[記録]最近はやり(?)のお気に入りユーザ非公開をやってみる。
お気に入りユーザ公開時 2018/7/2の筆者の活動報告記事の転載です。(そちらは 2018/8/1 現在非公開です。)
なんとなく、読み物としてもいけるんじゃないかこれ……ということで、エッセイとして残すことにしました。
思考がいろいろ飛びます。そこらへんも楽しんでいただければ、と(笑)
本文中に顔文字とか入っちゃってますが、そのまま載せます。
最近はやりの……というと、不謹慎と思われるかたもいらっしゃるかと思いますが、
けっしてネガティブな意味合いではなく……
こうやって文字で書くと、思っているよりも深刻にとらえられるかもしれませんが、前向きな、実験的な検討でもあります。
ちょっとまじめめいたお話になりますが、気楽に読んでね。「あーなるほど」って思ってもらえる部分も、もしかしたらあるかも?
『まじめをきらうはまじめびと』、これは、私のことでもあるのです。
最近はやりの、お気に入りユーザ非公開を検討しはじめています。すぐにではないけれど。というか、実際にするかどうかもわからないけれど。
なかには「止むを得ず」というスタンスで非公開に踏み切ったかたもいらっしゃいますが、
あるいは、理由は告げずに「非公開にしました」とだけ報告されたかたもいらっしゃいますが、
私はおしゃべりなので、ちょっと語ります。
理由は、私のなかで相反するふたつの思いがあるからです。その折り合いがむずかしくて^^;
私は、ここでのつながりを「お友達」とか「おう兄弟」とかいう関係ととらえたくなくて……
創作仲間、もっといえば、作品を通しての「作者と読者」という健全な関係……
でも、つい人としての交流を求めてしまう。活動報告での雑談だったり、リアルでの小ネタだったり。意見交換的なこともあります。でしゃばりなので^^;
ただ、完全にそれを封印したくはないんですよね。それとこれ(創作関係と雑談的な交流?)とは分けて、両立できないかな、なんて。
ただ、「お気に入りユーザ」という名称には少し疑問があって……、「お気に入り作者」ならいいのですが、どういうわけか私のなかでは、「友達」と変換されてしまうのです。まあこれは、他のSNS……特に実名登録の、リアルの延長にあるSNSの影響ですね^^;
相互お気に入りにマークがつくというのも、やっぱり「友達」と感じてしまうし……
でも、これって気付かずにいて、みなさん感じていることではないのかな、とも思っていて……、つまり、お気に入りユーザ公開をやっていると、「ああ、この人はこの人たちと仲がいいのだな」とか、そういうつながりを見られてしまって、おおまかにだけど、「仲良しグループ」だと思われてしまうような気もしていて……
どうしても、自分にさえそういう意識が芽生えてくるもので……
以前投稿した『怠惰の季節』という作品があるのですが、
匿名だから気楽に書けるぜ……と思っていたのと相反して、実際に書いてみるといろいろとお気に入りさんに勘ぐられるのが怖くて、思ったように書けない……という葛藤がありました。
あの詩はじつは、リアルで感じていたことを象徴という形で表したかったものでもあったのですが、これを読まれたかたには「あいつ(=檸檬 絵郎)はいつもこういう思考をしてるんじゃないか」と思われるのがちょっと怖くて……
じっさい、流れる思考のなかで書いているので、常に一貫した思いがあるなんてことはないのですが……、
ひとつの作品からの作者に対する先入観とか、そういうの? 顔が見えないのでなおさらなのかな?
このとき、ああ、思った以上に「檸檬 絵郎」という一人の人間像を意識しすぎてしまっているなあ……ということに気づいて、ちょっとびっくりしました。もちろん、新たな発見でもあったので、嬉しさ半分のもやもやでもあったのですけど。
私の敬愛するバジル・ホールウォード先生(←あえてワイルドとは言いません)のお言葉、
"It often seems to me that art conceals the artist far more completely than it ever reveals him."(オスカー・ワイルド『ドリアングレイの肖像』の一文。権利切れは確認済み。グーテンベルク・プロジェクト参照。)
これは本当に理想であって、作家としてはやっぱり自己を隠すべきなんだと思う。「完全に」とまではいわないけれど。
でも、読者にも「作家」と「作品」を結びつける読みはできるだけしないでほしいな……と思うところでもあって。作者としての、一方的な考えなんだけど。
作品は作家の思いだったり思想だったり、ましてや「人生」を伝えるものじゃないから。
それだったら、「ドキュメンタリー」でいいわけで。
だから、イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』を観て、あれをひとつの創作ストーリーとして見ずに「ラストが納得いかない」っていうのは筋違いなんだよなあ……と、思う。ましてや、作者の人間性を疑うなんてもってのほかで。(じっさいストーリーの性質上、そういうものを入れただけだったりするし、主張と取られたくはないよね……)
たぶんそういうのもあって、こないだの短編では「実録風」というのを出すことで皮肉った部分もあったのかな。(テレビのバラエティでの再現エピソードを見て、こういうのを人為的に作ってみたら……という興味もあるにはあったのだけど。まあ、メタ構造というか、あえて構造を崩したり外から見たりする……リアルと虚構を意識させる……ってのが好きなんだよね。)
結果、「いやもしかしたら本当に私(=檸檬 絵郎)が疑われているんじゃないか」という疑心暗鬼が生まれたものでもあったけど……(なんていうのも文字で表すと余計に深刻そうに聞こえるかもしれないねごめん^^;)、
でもじつは、作品としてはかなり気に入っています。最後の一文にちゃっかりと、絵郎的なダークホースも入れているし。(←こういうところで、すこし作者性のようなものを滲ませる程度がいいのかな、とも思っています。まあ、このちょっとした作者性も不変とは言い切れないけれど)
ああ、なんか思考がいろんなところにいってしまったのでもとに戻すと……
そんなわけで、私なりの観点から、お気に入りユーザ非公開を検討しています。
結局面倒になってやらないかもだけど、結果が問題ではないのさ。
あ、それで、
ブックマークは、どうしようかなあと思っています。
じっさい、私のブクマ欄を見て作品を探してくれてるかたっているのでしょうかね。いなければ、わざわざ公開しなくてもいいかなあ……と思いつつも、今後、カテゴリごとに「おすすめ歴史小説」とかいってかっぽうでご紹介するときに(←そんなことがあれば、だけど)、ブクマ欄にリンク貼れたら便利かなあ……とも。
あ、なんならカテゴリ「絵郎的ピックアップ作品(予告なく入れ替えます)」っていうのを作ってそれだけ公開なんてのもありか。(入れ替え後は、気が向いたらかっぽうで事後報告?)
平成30年7月2日 檸檬 絵郎
補足
『まじめをきらうはまじめびと』『怠惰の季節』は、拙作の詩です。
マイページの「詩など」というシリーズに入れています。
また、「実録風」というのは、拙作の短編小説『俺が二股恋愛をしない理由(実録風フィクションエピソード)』のことです。こちらは一覧からどうぞ。