(5)李子とフルムーン
誰が犯人なのかと周囲にアンテナを張りながら過ごして数日、次の授業は体育で校庭集合なのだが、測定があるのでシャーペンを持ってこいと言われていた。
うっかり忘れてしまった李子は、シャーペンを取りに教室へ向かった。すると、まだ人が残っていたのか、声が聞こえた。
「がに……あね……」
思わず足を止めた。
「もう使い道ないかな~コレ。邪魔だったから犬のストラップは捨てたのに、案外早く用無しになっちゃったな」
確実に犯人の台詞だ。李子は廊下側の窓から、そっと中の様子を窺った。
中にいたのは一人。朱音と親しい護田さやだった。
さやが朱音の携帯を鞄の中にしまったところで、李子はあたかも今来たかのように振る舞って、ペンケースからシャーペンを取り出す。さやの視線を感じつつも自分の席から離れ、教室を出ようとした時だった。
「ねえ」
さやのほうから声をかけてきた。
「何?」
やはり不自然だっただろうか。タイミングがよすぎた? 李子は必死で平静を装うも、心臓の音はピークに達していた。
さやがゆっくりと口を開く。
「……見た?」
「何を?」
李子は模範的な回答を口にした。さやは少しの間何も言わなかったが、一呼吸おいて、別に何でも、と言って、自分の髪を束ね始めた。
体育の授業が始まる前、日焼け止めを塗り忘れたことに気づいたさやは、みんなとトイレに行ったあと、一人教室に戻ってきた。
教室に戻るとすでに誰もいなかった。
「はいはい、お利口さん」
独り言を言いながら、鞄を机の上に置いて中を見る。ふと朱音の携帯が目に入った。周囲を見て誰もいないのを確認し、鞄からそれを取り出した。待ち受け画面に設定されているこの二匹を拝むのも何度目だろうか。
この携帯は、音楽室の中で盗んだ物だった。
あの日、朱音は携帯を机の上に置きっぱなしにして、友達の席に話しに行っていた。音楽の時間、さやの席は朱音の列の一番後ろだった。本当に出来心だったのだ。
トイレに行くフリをして、左手を朱音の机の上に滑らす。そのままベストのポケットにしまった。
こうして手に入れた朱音の携帯は、やけに重く感じた。
噂では、自分の好きな相手――金堂龍は、朱音のことが好きらしい。メールのやり取りでもないかと思い家に帰ると、早速朱音の携帯を開いた。
『そっか、分かった。急にこんなこと言ってごめん。ありがとう』
彼との一番新しい文章だ。具体的なことには何一つ触れていないのに、前のやり取りが自然と想像できる。そんなことあってほしくないと、そう祈りながら一つ前の受信メールを見た。
『メールでこんなこと言うことになっちゃったのは、ちょっと残念だけど。
俺、満永のこと好きなんだ。
よかったら付き合ってほしい』
画面の文字にピントが合わなくなる。朱音はどう答えたのだろうかと気になり、送信ボックスも見てみた。
『メールかい!
男ならせめて電話でしょー(笑)
でもごめん。
私好きな人いないし、
誰かと付き合うとか考えられなくて。
本当ごめん』
軽い返事――さやにはそう感じられた。このメールを見た瞬間、朱音への嫉妬が嫌悪に変わった。
携帯を盗んだ次の日、朱音はへらへらとした笑顔で周りと接していた。その様子がさやの苛立ちに拍車を掛けた。
そして、悪戯メールを送るに至ったのだ。
「さすがに、解約されちゃあね」
二匹の犬を眺めながら呟き、携帯を鞄にしまったところだった。ガラッと音がして振り返ると、鷹月李子が教室に戻ってきた。
見られただろうか。声をかけようか迷ったが、最後の最後で聞いてみることにした。
「ねえ」
「何?」
思ったより落ち着いている。
「……見た?」
「何を?」
李子が入ってきたのは、さやが朱音の携帯を鞄にしまってからだ。
「別に何でも」
今の李子の反応だけでは、見たからオドオドしているのか、大人しい性格の彼女がいきなり自分なんかに話しかけられてビクビクしているのか、判断がつかなかった。
李子は外周の休憩中に、さやが犯人であることを朱音に告げた。驚いてはいるが、動揺しているというよりは心底不思議に思っているようだ。
朱音とさやは同じグループではないけれど、よく話すし、揉めた記憶もない。
「とにかく今日の放課後、さやと話してみるよ」
証人である李子も、同席してほしいと朱音は言った。李子が心配してそう言い出すのを見越した上での朱音の提案だ。
放課後、朱音と李子はさやを呼んで、屋上手前のスペースに移動した。屋上には鍵が掛かっていたので仕方がない。
「李子もいる時点で何の話か分かってると思うけど」
朱音はそう切り出し、左手で催促した。
「私の携帯返して」
さやは短くため息をつくと、ポケットから素直に携帯を取り出し、朱音に手渡した。
「やっぱ、さっきの見てたんだ。まあ、返したんだしもういいでしょ」
さやは悪びれる様子はなく、この場を去ろうとした。その態度に李子はカッとなって、思わずさやのベストを掴んだ。
「ちょっ、何よ、急に」
「こっ……このまま、朱音に謝らないで行く気? 携帯なんて盗んでおいて……おかしくない?」
怒った李子を見たのは初めてだったさやは、目を皿のようにまん丸にしている。お前はそんな風に人を怒ることができたのかと。
「それにまだ、理由も聞いてない。何で朱音の携帯盗んだの?」
さやはすぐには答えず、沈黙が訪れたが、気だるげな声で理由を話し始めた。
「そしたら朱音の断り方がウザくて、何かしてやりたくなったんだよね。携帯失くした次の日も、へらへらしててイラっとした」
さやはまったく悪びれもせず、そういうことだから、と言ってまた歩き出す。
「何あれ。ごめんの一言もなし?」
朱音は怒るどころか呆れている。どちらかと言うと怒りが収まらないのは李子のほうで、朱音にとある提案を持ち掛けた。
「マジ?」
「マジ」
李子はニヤッと笑った。
眼には眼を、歯には歯を。
……盗みには盗みを。
朱音と李子がさやを呼びだした次の日、さやの携帯電話が紛失した。鞄の中にもポケットにも、机の中にも見当たらない。彼女はすぐに気づき、真っ先に二人を疑った。
「あの二人だ」
休み時間、隙を見てさやは二人に声をかけた。周囲に聞かれないよう、声を潜めながら。
「ちょっと。アンタたちでしょ、私の携帯!」
二人は顔を見合わせ、首を傾ける。
「何のこと?」
「とぼけないで! 仕返しのつもり?」
「そんなに疑うなら証拠は?」
李子は何も言わないが、朱音からは余裕のある返事が返ってくる。さやは二人のポケットや鞄、机などを見せるよう催促した。
さやの携帯は大きめのキーホルダーがいくつかついているので、簡単には隠せないはずなのに、さやの派手な携帯は見つからない。さやは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、自分の席へ戻った。
次の日の朝、さやが教室に入ると、教室内の喧騒が一瞬で消えた。不思議に思いながら自席に着いたが、この雰囲気は記憶にあった。
「ねえ、さや、朱音の携帯盗んだって本当なの?」
「は?」
咄嗟のことで、違うと嘘をつけなかった。それよりも、なぜこんな状況になったのかが知りたい。
状況をイマイチ理解できていないさやに、クラスメイトが携帯の画面を見せた。
「!!」
意に反する謝罪メールに、サッと血の気が引いた。
「違う! これ私じゃない! だって私の携帯は昨日失くなって――」
「でもさや、鞄から見えてるそのキーホルダーって……」
机の上に置いた鞄のチャックは少し開いていて、そこから大ぶりのキーホルダーが見えている。それは間違いなくさやの携帯だった。