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回生のカルテジス  作者: 立草岩央
第一章-与えられし命,居場所なき理想-
8/23

-8-




エスは波動を前方へ向ける。

確かに波動によって世界の一部に揺らぎを与えることは出来るが,完全な破壊までには至らない。

無効にしたところから修復が始まるため,この力の発生源であるマコトを沈黙させるしかない。

ならば,正面突破による打倒以外にあり得ない。

エスが足を踏み出した瞬間,マコトが天に向けて叫んだ。


「堕ちろ!」


直後,天空から光が落ちてくる。

バベルの町で生み出した光と同じものに見えたが,それは数秒経つ内にグラウンドを覆う程の大きさにまで成長する。

学校全体に影を落とし,ただの光ではないことを予感させる。

そして纏っていた光を裂いて現れたのは,炎に包まれた巨大な岩石だった。

全長数百mを超える規格外の大きさからして,最早隕石といっても過言ではない。

落下中の衝撃だけで,グラウンドが円を描く形で穴を開け,サッカーゴールなどの器具が容易く吹き飛ばされていく。

火を纏った流星が轟音を立てて墜落する。

風圧を左手の波動で守りながらも避け切れないと悟ったエスは,息を目一杯吸い込み,そのまま隕石に向かって跳躍した。

右手から全力の波動を持続的に生み出し,隕石の中心を貫く。

打ち消しによって生まれた空洞をエスはそのまま潜り抜け,足場がない中,隕石内部の側面を蹴り,昇りつめる。

しかし,貫かれた側部から岩が破片となって舞い落ち,打ち消し切れないそれらが襲い始める。

破片によってかすめ取られた身体から血が流れるが,それを気にしている余裕はない。

隕石がグラウンドに落下し,耳を劈く音と衝撃が響く。

抉った空洞の下から強烈な砂の嵐が巻き起こる。

エスはそれに巻き込まれるよりも先に空洞を抜け,隕石の頂上へと着地する。

既に眼下では,隕石の落下で数kmのクレーターが出来ていた。

学校の外には町も形成されていたようだが,今は無残に破壊され瓦礫の一部と化している。

無茶な動きによって息を乱しながらも,エスは天空に舞うマコトと同じ高さまで辿り着く。

一見容易く行ったように見えた一連の動きだが,彼の身体から流れ落ちた汗が,服から染み出た血の跡が,置かれた状況の過酷さを物語っていた。


「無効化,無効化って! それしか出来ないのか!? 力で押さえ付けることしか!? もう嫌なんだよ! どいてよ! 重いんだよ! 息が出来なくて苦しいんだよ!」


翼がマコトの前で手を合わせ,そこからマグマのような巨大な爆炎が放たれる。

エスの視界を煉獄に変えるほどの威力だ。

すぐさま彼は防御するため波動で前方に発生させる。

全てを焼き尽くす炎が落下した隕石ごと包み込むも,その一部はエスの眼前で消失する。

しかしその直後,彼は波動の違和感に気付くことになる。


「うっ……! 力が……!」


掌が徐々に熱を帯び,火傷に近い症状を与えていく。

無効化の波動に限界が迫っている。

隕石を貫いた所から,出力に減退があったのだ。

疲労によるものなのか,相手の力が強すぎるのか,片手の波動だけでは防ぎきれない。

予備に残していた左手の波動を合わせてどうにか影響を留めるも,右腕の肘から下が火傷によって赤く染まり,エスは苦しい声を上げる。


「僕は努力したんだ! 何度駄目だって言われても! 何度馬鹿だって言われても! 殴られても! 蹴られても! 必死に頑張った! 頑張ったよ!? それなのに,誰も見てくれなかった! 僕はただ,痛くなければ良かった! 普通に生きたかった! なのに! どいつもこいつも,人を見下す事しか考えていない! そんなの,人間じゃない! 死んでしまえ!」


炎を全て打ち消したと同時に,再び死の結末が収束する。

前触れもなく襲う必殺の宣告を,反射的に身体を波動に触れたことで無効とする。

しかし,打消しによる反動が,エスに一瞬の隙を与えてしまう。

そこを狙ったマコトが,間髪入れずに猛威を振るう。


「押し潰せ!」


空を覆い尽くす重力波が生み出される。

誇張ではない,あらゆるものを吸い込む漆黒の渦が地上へ向けて落とされる。

粉砕された学校が,クレーターと化した町の残骸が,宙に浮き吸収される。

それら全てを飲み干した渦は,次いで墜落した隕石に衝突し,エスごと包み込んだ。

頑強な隕石が崩れ落ち,瞬く間に粉塵と化していく。

しかし,底の見えない暗闇の渦に一筋の光が差し込む。

何物にも染まらない無の力が,迫りくるうねりを押し返していた。


「まだだ……! もう少しで……!」


身体が引き裂かれそうな痛みを発する中,エスは懸命に核の消滅を狙った。

重力を生み出す核さえ破壊できれば,周囲に発生している重力波は消え去る筈だ。

効果範囲を狭めることで射程距離を伸ばし,腕から血が噴き出すことも構わず,渦の中心部を狙い続ける。

そして,苦悶の声と共に波動が重力波を突き抜けた。

渦の核が消滅し,発生していた全重力が四散する。

だが,まだ終わりではない。

重力で引き上げられた隕石から飛び立ち空中を滑空したエスは,マコトの元まで肉迫する。

左手で右手の血を拭い,赤く染まった拳を振り上げる。

これだけやっても尚止まる気配を見せない彼に,マコトが叫声を上げた。


「何で!? 何で,お前は! 僕ばっかり! 止まれよ! 止まれ止まれ止まれ止まれェェェェッ!」


エスが眼前まで迫った瞬間,止まれという命令に従って世界の時が制止する。

マコト以外の時が止まり,全ての音が消失する。

しかし,それだけだった。

徐々にエスの拳が震えだし,硝子を割ったような衝撃で彼の時間が動き出す。

時止めを打ち消した右拳が,マコトの胴体に直撃する。


「ガァッ!?」


天を舞っていたマコトが地に叩き伏せられ,一帯に塵埃を吐き出す。

直後,世界全体が蜃気楼のように揺らぎ始める。

マコトの負った傷と世界は連動しているようだ。

重力によって打ち上げられた隕石の破片が次々と落下する中,エスは破片の一つを足場にマコトに向かって突進する。

もう加減はできない。

この世界を破壊するために,確実に彼の意識を刈り取ろうとする。

しかし,寸での所でマコトは翼を羽ばたかせ,低空飛行で回避した。

振り下ろされた拳が砂地を割り,大量の砂をまき散らす。

エスは体勢を立て直し,腕を払った風圧で前方の砂を晴らすと,マコトが殴られた胸を押さえ,忌々しくこちらを見つめていた。


「クソクソクソッ! クソォッ! ぜ! ぜえッ! 全部! 全部お前のせいだ! お前のせいで! 僕は!」

「自分が悪くなくても,何でもやっていい訳じゃないだろ!?」

「うるさいッ! 黙れッ!」


意図しない暴言でエスは声を封じられる。

だが,声封じを解除する力の余裕はない。

エスは自分の身体を見つめ,じきに迎える限界に気付く。

今はまだ動けるものの,これ以上強大な力を受け続けては,波動も身体も持たなくなる。

短期決戦,速攻でマコトを倒す以外に手はなかった。

エスは身体が痛みを伴いながらも十全に動くことを確認し,拳を握りなおす。

マコトを殴り飛ばした際,手ごたえは確かにあった。

無効化を纏った攻撃が有効であることは,彼が二撃目を全力で避けたという事実が証明している。

加えて揺らいだ世界も修復の兆しを見せない。

後一撃。

一撃さえ入れば,この戦いを終わらせることが出来る。


「嫌だ! あの頃になんて戻りたくない! 勝つ! 勝たなきゃ! 勝たないと! 僕は! もう,負けないって決めたんだ!」


遂にマコトが全力を以って世界を動かす。

声を漏らす彼の手中で,多角形のプリズムが形成される。

時空の狭間とでも言うべきか。

プリズムの向こうには一面の森や海,そして燃え盛る大地といった,様々な光景が映し出されていた。


「倒す! お前さえ! お前さえぶっ倒せば,やっと前に進める! 僕は本物の人生を歩けるんだよ!」


得体の知れなさは相変わらずだが,アレを受ければどうなるかは察しが付く。

エスは最後の力を振り絞るつもりで両手に波動を纏わせる。

辺り一面が隕石の残骸という雨を受け,両者の間に一瞬の静寂が流れた。


「僕はゴミじゃない! 人間なんだァァァァァッ!」


エスが地を蹴って走り出す。

マコトがプリズムを放出すべく両手を突き出す。

互いの全力が託されたこの一撃で全ての勝敗が決する,その時だった。

次の瞬間,二人にとって予期せぬ変化が訪れる。


「っ……!?」

「な,なんだ!?」







「何なの,これ……」


エス達を探していたハルは,戦いの跡を追いながら平地の草原までたどり着く。

夕日に照らされる中,懸命に足を動かして息を切らしていく。

しかしそこには,彼女の想像を超える光景があった。

空間が歪んでいる。

ある筈の草原の一部が切り取られ失われている。

失われた先の空間には,砂嵐の舞う荒地が見える。

まるで鏡を通して別の世界を見ているかのようだ。

こんな光景は見たことがない。

目の前に広がる異次元に対して,ハルは恐れながらも声を振り絞った。


「な,何が起きてるの……? 二人ともっ,何処にいるのっ!?」


その言葉に呼応して,一部の空間から砂の突風が吐き出される。

高圧の蒸気に近い音を発しながら,周囲の空間が次々と音をたてる。

いつの間にか,空間の歪みはハルを取り巻く形で広がっていた。

彼女は息を呑んで後退するも,砂の蒸気に阻まれ次第に身動きが取れなくなる。

そして,不意を突く形でハルの立つ場所へと砂が吹き荒れた。


「きゃあっ!」


砂嵐に飛ばされたハルは,数十m先へと飛ばされる。

宙へ浮く感覚が彼女の全身を支配し強張らせる。

飛ばされた先では空間の歪みが口を開けて待ち構えていた。

しかし,砂嵐の間を縫って吹き抜けた逆風によって彼女の身体は減速する。

幸運にも,ハルは別空間へ落ちる寸前の所で地を転がり停止した。


「あうっ!? う,うぅっ……」


だが,落下した時の打ちどころが悪かったようだ。

頭を揺さぶる感覚と共に視界が暗闇に包まれ,ハルは気を失った。

それでも尚,空間の崩壊は続く。

残存する草原に横たわりながらも,彼女は荒地の空間へと呑み込まれていった。







世界を揺るがす一際大きな振動と共に,歪みが一層大きくなる。

空や大地に罅が入り,その狭間からは元の草原が見え始める。

異変を察知したエスは思わず足を止めて天空を見上げたが,マコトにとってもそれは想定外の出来事だったらしい。

慌ただしく四方八方を見渡し,意味もなく唇を震わせる。


「な,なんで……!」


放ちかけていたプリズムが収縮し,硝子のように砕けて消滅する。

それは,彼が望んで行ったことではない。

何か別の力が働いて,マコトの世界を消滅させようとしているのだ。

落ちる隕石の欠片が煙を上げて蒸発し,裂かれた大地に大量の砂が零れ落ちる。


「力が抜けていく……。そんな……僕の世界が……。何でだよ!?」


変貌していたマコトの身体が元に戻っていく。

悲鳴を上げて翼の手が崩れ,黒く染まった身体も人の形を成していく。

マコトは両手で身体を抱き崩壊を防ごうとするも,その行動に意味はなかった。

世界の決壊はより一層大きくなり,彼の叫びはその音に吸い込まれる。


「全部……全部,消える……。嫌だ……嫌だ……! こんなのは嫌だ!」


無効化でも容易くは破れなかった彼の世界が,何故突如として均衡を崩したのか,戦っていたエスにも理解できていない。

だが,好機は今この瞬間しかなかった。

エスは世界を完全に消滅させるため,再び駆け出した。

視界を塞ぐ血を拭い,最後の一撃を叩き込もうとマコトに向かって突進する。

迷わず飛び込んでくる姿を見て,彼は悲鳴に近い声で叫んだ。


「消えろッ! 僕の前から,消えろおおおおおおおッ!」


破れかぶれとなったマコトが,迫る怨敵に向かって拳を振り上げる。

転移者としての身体能力を誇っていたのはエスだけではなかったようで,二人は一瞬だけ互角の肉弾戦を繰り広げる。

しかし,力の弱まっていたマコトではそこが限界だった。

直線的すぎる攻撃を見切ったエスは,右頬を掠め取らせながら,その拳を彼の胴体へとねじ込んだ。


「かは……あっ……!?」


暴走し居場所を失った理想を否定する。

過去のしがらみから解き放つつもりで,この世界ごとマコトを吹き飛ばした。

殴り飛ばされたマコトは,罅割れた天空に激突すると同時にそれを突き破る。

そして,突き抜けた先で露わになった元の世界へと飛ばされていった。


勝負は決した。

世界を操る強大な存在相手に辛うじて勝利したエスは,その場に膝をつきそうになる身体を再起させる。

ここにいては崩壊に巻き込まれてしまう。

創世者を失った世界から逃げるため,降り注ぐ様々な欠片から身を守りつつ,マコトが飛ばされた境界に向けて飛躍した。

低い唸り声を上げて壊れていく境界を乗り越え,どうにか元の世界へ辿り着く。

着地した先では,日の落ちかけた光と風に流され音を立てる草原が彼を迎えた。

今の戦いはこちらの世界に甚大な影響を及ぼさなかったようで,所々大地に人一人が入れそうな穴が開いている以外は,特に何事もない光景が広がっている。

荒い呼吸のまま,エスは境界に巻き込まれないよう離れようとする。

しかし,背後で消えていく世界の中に妙なものが見える。

目を凝らして見てみると視界を捉える一つの影があり,思わず唖然とする。

見間違えようがなかった。

消えゆく世界に落ちていく中に,バベルの町にいた筈のハル・イースデイルがいた。


「……!?」


何故ハルがここにいる,といった疑問よりも先にエスが彼女に向かって叫ぶ。

だが声を封じられていたことに気付くと,考えるよりも先にマコトの世界へと引き返した。

既に無効化を放つだけの余力は殆ど残されていない。

落ちていくハルに追いつき空中で抱きとめるが,足場になるものはとうに消滅していた。

重力に従って,二人は奈落の底に落ち続ける。

だが,ここは元々,あの草原を塗り替えて造られた世界だ。

それを思い出したエスは,火傷を負った右腕で彼女の身体を抱え,左手の波動を真下に向けて無理矢理捻り出す。

歯を食いしばって空間をかき分け,打ち消された場所に塗り替えられる前の状態,草原の足場を生み出す。

そして,存在があやふやになっている足場を踏みしめ,もう一度全力で元の場所へと飛び立つ。

間に合ってくれ。

その一心で閉じていく境界に到達するも,そこは既に腕一本が通るかどうかの大きさにまで狭まっていた。

エスはハルに傷を負わせないよう庇いつつ,波動を纏った左手で境界を掴みこじ開ける。

余波で次々と身体を切り刻まれ血が噴き出るも,痛みを跳ね除けて力押しで潜る。

境界が閉じ世界が消え去ると同時に,空気の流れに背中を押され,二人は元の草原へと弾き出された。


助かったようだ。

世界から飛び移ったエスは,その場から数歩だけ歩き膝をつく。

何度も飛んで跳ねての繰り返しだったため,柔らかい大地を踏む感覚が懐かしくすら感じる。

そして,消滅した世界を尻目に,抱えていたハルを降ろしその容態を確かめた。

気を失っているように見えるが,呼吸は正常で血を流している様子もない。

命に別状はなく,とにかく町に運ぶのが良いだろう。

寧ろ怪我を負っているのはエスの方だった。

右腕の火傷を始めとして,至る所に与えられた切り傷からは今も血が流れている。

見た目ほど深刻ではないにしろ,殴り飛ばされただけのマコトと対比すると,とても勝利を収めた側の姿ではなかった。

実際,マコトの敗因は怒りに身を任せて無効化を真正面から潰そうとしたことにあり,冷静に対処していれば敗北していたのはエスの方だっただろう。


そんなマコトは,エス達から数m離れた場所にいた。

仰向けに倒れたまま,顔を両手で覆って泣きに近い声を出している。

力を込めて吹き飛ばしたため彼の容体も気掛かりだったが,意識はあるようだ。

しかし力以前に心が折れているようで,立ち上がる様子はない。

誰に問う訳でもなく,ただ独り言を呟いた。


「なんで……なんで誰も分かってくれないんだ……」

「……それだけお前の力が強いんだ。指一つ動かすだけで,簡単に人を殺せるくらいに」


最後の無効化で声帯を取り戻し,その言葉に答える。

殺されかけたことは承知の上だが,当のエスは彼を殺し返そうなどとは思っていない。

全てはあの世界で見た過去が原因なのだろう。

デウスによって導かれたことを考えるなら,彼も非業の死を遂げた一人なのだ。

先ほどの狂気は消え,目元を拭う姿はただの気弱な少年でしかない。

今ならまだ引き返せる。

話が通じる状態まで落ち着いたことを知り,エスは諭すために口を開く。


「自分がされたことと同じことをしても,誰も付いてこない。少しずつ,自分から分かっていこうって気持ちが大切なんだ」

「そんなの分からないよ。お前みたいに,ご都合主義で生きてきた訳じゃない」

「ご都合って……そんなことない。相手の気持ちも考えずに自分勝手にやっていれば,当然都合だって悪くなる。それに,俺にだって記憶がない」

「記憶?」

「自分がどんな人間だったのか,まるで分からない。この世界に来て,分からないことだらけだ。売った魚は詐欺られるし,転移者というだけで捕まりかけて,周りから白い目で見られたこともある。でも,そこで自分の感情に振り回されずに,はっきりと本心を伝えれば分かってくれる人もいた」

「そんなもの,伝わらない。伝わらなかった!」

「あの世界を見て分かった。お前にはやって良いことと,悪いことがちゃんと分かっている。なら,今までしてきたことがどうなのか,分かるだろ?」

「それは……」

「それでも不安なら,俺が手助けをする。何故か,俺はどっちの言葉も分かるみたいだから……って,これはお前の言うご都合なのかもしれないな」


マコトは覆っていた腕を退け,視線をそらしたまま何も言わない。

それは彼なりの肯定の意志だった。

彼の考えを読み取ったエスは,少しだけ力を抜き立ち上がる。

そして,気を失ったままのハルを両手で抱え上げた。

流血が彼女の衣服に付着するも,こればかりはどうしようもない。

落とさないようしっかりと抱き,ドームの金属が開かれたバベルの町を見据えた。


「とにかく,俺はハルを町まで運ぶ。マコト,君も一緒に……」

「……いいよ,別に,放っておいてよ。もう,何かしようって気は起きない。だから,少しだけ,一人にさせてよ」

「分かった。彼女を運び終えたらまた来る。そうしたら,一緒に謝りに行こう。あれだけのことをしたから,俺も含めて簡単に許してもらないと思う。けど,いつかは分かってくれる人ができる」


そう言ってエスは駆け出した。

ハルの身体を気遣いながら,なるべく揺らさないよう草原を走り抜けていく。

その動きに迷いはない。

彼が立ち去った場所には血が数滴残っていた。


「クソッ,何だよ,一緒に謝るって……。気持ち悪い……」


残されたマコトは誰もいない草原で悪態をつく。

しかし,言葉に力はなく風に紛れて消えていった。

一緒に謝る,彼がそんなことを言われたのは生前を含めても初めてだった。

全ては何の取り柄もない自分が悪いのだと,周囲から責められ続けた。

関係のないものまで押し付けられていき,手を差し伸べる人は誰もいなかった。

だが,それは違うのだろうか。

力任せに人を従わせていた,あの世界のようなことは必要ないのだろうか。

多くの疑問が頭の中を駆け巡り,マコトはようやく上半身を起こした。


「本当に,本当に誰か,僕のことを分かってくれる人がいるのかな?」


マコトは日が落ち暗くなっていく夜空を見上げる。

表情には,先程まであった悪意や殺意はなかった。

どんなことすら思い通りに動かせる力では,絶対に手に入らないもの。

それがここにはあるのかもしれない,と考えを改めようとする。


だが,その答えを得るだけの猶予はもう,ない。


「え……?」


何かに気付くよりも先に,小さな音がマコトの耳の奥で響いた。




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