第三章:バハムート――2
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五番船・形式科学。学級区画と称される船の上。
ライブラリーは、その一郭に建っていた。
ベージュをメインカラーとした円柱状の五階建てだ。
館内。特に一階には、少数を超える人の気配が満ちている。文学や小説をメインとしたワンフロアには、カフェスペースも存在しているからだろう。
曜日が土曜であることも手伝って、読書好きの住民が集まっているのである。
もちろん、書物類はそれだけではない。
二階には自然科学、工学、形式科学についての書物が。
社会科学、哲学、歴史学などは三階に。
そして四階には、古代アレクサンドリアから続く錬金術の歴史や、東洋の錬金術こと〝煉丹術〟の解説書も並ぶ、錬金術専用フロアが存在するのだ。
五階の希少本を含めれば、一生掛けても読み切れないだろう。
「おや? 武さんに、道真さん? 素敵なお嬢様をお連れして、どうなさいましたの?」
円周を走る階段の横。受付に座る女が三人に声を掛けた。
フワフワとした黄色い癖毛は長く、瞳は垂れ気味で、おっとりの単語以外では、形容できない雰囲気だ。
白シャツに薄紫ストールを合わせ、茶色いロングスカートを身に着ける、聖女にも近い彼女の名は、知倉京司。システムギルドを統括するホムンクルスである。
「えと、こ、こんにちは、京司さん。今、時間大丈夫ですか?」
対する武は、どことなく挙動がぎこちない。
部外者であるヘルメスに取っては、どうしてこんなにも緊張しているのか? と、さぞや疑問に思うことだろう。
「ええ。問題ありませんわ。用件をどうぞ?」
「じ、実は、京司さんに検索してほしいことがあって……」
「探しものですの? でしたら、喜んで。何しろ、可愛い部下からのお願いですもの」
二人の様子を、何時になく真剣な目つきで見詰める道真に、
「さっき、武のことを励ましていたけど、何も問題はないじゃないか。優しそうな人だし、どこに怯える理由があるんだい?」
ヘルメスが小声で耳打ちする。
「ああ、このまま穏便に済めば良いんだがな」
だが、相変わらず、道真の表情も声も固い。
まるで、何時爆発するか分からない、不発弾を目の当たりにしているようだ。
「じゃあ、早速なんですけど――」
「ところで、武さん?」
京司が、天使を彷彿とさせる微笑みを武へと向けた。
武の反応は、幾分か以上に大袈裟な、全身の震えだ。
「……は、はい。何でしょうか?」
蛇というか毒龍あたりに睨まれたカエルの如く、武の体が硬直し、絞り出した声が裏返っている。
「先日は大変でしたわね。お話聞かせていただきましたわ。何でも、泥棒退治のために〝司法部〟と協力。ハッキングを駆使して、追い詰めたとか」
「お、恐れ入ります」
でもね、武さん?
相変わらず、天使の笑みだ。だが、天使には、様々な役割が存在する。
守護天使や、愛の天使など、人間に恵みをもたらすものはもちろん、天の運行を司る天使もいる。
基本的に、良好なイメージの比喩に持ち出される天使たちだが、忘れてはならない。
中には、死を司る天使もいるのだ。
「ハッキングというのは、本来いけないことなのですよ?」
「はい。ぞ、存じております。ただ、あのときは非常事態と言いますか……」
「武さん?」
三回目。やはり、笑顔の彼女の前で、武は、邪視に射貫かれたように、カタカタと震えている。
「存じているのでしたら、確信犯なのですね? いけませんわね。余り、人様に迷惑を掛けるのは、お控えにならないと。――じゃないと、ワタクシ、ちょっと怒っちゃいますわよぉ?」
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいぃ――っ!!」
一体、過去に何があったのか定かではないが、彼女が怒ったら、ちょっと何かあるようだ。
「た、たけっ……!」
「道真さんも、武さんの監督はしっかりなさってくださいね?」
「は、はいっ! 善処しますっ!!」
武と道真が、バイブレーションしている。そんな二人を眺め、ヘルメスの双眸にも戦慄と好奇が宿っていた。
この二人が過去にどんな恐怖に遭遇したのか、興味があるけれど、変に首を突っ込まない方が良いかもしれない。そんな眼差しだ。
とにかく、ヘルメスにも、二人が京司に頼りたくない理由が分かったことだろう。
「それで、探しものとはどのような?」
ここまで来ても変わらない、京司の笑み顔。
だが、邪視を解いたのかどうなのか、迫力と呼ぶべき圧力は失せていた。
まだ、固さが残った声で、
「あ、ああ。〝バハムート〟って名前の女性と、〝アルス・マグナ〟ってものの情報を、検索して欲しいんすけど……」
道真が頼む。恐怖におののく武の頭を撫で、必死のケアとしつつ。
そんな、武の様子を当然の如く無視しながら、
「承諾いたしましたわ。少々お待ちになって?」
京司が瞼を伏せる。
京司の錬金術は、他のシステムパーソン同様、脳波の変調による同期だ。
しかし、システムギルドの統括者の名に偽りはない。彼女の、通信にのみ特化した錬金術は、アクセス可能数が尋常ではないのである。
知倉京司は、全システムパーソンとの同期が可能だ。
それはイコールで、錬金領土の全情報の掌握を意味する。錬金領土内の情報は、彼女から逃げることはできない。
数秒の後に、瞳を見せた京司は、だが、困ったようにこう言った。
「名称に、間違いはありませんの?」
続けて、
「そのような人物も、アルス・マグナと呼ばれるものも、見付かりませんでしたわ」




