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ファルバレス集院。
内装外装ともに整った赤煉瓦の駅を抜けた先に待ち受けていたのは,今までの町とは比べ物にならない広さの都市だった。
直径10kmにもなるこの都市は,円を描く形で巨大な外壁に守られ,その一部は陽の光によって影を落としている。
人通りは非常に多く,持っている荷物を察するに,居住している人以外に観光で訪れる者の方が多いように見える。
通行の邪魔にならないよう,脇に移動しなければならない程だ。
これだけの規模には,蒸気機関車も含め貿易の拠点となっていることが理由だろう。
大通りを含めた肌色の石造通路や人工的に作られた河川以外は,ほぼ何かしらの建物で敷き詰められている。
様々な様式を取り入れた高層の建物が立ち並び,それら円蓋の屋根が青い空へ高く伸び,我先にと競い合っている様にすら見える。
「ファルバレス。凄い人の数だ」
エスは周囲の光景を見上げながらも,本来の目的を振り返る。
レイアナの言葉が確かなら,この都市の何処かに孤児院がある筈だ。
そしてそこで,孤児院の人々が転移者を匿っている。
あくまで噂であると彼女は言っていたが,噂が立つからには何らかの理由がある筈だ。
彼の脳裏に,蒸気機関車で襲われた機械の群れがちらつく。
無論あれらを操作している者が,件の転移者であるとは限らない。
エスも含め存命している転移者は合計で八人。
単純な確率ならば他の転移者である可能性の方が高い。
しかし命を狙われている以上,確かめない訳にはいかなかった。
「孤児院を探すか。それとも先に,宿を見つけるか」
ガルアセンの駅員は,到着したならば先に宿を探すべきだと言っていた。
確かにこれだけの人の多さなら,最悪泊まる場所も見つけられないかもしれない。
加えて都市の広さを考えるなら,自力で孤児院を探すには時間が掛かる。
人に聞いた方が良いだろうが,転移者を探しているなどと言えば確実に怪しまれる。
どちらを選択すべきか迷っていると,急にエスの腹の音が鳴り出した。
「そういえば,今まで何も食べてなかったな……」
エスはようやく自身が空腹だったことに気付く。
列車の中では,例の騒動のせいで購買車両を通り過ぎるだけで,完全に食べ損ねてしまった。
食べ物はおろか,水分すらまともに取っていない。
機械達に襲われた緊張感からある程度解放され,そろそろ腹の中に何か入れるべきだろうとエスは考える。
孤児院や宿に関しては,食べ物を探しながらでも見つけることは可能だ。
再び腹の音が鳴りそうな予感がしたため,エスは新たな機械の気配がないことを確かめながら,人混みに紛れて歩き出した。
喧騒が近づいては離れていく。
高低差の低い坂道や河川を渡る橋を通り,人の流れに身を任せていると,繁華街のような商業区に辿り着く。
建物内に売り場を設けているものや,屋台を出し集客するものもある。
出されている品は,この都市の土産物や貿易等で手に入れた特産品が目立つ。
野菜だけでなく,何らかの方法で加工された肉類も出品されている。
エスはそれらを見渡しながら,腹ごしらえが出来そうな場所を探す。
適当な料理を探すには,立地条件を考えると人通りのある方が見つけ易い。
加えて長居する気もないので,屋台のようなその場で購入できる商品の方が望ましい。
そうして彼は,香ばしい匂いが漂ってきた屋台に引き寄せられる。
売り場の向こうで料理人が何十本という肉を串に刺して焼いている。
所謂串焼きというものだ。
何の肉を焼いているのかは分からないが,油のはじける音と煙に混ざって漂う香りが,エスの腹部を刺激する。
料理の値段も値札を見る限り良心的で,レイアナから受け取ったお金あることから懐に余裕はある。
なるべく通行人に接触しないよう気配りながら,エスはここで串焼きを買うことにした。
「この串焼き? を三本下さい」
順番を待って店員のいる会計場所に着くと,予め適当に決めていた品を指差す。
どの肉もどんな味がするのか分からないので,エスも選り好みをするつもりはなかった。
そして,そこまで大量に食べるつもりもない。
腹を膨らませることが出来れば良いので,平均的な本数で事足りる。
「あれも三本。これも三本」
平均的な本数で事足りる。
「それは五本,いや,十本かな。あとこの飲み物も」
「しょ,少々お待ちを……」
「一人でどれだけ買うんだ,この人……」
少し動揺する店員と後ろから聞こえてくる小声を不思議に思いながら,エスは購入した串焼き達を持って一息つける場所を探す。
包装で包まれた串達と飲み物を落とさないよう,慎重に歩いていく。
商業区を抜けると,円状に開けた広場に出る。
広場の中心に六角形の水場があり,その六つの角には,水の行き場となる小さな水路が繋がっている。
それら水路に足を踏み外さないよう,広範囲に渡り場が設置されており,少し離れた場所に木製の長椅子が幾つか置かれていた。
公共的なものなので,あそこで食べるのが良いだろうと目星を付ける。
誰もいない長椅子に腰を掛けると,彼の視線の先には広場の奥,建物のない崖が見えた。
高低差のある都市部でも,ここは上層に位置するのだろう。
この広場からは,その崖から,下層となる建物たちが一望できるような造りになっている。
当然転落しないよう崖の辺りには胸部付近までコンクリートのような壁があるが,それでも景色に衰えはない。
日差しに照らされた建物の屋根たちが,鮮やかに光を返す。
六つあった水路の一つがその崖を突き抜け,水飛沫を上げながら,小さな滝となって下層にある水の溜まり場に落ちていく。
下層の景色を塗るように微かに見える虹は,この水路が生み出しているのかもしれない。
「これだけ食べれば,大分持つ。味付けが違うものを選んだのは,正解だったな」
焼き立ては熱いうちに食べるに限る。
エスは串焼きの肉を頬張り,その味と感触を味わう。
肉は容易に噛み切れるほどに柔らかく,焦げた表面の硬さと調和が取れている。
タレも肉の味を引き立てるような辛味をしている。
記憶を失ってから始めて食べる料理に,エスは一抹の感動すら抱いた。
だが,その代わりに浮き彫りになった事実もあった。
「こんなことは問題の先送りだって,分かっているんだけどな……」
エスは小さな息を一つ,空に向けて吐いた。
転移者を見つけてどうするか,彼は未だ決め兼ねていた。
ガルアセンで購入した乗車券が,偶然ファルバレス行であったことから成り行きで降りてしまったが,出合い頭に他の転移者を殺す決心がつかない。
マコトの命を奪ってしまった感触は,未だに手の中に残り続けている。
殺される前に殺せという一線は踏んでいるものの,まだ踏み越えられない。
とは言え,このまま機械の暗殺を受け続けていては身が持たない。
説得可能な人物ではなく,拒絶しあくまで殺意を向けてくる転移者であるなら,その弾みで前に進むことになるだろう。
エス自身,生き残りたいという本能には逆らえないのだ。
「こら,あまり走らない!」
「センセーが遅いのが悪いんだよー!」
複雑な心境を抱いていると,様々な物音に紛れて大きな声が聞こえてくる。
三人家族なのだろうか。
見るからに元気そうな少年が,荷物を背負い追ってくる男性をからかいながら広場に走ってくる。
足音は大きく,動きに落ち着きがない。
視線が常に後方を向いていることもあり,あまり周囲が見えていないように感じられる。
「エリオ! 危ないってば!」
「大丈夫だって,このくらい……」
男性と一緒に付いてくる金髪の幼い少女が警告するも,エリオと呼ばれた少年はそのまま崖に面したコンクリの壁までやって来る。
やっとのことで広場にやって来た男性が再び声を出すも,聞く耳を持たない。
あれは危ないな。
嫌な予感がしたエスが肉を呑み込んだ瞬間,状況が変わる。
突然突風が吹き,周囲が大きく風に煽られる。
人々が小さな声を上げる中,元々不安定だったエリオが体勢を崩し,そのまま方向感覚を失う。
身体はコンクリの壁に当たるも,風の勢いに任せて,高跳びのようにそれを乗り越えていく。
支えるものはもう何もない。
遂に両足が地から離れ,彼は景色の向こうへ落ちていく。
周囲の人々が大きく声を出すより先に,エスは崖に向かって一直線に飛び出した。
広場に風と水を巻き起こしながら壁を飛び越え,落ちていく少年を見定める。
壁から突き出た水路の端を掴み,もう片方の手で彼の右腕を取る。
水路が二人分の重さに耐えられるか心配だったが,手を引いたことによる衝撃が起きた後は,擦れた破片が落ちるだけで,手元が失われる様子はない。
エスは間に合ったことに安堵しつつ,無謀なやんちゃ坊主を見る。
彼は驚きのあまり声すら上げられないようだが,見たところ大きな怪我はない。
それでも一応返答できるかどうか,声を掛けようとする。
「大丈夫か? ……って」
だが,その前にエスはあることに気付いた。
今掴んでいるのは水路の端。
水場を流れる水が滝となって落ちていく場所だ。
当然それらは,端を掴んでいたエスの頭上目がけて落ちていく。
結論,エスは大量の水を頭から被っていることに気付いた。
「これは大丈夫じゃない……」
「あぁ! まさかそんな! 無事ですか!?」
頭上に虹でも掛かっているのだろうかとエスが思っていると,上から男性の声が降ってくる。
先程引き止めようと声を上げていた人物だろう。
エスは念のため転移者と悟られぬよう,慎重かつゆっくり動いて広場へ戻る。
壁を超えると既に人だかりができており,それらの視線に気まずさを覚えながら,抱えていたエリオを地に降ろした。
男性が少年を両手で抱き留め,怪我はないか確かめていく。
彼はエスに掴まれた右腕を痛そうに擦っていた。
掴み損ねてはいけなかったので,少し強めに握ってしまったことが原因だろう。
一瞬ルール違反を危惧したが,今の所,力が弱まった感覚はない。
「すみません,強く握ってしまって。一応,濡れてはないと思いますけど」
「申し訳ありません! 何とお詫びをすれば……!」
子供の無事を確認した男性は,今にも頭を下げそうな勢いだったので,なんとかエスがそれを押し留める。
「いえ,その子が無事でよかったです。こっちは濡れただけなので」
「そうですが,びしょ濡れではないですか!」
「多分,自然と渇くはず……」
「流石にその濡れ方では……とにかく,何か拭くものを用意します!」
身に着けていた衣服や包帯も殆ど濡れてしまい,髪の先からは水滴が落ちていく。
そう簡単に乾くものではなく,男性が手に持っていた袋から目ぼしいものを探し始める。
そして,周囲の人々も小声で事の顛末を話し始める。
エスにとってはあまり騒ぎにしたくなかったが,何も言わずこの場を去る訳にもいかず,水で張り付いて気持ちが悪い包帯を見つめるしかなかった。
すると背後から幼い少女の声が聞こえる。
「馬鹿エリオ! だから危ないって言ったのに!」
「う……。ご,ごめん」
「謝るのは,私じゃないでしょ!」
男性と一緒にいた金髪の少女が反省を促している。
子供二人は同い年のようだが,少女の方は幼い割にしっかりしているようだ。
言いつけを守らなかった彼を悲しそうな表情で非難する。
怒られたエリオ少年は意気消沈といった様子で,顔を俯かせたままエスに向き直った。
「ご……ごめん,なさい」
「まぁ,あまり,はしゃぎ過ぎないようにな?」
エリオの謝罪に対してやんわりと注意すると,目当てのものを見つけた男性が横から白い布を渡してくる。
中々肌触りが良く,手に浸透していきそうな布だった。
「すみません,一先ずはこれで我慢してください! 弁償もしますので,私たちの家まで案内します!」
「弁償なんて,そんな大袈裟ですよ」
「いえ! そういう訳にはいきません! さぁ,こちらに!」
「あぁ……なら,その前に串焼きを……」
この場から離れることは賛成だが,男性は是が非でも連れて行くつもりらしい。
押し問答をしていても余計に騒ぎが大きくなるばかりだ。
折角の申し出を断るのも悪いので,エスは長椅子に置いていた串焼きを回収し,三人の後をついていくことにした。
布は髪を拭いてから首に軽く巻き,熱い串焼きには水滴が当たらないよう注意しつつ,人だかりと視線の雨を超える。
その間,エスは自分が転移者だと気付かれたか不安だったが,飛び出した彼の様子を誰も見ていなかったようで,指差し叫び出す者はいなかった。
広場から離れて暫くすると,不規則な四つの足音が残った。
「エリオ,今度は離れるんじゃないぞ?」
「うん……」
男性はエスがいる手前もあるのか,エリオに怒ることはなかった。
ただ,今度は決して離さないよう,二人の手をしっかりと握る。
親が子を守る,何処か包まれるような感覚を呼び起こす光景だ。
興味を惹かれてエスがそれを見ていると,男性が改まった様子で振り返る。
「それにしても,本当にありがとうございます。あなたが助けてくれていなければ,今頃どうなっていたか」
「誰も大きな怪我がなくて,何よりですよ」
「でも,何だか凄い速さだったよ。まるで……」
「そ,そうだったかな? 気のせい,じゃないかな」
割って入った少女の疑問を回避しつつ,話題を変えようと男性の荷物に視線を向ける。
「ところで,買い物の途中だったんですか? ええと……」
「あ,私はウィストル。彼がエリオで,こちらの子がルーファと言います。買い物は終わっていまして,元々帰る所だったんです」
ウィストルが背負う荷物には,購入した物品等が収められている。
大きさの割に重量の有りそうなものが多く,当初はしゃいでいたエリオに追いつけなかったのも,この荷物が原因だったようだ。
大の大人が背負うにしても,動きにくそうに見える。
手を繋いでいたエリオがそれを見ながら,おずおずと口を開く。
「先生,荷物重いなら持つけど」
「急にしおらしくなって。これ位は大丈夫」
「先生? 親子じゃないんですか?」
「それは,すぐに分かりますよ」
エスはてっきり三人が家族なのだと思っていたが,どうやら違うようだ。
ウィストルが進む先はファルバレスの外れ,外壁に近い場所だった。
人数も少なくなり,居住区らしき家々が立ち並ぶ区画へと差し掛かる。
洗濯物を干していたり,外気を入れるために窓を開けていたり,一つ一つの家によって違いが見える。
通行人とすれ違うたびに,若干濡れたエスの方へ視線が逸れるが,彼自身そこは割り切って後を追う。
幾つかの階段を降りつつ,居住区すらも通り抜けると,舗装された一本道が伸びる草原が飛び込む。
思わず目を細めるほどに緑が眩しい。
広大な都市にも自然を取り入れた場所があるようで,その先に一つの屋敷が見えた。
教会にも見えるそれは,三人で住むにはあまりに大きい。
バベルの町にあった役所と同じ位はあるだろうか。
加えてそこからは,他の子供たちの声が時折聞こえてくる。
互いに遊んでいるような和気藹々としたものだったが,エスはその瞬間,一つの結論に達した。
目先にある巨大な住処。
子供たちが先生と呼ぶ理由。
それだけの判断材料あれば,向かう場所の正体が容易に想像できた。
「ここは,まさか……」
「ファルバレス孤児院,ここが私たちの家です」
転移者を匿うファルバレス孤児院。
こちらの事情を知らないウィストルが,快くそこへと引き入れる。
意図せずして,エスは目的の場所へと足を踏み入れることになった。




