終章:三人目
◇ ◇ ◇
「――以上が、〝フーリガン〟の発生に関する根本原因であった。私は、その原因の特定、及び、対処に成功した」
つまり、
「これ以上、フーリガンが増加することはない」
バハムートは〝学校長邸〟二階の自室にて、仕事机に腰を落ち着けながら、カメラを前に報告していた。
学校長である自分が定期・不定期で行う、〝錬金領土〟内の事情報告。〝船内放送〟と呼ばれるものだ。
本日の内容は、フーリガン問題に関して、と題した報告。詳しく言えば、その解決であった。
しかし、報告には、いくつかの嘘が含まれている。その一つに、
――本当は、私一人の手柄ではないのだがな――。
フーリガンの発生原因は、〝アルス・マグナ〟に組み込まれていた〝真理節〟が行った、人体実験だ。
だが、根本原因たる真理節は、鳴宮道真と武の兄妹によって破棄され、結果、首謀者である〝ウロボロス〟も消滅。
四世紀に渡って計画されていた、完全なる者の野望は、錬金領土の住民二人の手に寄って、打ち砕かれたのだった。
バハムートは、心の中だけで視線を右に遣る。
その先にある客室では、勝利の立て役者が休養を取っていた。
――ボクたちが関わったことは、伏せておいてくれませんか――?
今、満身創痍の兄に付き添い、世話をしているであろう武のお願いを、バハムートは思い返す。
――道兄は大怪我してるから、騒ぎになっちゃったら困りますし……。
それに、
――自身の問題は、自分で解決した方が、女王さまらしいですよ――?
自分しか気付かないほど小さな笑声を、口元だけで漏らした。
――物好きなものだな。君たちの功績は、英雄と賞されても過言ではないのに……。
それでも、恩人の願いなのだ。ならば、応えよう。そう。私は、錬金領土の女王にして、君たちの先生なのだからな。
本当に僅かな微笑を、真顔に戻して、船内放送を先へと進める。
「しかしながら、現存するフーリガンを正常に戻す術は、まだ発見できていない。即ち、完全収束は先の話だ」
だから、
「私は学校長として、フーリガン正常化の方法を探求するつもりだ。――それが、学校長としての責務であると思っている」
報告は以上だ。そう告げて、だが、カメラを止めようとする仕姫に、制止の合図を出した。
「それから、これは個人的な発案だが」
彼らに何の礼もしないのは、主として以上に人間として心苦しい。
彼らが喜ぶことは何だろうか? 少々、即物的なのだが、
「新たに、〝便利屋〟と言う職種を公式認定しようと思う」
これくらいのお礼は、許してくれるだろう?
◇ ◇ ◇
目覚めると、自分の体が毛布に包まれていることに気付く。
何となく、体が重く意識も鈍い。微睡みに浸っているような感覚だ。
ハッキリと分かったことは、自分の体がベッドの上。横向きで眠っていたこと。何らかの治療により、胴体部分に包帯が巻かれていること。
そして、
「――道兄!」
ベッドの脇に座っていた、妹の存在だ。
「大丈夫? 苦しいことない? ボクのこと分かる?」
起きて間もない自分に、質問が三連発された。微睡んでいた意識が、鮮明さを帯びてくる。
「……当たり前だろ? お前は、鳴宮武。オレの妹で、ホムンクルスで、パートナーだ」
欠伸混じりに答えると、武が、丸く愛らしい双眸をウルウルと潤ませ、目尻に涙を溜めながら、
「良かった……良かったよぅ。道兄」
行き過ぎだと言えるほど、安堵した。
「何だよ、大袈裟だな。九死に一生を得た訳じゃあるまいし」
呆れた口調で、苦笑い気味に告げると、武がむぅ。と、頬を膨らませる。
どうにも、小動物を連想させる表情だ。
「大袈裟じゃないよ! 道兄、分かってる? 道兄は、背中に大怪我負って、本当に重傷だったんだよ!? 丸一日眠ってたんだよ!?」
ああ、そう言えばそうだたったな。
他人事な感想を作りながら、道真は回想した。
確か、自分は砕かれた氷の破片から妹を庇うために、己の身を犠牲にしたのだ。ともすれば、背中がズタズタに引き裂かれ、内臓まで達していたかもしれない。
それで、緊急手術か何かでも受けたのだろう。そして、武という女の子は、どうやら兄の自分を心の底から慕っていて、ゆえに、
――ずっと側にいたんだろうなぁ……。
だとしたら、強ち大袈裟とは言えない。原因は、こちらにあるのだから。
道真は右手を伸ばし、ベッドサイドの椅子に腰掛ける、座高も低めな妹の、柔らかい栗毛を撫でた。
「悪い。心配掛けたよな?」
「う……、ボ、ボクも、ゴメン。庇ってくれて、ありがとう」
少し頭が冷えたのか、武が俯き、塩らしく感謝してきた。頭が冷えた割に、何故か顔が真っ赤だが。
「で、ここは?」
頭と目線を巡らせながら、武に尋ねる。
シングルベッドに、クローゼットと本棚。窓には格子戸が嵌められている、洋風の一室だ。
見覚えがあるが、自室である〝九〇三一三号〟のインサイド・キャビンとは、明らかな差異を持つ部屋だった。
「学校長邸の客室だよ? 学校長が貸してくれたんだよ」
「んで、その学校長は?」
「うん。さっき、船内放送を終えたとこ。学校長は在任して、フーリガン問題の終結を目指すんだって。〝マグヌス・オプス〟も稼働の継続を決定したそうだよ」
「そうか。良かったな」
安堵の吐息を、ほ、とつく。
学校長ことバハムートは、自分の宿命やフーリガン問題に振り回され、絶望の淵に追いやられていた。
そんな彼女の地位が守られ、希望を得たことを、単純に嬉しいと思う。
誇張であるだろうが、彼女を救うことができて、良かったと思うのだ。
「それでね? それでね? 道兄。ボクたちにも嬉しい報告があったんだよ!」
こちらの平穏な表情を見て、元気を取り戻したのか、武は何時ものように。いや、何時も以上にハイテンションで、瞳をキラキラと輝かせた。
「ボクたちがやってる〝便利屋業〟が、公式に職業として認定されるんだって!」
「公式に認定? 何か、変わるのか?」
道兄、まだ本調子じゃないね?
そう言って、眉を寝かせて武が苦笑する。
「職業の公式認定は、知名度が上がるし、保証制度も付加されるから、賃金アップが期待できるんだよ!」
「何っ! マジか!」
生活費のために、休日も平常運行の自分たちにとって、願ったり叶ったりな報告だ。
イヤラシい話、大怪我負った甲斐があった。――などと、邪念を抱いたその罰か、背中に激痛が走った。
「ああぁぁぁだだだだだっ!!」
「み、道兄、怪我人が跳ね起きちゃダメだよ!」
激痛に顔をしかめていると、吹き出すのを堪えているような、震えを持った笑い声が耳に届く。
ふと、ドアの方へ目を遣ると、ヘルメスが口元を押さえて、肩を揺らしていた。
どうやら一部始終を眺めていたらしく、ややあって、目元の涙を拭いながら、
「キミたちは、こんなときでも調子が変わらないね。本当、見ていて飽きないよ」
褒められている気がしない賛辞を送ってくる。
「ずっと、一緒に暮らしたいと思ってしまうほどにね」
◇ ◇ ◇
ヘルメスは、自分の台詞通りの気分を覚えていた。
思い出してみれば、この三日ほどで、随分と人間らしい感情を吐き出したと感じる。
と言うか、正確には、この兄妹に感化されていたのだ。
それと同時に、爽やかな後悔が心にある。
――全く。これでは、別れるのが心苦しいね――。
それでも、ヘルメスは知っていた。
この先、この二人と時間を共にすれば、爽やかだった後悔は、荒れ狂う暴風へと豹変し、自分の心を引き裂くことを。
「何だよ、ヘルメス。そんな改まって」
道真が、しかめっ面で聞いてきた。今更何を、との意味だろう。
その言葉に微かな痛みを感じ、だが、だから、ヘルメスは笑顔で告げた。
「お別れを言いに来たんだ」
キョトンとした顔つきの武が、疑問形を口にする前に、自分の口から理由を並べる。
「ワタシが依頼したのは、バハムートの探索。アルス・マグナの捜索。追加発注で、〝ガラスの館〟への随伴だ。キミたちは、その依頼を完遂してくれたね。感謝するよ」
だけど。と言い掛けて、だから。に言い換えて、
「もう、ワタシがキミたちとともにいる理由は、なくなったのさ」
「そんな……」
武が、寂しそうに切なそうに、声を零す。
こちらの台詞だと感じた。そんな顔をしないでくれ、と。もはや、妹に近い存在となってしまった、ホムンクルスの少女に。
「待てよ、ヘルメス」
関係的には武の兄で、と言うことは、口にするとややこしい関係性を築いてしまう、道真が、こちらを呼び止めた。
「お前にはなくても、オレにはあるんだよ、理由が。勝手に終わらせないでくれ」
「な、何だい? 道真」
不覚にも、動悸が走る。嫌な気分じゃないから対処に困る、心臓の高鳴りが。
「お前には、まだやってほしいことがある。そして、オレにはお前にしてやりてえことがあるんだよ」
「お前……料金踏み倒すつもりか?」
…………はあ?
ヘルメスは絶句した。
前振りが前振りなだけに、ときめく展開を予想していたのだ。なのに、何で、そんな即物的な発言が来るのか? いや、来たら来たで、うっかりOKしちゃいそうだから、グッジョブなんだが、この男、女心が分かってないのか?
「そ、そんな訳ないだろう? ワタシを誰だと思っているんだ? どんな請求が来ようと、キッチリ払ってあげるさ」
やけくそ気味に吐き捨てると、道真が口端を広げる。
「よし、言ったな? じゃあ、キッチリと払って貰うぞ? ――体でな」
学校長邸の一室に沈黙が訪れた。
ヘルメスは一瞬、自分の思考回路が完全に停止する、との珍しい体験をしていた。
「「……え?」」
どうやら、フリーズしたのは自分だけじゃないらしい。武もまた、何言ってんの? と唖然とした顔つきをしている。
複数の意味を持つ疑問形だが、現状では、道真の言葉そのものを理解できません。との意味だろう。
武より先に、言葉の意味を理解して、ヘルメスは体温が急上昇する感触を、確かに味わった。
「み、道真は意外に情熱的なんだね! いや、悪くないよ? 嫌じゃないんだ。その……い、いきなりビックリしただけさ! ただ、そう言う告白は、できたら二人きりのときに、ムードが高まった状態で――」
「道兄、感電したいの?」
武もようやく理解したらしく、しかし、自分とは対称的に、冷ややかな視線を兄に向けていた。
「お前ら誤解し過ぎだ! 断じて性的な意味じゃねえ!! 俺は、働いてくれっつってんだよ!!」
「――働いてくれ?」
少しだけ残念な気分で問い返すと、返ってきた応えは、
「ヘルメス。一緒に便利屋やろう!」
とのものだ。
「ちょうど、公式認定されたしな。依頼も増えるだろうし、人手が欲しいんだよ」
笑み付きの勧誘に、思わず頷き掛けて、だが、自分の答えは。
「……無理だよ。忘れたのかい? ワタシは〝アデプト〟。輪廻転生する存在なんだ。だから――」
キミと一緒にいると、きっと最後に後悔する。そう言おうとしたのだが、
「だったら、俺が解決策を探してやる」
道真の予想外な一言に打ち消された。
「忘れたのかよ、ヘルメス? 俺たちは〝錬金術師〟だ。そして、その目的は〝完全の探求〟なんだろ?」
なら、
「その程度の問題が解決できないで、完全に辿り着けるか?」
完全。それは、不完全の否定だ。そして、悩みがあるとは、きっと、不完全を抱えている状態なのだろう。
――オレにはお前にしてやりてえことがあるんだよ――。
道真は、こちらの心に潜む不完全を、完全に変えたいと言っていたのだ。
「大体において、俺たちは〝完全なる者〟を打ち負かしたんだぜ?」
ウロボロスを倒したのは、自分とバハムートと彼と彼女だった。
そしてこの錬金領土には、完全なる者を討伐したパーティーが揃っている。
「ふ、くくっ……あははははっ!!」
ヘルメスは哄笑を抑えられなかった。気分を言葉で表すと、してやられた、だ。
「よくもまあ、そんな屁理屈が浮かぶね」
「頭に〝屁〟が付いても〝理屈〟だろう? それとも、反論あるのか?」
武が微笑んでいる。道真も、イタズラげに口角を上げ、自分も笑わずにはいられなかった。
降参だ。敵わない。敗北感で一杯だ。
「いや、ワタシもその通りだと思うさ」
ああ……、だけど、この敗北感は、
何故、こんなにも、希望染みているのだろうね?




