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回生のカルテジス  作者: 立草岩央
第一章-与えられし命,居場所なき理想-
7/23

-7-




「あ,あぁ……! お,お前は!?」


見覚えのある顔を見てマコトが慄く。

森の中で感知した既視感が合致する。

あの時と同じように,再び力を打ち消した忌まわしき存在。

己の存在を否定する男を,決して見逃したりはしない。

マコトは両肩を震わせ,異様な力を纏わせる。

殺気にも等しい彼からの敵意を受け,エスは後ろで佇む人々に向けて声をかけた。


「早く! 俺が引き付けている間に!」

「やはりお前も転移者か! 今度は何をするつもりだ!?」

「安全な場所まで逃げてと言っているんだ!」

「ど,どういう事だ!? お前たちは,俺達を殺すために来たんじゃないのか!?」

「それは誤解だ! そんなことはしない! 俺だけじゃない,彼だって……!」


互いの理解が及ぶよりも先に,マコトの周りから何十もの光が生まれ,エスに向かって解き放たれる。

今までの力は手加減していたのか。

先程よりも格段に速さが上がり,光の一つ一つが人一人を飲み込む程に威力を増す。

町の人々にはその軌道すら見えず,強烈な光に目を眩ませるだけだった。

しかし,エスは光の動きに合わせて身を躱していく。

地を蹴るたびに,その場に小さな罅と風を起こしながら,手中から放った波動で光を次々と消滅させていく。

その中で,はぐれた光が立ち止まる町の人々を認識して襲い掛かる。

誰かが悲鳴を上げるよりも先に,人々を貫こうと頭上を照らす。

しかし,寸前の所で妨害した波動がそれを消し去った。


「早く行くんだ!」


振り返ることなくエスが叫ぶ。

そこで皆がようやく彼の言葉を信用する。

我に返るように声を掛け合い,傷を負った者達と共にこの場を離れていく。

話が通じたことでエスは安堵するも,波動で消滅しきれなかった光が,マコトの頭上で幾つも束なっていく。

光の大きさは次第に大きくなり建物の二,三軒は覆いつくす程になる。

そして不意を突く形で,束なった巨大な光線が降り注ぐ。

今までは対象以外のものを全てすり抜けていたが,この光はそれを行わない。

触れた外気や塵など全てを飲み込みながら,エスに向けて叩きつけられる。

光がエスを包み地に触れた瞬間,爆発に近い轟音が響き渡り,大通りの露店は吹き飛ばされ,家々の外壁も崩壊していく。

普通の人間が受ければ木端微塵になるほどの威力だ。

即死は免れず,避け切ったとしても衝撃で重傷を負うだろう。

しかし,エスは右手を天に向け,自身への影響を打ち消していた。

土煙が晴れ,周囲が焦げ臭い異臭を放ち黒ずむ中,エスを中心とした直径2~3m範囲のみ,何事もなかったかのように石の道が存在する。

右手を降ろしたエスは,屈することなくマコトを真っすぐ見つめる。

対するマコトは,この力を以ってしても傷を与えられない事実に歯を鳴らした。


「マコト,聞こえているんだろう!? これ以上は止めるんだ!」

「まただ……またかよ!? また皆の味方をするのかよ!? お前達はいつもそうだ! いつもいつもいつも! 僕のことばかり悪者扱いにして!」

「そんなつもりはない! 一度落ち着け!」

「落ち着く!? これが落ち着いていられるか!? 僕が何をしたっていうんだ! 放火なんて知らない! 本当に知らないんだよ!」


支離滅裂にマコトが叫び続けるが,エスは自ら攻撃に回ることはしなかった。

エスも彼が暴れているという情報を受けて飛び出しただけで,この場で何が起きたのかまでは分かっていない。

ただ錯乱した彼の言い分にも,一部正当性はあるのだろうと考えていた。

転移者とこの世界の人々には,埋め切れない差がある。

能力や身体的なものではない,価値観の差が不理解を生んでいる。

それによって起きたすれ違いが,彼を暴走させているのだと気付いていたため,エスは彼の説得を続けた。


「誤解があることは分かった! じゃあ,どうすれば落ち着いてくれるんだ!?」

「そんなの分かるだろ!? 謝るんだよ! 今までのこと謝ったら許してやる!」

「分かった! ごめん!」

「あ……あああああっ! そうじゃない! 何なんだよ,お前はッ!」


簡単に謝ったことが腹立たしいのか,マコトは喉を潰したような声を出す。

傷は一切負っていないというのに,まるで重症を負ったかのような苦しみようだった。

しかし,次の瞬間彼の顔色が一転する。


「あ,そうか」


マコトが空を見上げ呆けた表情をする。

まるで人格が変わったかのように態度が一変する。

流石のエスもその変わりようにたじろぎ,言葉を失った。


「分かったぞ。お前はそうか。僕を嵌めようとしているんだな? 皆を洗脳して,操っているんだろう?」

「何を言っているんだ?」

「僕は騙されない。あいつの言った通りだ」


ようやく得心がいったらしく,マコトは薄ら笑いを浮かべる。

エスが何かを話すよりも先に笑顔の意味を語り始める。


「あいつは言った。いつか,僕を邪魔する敵が現れる。そいつはまた僕をゴミにして,また殺そうとする。だから,もしそいつが現れたら,この力で殺せって」

「あいつ……デウスのことなのか!?」

「そうか。やっと見つけたよ。僕の,僕の敵。そうだな。僕をゴミにする奴は,殺さなくちゃあいけない。そうじゃなきゃ,始まらない……!」


生み出されていた光の群れが跡形もなく飛散する。

語尾を強めたマコトは右手の人差し指を立て,身構えたエスの真横を指差す。

すると,その指先が徐々に黒く染まっていく。

攻撃が来る。

人差し指の全体が黒く染まったと同時に,その直線状にあるもの全てに黒い線が伸びる。

一瞬で伸びたそれは建物などを突き抜け,無差別に黒線が引かれていく。


「切り取れ!」


指が横に動くと同時に,黒線が次元を裂くが如く横断する。

危機を察知したエスは反射的に波動を生み出し,身体を横断する所で力を打ち消す。

黒線は消え去り,その効力は完全に失われる。

しかし,波動に触れずに残った一部の黒線は,直線状にある物体を全て切断した。

町内で高所に位置し警告音を鳴らしていた鐘が崩れ,低音を響かせて落下する。

横断したことで黒い平面となった黒線は町の外,ドームが開けた半径状の出入り口へと飛び去り,空の彼方へと消えていく。

しかし,黒い平面は何処までも飛んでいき,フェルレイン湖付近を超えた更に遠方の山頂,そして空を浮かぶ雲を切断した。

音こそ聞こえないが,霞んだ山頂から土煙が上がっている。

打消しが間に合わなかったことで頬が切れ,血を流していたことに気付いたエスは冷や汗を流した。


「このままは,まずい……!」


ここで本格的に戦いが始まれば,どうなるか分からないエスではない。

一刻も早くこの町から離脱しなければ被害は増える一方だ。

エスはマコトが完全に敵視していることを理解した後,その場から飛び立つ。

黒い線が飛び去った方向へ,家々の屋根を足場にしながらバベルの町から離れていく。


「僕から逃げる気か? 卑怯者が! 逃がさない!」


誘いに乗ったマコトは,ようやくその場から動き出す。

黒く染まった指が元の肌色に戻った後,彼を中心に2~3m程度の透明な膜を張って宙に浮く。

結界か何かだろうか。

球体状の結界を纏ったまま素早い移動で追跡し,空を飛ぶ形でエスとの間隔を狭めていく。


マコトの能力は依然として不明なままだ。

転移者として別格の力を持っていることは明らかだが,あらゆる手段を駆使した攻撃には一切関連性が見えない。

単一の能力ではなく,複数の能力を持ち合わせていることも考えられる。

未だ隠し持っている力が残されている危険性があり,幾ら無効化であろうと,無暗に近づくのは得策ではない。

相手の能力が分からない以上,下手に仕掛けることはできない。


風を纏ってバベルの町を抜けたエスは,心当たりのある場所へ向かう。

そこは彼が目覚めた森と,それに隣接する草原が広がる平地だった。

以前エスが獲物を探そうと飛び出した際に見つけていた遮蔽物のない場所だ。

夕方となり草原が日の色に変わり始めていたが,相変わらずそこには人の気配はない。

一旦この場でやり過ごすしかない。

エスが短く息を吐き,方向を変えて草原へと飛ぶと,追跡を続けるマコトの周りに変化が現れる。


「あいつの全てを跳ね返せ!」


彼の言葉と同時に透明の結界が変化し始める。

結界の範囲が著しく拡大し,50m近く先にいたエスの元まで迫る。

このままでは追いつかれる。

エスは空中で振り返り,マコトの結界と対面する形で波動を放った。

波動に打ち消された結界は,硝子が砕けたように飛び散る。

しかし,結界の増長は収まらない。

砕け散った所から新たな結界が生まれ,エスに押し寄せる。

今まで打ち消してきた力とは訳が違うようだ。

目つきを鋭くしたエスは,右手に込めていた力を更に強める。

マコトが纏わせていた光を思い出し,光線のように波動の形を即興で変化させる。

再び放たれた波動線は迫りくる結界とせめぎ合い,互いの力が拮抗する。


「打ち消しきれない……!」

「クソッ! もっと,もっとだ!」


保険をかけるために,エスは地に足を付けたと同時に力強く後ろへ飛ぶ。

慣性に身を任せて再着地し,平地を擦る音を足で鳴らしながら距離を離す。

そして,それを追おうと結界が波動を無理に押し切ったかに見えた時。

結界が完全に砕け散り,波動がマコトの直ぐ真横を突き抜けていった。


「ぐぅぅ……!」


彼は息を震わせる。

穴の開いた結界から殺意のこもった眼でエスを射抜く。

理解できないという思いよりも,エスの存在に腹が立って仕方がないという様子だ。

草原に降り立つと共に結界を消滅させたマコトが,大きな苛立ちから口呼吸を繰り返す。

真正面から迎えるエスは,そこでようやく目的の平地に辿り着いていたことに気付いた。


「あれも駄目,これも駄目。何で,何で僕の力を,ゴミのように消すんだ……?」


このまま手を引いているだけでは,無効化の波動があってもいずれ押し切られる。

殺し合いなど言語道断だが,こちらも相応の態度で臨まなければならないことをエスは悟る。


「マコト,俺は傷つけようなんて思ってない。なのに,どうして……」

「あはは! そうやって僕に取り入って裏切るんだろう? 知ってるよ。今まで,僕が何回それに騙されたと思っているんだ? もう聞き飽きたんだよ,そういうのは……!」


エスの言葉を聞く耳も持たず,マコトは大空に向けて両手を広げる。

夕暮れの草原の中,風を背にしたまま力を誇示する。


「痛いのも,苦しいのも,嫌いだ。もう嫌なんだ……。だから……」


広げていた右手を天に翳す。

天空が蜃気楼のように揺らぎ始める。

流れる雲が,落ちる太陽が,実体を無くし波を立てていく。

エスは慌てて波動を生み出すが,その揺れは空だけでなく見えるもの全ての光景に広がっていた。

ただ,唯一揺らぎのないマコトは邪悪な微笑みのまま白い歯を覗かせた。


「これは!?」

「思い知らせてやる。僕の世界を,僕の全てを。そこで,お前を,その力ごと叩き潰してやる!」


全てが白く塗り潰される。

あらゆるものが一掃され,世界の有り方が変貌していく。

これがマコトの本当の力なのだろうか。

全てを包み込む揺らぎを打ち消しきれず,抵抗する間もなくエスはそれに呑まれていった。







学校のチャイムが鳴る。

授業の終わりがきたようだ。

鐘の音が規則的な間隔で響き渡る。

教室には木製の机と椅子が整列されているが,人は誰もいない。

黒板にも何も書かれておらず,全体が防弾・対爆用に改造された近代的な場所だ。

窓からは昼頃の光が差し込み,教室全体を照らす。

時刻は12時。

黒板の上に設置された時計は,上を指したまま全く動かない。


「教室?」


波動で身を守っていたエスは,自分が学校の教室かつ窓際の座席前に立っていることに気付く。

呼吸は正常,足が床についている感触もある。

ここが異世界ではない,別の空間であることは直ぐに察しがついた。

エスはそのまま無効化の波動を生み出し,この力を打ち消そうとする。

波動は放出された瞬間,一部の空間を捻じ曲げるように打ち消したが,完全に消滅させることは出来ない。

呑み込まれる前の草原が一瞬だけ見えたが,揺らいだ空間は,次第に元の教室の姿へ戻っていく。


「ここは,あの草原を塗り替えてできた世界なのか……?」


先程の結界のように,無効化を放つだけではこの空間は破壊することは出来ない。

形状を変え,一点集中で抜け穴を造らない限り脱出は困難だろう。

エスは波動の再放出を試みようとしたが,それより先にバサリと何かが落ちてくる。

眼前の机に落ちたそれは,教科書だった。

そこには戦争に関する出来事が書かれているようが,開かれたページからは何も読み取れない。

死ね,という文字だけが,黒いペンで何度も書き殴られている。


「教科書……?」

「あれぇ? 何だその教科書。死ねだなんて,酷いなぁ!」


背後から聞き覚えのない声がしたので思わず振り返ると,そこには人影が複数立っていた。

10代半ばの少年程度の背丈だろうか。

容貌は黒く塗り潰されているため分からないが,学校の生徒という立ち位置であることは確かだ。

彼らはエスの動揺を無視したまま,暴言で埋め尽くされた教科書を指差し,挑発するように語尾を上げる。

そして影の一つが,おもむろに教科書を摘み上げた。


「あ,でもお前は馬鹿だから,教科書なんて必要ないか!」


黒い影によって教科書が投げ捨てられる。

宙を舞った教科書は,教室の隅にあったゴミ箱の中へと叩き込まれた。

その光景を見て,複数の影たちが不愉快な笑い声をあげる。


「ナイスシュート! はははは!」

「これは,記憶,過去の記録なのか?」


影たちはエスに向けて言葉を発しているようだが,実際は彼を見ていない。

本来いる筈の人物に向けて,過去と同じ行動を取っている。

どうやらこれは,エス自身の記憶ではないようだ。

とは言え,この場に留まり続けていても状況は好転しそうにない。

気味の悪さを感じたエスは,廊下へ続く教室の扉を目指そうと視線を動かす。


「おい! 逃げんじゃねーよ!」

「教科書がゴミ箱臭くなるぞ? うっわ,ゴミ箱くせー!」


逃亡を妨害するために,影がエスに手を伸ばす。

黒染めの手が無造作に迫ってくる。

度を越したからかいを求める手を,エスは軽く払って退けその場から離れる。

第三者に向けた言葉にせよ,気分の良いものではない。

影に何を言った所で通じないため,ここから離れることを優先する。

眉を寄せたエスは,固まったままこちらを見つめる影達から距離を離し,引き扉を開けて教室を抜け出した。

教室の先には,別教室と隣接する長い廊下が左右に続いている。

正面にある複数の窓からは,学校の中庭が見渡すことができる。

どうやらここは二階のようだが,どちらが出口か分からないため,エスは勘を働かせて駆け出そうとする。


「コラァッ! 廊下は走るなと言っているだろう!?」


しかし,別の場所から怒鳴り声が聞こえ,思わず立ち止まる。

廊下の奥からやって来た影は,背丈は中年の男性程度で,学校教師のようだった。

表情が塗りつぶされている中でも,苛立っているのが分かる。

傍まで近づいてきた影は,エスを見てこれ見よがしに溜め息をついた。


「またお前か。何度も何度も迷惑ばかりかけて,恥ずかしくないのか!?」


何処かで迷惑をかけただろうか,とエスは思ったが,この教師も彼を見て発言している訳ではなかった。

周りの状況も確認せず,その場だけの言葉で場を収めようとしている。

また,必要以上の罵倒からは,日頃の鬱憤を発散させているようにも感じられた。


「何も言えんのか? また指導室に来たいようだな!? さぁ,来い!」


指導室で何をされるのかは分からないが,怒られる以上のことが待っているのだろう。

面倒な事になる前にエスは一歩後ろに下がるも,いつの間にか,彼を取り囲むように大量の影が現れていた。

全員が学校の生徒らしき形をしており,性別は男女問わない。

それらは興味本位でエスを見つめ,小さな声で囁き合う。


「うわー。またあいつに怒られているよ。だっせぇ」

「やっぱりゴミ箱臭いんだって。ちゃんとお風呂入っているのかな?」

「ちょっとー,やめなよー」

「アハハハハハハハ」


気分が悪くなりそうな不協和音だ。

これが,過去に受け続けた苦痛なのだろうか。

今まで知らなかった感情に襲われ,エスは下がりかけた足を止め,そのまま立ち竦む。

顔を俯かせ,脱力するように肩を落とす。

そして影達の笑い声が続く中,今度こそ黒い手が彼の肩を掴んだ。

言うことの聞かない生徒を従わせるために,無理矢理引き摺ろうとする。


だが,エスはこの状況に対して恐怖や畏怖を感じていた訳ではない。

鬱陶しい罵倒と無意味な嘲笑に,かなりの煩わしさを感じていた。

瞬間,波動を生みだしその腕を打ち消す。

肩に触れていた影の腕が四散し,それに乗じて空間に歪みが起きる。

同時に,成程これが腹立たしいということなのかとエスは学習した。


「グアァァァァァッ!」

「キャァァァァァッ!」


途端,影達が一斉に奇怪な悲鳴を上げ始める。

波動を受けた衝撃を共有しているようで,全ての影が形を変えて襲い掛かる。

エスは影の合間を縫って数十m先まで跳躍し,元いた場所へと波動を放つ。

彼のいた場所一点に襲い掛かっていた影を一網打尽にし,まとめて消滅させた。

冷や汗を流すエスは影達に背を向け,学校からの脱出を目指す。

異様に長い廊下を走り続け,その先に鉄柵で囲まれた窓を見つける。

ただ,廊下を走り続ける間にも,設置された複数のスピーカーから狂ったように学校のチャイムが鳴り始め,それに紛れて誰かの声が発せられた。


「なんで言うことが聞けないの!? 恥ずかしくて外にも出られないじゃない!」

「本当に俺たちの子なのか? そういえばお前,学生時代の男友達と時々会っていたよな?」

「あれがゴミなら,お前はゴミ箱だな」

「あんな馬鹿な子,生まれてこなければ良かったのに!」


責め立てる声を無視し,窓を鉄柵ごと突き破って外へと飛び出す。

外にはグラウンドが続いており,放置されたサッカーゴールやホームベースが見える。

誰かがいる様子はなく,エスはそのままグラウンドの中心に着地した。

荒々しく巻き上げた砂埃が鼻をくすぐる。

影達は追ってこなかったが,それとは別の視線を感じて学校を見上げる。

学校の屋上に立つマコトが,エスを見下ろしていた。


「どうだ? 皆から虐められる気分ってのは? 苦しいか?」

「マコト……これはお前の過去なんだな」

「そうさ。ここは僕が造り上げた過去の世界だ。僕を苦しめて,僕を殺したゴミの掃き溜めだ。でも今は,誰も僕に逆らったりしない。全部が思い通りに動く。そうだ。それを証明するためにも,特別に本当の姿を見せてやる」


そう言い終わると,ゆっくりと風が流れ始める。

あらゆる場所から黒の光が浮かび上がり,マコトに向かって収束する。

世界が力を与えていき,直後彼の姿が変わっていく。

身体は影達と同じく黒く塗り潰され,歪んだ口以外の輪郭を失う。

そのまま全身が何倍にも肥大化し,デウスと似た魔導士の服に身を包む。

背中からは幾つもの悲鳴を上げて無数の手が生え,翼のように折り重なる。

生えた手は,子供の手,無骨な男の手,マニキュアをした細い女の手,と様々だ。

手の翼を羽ばたかせたマコトは,天空を覆うように飛び立ち,大空を闇に変えた。


「見ろ! これが,僕の姿だ!」


デウスと同じ威圧感を放つ,変わり果てた彼の姿をエスは見上げる。

それは最早人の姿ではない。

禍々しい,の一言に尽きる。

誰からも認められず,苛まれ続けた苦痛と怒りが,彼をここまで変貌させたのだ。

痛みによって生み出されたこの世界に救いはない。

過去を束縛するこの場所がある限り,彼は自分を見失い続けるだろう。


「今の僕は何でも出来る。嘘なんかじゃない。この姿を見た時点で,お前は負けていたんだよ。だから……」


そして,此処に存在するもの全てがマコトの思い通りに動く。

それが本当だというのなら,彼の望み通りに世界は結果を収束させる。

例えそれが,他者の死であったとしても。


「死ね」

「っ!?」


何の前触れもなく,身体の脈動が止まる。

心臓が止まったのか,脳の活動が止まったのかは分からない。

息が出来ない。

異常な程に身体が重くなり,力がまるで入らない。

これが死という感覚なのだろう。

視界の全てが光を失い,深い闇に落ちるようにエスの意識は遠のいていく。


水滴が落ちる光景が脳裏に浮かぶ。

闇に落ちた一つの雫が波紋を生み,ある筈のない記憶が引き出される。

何処からともなく声が聞こえた。


『忘れないでくれ! 俺達のことを! これまでのことを!』

『例えどんなことがあっても,俺はお前を信じるから!』


確定した死がエスの身体から弾け飛んだ。

止まった心臓が動き始め,死の闇から引き戻される。

生きている。

息を吹き返したエスは,膝を屈し大きく咳き込んだ。


「ど,どうして……!」

「あぁ……正直,この力には感謝しないとな。これがなければ,本当に死んでいた」


始めて呼吸を乱したエスは,自嘲気味に呟く。

死を相殺した右手で胸を押さえながら,驚愕するマコトを睨み上げる。

エスの視線を受けて彼は怯むも,そこでようやく波動の正体に思い当たったようだ。

手の翼を震わせながら,白い歯を歯噛みさせる。


「そうか。やっと分かったぞ,お前の能力が! 無効化! 僕を否定する力だな!?」

「色々言いたいことはあったけど,全部吹き飛んだな。マコト,お前が今までどんな目に遭ってきたのかは分かった。同情できることもあるのかもしれない。でも,やっぱりやり過ぎだよ」


エスがその場からゆっくり立ち上がる。

確かに,マコトが背負う過去は傍から見ても許されて良いものではない。

しかし,無関係な人を平気で殺そうとする彼の行動も,許されて良いものではなかった。

そしてエス自身,こんな訳の分からない所で死ぬつもりなど毛頭ない。

恐怖心を抑えて覚悟を決め,無言のまま右手から波動を生み出す。

この世界を否定するように,辺りに空間の歪みを引き起こす。

そして,人の枠を超えた化け物に対し真っ向から啖呵を切った。


「この歪んだ世界ごと,お前を吹き飛ばす!」

「やってみろよォッ!」


塗り替えられた世界が唸り声を上げる。

全てを無効にする力と,全てを思い通りに動かす世界との戦いが始まった。







「待て待て! どうするつもりだ!?」


バベルの町内。

町内指定の避難所が人でごった返しになる中,ジェルフが大声を出す。

多くの人々がエス達の戦いから避難するために集まっていたが,荷物を降ろしたハルは元来た道を戻ろうとしていたのだ。

焦ったジェルフはハルの腕を掴み引き留めるが,彼女はそれに従わなかった。


「だって,このままじゃ二人が……!」

「アレは俺たちの手に負える相手じゃない! 下手をしなくても,死ぬかもしれないんだぞ!?」


ジェルフが避難所の一角を指差す。

そこでは,マコトによって傷つけられた者達が苦悶の声を出しながら治療を受けていた。

治療にはセイディも参加しており,多くの患者に対して忙しなく動き回っている。

こんな状況で動けばどうなるか,言葉以上に目の前の有様がそれを物語っていた。

しかし,ハルはエスの姿を思い返す。

マコトが裏路地で町の人をいたぶる中で,迷わず立ち向かったあの姿を彼女は確かに覚えていた。


「心配してくれてありがとう。でも,色々考えてみたの。それはあの二人も同じだって。それに,放っておけば被害がもっと大きくなる。本当に二人が転移者なら,私達にもできることがあるはず……」

「嬢ちゃん,まさかあんた……トラバイトの件を……」


手の力が緩んだ瞬間,ハルは彼の手から離れて走り去る。

彼もどうにか追おうとするが,それよりも先に人混みに塞き止められ足止めを受けてしまう。

そして気が付いた時には,既に彼女の姿は何処にもなかった。


「できることがある,か」


ハルが向かった先を見送り,ジェルフは複雑な表情をしながら呟いた。




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