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月と少女

作者: たっくん

 森の上空に、月が浮かんでいた。三日月だった。三日月の端のほうには黒髪の少女が腰かけていた。少女は虚空をみつめ、どこか儚げにため息をついた。

「おおい」と森の入口に立ち上空へ声をかけると、「はあい」と返事があった。「なにをしているの」と続けると、「別に」とつれない返事が返ってきた。

「月をみているのよ」としばらくしてから少女は云った。

 月ならいままさに君が腰かけているじゃないか。音になる手前の言葉を飲み込んで少女の目線の先を追うと、確かにそこには月があった。満月だった。

「おおい」

再度呼びかけるも、少女はつれなかった。何度呼びかけたっておなじだった。濃い影を落とした少女の表情は、まるで石になってしまったかのように静止していた。

 馬鹿げてる。そう思って、足元の手ごろな手のひらくらいの石を拾って、少女の腰かける月へむかって投げた。石は綺麗な放物線を描いて、三日月の中央辺りにぶつかった。途端、亀裂が広がって、ばらばらに砕け散った。少女は、月の破片がこぼれるのとおなじに地上へと落下した。

 ――しまった。

 気づいてからは遅く、けれどやってしまったことは仕方ない。森の奥のほうへ落ちた少女を探すべく、歩いた。地面はひどく湿っていた。歩くたび、足の裏に粘着質な泥や水気を帯びた枯れ葉の類がこびりつき、脚を持ちあげると鈍い音を立て落ちた。道はほぼ直線じょうの一本で、けれどその奥のほうは、濃い闇がわだかまり見通せない。両の脇には背の高い木々が生い茂っていた。木の葉の隙間からはところどころ満月が覗き、不規則な模様を地面に描いた。

 ――怒っているだろうか。

 いや、怒っているにきまっていよう。

 ――謝ったら許してくれるだろうか。

 それは、謝ってみないと判らない。

 しばらく歩いていると、見通しの良い場所に着いた。そこは綺麗な円形に切り取られ、中央には古びた井戸が構えていた。井戸の淵に、少女は腰かけていた。

「さっきは、その、ごめん」

 駆け寄って頭をさげると、鋭い目つきで睨まれた。

「ああいうのってないと思う」声は、冬の夜の断面を切り取ったみたいに冷たかった。

「月がふたつもあるってのは、駄目だと思って」

「だとしてもよ」少女は云う。「どうしてわたしのほうへ石を投げたの?」

「それは――」

 確かにその通りであった。月がふたつあってはいけないという道理は、わざわざ少女のほうの月を壊すための理由にはなりえない。

「あなたって究極的な嘘つきね」

 その言葉を最後に、少女は井戸の淵に立ち、その穴をゆっくりと覗き込んだ。

「危ないよ!」咄嗟に声が出た。

「危ない?」少女はさらに身を乗り出し穴を覗く。

「この世のなかに、月から落下すること以上の危険があるだなんてわたしには思えないのだけど」

 云って、少女は穴のなかに飛び込んだ。ちょうど水泳選手の飛び込みのフォームみたいに、綺麗に穴のなかへ吸い込まれていった。

 思考よりも行動は速く、気づけばおなじように穴のなかへ飛び込んでいた。出鱈目なフォームで飛び込んだため、落下の途中で何度も躰が回転し、そのたびに石壁へ躰の隅々を打ち付けた。穴のなかは完璧な暗闇で満たされており、なにもかもが判らなかった。自分がいまどの地点にいるのか。少女はなにを思ってこの穴のなかへ飛び込んだのか。いや、そもそも、ほんとうに少女は飛び込んだのか?

「あなた、この穴がどこへ繋がっているのか知って飛び込んだの?」

 声がした。少女の声だ。声は幾重にも反射して、いったいどこから発せられているのか見当もつかなかった。けれど、さほど遠くないところに少女がいることは間違いなかった。

「ここはね、夢と現実を繋ぐ井戸なの」

 落下しているという感覚はとうに失せていた。打ち付ける風と、反射する声だけがすべての感覚を過剰に刺激していた。

「わたしたちは毎日ここを通って、夢と現実の世界を行き来している。けれど誰もそれを知らないの。それを知っているのはわたしだけ。いや、あなたもか」

「ちょっとまって、それじゃあいまはどこへ向かっているの?」

「さあね」ぶっきらぼうに少女は云って、それっきり声は失せた。

 夢と編実を繋ぐ井戸?

 これは果たして、そのどちらへ向かう落下だというのだ?

 それから数秒か数十秒後、白い光がふたりの躰を包んだ。その一瞬だけ、少女が紙一枚ほどの僅かな距離にいることが判った。なにかを云おうとしたが、声を出すことはできなかった。やがて躰のさまざまな感覚が失われ、まるで夢のなかに落ちる瞬間の手前みたいに、意識がゆっくりと遠のいた。


                    〇


 気が付くと、月を見上げていた。月は三日月だった。三日月の端には黒髪の少女が腰をおろし、どこでもないどこかをじっとみつめていた。

 足元に目をやると、手のひらくらいの石をみつけた。それを拾いあげ、三日月に狙いを定め、けれどやめた。

 焦るな、と自分に云い聞かせた。少女の隣に行きたいのであれば、そんなことをする必要はない。いまはじっと辛抱し、夜が明けるのを待てば良い。そうして月が沈んだころに、少女に会いに行けば良い。

 そしたら少女と話をしよう。三日月の座り心地とか、悪い夢のことだとか。


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