Do you know?
調子に乗って2作目の投稿。生暖かい目でご覧下さい。
ヴァンパイア。
人の生き血を吸って悠久の時を生きる夜の住人。吸血鬼、ドラキュラ、グールと様々な呼び名がある彼ら。十字架が弱点だ、木の杭を心臓に刺さなければ死なない、などと多くの諸説がある彼ら。
この物語は少女がヴァンパイアと出会うお話。
「はあ、今日も帰りが遅くなっちゃった」
すっかり暗くなった帰り道を少女は歩いていた。彼女、由希は吹奏楽部に所属しており、県のソロコンテストを一週間後に控えた金曜日の今日、放課後の遅くまで練習していた。中学校時代から吹いているクラリネットは、彼女にとって部活の領域を超えはじめていた。高校を卒業しても吹き続けたいと思うほどに、由希はクラリネットを吹くのが好きだった。
家への最後の曲がり角を曲がったとき、十二月の冷たい風が通りぬけ、由希はマフラーに口元をうずめた。ポニーテールにした長い髪が風に遊ばれる。曲がったその道は、細道で街灯もなくとても暗い。由希はこの道が怖く、いつも早足で歩いていた。あと数分歩けば家につくと思ったその時。
ふわり。
目の前に黒が舞いおりた。いや、それは黒いコートを着た一人の男だった。空からこつ然と降ってきた男に由希はあっけにとられる。
「え?」
口から漏れでたのは疑問の声で、その声で由希の存在に気づいたのか、男が振りかえった。
その男はとても整った容貌をしていた。ビルの隙間から射しこむ月の光に照らされて、赤に輝く瞳に、病的なまでに白い肌、冷たい風に揺らされる艶とした黒髪。おそらく、百八十センチメートルはゆうに超えているであろう長身の男が由希の前に立っていた。つらねれば、男の美しさを言い表す言葉は延々と続きそうなほど、ひどくきれいな男であった。由希の心臓がどくんと大きく脈を打ち、手足が痺れるような感覚がする。それほどの衝撃を受けるほど、男は美しかった。
たとえその顔や体が赤色の液体で汚れていたとしても、だ。
風に運ばれて、むせかえるような血の匂いがする。あまりの強烈な匂いに、由希は思わず鼻を手でおおった。なんで血だらけなのかとか、なんで上から降ってきてるのかなど、答えの見つからない疑問が頭を満たし、由希はその場から動けなかった。もっとも動けなかった理由はそれだけではないが。
「おまえ・・・・・・」
男は由希がその場にいることが予想外だったのか、その切れ長の目を微かに見開く。男のその声は程よい低音で、どこか冷たい感じのする声だった。男の声に由希ははっとし声を出そうとしたが、何を言ったらいいのか分からず結局は口を閉じてしまった。由希のその様子に男は何かを言おうとしたのか、口を開きかけたが、そのとき。
「ちっ」
「おい! 待ちやがれ、このヴァンパイア!」
男が舌打ちをしたかと思うと、バスッと何かを発射するかのような音が、暗い細道に響いた。それと同時に、目の前の男が由希をかつぎ上げ動いた。激しく揺さぶられる視界と、何かを撃ったような音、そして何よりヴァンパイアという言葉に、由希の頭はさらに混乱する。
「今度こそ逃がさねえからな」
そのセリフとともに、またもや空から人が降ってきた。実際にはビルの屋上から飛び降りているだけなのだが、常識の範疇で生きてきた由希には上から人が落ちてくるという、理解不能な光景だった。目まぐるしく変わる状況に脳が混乱する由希を、ヴァンパイアと呼ばれた男が地面へと下ろす。
新たに降ってきた男は、明るい茶色に髪を染め、黒のジャケットを着ており、その男もまたずいぶんと整った容貌だった。由希が視線を男の手元に移したとき、その手に黒光りするものを持っているのが見えた。暗い闇の中でよく見えなかったがしばらくして、それがテレビの向こう側でしか見たことがない銃だったことに気づく。そして、ようやく先ほどの発射音はその拳銃から放たれたものだと気づいた。音があまり大きくなかったことから、サプレッサーなどと呼ばれる銃声を抑えるものをつけているのだろうと思った。
つまり、由希はのんきにもそんなことを考えており、あまりの非常事態にそうやって現実逃避を始めていた。しかし、現実は待ってはくれない。
「おい女、おまえ協力者か?」
茶髪の男が結に尋ねるが、もちろん由希はその質問の意味が分からなかった。黙ったままの由希に、男は困ったような顔をすると、頭をかきむしった。
「まあ、いい。後で記憶を消せばいいだけだからな」
男はそう言うと、手に持った銃を由希の左隣に立つ赤い瞳の男に向ける。
「なあ、ヴァンパイア。辞世の句はいいか? 今なら聞いてやるぜ。このヴァンパイアハンター様がな」
「そんなもの言うとでも?」
にやりと笑う茶髪の男と対照的に、赤い瞳の男は無表情のまま言葉を発する。
「ようやくここまで追い詰めた獲物だ、逃がしてたまるかよ」
にやりと笑ったままの男が指先に力を込め、その銃の引き金を引こうとした瞬間。
「だれが捕まるものか」
赤い瞳の男はそう言うと、由希を突き飛ばす。突き飛ばされた由希は、強く壁に右半身をぶつけた。痛みに顔を歪め、手に持っていた鞄を落とす。赤い瞳の男はそんな由希に全く頓着せず、まるで瞬間移動でもしたかのように、茶髪の男の前に一瞬にして現れる。茶髪の男は小さく舌打ちをすると、袖口から小さめのナイフを取り出し、赤い瞳の男に向かって振るう。赤い瞳の男はそれを危なげなく避けると同時に相手に向かって蹴りを繰り出したが、茶髪の男はその蹴りを肘で弾いてそらす。
切りつけたり突き刺したり、蹴りを放ったり拳を振るったり、互いに一歩も引かない応酬が続く。茶髪の男が速いスピードで繰り出す刃物を、赤い瞳の男はありえない動きや跳躍で避け続ける。茶髪の男も赤い瞳の男の攻撃を弾いてはいるが、少しずつダメージが蓄積されているようであった。そうなればもちろん、所詮は人と人ならざるものの攻防。茶髪の男が数度目の蹴りを避けたとき、バランスを崩し倒れかかる。当然そのような好機を見逃すような相手ではない。赤い瞳の男は茶髪の男の手首を掴むと、捻って肘を下に向けさせると、膝でその肘を蹴りあげた。バキッというくもった音がする。痛みで顔を歪める男の首筋に手刀を叩き込むと、その場に寝かせた。
そんな彼らのやり取りを壁に寄りかかったまま、呆然と見ていた由希は、振り向き近づいてくる赤い瞳の男に気づき、壁から離れる。由希の目の前に立った男は、赤く輝く瞳で由希を見下ろす。そして、男は由希の頭に向かって手を伸ばした。男のその行動に由希はびくっと身を震わせると、言葉を発した。
「何をするの?」
男はしばらく黙っていたが、由希の頭に自身の手を当てると、答えた。
「おまえの記憶を消す」
そう言うと、由希の頭の中でザザザッとテレビの砂嵐のような音がした。もっともそう感じたのは由希だけで、実際に音がしたわけではない。その音が次第に小さくなるとともに、由希のまぶたが落ち始めた。
「巻き込んで悪かったな」
男のそんな言葉を聞きながら、由希は無意識に赤い瞳の男に向かって、手を伸ばしていた。まるで、男に追いすがるかのように。
「捕まえられるものなら、捕まえてみろ」
ブラックアウトする意識の中でそう聞こえたのは、夢か真か。
「ん・・・・・・」
再び目を覚ました由希の視界に入るのは、見慣れた自分の部屋の天井だった。ベッドの上で起き上がった由希は多機能時計を見て、日付と時間を確認した。それから立ち上がると窓際まで行き、月を見上げる。それはとてもきれいな円を描いていた。携帯を取り出すと、登録されている番号に電話をかける。
「こちらハンター協会日本支部です」
「ハンターナンバー36のユキです。先ほどブラックリストに登録されているヴァンパイア、暁セリネと遭遇。他のハンターと戦闘後、逃亡。現在の居場所は特定済み、引き続き監視を続けます」
「了解」
電話越しに聞こえるなじみ深いオペレーターの声を聞き、通話を切った。由希は窓の表面に、息をはきかけ曇らせると、夜空で輝いている月を囲むように指先で円を描く。唇のはしをつり上げて妖艶に笑った。
「逃げられるものなら逃げてみなさい」