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(2)李子と朱音

 珍しく目覚ましが鳴る前に目が覚めた。二度寝をしようと思い寝返りを打ったところで、ふと見た夢の内容が気になった。

 ……真っ暗闇の中。李子は膝を抱えて泣いていた。寂しかった。

 名前を呼ばれて顔を上げると、小さな男の子が心配そうに李子の顔を覗き込んでいる。

 ――僕もね、いつも独りぼっちなの。

 見た目の割りに大人びているその子は、そう言いながら李子の隣に腰を下ろした。

 一緒だね、と李子も言葉を返した。しかし彼には聞こえていないのか、反応がない。気になって肩を叩くと、彼はいつの間にか手に持っていた水筒を、李子に差し出した。

 ――これあげる。

 中身は緑茶だった。冷めてしまったのか、常温だ。

 男の子にお礼を言うと、嬉しそうに破顔した。そして去り際に――。

 ――……?

 約束をしたような気がしたが、はっきり思い出せない。



 二度寝をしてしまうと、夢の内容はすぐにどこかへ吹き飛んだ。

 朝食と日課のメールチェックを済ませると、例の暗号と向き合う。まずは紙に暗号を書き写してみた。

 怪盗をしているからと言って、それと対峙する探偵とか、推理小説に興味があるわけではない。そもそも、暗号とはどのような手順で解くものなのかすら分からない。

 李子は『暗号、解き方、コツ』でネットに検索をかけてみた。

「なになに、『絵や文章をそのままの意味でとってはいけない』」

 この場合、絵は三日月で、文章は数字を指すのだろうか。ほかのサイトを見てみると、気になるものを見つけた。数字で文字を表す……これは近そうだ。アルファベットやひらがなに置き換えるパターンが主流らしい。

 勢いづいた李子は、しばらくの間、暗号解読に熱中した。

 そしてお昼時。

「ふぁ?」

 どうやらうたた寝をしてしまったようだ。アルバイトの時間が迫っているので、李子はお昼ご飯をかきこんで家を出た。



 夕方になると、二ヶ月前に入ったばかりの大学生の女の子、堂本どうもとあやが出勤してきた。もう一人の男子大学生もすぐにやってきて、お昼過ぎから入っている男子大学生も含め、計四人になった。

 いつもなら淡々と仕事をこなすだけだが、今日はなんだかソワソワしてしまう。自然と推理小説の類に目が行ってしまう。

 ほんの少し、いつもより浮き足立つ自分を何とか抑えながら、その日の勤務を終えた。店の休憩室では、店長以外の四人で誤差金の報告を待つ。李子はこの時間も苦痛だった。

「堂本さん、髪切りました?」

「えっ、分かる?」

「いいね、彩ちゃんぽくて似合ってるよ」

 そう言われているのを見て初めて気づいた。確かに彩の髪は少し短くなっている。

「嬉しい~! 切りすぎちゃったかなって後悔してたんです」

 彩は、五センチくらいでって言ったんですけど、とつけ加えた。とは言っても、長い髪を切って、見たところの変化はたかだか十センチ弱。わずかな変化に気づいてもらえた彼女は、上目遣いであざとい瞳を彼らに向けている。

 今まではこの話に李子が混ざることはなかった。しかしこの日は珍しく、彩が李子に話を振ってきた。

「そういえば、鷹月さんは前からその髪型なんですか?」

「えっ」

 突然声をかけられ、スマートフォンをいじっていた李子は顔を上げることで精いっぱいだった。

「鷹月さんはずっとそのままだよね」

 同い年で、李子より半年早く入った男子大学生がかわりに答えてくれた。李子は開きかけた口を閉じて、そのまま黙って下を向いた。

 李子を含めた会話はそれきりになってしまった。彩の視線から外れたと思い、李子スマートフォンを見るふりをしてそっと彼女を盗み見た。それを何となく感じ取ったのか、彩は李子の視線を見て、あからさまにさげすむような目で見返してきた。

 彩はとても勘のいい子らしい。李子の反応で、彼の言葉が間違っていることに気づいたのだ。

 李子はこのような目を幾度となく向けられてきた。侮蔑、嫉妬、嫌悪……種類は違えど、好ましいものではない。

 けれどそれと同時に、朱音と出会った頃のことがよみがえる。彼女は李子に対して、そのような視線を向けたことはなかった。李子が大きく変わった瞬間だった。



 李子が高校に入学して、半年が過ぎた頃だった。

「ちょっとみんな! 私の携帯知らない?」

 クラス全体に向かって呼びかけた女の子――それが満永朱音だった。明るく面倒見のよい性格でクラスを引っ張り、誰からも頼られる存在。

 一方、李子は居ても居なくても変わらない、ごく普通の人間。むしろ、特に女子からは指弾されたような存在だった。

 ――何あれ、性格悪っ。ちょっと顔がいいからってバカにしてんの?

 ――男には色目使っちゃってさ、必死かよ。

 李子は物静かな割には目鼻立ちがはっきりしていて、時折いい意味で男子の目に映ることがあった。それも彼女たちにとっては面白くない。

「ほかの教室に置き忘れたんじゃないの?」

 朱音と仲のいい友達が言った。確かにこの日は、移動教室やら体育やら、とにかく教室を離れる機会が多かった。

 けれど朱音はすでに心当たりを捜索済みで、職員室にも届いていないらしい。

 暑さの残るこの季節。授業は終わり、早く部活に行きたい、帰りたい、とみんな教室に長居する理由はない。後ろのドアからそろっと出て行く者も数名いた。

「白くてスライド式のやつで、犬のストラップがついてるんだけど、見た人いない?」

 朱音が再度呼びかけるも、その行方を知っている人はいない。痺れを切らした男子の一人が、苛立いらだちを含んだ声で不満げに言った。

「なあ、そこどいてくんね? ほかの奴らだって部活とかあんだよ。お前一人のケイタイのために遅れるわけにいかねーの」

「しょうがないじゃん。私ここの席なんだし。それに別に引き止めてるわけじゃないから、行きたいなら行けば?」

 朱音の席はドアに一番近い。その理由はもっともであるが、何人かにはわざとドアを塞いでいるように感じられてならなかった。けれどこの一言で、ここぞとばかりに次々と教室をあとにするクラスメイト。朱音が普段一緒に行動しているメンバーも、部活があるからと彼女に声をかけて、それぞれが活動場所に向かった。

 教室には朱音と李子が残った。

 朱音は、みんなが出て行った後ろのドアを虚ろに見つめていた。李子を一瞬見たが、彼女は何も言わなかった。

 朱音がテキパキと自分の荷物をまとめ始める様子を、李子は何をするでもなくぼんやりと眺めていた。その音はやけに大きく聞こえた。

 朱音が教室から出ようとした時、やっと李子の口が動いた。

「あの、私でよければ、もう一回、一緒に探してみない?」

 朱音は振り返って李子を見た。彼女の目からは涙がこぼれる寸前だった。

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