう秩序になっちゃっていうか。あれがもし私たちの錯覚で、一時的な感覚の混乱だとしても、もう元には戻れないと思う。きっと、そういうことだと思う」

 尚子ちゃんはどこか泣きそうな、優しい目で僕を見ている。僕は尚子ちゃんが本当に好きになった。

「確かに、尚子ちゃんの言う通りかもね。僕もそう思うよ。じゃあ……」

 それは酔いから覚めたようにスタスタと確かな歩みになって、僕たちの方に近づいてきた。

「映画の話の続きでもする?」

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