中村警部の事件簿 一 「無能人」
中村警部、山下はパトカーを降りると、とあるビルに入っていった。エレベータに乗り、十二階のボタンを押す。エレベーターが十二階につくと、二人は廊下を歩いて行き、ある事務所に入っていった。入り口の横には「佐々木証券」と書かれた鉄製の看板があった。中村警部、山下は事務所の中に入り、鑑識に警察手帳を見せた。
「お疲れ様です。」
「どうも。それで、状況は?」
「被害者は小野正平さん二十五歳。佐々木証券の社員です。」
「死因は?」
「頭部を一発殴打された事によるものです。」
「凶器は発見できたか?」
「凶器は被害者が使っていたと思われる机に置いてあった灰皿です。被害者と同じ血液型の血痕がありました。指紋は採取出来ていません。」
「死亡推定時刻は?」
「死後三時間程経っていると思われます。」
「遺体の第一発見者は?」
「あちらで待機してもらっています。」
「了解。ありがとう。」
中村警部は事務所の奥の方へ歩いて行った。事務所の端のソファーに男性が座っていた。
中村警部は男性に声をかけた。
「すみません。警視庁の中村です。」
「同じく山下です。」
「お話ししづらいかもしれませんが、お名前と遺体を発見した時の状況についてお聞かせください。」
「宍戸明男といいます。ここで働いている者です。外出からも取って来たら小野さんが頭から血を流して倒れていました。」
「ご協力ありがとうございます。」
「いえいえ。」
中村警部は再び遺体のそばに行き、遺体全体を観察した。そして、あることに気がついた。そして、山下に声をかけた。
「遺体の手をよく見てみろ。穴が空いている。」
そういうと、中村警部は山下に何かが刺さって空いたと思われる直径一センチ程の穴があいた手を山下の顔に近づけた。
「うわぁ!そんなに近くに持ってこないでくださいよぉ。」
「ははは。ごめんごめん。山下がこういうの苦手なこと忘れてた。」
「もぉーそういう大切な事はしっかり覚えておいて下さい。しかし、どうしてこんな穴が手に?」
「詳しい事はわからんが、被害者が殺される前に犯人によって作られたものだと思われるぞ。」
「え、どうして殺される前だってわかったんですか?」
「まあ、勝手な推測だが、被害者は灰皿で一発殴られて殺された。当たりどころが悪かったんだろう。もし、殴られたのが先だったとしたら手に穴を開けられた痛みは感じない。しかし、被害者は殺される前にとてつもない痛みを感じていたとわかる。」
「というと?」
「被害者の顔に注目してほしい。目の端から頬、顎にかけて、筋状の汚れがついているだろう。」
「え、ええ確かに。」
「そいつは涙が頬を伝って垂れたからついた汚れだ。」
「なるほど。つまり、もし先に殴られていたら、このような汚れがつくはずが無いという事ですね?」
「そういう事だ。」
「犯人は被害者に対して大きな恨みがあったんでしょうね。」
「かもしれんな。」
会話が一旦まとまったかと二人が思った瞬間、一人の男性が事務所の中に慌てた様子で入って来た。
「この会社の関係者の方ですか?」
「ええ。宍戸君から聞いて大急ぎで戻って来ました。まさか小野君が殺されてしまうなんて。」
「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか。」
「私は、この会社の社長をしております。佐々木と申します。」
「佐々木さん。亡くなった小野さんについて何点かよろしいでしょうか?」
「はい。」
「小野さんのことを恨んでいるような人に心当たりはありませんか?」
「いえ、ありません。」
「そうですか。では、最近、小野さんに何か変わった点などはありませんでしたか?」
「特にありませんでした。」
「そうですか。では、最後にもう一点よろしいでしょうか?今から三時間程前にどこで何をしていましたか?」
「私を疑っているんですか?」
「いえいえ。関係者全員に聞いているだけで別に疑ってはいませんよ。」
「今日は、今出勤しましたので、その時間は自宅にいました。」
「それを証明する事はできますか?」
「一人で暮らしていますし、今日は、今会社に始めて来ましたから証明はできません。」
「そうですか。ご協力ありがとうございました。」
中村警部は佐々木社長に一礼すると、少し距離を置いて佐々木社長を観察し始めた。
「警部。どうしたんですか?あまり凝視していると訴えられますよ。」
「いやいや大した事じゃ無いんだ。ただ、少し気になることがあってな。」
「何ですか?気になることって?」
「彼の人差し指の傷だよ。絆創膏が貼ってあるが、まだ新しい血が滲んでいる。」
「そんなの、何かで指を少し切ってしまっただけかもしれませんよ。」
「確かにそうかもしれんが、あれを見るとそうとも言えんよ。」
「何ですか?」
「さっき被害者の穴が空いた手を見たときに、爪の中に何かが入っているのに気が付いたんだ。」
「よく気が付きましたね。それで、調べてもらったんですか?」
「ああ。調べてもらったら人の皮膚片だったよ。」
「皮膚片・・・まさか!」
「ああ。そのまさかでは無いかと思っている。」
中村警部はそばにいる鑑識官に声をかけた。
「DNA鑑定をお願いしたい。」
「かしこまりました。」
「被害者の爪の中にあった皮膚片が今ここにいる会社関係者の誰かに当てはまるか調べてほしい。」
「了解です。」
鑑識官は爪の中の皮膚片を取り、宍戸と佐々木社長の頬の裏の粘膜を取ると、警視庁に戻って行った。
(あとは鑑定結果を待つだけだな。)
一時間後、鑑識官が戻って来た。中村警部は鑑識官から鑑定結果の書類を貰い、サッと内容を見ると、安心した表情でフッと鼻で笑った。そして、佐々木社長に声をかけた。
「佐々木さん。少しいいですか?」
「はい。何でしょう。」
「佐々木さん。小野さんを殺害したのはあなたですね。」
「え?ちょっと、何を言っているんですか?」
「納得のいくように一から説明いたします。まずあなたは、理由はわかりませんが、小野さんの手に何かしらの鋭利なものを突き刺しました。そして、あまりの痛みに苦しむ小野さん灰皿で殴り、殺害した。」
「そんなのあなたの勝手な想像でしょう。根拠も証拠も何もありません。」
「いいえ、証拠ならありますよ。」
「何!」
「これです。」
中村警部はDNA鑑定の結果が書かれた紙をポケットから取り出すと佐々木社長に見せつけた。
「被害者の爪の中にあった人の皮膚片のDNAとあなたのDNAが一致しました。被害者が抵抗した時についたものと思われます。改めてもう一度聞きます。小野さんを殺害したのは佐々木さん、あなたですね?」
「クソ、完璧だと思ったのに。ああそうだよ、あの無能は俺が殺してやったんだ。あいつはいつもいつもミスばかりして、取引先に十分遅れて到着してトラブルを起こしたり、会議の時間には遅れて来たり、本当に面倒な奴だった。もちろんクビにすればいいだけの話だった。だが今まで散々迷惑をかけられた恨みや怒りを抑えることがどうしてもできなかった。奴のせいでこの会社の業績はがくんと下がった。何度も殺すのはやめようとしたんだ。だが、気が付いたら奴が目の前で死んでいたんだよ。」
中村警部はポケットから手錠を取り出すと佐々木社長の両手に手錠をかけた。
夕日が沈みかける時間になり、ビルのほとんどがオレンジ色に染まった。そんな様子を中村警部は自分のデスクの後ろにある窓から見ていた。山下が歩いて来て声をかけた。
「警部、今日もお疲れ様でした。これ、プレゼントです。」
振り返ると山下がワインの箱を持っていた。
「かなり高かったので気をつけて持って帰って下さい。」
「ありがとう。今度何か私からもプレゼントするとしよう。」
「あるがとうございます。」
「あ、そうだ今晩どうだい?」
「え?・・・どうって・・・何をですか?」
「何って夕飯だけど・・」
「あ、夕飯ですよね。すいません。どこかいい店知ってますか?」
「もちろん。つい先週見つけたよ〜」
「では早速その店に行くとしますか。」
「よし、山下、店まで競争だ!」
そう言うと中村警部は走って出て行ってしまった。
「あ、ちょっと待って下さい。中村警部―」
完