-3-
暫くして腰砕けから復活したハルは,崩れた細道を言葉通り何とかした。
語弊など一切なく,獣も通れなくなった道をゆっくりと再生させ,元の道へと修復させたのだ。
土を操る,という表現が相応しい。
彼女は地に手を触れながら,意識を集中させて周囲の土を集結させていった。
強度を知るために固めた土を軽く叩き,人通りに問題がないことも再度確認する。
ハルに肩を貸しながら,その予想外の光景にはエスも驚きを隠せなかった。
そして改めて,これが彼女の能力なのだと知った。
この世界に住む人々は,何らかの能力を持っている場合があるらしい。
それは五属性と呼ばれ,火・水・土・風・雷のいずれかに含まれる。
先ほど彼女が口にした土持ちとは,言わば五属性の土を指すものだった。
だがこの能力は基本的に微弱なもので,生活の助けになる程度しか操れない。
あまりに貧弱なため,人に危害を加えることは困難だとも言われている。
世界で共通する能力のことを,ハルは簡単に説明した。
「弱い力って言っても,今の修復はかなり凄いものだと思うけど」
「うーん。それは私が変なだけで,普通はあんなこと出来ないから……」
するとハルは視線をそらして言葉を濁す。
複雑な表情をするあたり,どうやら彼女にも事情があるらしい。
あまり踏み込んだ話はすべきではないと,エスはそれ以上の追求をしなかった。
「それを言ったら,さっきのエス君の動きも凄かったよ。助けられた時,風になったのかと思った」
「あれは,自分でも驚いたんだ」
「そうなの? あんなこと出来る人,初めて見たよ。実は私の知らない有名人だったりして」
「覚えがないから,何も言えないなぁ」
「そっか。でも記憶がないって,どういうことだろ。何か怪我とかしたの?」
「いや,何処も怪我はしていないんだ。瘤一つない」
「記憶喪失って,怪我が原因って聞いたことあるけど,違うのかな?」
一回死んではいるらしいけど,とエスは心の中で呟く。
デウスのいた空間で目覚めた時点で,身体に異変はなかった。
元々傷など追っていなかったのか,あの空間に呼ばれた時点で傷が修復されたのか。
今となっては考察のしようもないが,死んだ時のショックか何かで記憶喪失になっているのではと考える。
記憶喪失には,精神的に深い傷を負った際にも起こることがあるのだ。
しかし,どれだけエスが頭を捻っても何も思い出せない。
まるで雲を掴んでいるかのように手ごたえがない。
「あ,町が見えてきたよ」
無理に頭を働かせ続けていると,ハルが前方を指差す。
その方向を見ると,既に森を抜け町が現れていたことに気付く。
日の光に照らされた町が,エスの目に飛び込む。
バベルの町は一風変わっていた。
一言でいえば,巨大なドームを縦に割って半分残したような外観だ。
丸みのある天井は透明な物質で覆われ,それを支えるように何かしらの金属が網目状に張り巡っている。
ドームの切り口側はこちらに大きな口を開けており,透明な天井が光を通すこともあって,その内部に多くの石造の建物が見える。
「なんだか変わった造りだ」
「この町は,大昔からある遺跡を改修したものなの。元が何のために造られたのかは分からないんだけどね」
「あの透明な天井は,ひょっとして金属?」
「誰も分からないんだって。どれだけ経っても脆くならないし,崩れないらしくて。危険はないんだけど,不思議だよね」
会話をしている内に本道とも呼べる大きな道と合流し,次第に馬車などを含めた人々を見かけるようになり,目的の町へと辿り着いた。
喧噪ほどではないにしろ,それなりの活気がある町だ。
石造りの大通りには多くの屋台が並び,食材を始めとする様々なものが売られている。
辺りの建築物を見る限りそれほど近代的な印象はなく,機械文明は発達していないようだ。
その中を避けるように,ハルは脇道へと進んでいく。
大通りから離れた裏手の道は住居が並んでいることから入り組んでおり,迷路のように幾つもの分かれ道が続いている。
だがハルは迷う様子もなく歩調を変えない。
恐らくこの町を歩き慣れているのだろう。
わざわざ裏道を通るあたり,意図的に人の多い道を避けているように見えたが,エスが指摘することはない。
天からの光と建物の影を交互に渡り歩いていく。
「役所に着いたら,早速エスの事情を説明しにいこう。色々な所を紹介してもらえるかも」
「うーん……」
「どうかしたの?」
「いや,何か用事があって街に来たんだろう? だったら,先にそれを済ませても」
「私はただの買い出しだから大丈夫。それよりも,エス君の方が大事でしょ? 家族の人も心配しているかもしれないし」
「そう,だな」
大きな鞄を揺らしながら彼女は答える。
実際の所,エスは役所に行くこと自体はあまり乗り気ではなかった。
かつて生きていた筈の現実世界のことすら,記憶がないこともあって何の感慨もない。
人として生きている以上,両親を含めた家族が確かにいる筈なのだが,その実感もない。
そして,この異世界で素性を探る意味はなく,ハルの時間を無駄にするだけだ。
とは言え,デウスの言葉が真実とも言い切れず,何か情報が掴める可能性も捨てきれないので,複雑な心境のままエスは彼女の後を辿った。
「ん,なんだろ……?」
裏道を歩いて数分後,ハルが異変を察してその場に立ち止まる。
役所に辿り着いたわけではなく,エスも前方に漂う妙な気配に気づく。
足音を消しつつゆっくりと目先の角を曲がると,そこには二人の男性がいた。
お互い向かい合っているようで,顔に傷のある男性が,灰色の髪の男性に詰め寄っている。
何を言っているのか聞き取れないが,雰囲気の良い状態とは言えず,今にも暴行沙汰が起きかねない様子だ。
あまり見かけない光景なのか,ハルは困惑した表情をしている。
事を荒立てたくはないが,このまま素通りすることも気が進まない。
関わるべきか,避けるべきか。
エスが迷っていると,不意に灰色の髪の男性がこちらを向いた。
足音に気付いたのか,ただの偶然なのかは分からない。
ただエスと目が合った際,彼は一瞬考え込むような動作をした後,大きな声を上げつつ右手を振った。
「おお,探したよ! 丁度良かった,助けてくれ!」
「え,俺?」
「あの人,もしかして知り合い?」
「いや,初対面だけど……」
目を丸くするハルに対して,エスも混乱するばかりだった。
あの男性は自分を知っているのだろうか。
そんな疑問を置いて,エスは自然とその場から動き男達の元へと向かう。
それに並んで,ハルも慌てて付いてくる。
すると傷の男は不利を悟ったのか,小さく舌打ちをした後,背を向けて立ち去っていく。
下手に暴れるつもりはなかったようだ。
二人がその場に駆け寄ると,残された男性が安堵したように息を吐いた。
「いやあ,一時はどうなるかと思った。話に乗ってくれてありがとな」
野暮ったい風貌の男は,白い歯を見せて笑った。
彼の首から提げられた懐中時計が,軽快に音を刻んでいる。
どこも怪我はないようなので,早速エスは先ほどの話を聞いてみることにした。
「俺のこと,何か知っているのか?」
「ん? いや,嘘だが」
「えっ」
さも当然のように男性が答えるので,エスとハルはお互いに顔を見合わせる。
疑問を口にする前に,男性が事情を説明した。
「肩にぶつかった,ってことでさっきの奴に絡まれてな。あんた達を知り合いということにして,助けてもらおうと思ったのさ。幸い,あんた結構体格良さそうだし,数が増えればあいつも引いてくれると思ったわけだ。上手くいって良かったぜ」
「……」
「あー,巻き込んで悪かったよ。だが,俺のことを知ってるかってのは変な質問だな。何かあったのかい?」
どうやら,争い事を避けたい男性が口にした出まかせだったらしい。
エスは落胆するが,ここは生きていた世界とは別の場所なのだから当然かと気を取り直す。
加えて,今の状況を話しても特に不利になることはないので,疑問に思う男に今までの経緯を話す。
すると彼は手で顎を触りながら,難しそうな表情を取った。
「記憶喪失,それで役所に向かっていたのか。だが,普通に行っても取り合ってもらえないと思うな」
「どうして?」
「最近は,危険な力を持った奴らが暴れているって話があるからな。役所の連中も,素性のしれない奴を入れるかどうか……。だが安心しな。ああいうのは,やり方一つでどうとでもなる。いざこざを手伝ってくれた礼に,連中に掛け合ってみよう」
「掛け合うって,そんなことが出来るのか?」
「なあに,これ位の事は何てことないさ」
男は自信たっぷりに言う。
何かしらの方法を熟知しているようで,役所に関しても大きな問題を抱えていることは事実のようだ。
その事情を知らなかったのか,男の話を聞いたハルは目を丸くする。
「役所って,そんなことになっていたのね。知らなかった」
「知らずは恥だぜ。少しは世間話に耳を傾けたほうが良いかもな」
「世間かぁ。確かに,あまり気にしてなかったかも」
「二人とも,とにかく付いてきな。役所はすぐそこだ。あと,俺はジェルフ。短い間だがよろしくな」
ジェルフは懐中時計の鎖を鳴らしながら先へ進み始める。
結構強引な人物のようだが,善意で手伝ってくれるので拒否する理由もない。
仕方がないので,エス達は互いに無言で合図をした後,彼の背中を追って役所を目指すことになった。
裏道を抜け,大きな通りを歩いて暫くして,ようやく目的地へと到着する。
辿り着いた役所は,他の建物よりも二回りほど大きい施設だった。
階層は三階建てで,左右対称の石造建築物となっている。
周囲は大きな脅威から内部を守るように頑丈な黒の柵で覆われ,柵に隣接する門から役所までは一本の道が突き抜けている。
エス達はその門を通り抜け,開かれた中央玄関を通過した。
役所の内部は木造の家具が多く設置され,一般客を応対する区画と待機用に何個も連なる長椅子があった。
天井からは幾つもの照明器具が垂れ下がり,大きな蝋燭に橙色の火が灯っている。
その中を,多くの人々が何かの用事で職員と話したり,長椅子で時間を潰したりしている。
それ程慌ただしくはない,比較的落ち着いた空間のようだ。
ジェルフは座席で待つようエス達に指示した後,職員のいる区画へと進んでいった。
行く当てもないので,二人は空いている長椅子へと座り,彼の帰りを待つことにした。
今まで歩き続けだったこともあって,エスはその場で足を休め小さく息をつく。
「あのジェルフって人,上手くやってくれてるかな」
「自信ありそうだったし。そこは信じるしかないな。駄目なら駄目で,他の方法を考えるよ」
「誰か知っている人がいればいいんだけどね。あ,喉渇かない? 私,水持ってるよ?」
「いや,大丈夫。渇いてないよ」
「じゃあ,野菜とか果物とか?」
「どういう選択肢なんだ,それは……。さすがに遠慮しておくよ……」
「そう? ならいいけど……」
「そっちこそ今まで歩き詰めだったのに,疲れてない?」
「全然。町までの往復はよくあるし,結構大丈夫だよ」
取り留めのない話をハルと続けていき,それから時間が経って,エスは奇妙なものを見つける。
そこは,壁に多くの張り紙が張られた掲示板のような場所だった。
軽く見る限り,町の人々に向けた知らせが主な内容になっている。
だが中でも一際目立つものがあり,エスはハルに一言入れてから,掲示板の前まで移動してその張り紙を読み取る。
赤文字で強調されたそれには,こう書かれてあった。
『転移者に注意! もし見かけたら近づかず,最寄りの役所まで連絡を! 見分ける方法は以下の通り……』
「これは……」
転移者という言葉に違和感を覚え,続きを読もうとするが,それよりも先に背後からジェルフの声が聞こえた。
「よぉ,待たせたな」
「ジェルフ,どうだった?」
「問題ない。すぐに職員が事情を聞きに来るそうだ。とは言え,あんたはどうする?」
「私……?」
急に話を振られたハルが首を傾げると,ジェルフは彼女が背負う大きな鞄を指差した。
「エスが事情を説明している間,別件があるならそれを片付けたほうが良いぜ。結構時間はかかりそうだからな」
「そっか。じゃあ,買い出しに行ってこようかな」
「ま,俺は紹介した手前ここにいないといけないからな。エスが帰って来るのを待つとするか」
「わざわざ有難いけど,そっちは何か用事はないのか?」
「旅人の俺に当てはないさ。今夜の寝床を探す以外は,特に用はないんだ」
半信半疑だったが,ジェルフの交渉は上手くいったようで今後の方針が決まる。
ここからは職員と対話を行い,衣食住の確保を優先することになる。
自分探しはさておき,記憶喪失であることを前面に押し出せば,ある程度の情報は教えてくれるだろう。
エスがそう考え込んでいると,突然ハルがその顔を覗き込んでくる。
何事かと思うと,どうやら挨拶がしたかったようで,大きな鞄を背負いつつ口を開いた。
「じゃあ,また後でね」
「またって……もう俺は大丈夫だ。これ以上,迷惑をかけるわけにも」
「助けてもらったんだから,私が納得するまで付いていくよ。もしかして,迷惑……?」
「いや,迷惑じゃないけど……」
「なら,よし!」
不安そうな顔から一転して笑顔になったハルは,エスに手を振りながら役所を出ていく。
とりあえず手を振り返すが,不思議な感覚だった。
助けたとはいえ,そこまで尽くす必要があるのだろうか。
既に役所までの案内は終わり,これ以上彼女がエスを助ける義理はない筈だ。
するとジェルフが口元を緩めながら,エスの肩を軽く叩いた。
「ああいう好意は,素直に受け取っておくもんだぜ」
「好意。そうか,これが好意というものなのか。つまり,ジェルフも……?」
「おいおい……。俺の場合は成り行きで,それとこれとは違うだろう? 変わった奴だなぁ……」
良くは分からないが,自分の都合よりも相手の都合を優先する考え方。
それが好意というものなのかもしれない,とエスはその言葉を噛み締め学習する。
直後,役所の職員らしき女性が二人の元へやって来る。
あくまで事務的に執務をしようとする印象の人物だった。
「エスさん,ですね。お待たせいたしました。お話を伺いますので,こちらにどうぞ」
エスは固く唇を結ぶ。
平静を保ち応対すれば大きな問題にはならない筈だ。
行ってこいと合図するジェルフに軽く頷き,職員の元へ向かう。
そしてその職員に誘導され,彼は別室へと案内されるのだった。