1. O and R
ー善を求めよ、悪を求めるなー
1. O and R
そいつを逃すわけにはいかなかった。
昼間はだいぶ暖かくなったが、やはり早朝はまだ寒い。路肩に止めた車内で黒川は缶コーヒーを開ける。パキャッという高い音が響いた。
「それしにても、いいところに住んでるなあ。こいつ。」
車が止まっている場所から50mほど先にある高層マンションを見上げる。
ざっと見て、20階はあるだろう。
「まあ、被害額から見ても稼いでるんでしょう。でも、それも今日迄ですね。」
運転席に座っている吉野がにやりと笑う。天然パーマと自分で言っていた髪は
今日も元気よくうねっていた。黒川は腕時計に目をやる。7時03分。
空はだんだんと深い碧からオレンジへと
変わっていく。黒川は無線に手を伸ばした。
「何か異常は?」
「こちら、異常ありません。誰もこちらからは出ていません。」
皆瀬の澄んだ声が応答する。黒川達がマンションの表側、大通りに面した側で、
そして皆瀬と堀川が角をまがったもう一つの入り口で待機している。
隅 敦彦。このマンションの16階に住む32歳、男性。フィッシング詐欺
などのネット詐欺を行う犯行グループのリーダー。
2年前から黒川の班が追っていた男だ。
隅は、様々な小さなグループを動かし、全国規模で似たような手口の被害が
出ていた。去年の秋にその下のグループが検挙され、隅の具体的な名前が
挙がってきた。
ITを利用した犯罪は今の日本では、枚挙にいとまがない。つぶしてもつぶしても、また新しい膿が生まる。
だが、今回派手に動いていた隅のグループを捕まえれば、
その下の犯罪グループもつぶせる可能性がある。そして、何よりも黒川は隅の下の
人間を見ているのではなく、その上の人間だった。
隅のグループは、ネット詐欺のほか、セキュリティが厳重といわれている名高い
システムにどんどんハッキングをかけていた。
隅はもともとシステムエンジニアとしての経歴がある、しかしそれにしても
隅の手口は鮮やかだった。黒川の班では、かならず隅の上で入れ知恵をしている人物がいると確信していた。
そして、もしかしたらその人物は、あの犯罪組織の一員ではないか、と黒川は睨んでいた。
「黒川さん。」
黒川はふと我に返る。吉野の声には緊張感があった。吉野の視線の先には1人の男がいた。
パーカーのフードをかぶった黒髪の男が、隅のマンションから出てきた。
「隅でしょうか。」
吉野が身を乗り出す。その男は170cm程の痩せ痩せ形の男だった。
「いや、体型からして違う、それにあいつはもっと若い。」
出てきた男は、歩き方や、肌の様子から見て10代から20代前半の男だ。吉野は息をついてシートの背にもたれかかる。
「さすが、目がいいですね。黒川さん。」
「まあな。」
昨日の夜、隅は銀座で飲んで2時頃帰ってきた。隅は自宅には仕事の人間を入れないタイプ。今隅はマンションの部屋に、ひとり。
黒川は隅の知識は事前に頭にたたきこんである。大丈夫だ、いける。
黒川が再び無線を手に取る。
「よし、皆瀬、堀川。行くぞ。」
「了解しました。」
黒川の言葉に、吉野も動く。2人は車のドアを開けた。