07 各エリアと手術
午前中に地獄のグルグル訓練を終え、休憩と水分補給の後に、教育担当のガーランド中尉が、ルーシーに説明しながら通路を進む。
この施設は移住プラントを模しており、事前訓練や改良に使われている。
一日で全ての施設を見て回るのは不可能なので、定期的に見学日を設定してあるのだ。
今日はこの施設にある階層の一つにある『庭園エリア』と呼ばれる場所に向かった。
実際には、ビルなどの地下駐車場を複数合わせた様な構造なのだが、壁に埋め込まれた液晶パネル、天井の特殊ライトなどで屋外の様に装飾されている。
地面には土が敷き詰められ、芝生や雑木林が点在する。
本物に似せた木々もあり、風も吹くという再現度だ。
小鳥や虫などの小動物も放されており、犬や猫まで買われている。
所員は、遊歩道をジョギングしたり、広場で昼寝をしたりして、ストレスの発散に利用をしている。
ただ、出入りの時に全裸にまでなり、洗浄行程を経てから専用のエリアスーツに着替えなくてはならない。
虫や物資の持込みと、持ち出しを防止する為らしい。
髪が洗われてしまうので、長髪の者には不評だ。
リサイクルエリアは、プラスチックから鉄などの金属まで再利用する場所だ。
鋳造や製鉄所まで有るが動力や熱源は、全て電気で行われる。
地球上では普通に使っていたガソリンエンジン系統が、閉鎖空間では一切使えない。
二十一世紀初頭から、民間にも電気自動車が普及してきたが、その技術が電動工場にまで発展したのは、この計画を見越しての政府援助が有ったからかも知れない。
複合素材は、加熱などにより元素単位にまで分解され、分離され、化学物質として再利用される。
地球ではコスト面で行われない行為だか、ここではコストよりも物資不足が問題視されるのだ。
その他にも、多数のエリアが存在するが、いったい、どれだけの広さを使用しているのだろうか?
「これらの施設は、低重力を考慮しながら、二百年以上の使用を目安に設計されています。将来的には、恒久的な運用が出きる様に改良していくらしいです」
「下手すると、月で生まれて寿命を迎える人も出るかもしれませんね、中尉さん」
「そうですね。人工重力でも開発されない限り、地球の重力に耐えられない世代が生まれる事が懸念されていると聞いています」
ガーランド中尉も聞いている通り、低重力による肉体の弱体化や変容は、単一世代でも起きる。
月着陸を含む長期間の宇宙滞在者の帰還後の問題は、筋肉や骨格の減退からのリハビリだと言われている。
月は勿論、重力が地球の半分である火星でも、地球への帰還後は身体が動かないだろう。
内臓系や循環器系の負担も馬鹿にはできない。
長期的には永住せざるをえない人間が出るのだろう。
そうして歩いている最中に、携帯端末のアラームが鳴り、ガーランド中尉は時計を見て、移動リフトへと向きを変えた。
「ミス サバラス。予定の時間が近付きましたので、医療ブロックに行って手術を行います。宜しいですね?」
「拒否権は無いんでしょ?」
中尉の頷きに、諦めて彼女の後に続く。
先日、精密検査の結果が出て、手術に問題がないとの判断がされたのだ。
かつてのアポロ時代は、38万kmを三日かけて月へ向かっている。
無人のマーズパスファインダーは7ヶ月かけて火星へ着いた。
今回の火星最接近の距離が約7,812万kmなので、アポロの時を単純計算して206倍の日数を必要とする。
技術革新で、現代では5倍の速度が出せるらしいが、それでも概算で120日前後かかる。
2069年11月23日の最接近に合わせる為には、4月か5月の打ち上げが必要となるだろう。
そして、その120日もの宇宙飛行を実現する為に必要なのが人工冬眠システムだ。
人工冬眠に関しては、百年以上の研究が続けられており、植物状態の患者に対する生命維持装置などの開発も、貢献している。
近年では、血管にバイパスするコネクターを付けて、透析や薬剤注入、酸素や炭酸ガスの交換まで行うシステムが発達している。
今日はルーシーに、その人工冬眠用の血管コネクターを取り付ける手術を行う予定になっている。
いつもは、研修で向かっている医療ブロックに、今日は患者として向かったルーシー。
数日前に、手術の見学もしているので、内容は知っているが、やはり自分が被験者となると落ち着かない。
着替えてベッドに横たわり、全身麻酔のガスを吸い込みながら、指示に従い、一から数字を数えていく。
「一、二、三、四、五、ろく、な・・・」
急激に失われる意識の中で、ルーシーは宇宙への一歩を歩み始めていく。
目覚めたルーシーは、全身麻酔特有の渇きと、腕の痒みを感じた。
お酒に酔った時の様に、意識がハッキリとはしないが、朝の目覚めの様に、徐々に覚醒していくのが違う点と言える。
左腕の痒みに、反射的に手が伸びるが、硬いプロテクターに阻まれて、手術をした事を思い出す。
『あぁ、終わったのか・・』
ある程度覚醒しても、左腕の患部には違和感と痛みが続く。
ルーシーが見上げると、看護婦が水差しを持って準備していた。
「まだ、水を飲めませんから、口を湿らす程度ですよ」
ルーシーは頷いて口を開ける。
麻酔が残っていて、十分に呂律が回らないからだ。
口の中もだが、気管が回復していないと、水を肺へ吸い込んでしまう為に、暫くは渇きと戦わなくてはならない。
「左手は動きますか?」
看護婦の問いに、左腕の肩、肘、指先と動かしていき、機能障害が起きていない事を確認する。
血管に繋がるコネクターは、左手首の内側に移植されている。
その為に、手首を動かさない様に、プロテクターで手首周辺が固定されている。
プロテクターには、血流を見るセンサーなどが組み込まれており、コードがベッド横の端末に繋がっている。
これは、出血や血栓症などが起きていないかを調べる為の物だ。
「判っているとは思いますが、半日はベッドの上で。二日は過度の運動が出来ません」
研修で同行したので、この辺りの説明は、理解している。
サイドテーブルに尿瓶が有るのも確認した。
「しばらくは、安静にしてください。何かあったらナースコールで」
そう言って、看護婦はカーテンを閉めて出ていった。
ルーシーは、再びベッドに横たわり、眠りに沈んでいった。