パラサイト 第五章(最終章)
パ ラ サ イ ト
第五章(最終章)
露 見
もう隠し通せない。来るべきものが来た。
裁判所から、晃の社長(親方)のところへ特別送達で「債権差押命令」というものが届いた。
内容はかいつまんでいえば、社長が「第三債務者」ということになり、これからは差押をうけた給料・売買代金・請負代金等を「債務者」に支払うことは禁止されます。債務者に支払う代わりに「差押をした債権者に直接支払う」か、「供託」しなければなりませんよ、ということである。
これで、親戚中がパニックに陥った。
「債務者」というのは晃のことだ。晃の給料は差し押さえましたから、社長であるあなたは、これからは従業員である晃に給料を払っちゃいけません、ということになったのだからみんな飛び上がった。
いかにルーズな晃でも、まさかこんなことにまでなるとは誰も考えていなかったらしい。
社長から即、いへじょの従兄さんに連絡が入り、緊急親族会議の結果、何はともあれ晃本人をとっつかまえて、本当のところを質してみようということになったらしい。
自宅にも何度か電話がかけられたらしいけど、家計の状態が状態なだけに、ここのところ我家にかかってくる電話というのはろくな用件のものがないので、私たちはほとんど無視していた。
だけど、晃がケータイでとうとう捕まった。
例によって、叔父さんと従兄さんたちが四人、義父といっしょに我家に来るという。私は危険を察して、麻耶と緊急避難した。
その日は、間が悪いことに、水道料金の滞納がたたって、給水まで止められてしまっていたから、更に印象を悪くした。
夕飯過ぎに、みんながやって来た。
「上がらせてもらうぞ。」
いへじょの従兄さんが先頭になって、五人が入って来た。この親戚の人たちは、こんな時にも自宅で採れた野菜なんかをちゃんと持って来てくれる。最近この人たちは、私には正直煙たい存在なんだけど、この点は本当にありがたい。
「明子は?」
義父が聞いた。
「ちょっと用事があって、出かけてる…。」
「まあ、それはいいや。ところで実際のところはどうなんだ?」
いへじょの従兄さんが単刀直入に聞いた。
「どうって?」
「今みんながこうして心配しているおまえの給料差押のことだよ。」
「あー、あれですか?あれねー。実は、車のローン二ヶ月ためちゃったら、たった二ヶ月なのに、ファイナンス会社にやられちゃいましてね…。」
「やられちゃいましてねって、おまえ、また車買ったんか?何台目だ?」
「あのー、三台目です。」
その答えに、いへじょの従兄さんの顔色が変わった。
「新車をコロコロ乗り換えてばかりいやがって、おまえたち本当に何考えてんだ?」
「でも、麻耶もちょっと大きくなったんで、出かける時にはワゴン車の方が何かと便利かなと思って…。」
そんな話をしているところへ、トイレから出て来た上村の従兄さんの声が加わった。
「おーい、晃、トイレの水が出ないぞ。壊れてんのか?」
「あのー、今、す、水道止められてるんです…。」
「えー、水道までもか?」
みんなが、異口同音に呆れた声を上げた。
「じゃ、風呂はどうしてんだ?」
上村の従兄さんがすぐ聞いた。
「あのー、たまに…、文化ホールのそばのスーパー銭湯に行ってるんですけど…。」
「バカー!」
平生温厚な東京の叔父さんが、このときばかりは声を荒らげたという。
「スーパー銭湯て、あのヘルスセンターのような風呂屋のことだろ?銭湯って言ったら、オレは昔下宿していた頃の長屋風呂しか知らないけども、今のは健康ランドとかレジャー施設のようなものだから料金だってかなり高いんだろ?おまえたちいったい何考えてんだ。そんな馬鹿げたことに使う金があるんだったら、しっかり水道料金払えよ!」
みんな、呆れを通り越して二の句が継げなかったらしい。
ここまで来て、水道料金を滞納しているくらいだから、当然税金は払っていないだろうし、これはもう家計の根本から指導しなければならないだろうということになった。
そこで示された方針のおおまかなところは次のようなものである。
水道は、人の死活にかかわる問題だから、市だってやみくもに給水を止めたりはしない。支払に誠意さえ見せればすぐにでも解除してくれるから、まずは真っ先にそれをやれ。
税金にしたって、差し押さえられたからって、役所もやみくもに換価したりはない。今自由になる金がなくたって、優先順位を考えて、幾らかでも支払を進めて、誠意を見せればわかってくれる。
税金は可能な範囲で分割がいい。こうなったら恰好をつけたってしょうがない。洗いざらいぶっちゃけた話でぶつかれば役所だって相談に乗ってくれるはずだ。
ただ、うそつきはいけない。約束の不履行、特に何の連絡もなしにすっぽかすってのが一番印象を悪くする。もし納付期日になって本当に無理なら、その時に正直に担当の人に連絡して平謝りしてしまうことだ。
そもそもな、お前は同じ年代の人たちよりも、かなり多くの給料をもらってるんだから、普通の生活を人並みにしていれば、こんな馬鹿げた借金生活になるなんてことは、まずあり得ない話だろう。
車なんて走ればいいんだから、あんなものは軽で十分だ。今度こげついちまったあの車だって、ちょうどいい機会だからスパッと片付けちまえ。もし、お前たちがどうしても二台必要だって言うんなら、軽乗用と軽トラックにしたらいい。
それと根本的な考え方として、カードでものを買うってのは絶対にやめろ。お前たちみたいに経済的観念のない連中は、目で確認した現金でものを買うのが一番だ。金も持たずに何でも手に入るあのカードってのが諸悪の根源だ。おまえたちのような能天気な人間は、打ち出の小槌でも手に入れたように錯覚するからな。そんな連中はみんな、そこへ付け込まれることになる。
向こうは商売だからそれでいくらも儲けて、こげつきが出れば出たで、それを信用保証関係業界内でぐるぐる回して、絶対損をしないようにできてるんだ。
カード会社ってのは、破産人かそれに近い人間が出れば出るほど儲かるような仕組みになってるんだからまったくひどい話だ。他人の不幸で蜜を吸っているようなものじゃないか。
ここまで説得されて、晃が納得したようにションボリ言った。
「そ、そうなんです。オレ、もう信用情報機関のブラックリストに載っちまったから、カード使えなくなっちゃったんです…。」
「そうか、そりゃー良かった…。」
いへじょの従兄さんがそう言うと、晃は
「エ?」
という顔をした。
「あ、すまん。まー、良かったって言うのは語弊があるが、カードが使えなくなっちまったっていうのは、金銭的に健全な生活に戻るいいきっかけになるってことだ。ただな、カードが使えなくなっちまったからって、町金には絶対に走るなよ。町金は早い話が高利貸しだからな。とてもカードローンの金利の比じゃない。カードローンてのはあくまで健全なおもて社会の金融だが、町金はウラの極道社会の金貸しだ。おもて社会で、にっちもさっちも行かなくなっちまった連中が駆け込むアリ地獄のようなもんだぞ。」
こう言って、いへじょの従兄さんは周りの人たちを見回した。
みんなその点が一番心配になっていたことなので、それぞれがめくばせしながら一様にうなずいた。
そして、今度は東京の叔父さんがピシリと言った。
「だからな晃、もうやみくもに無駄な金は絶対使わないことだ。それと、もっと大事なのは、これが一番大事なことだけど、何か困ったことが起きたら自分たちだけで解決しようとしないで、何でも必ずオレたちに相談しろ。わかったな。」
「うん…、わかった…。」
晃は小さくなって、そう返事をした。
これで晃対策会議は一応終わったけれども、不思議なことに私のことには一切触れられなかったという。これは誰が考えたって首を傾げたくなるような疑問だった。
晃が作ったこれらの借金の原因がすべて私にあることは、もう親戚中の誰もが知っているのである。陰では、きっと「あんな女とは早く別れさせてしまった方がいい」なんて話も出たはずに違いないのだ。
この時だって、本人の私がいないのだから、そんな話が出たって何の不思議もないのに、実際には出なかった。
本当はきっと、誰もがノドまで出かかって、そのタイミングをはかっていたに違いない。
私はその理由を知っている。
晃自身が、そんな私に愛想をつかして、オレも実はそう思うと言ってしまえば、それで済んでしまう話なんだけれども、こんな状況になってさえも、晃はまだ私に頼りきっていた。私たちも、もう結婚後十年も経っているのだから、必ずしも単に晃がいまだに私に惚れこんでいるとかいうそんな単純なものではない。理屈では割り切れない何かがあって、人間的なしがらみの上から、それでも晃は私から離れることができずにいるのである。
だから、叔父さんたちは、陰ではいくら過激な意見を交わすことがあったとしても、本人がこういう状態なのだから、面と向かっては言い出せないのだろう。
晃は、一見ウラのない明るい性格のように見えながら、その実、神経には極めて細かいところがあって、過去に二度ほど心労からうつ病状態になったということを聞いたことがある。
原因はどうであれ、今この時期に本人が惚れている女房を無理に引っぱがしてしまうことによって、またその病気をぶりかえさせてしまうのは何とか避けたいという思いが、この一族には共通しているのである。
結局、私の身は安泰だった。
事 件
連日猛暑日が続いたその年の夏は、日差しが秋めいてもまだ厳しい残暑が続いていた。
夏の疲れからだろうか、義母が自宅で倒れた。
晃からケータイに連絡があったのは、麻耶を送り出し、洗濯を済ませたあと、近所のスーパーに小物を買出しに行っている時だった。義父は、我家の電話にも何回か架けて来たようだけど、つながらなかったので、晃のケータイに連絡したらしい。しかし晃は今、たまたま遠くの現場での仕事で、すぐに駆けつけることができなかった。
そこで、晃から私に連絡があったのである。私は諸般の事情から、つい最近ケータイを新機種に替えていたのだけれどもその際、電話番号もついでに変えたことを義父に教えていなかったから、こんなまだろっこしいことになった。
要領は得ないけれども、ばーちゃんの様子がおかしいようだからとにかく見に行ってくれとのことだった。
私は、とるものもとりあえず行った。
義母は、青白い顔をして、いつにも増して更にボーっと、庭の木陰でビール箱を腰掛けにして座っていた。義父は義父でその周りをあたふたしていた。どうやら、小一時間もそうしていたらしかった。
「お義母さん、どうしたの?」
私は、本人よりも義父に聞いた。
「朝飯もろくに食わないで、気持が悪いって言うんだ。そのうち、医者へ連れて行ってくれって言い出したから、たまげて、カーちゃんのとこへ、電話したっけがな…。」
カーちゃんとは私のことである。
「つながんないんで、晃に電話したらな、すぐ行ぐけども現場が遠くだから、先にアッコに行がせるって話になったんだよ。」
「話になったんだよって、お義父さん、お義母さんが医者に行きたいって、よっぽどのことよ。普通の人じゃないんだから。何でタクシー呼ばなかったの?それよりも、もし足代を浮かせるんだったら救急車呼べば良かったじゃない…。」
私は皮肉でもなく、正直に言った。
「だけどな、救急車ってのは今まで使ったことがないし、電話番号もわからんから頼まんかった。」
「電話番号がわかんないなんて、一一九番に決まってるでしょ。そんなこと言ってたってしょうがないから、とにかく行きましょ。お義母さん歩ける?」
義母は自力で立ち上がることができた。サンダル履きだったので、靴に履き替えさせようとすると、それがうまくできない様子だった。つま先をトントンすることができないようなのである。明らかにちょっと変だった。
「ねー、どこの病院へ行けばいいの?」
「あの、ホームセンターのところの医者が近くていいだろう。あそこは、昔からよろず屋だから。」
「ああ、最近建て直したあのクリニックね…。」
出費を病的に嫌うあの義母が医者に行きたいと言い出したというのだから、きっと具合はかなり悪かったに違いない。それにもかかわらず、気持ち的には十分あせっていたのだろうが、こういう時に至ってまでも人を当てにして、タクシーを呼ぶでもない、救急車を呼ぶでもないという義父の感覚には、改めて呆れてしまった。
きっと、義母自身もそんな義父を急かすでもなく、同様の認識の元に、体調は極めて悪いながらも嫁が来てくれるのをじっと待っていたに違いなかった。この人たちにとっては、病院に行くということ自体と、その交通手段とは別次元の問題なのである。
タクシーの方は、確かにそのわずかな料金を惜しんだに違いない。
それに対して救急車の方は、電話番号がわからなかったというのは或いは本当のことかも知れないけれど、昔の人の感覚で、あのサイレンを鳴らされて自宅にまで入り込まれるのは非常に外聞が悪いということなのだろう。世間一般の体裁というものに関しては、全くといっていいほど無頓着な夫婦ながら、この方面での気の使い様は並以上だった。
それは、自宅まで救急車に来られて、周辺の人にあれやこれやと詮索されるのもいやだし、もし結果的に大した病気でもなかったのに、公の救急車を使ってしまったということになりでもしては、世間様に申し訳ないとの気持も少なからずあるのだろう。
異常な出し惜しみが習性になっているこの人たちにとっては、ある意味で、救急車の使用さえもが浪費と思えるに違いなかった。義務という負担は一切忌避するにもかかわらず、日常生活の中で生じる不都合な事象は、すべて行政に負担させるのが当たり前という風潮が蔓延している今、これは美徳と言ってもいい。
都市部に限らず田舎でも、風邪や切り傷程度のケガでさえ、昼夜を問わず救急車を無料のタクシー代わりに利用する身勝手な人種が跋扈している昨今、こんな人たちもいるのかと呆れながらも私は感心した。
世の中すべての人々がせめて半分ほどでもこんな意識を持ち、謙虚になったなら、きっと救急車の無駄な走行はなくなり、病院は空き、結果的に医療関係に従事する方々の負担も軽減され、本当に急を要する人々がもっとスムーズに救われることになるに違いない。
といって、私自身そんな謙虚さを持とうとは一切思っていない。
もし、私、或いは私の家族に急を要する事態が起きたなら、それが大事であれ、小事であれ、私は即、救急車を呼ぶだろう。
あの人たちは、そんな私たち市民の要望に応えるのが仕事なのだ。あのピーポーの音の聞こえない日はない。それだけ多くの人たちが利用しているということだ。何で私たちだけ遠慮するなんて必要があるものか。
この日も、私は押取刀で駆けつけてこの老夫婦を見た瞬間、当然その場で改めて救急車を呼ぶことも考えた。
けれども、もう自分が来たんだし、義母もとりあえずは自分で歩けそうな状態だったから、このまま自分が連れて行ってしまった方が早いと判断して、義父の言う先代からの町医者で、今はクリニックとの看板がかかっている医院へ連れて行くことにした。
義母は自力で私の車に乗ることはできたけれども、降りる時は足元がいくらかおぼつかなくなっていた。待合室に入ってからは、もしものことを考えて車椅子を借りた。
ちょうどそこへ晃が神妙な面持ちで入って来た。家を出る前、行き先だけは大急ぎで伝えてあったのである。
一般外来での受診だったけれど容態の悪化が懸念され、先生はすぐに診てくれた。私たち三人も診察に立ち会った。その時の義母は、今日私が初めて見た時とは明らかに様子が違っていた。
すでに自力で立つことはできない様子で、全体的に力が抜けてしまったかのように見えた。先生が問診しながら身体の動きを見ようとした時には、鉛筆のようなものでさえ持つことができないような状態になっていた。
痛みとかの苦痛は感じていないようだったけれど、顔は無表情で言葉で何かを訴えることもできないようだった。
素人の私たちにさえ刻一刻と様態の悪化していく様子がわかるような患者を前にして、先生は終始難しい顔をしていた。すでに義母が、寸刻を争う患者であることは明らかだった。
もう設備的にも医術的にも町医者で対応可能なレベルではなかったのだろう。先生は、躊躇なく判断した。
「お母様は、極めて重篤な状態です。見る限りでは脳梗塞の疑いがありますが、はっきりしたことは申し上げられません。大至急転院の手続をとって、集中治療を受けて戴きます。」
今度は本来の意味での救急車が手配され、義母は酸素マスクのようなものをかぶせられ、ストレッチャーという寝台車のようなものごと車に乗せられた。身内からは晃が一人だけ、救急車内の後部席に同乗した。
義父と私は、私の車で追いかけた。追いかけたとは言っても、当然先方は赤信号でもノンストップだから、すぐに離されてしまった。
義母が運ばれた病院というのは、この辺界隈では、規模の大きさといい権威といい、何でも一番の病院だった。義母は、そこの集中治療室に入れられた。今度は家族だからといって、同席するわけにはいかない。待合室で待たされた。
どれほどの時間が経ったろう。こんな時の時間は異様に長く感じられるものだ。無言のまま、そこにいる人それぞれが、時に壁にかけてある時計と自分の時計とを何度も見比べていた。
平生は、どうもどこかのネジが一本ゆるんでいるかのように見えるこの父子の真剣な面差しが、他人の私には不思議なくらいにおかしかった。私が見るだけでなく、世間一般の人々すべてがそう認識しているであろう、とりたてて世の中に何ら貢献するでもない、変わり者で偏屈なあの義母も、この人たちにとっては、かけがえのない母であり、妻なのだ。
重苦しい時間が流れ、やっと緊急の集中治療が終わった。
私たちが再会した義母は幸いにして命は取り留めたけれど、これがちょっと前までは仮にも自分の足で歩いていた人なのだろうかと思うほどに変わり果てていた。
顔にはいく種類もの管がつながれ、いわばマカロニ人間と化した義母を見て、皆息を呑んだ。
アクシデント
この事態は、晃や義父が衝撃を受けたのとは別の次元で、私にとってもまったく想定外のアクシデントだった。
この日のこの事件でも、私はこれまでどおり晃の妻を演じ、尾野家の嫁として振舞っていたけれど、それは世間一般に対しての表向きの建前で、実は他人であった。それは、単に血縁的関係においてということだけではない。戸籍の上においてもそうだったのである。
晃の両親にしてみれば知るよしもないことだけれども、当事者である晃は当然承知の上でのことであった。こんな大事件に際しても何の違和感もなく、私に全幅の信頼を置いている晃とその父親が妙に滑稽に見えたけれども、その時私たち夫婦は既に協議離婚していた。
私は、晃との十年間の結婚生活で、可能な限りの金銭的及び物質的なうま味はすべて搾り尽くしていた。あれほどあった晃の蓄えはもうかなり以前に底をついていた。普通ならどう考えても間尺に合わないことに思えるのだけれども、それでも晃は不平も言わず私に着いてきた。
これほどまで、晃には金銭欲というものが希薄であるということを私は今更ながら信じられなかった。
晃は、お金がなくなっても、私とこれまでどおり夫婦という二人の関係が続けられることを願い、そしてそれは永久に続くものと考えている風であった。私に対して、不満や不安をとりたてて訴えることもなかった。私も一応はその期待に応え、仮面ながら夫婦をこれまで気取っていたけれど、ことここに至っては、既に私にとって晃といっしょに暮らすメリットはない。
確かに、まだ晃は同年輩の人たちと比べれば、かなり高額な給料を月々得ていたけれど、それには既に縛りがついていた。借金で首が回らなくなっていた我家の家計は、そんな給料ではとても追いつかなくなってしまっていた。
私は、税金の滞納、公共料金の滞納、諸々の借金から、夫婦としての連帯債務を負わされることを危惧した。
いくら夫婦間の問題であっても、法律的には、連れ合いの借金まで負わなければならないという義務はないらしい。
そんなたいへんありがたい話を聞いたことがあるけれども、晃名義の負債は早い話、すべて私が作ったようなものだ。だからそうとは割り切っても、私には少なからず負い目がある。
かといって、その責めを負わされるのはかなわない。
私は晃に提案した。
「ねえ、何だかこの頃大分家計が苦しくなってきちゃったね…。もしものことを考えたらリスクを分散しておいた方がいいかもね。」
「何だ?そのリスクの分散て…。」
「夫婦って、一心同体、運命共同体でしょ。もしどちらかが、借金の回収で責められたりしたら、両方共沈没してしまうわけでしょ。だから、最悪のケースを考えて、それだけは何とか避ける方法はないかしらと思ってね…。」
「そんなうまい方法なんてのが、実際あるのか?」
「ウン、私も実はよくわかんないんだけどさ。もし、私たちが本当の夫婦でなかったらどうなんだろうね、なんて思ってね。」
「どうなんだろうねって、オレたち本当の夫婦だよな。子供だってちゃんといるし…。」
「そうね…。でもね、だったら、偽装って手があるんじゃない?」
「偽装?」
「そう、偽装…。」
「なんか、あんまりいい響きじゃないよな、偽装って。何かあんまり良くない意味で、ニュースになったりするじゃん…。」
「そう、ニュースなんかで時々大騒ぎするアレ…。でもね、あれは本当に偽装するから、ばれたら大騒ぎになるわけでしょ…。」
そう言う私の方を向いて、晃は見るからに不安そうな表情をした。
「だったら、オレたちだって、ばれたら元も子もないじゃないか。」
「それが、あるの。」
「どうも、アッコ言ってること、よくわかんないよな…。」
「だからそのために、はっきり言うけど、私たち離婚しちゃうわけよ。」
「離婚?」
私は一瞬、晃の顔がサッと蒼ざめたような印象を受けた。
「そう、離婚。でもね、離婚って言ってもね、生活は今までとまったく変わらないの。だって、パパと私が本当に離婚するわけないでしょ。そんなことになったら、麻耶はどうするの?」
「ウン…。」
「でしょ。だから、法律上、っていうよりも戸籍上って言った方がいいのかな。要するに役所に、その…離婚届を出してしまうわけよ…。」
「わけよって、そんなことできるのか?」
「そう、そんなのは簡単、書類だけだもん。それで安心よ。そうしておけば、もし、仮に相手から私たちが夫婦であるってことを前提に返済を求められたとしたって、私たちは戸籍上は他人なんだから、そんな要求に応じる必要なんて少しもないでしょ。でもこれは、偽装でもなんでもない、本当のことよ。だから、私たちの場合、偽装って言葉は変よね。違法なことをするってわけじゃないんだもん。これで、どちらかが無事ならこれからも何とかやっていけるでしょ…。」
不得要領ながらも、晃は判を押した。
これで、おもて向きは叔父さんたちがかねてから秘かに望んでいた方向に問題は展開したことになるはずだけれど、叔父さんたちにすればあまりにも遅きに失したという思いだろう。しかもその実態といえば、叔父さんたちが考えていた筋書きとはまったく逆の展開でしかなかったのだから。
何はともあれ私にすれば、離婚届は正式に出したけれども、日々の生活は何ら変わることなく、とりあえずは今までとまったく同じ内容が繰り返されるはずだった。
ところが、そんな生活が始まってまもなく、このたびのアクシデントは突如起きた。
私は完全に目測を誤った。
迷 走
お金のない晃には、正直私は何の魅力も興味もない。
ただ晃の場合、微妙なところに含み資産というものがあった。要は晃の家の当主である義母の不動産並びに義父の預貯金である。期日不定の将来、それらがいずれ晃のもとに転がり込むであろうことは、既定の事実であった。当然私は、それに少なからず期待した。
そして当初は、晃の蓄えをうまく運用して、その不確定の将来に備えるつもりでいたけれど、そのつなぎに失敗して今の憂き目を見た。
まちがいなく晃が受け取るであろう両親の遺産は確かに魅力的だけれど、それがいつになるのか不確定では、私の将来の青写真は描けない。近未来であることが確実であるなら、目下の経済的不自由さも何とかやり繰りできると思う。でもこれが十年先、二十年先ともはっきりわからないようであれば、皆目目算が立たない。
ほんの今しがたまで、両親の年齢と目下の健康状態から推測するなら、その幸運が現実化するのは、少なくとも二十年は先のことと思えた。客観的に見てもそれは極めて妥当であった。
晃の蓄えが、それまでのつなぎになってくれればそれほど結構なことはないのだけれども、私たちの昨今の懐具合から見て、どう考えてもとうてい追いつかない段階まで来てしまったということを、私は改めて認識せざるを得なかった。
はっきり言って、晃は私の道具なのである。これまでの十年間、晃は私のために本当に尽くしてくれた。そして将来、もう一度その恩恵を受けられるであろうことは確かなことであるけれども、それまでの空白が不安定に長いのであれば、その魅力は逓減する。
晃とは、金銭的・物的だけの関係でつながっていたに過ぎない。あんな人間的魅力も何もない男とこれ以上借金だらけの生活を続けて行くのは、私には到底堪えられない。私は、これからの無味乾燥な二十数年間の苦痛と、その後に得られるであろうかなりの財産とを秤にかけてみて、マイナス面の方が明らかに大きいであろうとの見込みの元に、見切り発車的に晃との離婚を選択したのである。
しかし、九分九厘狂うはずのない私の見込みと現実は合致しなかった。絶対にあり得ないと思われた現実の流れの方がはるかに速く巡って来た。
意外に、義母からのプレゼントは大幅に早まるかも知れない。
私は判断を誤った。
しかし、その見込みもまた、はずれた。
一命は取り留めたものの、そう長くは持つまいと思われた義母の生命力は思いのほか強靭だった。四肢麻痺とはなってしまったけれど、意識ははっきりしていることがわかった。
最終的には「脳幹梗塞」と診断された。脳梗塞の一種ではあるが、中でも最も肝心な運動機能をつかさどる脳の中枢、いわば幹となる部分をやられてしまったために、このような状態になってしまったのだという。
ただ、目と耳の働きは一切衰えてはいないということで、外部からの情報はこれまでどおり、本人には入っており、理解されているらしかった。しかし、それに対する反応を表現する手段がないために、一見植物人間的状態に見えるらしかった。
先生は、ロックトイン症候群の一種などとむつかしいことを言っていた。
たとえて言うなら、何かの拍子に一人密閉されたマジックミラーのようなもので作られた箱に閉じ込められてしまい、外の様子はすべて見聞きして理解することはできるものの、自分の意思を外部に伝える手段を一切取り上げられてしまったために、外部とのコミュニケーションがまったくの一方通行となってしまったような状態とでもいうのだろう。
残念ながら、現代医学では梗塞によって死滅してしまった部分を回復させることは不可能だという。早期の癌などのように、手術をして患部を除去してしまえば治るなどというレベルのものではないらしい。
ただ、生命力というのは不思議なもので、身体の一部が欠損すると、類似の他の部分がその欠けた部分を補って助けようとする能力が働くのだという。
そのことによってどの程度の回復が見られるかは分からない。場合によったらとんでもない奇跡が起こるかも知れないし、逆に人によってはほとんどそのような回復は見られないかも知れない。先生からは、回復の度合は確約できないが、今後は長い目でみながら、投薬とリハビリを続ける以外に治療方法はないとの説明を受けた。
確かに、一般病棟に移ってからの義母は徐々に回復の兆しを見せた。首だけは動かすことができるようになり、日が経つに連れて、話しかけると目でものを言いたげな表情をするようにもなった。
しかし、ものを口に入れて飲み込む力、それは嚥下能力とかいうらしいんだけれど、その回復はまず無理らしかった。水分でさえ無理に口から摂ろうとすると、へたをすると気管へと入ってしまって、誤嚥性の肺炎を引き起こす恐れがあり、命にかかわるということだった。
義母はしばらくの間、点滴や鼻からのチューブで栄養を摂っていたけれど、先生は安全性を考えて、管を直接胃につなぐ「胃瘻」を施術する方が好ましいと判断して、家族の承諾を求めた。生きていても口からものを食べられないなんて、人生においてこんな淋しいことはないような気がする。でも、他に方法がないのなら、先生に従うしかなかった。
義母本人にも隠さずに事態を説明したところ、目をしっかりとパチリとさせ、かすかにうなずいた。やっぱり、こちらの言うことははっきり理解できているのだ。私たちは、改めてそのことを認識した。
栄養摂取を胃瘻に頼ることになった結果、義母の顔からは一切の管が除かれ、義母は二ヶ月ぶりに、マカロニ人間から普通の人間に戻ることができた。命の危険の境目の大障害を乗り越えた安堵感でもあるのだろうか、また、顔のチューブのうっとうしさを取り除かれた解放感でもあるのだろうか、義母はこれまで丈夫だった頃よりも、却ってその表情が、晴々とすっきりしたように見えた。
私は、義母がマカロニ人間に化した時正直、晃との復縁を考えた。
Xデーが間近ならば、しばらくはこれまでと同様に過ごして、時期を見計らって籍を戻してもいいと思った。私がその気になりさえすれば、晃は同意するに違いないと踏んでいた。
しかし、義母は思いのほかの回復力を見せた。もちろん、以前の状態に戻ることは百パーセント無理だろうけれども、あの状態なら、このままの生活がこれから何年先まで続くのか皆目分からない。先生もその点については、今後別の病気の発症でもない限り、今回の発病によって、寿命が短くなるとはまず考えられないと言っていた。
Xデーは、これで当初と同じように見込みがまったくつかなくなってしまった。
それどころか、現代医学では義母に対する今後の積極的治療法がない以上、この家族はこれからこの義母の世話をどのようにみるのだろうかと、極めて現実的な問題に直面した。
義母が倒れて以来、これまでは突発的パニック状態から、本人も家族もそれなりに全力疾走して来たようなものだけれども、小康状態を迎えた今、冷静になればなるほどそれは切実な問題であった。物事の判断能力に欠け、異常に出費を惜しむこの家族は、もしかしたら今後、嫁である私にその負担を求めるかも知れない。
冗談ではない。私は、もう尾野家には籍もないのだ。そんな美談のヒロインになるつもりは毛頭ない。
展 開
その後しばらくして、念のため腫瘍等の疑いがないか検査をして、陰性の診断が下された時点で、義母は退院となった。
退院とはいっても積極的退院ではない。いわば強制的転院である。
義母が運び込まれたような大手の病院では、手術とか特別の治療とかを要する患者でない限り、長く入院していることはできない。
世間には、緊急を要する重篤患者予備軍が常に大勢待機しているからである。加療の結果小康状態に至れば、今後はそれらを専門に扱ってくれる病院とか施設とかにアフターケアをお願いすることになる。
義母の場合は、例によって、親戚の従兄さんや叔父さんたちが気を揉んでくれて、ひとまず、義母のような患者や身寄りのないお年寄りたちばかりが入院しているという老人病院で受け入れてもらうことができた。
転院後、私はその病院には一度も行ってはいない。
義母は、わずかずつではあるが、次第に好い方に向かっているらしかった。依然として手足はまったく動かすことができない状態ではあるものの、かすかに言葉は発せられるようになったという。
何かを話そうという意思は以前からあったから、大きな進歩だ。発声がうまくできないために時間はかかるけれども、今では慣れれば表情とともに、その内容を読み取ることができるようになったらしい。
転院するまでは、痰を切ることさえ自分では困難な状態で、定期的に看護師さんに機械による吸引をお願いしていたけれど、それも不要になったという。
最近では、プリンやヨーグルトのようなものなら、口から食べることができるようになったともいう。もちろん、これは看護師さんやヘルパーさんに食べさせてもらうのだけれども。
胃瘻によって、栄養士の先生が計算してくれたカロリーは十分摂取できているはずだけれど、口からものを食べられるというのは、当人にとっては非常な楽しみであり、励みにもなるので、それは心身ともにかなり効果的なリハビリになるのだという。
晃は、毎日仕事の帰りに母親のところに寄って来た。耳にする限りでは、徐々にではあるものの、義母が好転していることは私にもわかった。
それならば晃自身もそれに従って、表情ももっと明るくなって当然と思うのだけれども、時を経るにつれて、逆に晃は口数も少なくなり次第に沈んでいった。客観的に見るならば、義母は一旦は生死の境をさまよったわけだから、仮にも命を取り留めることができて、しかもわずかでも好い方に向かっているとするならば、本人も家族も少なからず満足して然るべきと思う。
だからこそ、見舞いに訪れてくれる親戚や近隣の人たちは、こんな病気になってしまったことは本当に気の毒だけれどもと言いながら、それでもいくらかでも好い方に向かっていることの方を大きく見て、でも良かったですねと言って下さるのである。
しかし息子の晃には、丈夫だった頃との比較から、今現在の母親の実態を受け入れることができず、悲観的になっているような様子だった。晃には、母親が倒れた時の衝撃よりも、母親が胃瘻となって、口からものを食べることができなくなってしまった時のショックの方が大きかったようだ。
あの時は、「母ちゃんは、口からもう何も食えなくなっちまったのか…。」と陰で涙を流していたらしい。第三者的には好転しているはずの義母も、晃にとっては本来の自分の母親とは隔絶した受け入れがたい存在なのである。
それは、晃の人一倍やさしい心根に起因するものであるとともに、四十歳を過ぎても抜け切らない幼児性とも言えた。だから、徐々に好転しているはず義母の症状も、晃にとっては決して元には戻り得ない母親の苦難の裏返しでしかないのである。
決 別
私は、それまで別段気に留めもしなかった、晃が以前、うつ病状態になって仕事を休んだことがあるという話を思い出した。
建築中の建物の屋根から落ちて、腰を痛めた時、発症したらしかった。
その時は、しばらく休養して、外見上肉体的痛みはなくなっただろうと見える時期に至っても、家の中に引きこもったままなおしばらくの間、外に出ることはなかったという。
晃は、一人前の大人としてものごとを考えることができない反面、天真爛漫で子供のようなやさしい気性の持ち主なのだけれど、外へ向けてのそのやさしさが、時には逆に自分自身に向けられる厳しさにつながるようだった。晃はひょんなときに、端から見れば、別段何でもないように思えることで自分を責めることがあるらしかった。
私にはむつかしいことはわからないけれども、そんな性格の人がうつ病になるのだと聞いた。
今回の義母の発病についても、晃に何の責任があるわけでもないのに、当人はそのことで自分をさいなんでいるらしかった。
母親が倒れた時、今の仕事の現場があんなに遠くなければもっと早く駆けつけることができたのにとか、町医者になんかに行かずに最初から大病院に直接行っていればこんなに悪化しなかったのではないかとか、何の益にもならない「たら・れば」の仮定で自分を責めているようだった。
私が思うに、今回の義母のようなケースは突発的な交通事故と同じで、いくら細心の注意を払っていたとしたって、たぶん防ぐことはできなかった違いない。こんな現代医学でもどうにもならない病気に襲われるなんてのは、きっと宝くじの確率のようなものなのだろう。
一旦発病してしまったら、発病したその時と場所、その時間的タイミング、或いは運ばれた病院、そして更には担当してくれた先生とか、偶然による諸々の数限りない要素がからみあって、そのうちの三分の一が運良く助かり、もう三分の一は幸か不幸か義母のように重病人として生き残ることになり、残りの三分の一はいつかの青山の従兄さんのようにあっけなく死んでしまうのだろう。
そう割り切るしかない。
しかし、晃はこの理屈で現実を直視することができなかった。
私は、カウントダウンが開始されてから、これまでいつ晃と尾野家に見切りをつけるか、タイミングを計っていたけれども、いよいよこの時をもって絶縁することに決めた。
日も短くなったある寒い日の夕方、麻耶といっしょにお使いから帰ってみると、晃がいるはずの家は、灯もなく真っ暗だった。
「あら、パパいたの?電気くらい点ければいいじゃない。」
晃は、外界からすべてを遮断されてしまった空間にポツンと置かれたようなソファの長いすの上で、両膝を抱えてうずくまっていた。
私は電灯を点けた。部屋が明るくなると、晃はまぶしそうに目を細めながら、ゆっくりと顔を上げた。私は、その表情の生気のなさにぞっとした。一瞬息を呑んだが、これですべてが吹っ切れた。
私は、そんな晃に向かって鬼のような言葉を吐いた。
「ねえパパ、私たちこれで終わりにしよ。私、今これから、麻耶といっしょにここを出て行くから…。」
「…」
晃にすれば辛うじてすがっていた命綱の留め金をはずされたようのものだ。落ち行く奈落の底は、暗くて更に深い。
それでも晃は、表情を変えなかった。
私は今買って来たものをしまい、麻耶を階下に待たせ、既に荷造ろいしてあった旅行バックを二階に取りに上がった。
数分後に階下に降りた時も晃の姿勢は元のままだった。置物のように動かなかった。麻耶と二人きりになっても、我が子に特に話しかけるような様子さえなかった。麻耶は麻耶で、おびえたように父親を見つめているだけだった。
「麻耶は連れて行くけど、これからの養育費はお願いね。」
私は更に容赦ないことばを浴びせた。
晃は相変わらず無言のままだった。
「あ、夕飯なら冷蔵庫にあるものをチンして食べて…。さっき買ってきたから…。」
私は、バッグに入れたはずの私名義の通帳を改めて確認し、麻耶を促して部屋を出た。麻耶は不安そうに何度も父親の方を振り返った。
玄関のドアを開けると、それを待っていたかのように、今年一番の木枯らしが舞い込んで来た。私は、思わず襟元を押さえ首をすくめた。麻耶はと見ると、突然の冷たい風に目を細め、無言のまま私の方に不安そうな顔を向けた。
蜘蛛の糸
私のような女はめったにいないだろう。まじめで、人が好いばかりの可惜有為な青年の一生を食い物にしたのだ。
今までそんなこと何も意識もせずに生きてきたけど、私はそう、丙午の女。
晃が、表向き失ったのは十年である。それが短いものなのか、長いものなのかは、彼自身の思いの中に占める位置と容量で決まる。
昆虫などが成長のたびに脱皮するように、あの男も次のステップのためにスパッと過去を捨て去ることができるのなら、新たな一歩を踏み出すことも可能かも知れない。考えようによっては、まだ先は十分長いのだ。
しかし、晃にはそれができないだろう。この失われた十年であの男は、きっと残りの人生をも棒に振るに違いない。結果的にこんな状態を引き起こしてしまったことは非常な罪だ。私は罪深い女だと自分ながらに思う。
でも、私はいやな女だけれども、法律に反するような行為は一切していない。
女の武器を使って巧妙な手練手管で人の好い初心な男から、虎の子の蓄えを巻き上げてしまうなんていう結婚詐欺事件が、時にテレビやラジオ、新聞紙上を賑わすことがあるけれども、私はそんな犯罪者とは絶対に違う。
正真正銘の恋愛もし、正式に結婚もし、子供までもうけた。晃だって、それ相応にこの十年間で、人並みの結婚生活を楽しんだに違いない。
また時に、世間には人としての最も自然でまた最も根本的な家族愛を逆手に虚を衝き、子や孫を思うお年寄りのその掛け値なしに崇高な情を踏みにじって、一瞬の内にとんでもない大金を巻き上げてしまう巧妙な詐欺師もいるけれど、私はそんな人間のクズともわけが違う。
世間一般では、詐欺は相手のスキを見つけてだますという行為だから、そもそもだまされる方も悪いんじゃないのと、殺人なんかの凶悪犯罪よりも軽い犯罪と見なされる傾向がある。
確かに、欲をかいて投資話に引っかかるなんてのは、だまされる方も相等しているから世間が冷たいのも当然といえる。
だけど同じ詐欺でも、無防備な弱者の真心を食い物にするような行為は絶対に許せない。私は場合によったら、殺人なんかよりももっと重い罰があってもいいんじゃないかと思う。
殺人などという究極の犯罪に至るまでには、それなりの怨みとか憎しみとかが複雑に錯綜した心の葛藤が当事者の内面に潜んでいるはずである。通り魔殺人とか、逆恨みによる殺人とかは論外だけれども、長い間胸をかきむしるように苦しみ悩みぬいた挙句に至った殺人と比較したら、ゲーム感覚で人の財産だけでなく心まで奪ってしまう詐欺の方が私ははるかに罪深いと思う。
裁判でどんな判決が下されようと、そんな鬼畜は地獄に落ちればいい。私は悪女には違いないけれど、そんな人間のクズ共とは絶対に違う。
と、自分では思いたい。だけど、世間の人たちは、私のことをどう見るだろうか。
やっぱり、私も地獄に堕ちるのかな。あんなけがれのない純真無垢の子供のような男の一生を台無しにしてしまったのだもの。
人によったら、私が絶対に許せないと義憤している極悪詐欺師の方が、一瞬でことを運んでしまう分だけ、私よりもまだ罪が軽いと弁護するかも知れない。
もう覚悟はしているけど、地獄って、やっぱりすごい世界なんだろうな…。
針の山、血の海、身を焼く火炎、色彩といえば闇に薄明かりが差し込むだけのほとんど黒一色の濃淡だけの世界。わずかに他に色を求めるとするなら、火炎の紅と血の色の赤だけに違いない。
間断なく漂ってくるのは常に嘔吐をもよおすような腐臭。聞こえるものものといえば、苦痛に耐えかねた罪人達の果てしない断末魔の叫び。そして絶え間ざる飢餓…。
だったら、天国の方はどんなんだろう?
きっと、年がら年中春のような陽気で、日差しは毎日穏やかに降り注ぎ、地上にはいつも明るい花々が咲き乱れているのだろう。色彩的には、私は特に黄色い花のじゅうたんが延々と広がっているような気がする。
上を見上げてみれば、木の上には桃のように上品で甘美な果実が、絶え間なくみのっているのかも知れない。そして池の中にポッカリ咲いた大きな蓮の花からは、いつもかぐわしい香がほのかに漂ってくるに違いない。
そこに住む人々は心身ともに一切の苦痛から解放され、決して飢えることもなく、常にゆったりとした時間が続くのだろう。終わりのない時間が永遠に…。
私はしばらくの間、車のハンドルを握りながら、こんなとりとめのないことをボーっと考えていたらしい。意識は、半分うわの空だった。
「ママ…」
と言う娘麻耶の声に、ハッと我に返り、そんな自分に驚いた。
「え?」
「ママ…」
麻耶の声は、小さく心細げだった。
一瞬の間、空白のような沈黙があった。
そして、また麻耶が言った。
「…ママ…、パパは?」
思いもかけない麻耶の声に、私は意識が戻るまでにやや時を要した。私は気を落ち着かせてから、道路幅に余裕を見つけて車を止めた。
ルームランプを点けて、麻耶の顔を覗き込んでみると、その目には今にもこぼれ落ちそうな涙がふるえていた。
私は、鋭い針のようなもので心臓を突き刺されたような衝撃を感じた。
私は昏々と眠り続けながら見ていた茫漠とした夢から一瞬にしてうつつに戻ったかのような錯覚をおぼえた。
私と目が合った瞬間、麻耶は大きく見開いた目をいったん強くつぶったかと思うと、改めて大きく見開いて私の顔を見つめ直した。両の目じりからはすーっと、二粒の涙が大きく流れ落ちた。
私は今まで娘麻耶を単なる自分の所有物としてしか意識していなかった。
現に、麻耶はこれまで常に私の言動に圧伏され、私に自分の意思を訴えることは一切なかった。
いつも怯えたように私の顔色をうかがい、何をするときにも、わずらわしいほどに「ママ、これやってもいい?」と必ず聞いてきた。
それが、今日の麻耶は違った。
麻耶は、これまで子供ながらもずっと抱き、感じ続けて来たことを私に、表情で一気に訴えかけたようだった。具体的な言葉はなかったけれど、普段は冷血を自認している私にもそれがはっきり認識できた。
私は思わず、麻耶をその小さな身体が壊れてしまうのではないかと思えるほどに力いっぱい抱きしめた。ほおずりもした。それがその時、我娘麻耶に対してできる私の唯一の詫びと愛情の表現であったのかも知れない。
私は、それまで愛という表現の方法を一切知らなかった。だから、その時できることを、思わず感情の赴くままに精一杯した。
閉じた私の目からは、とめどもなく涙があふれ出た。改めて、私はふるえる両の手で麻耶の両肩を支え、その顔をしっかりと見つめようとした。
その時の私は、きっと滑稽なほど泣き笑いのような表情になっていたに違いない。
「…やっぱり…、パパのところへ、帰ろうか…?」
苦悶を吹っ切るようにして右手の甲で涙をぬぐい、途切れ途切れに私がやっとのことでそう言うと、麻耶は安心したように笑みを浮かべながら、コクリとうなずいた。