第三話
「おーい! 待て! 待つんじゃ!」
海のように広く、獅子の鬣のように豊かな草原。そこに入ろうとした瞬間、レドを呼び止める声が耳に届く。
後ろを振り向くと、そこには白髪の混じった初老の男性が手を振っていた。皺があるものの、堀が深く整った顔立ちは若い頃は相当の美丈夫だったと想像させる。医者のようなしわのない白衣を着こなし、早足でレドに歩み寄る。
「なんだ?」
「なんだ? ――ではない。この看板が見えんのか?」
初老の男が指差した先に視線を向けるとそこには、一つの看板が立っていた。
「害獣注意って書いてあるな」
書かれてある文字を読み上げるレド。
「なんだ。文字が読めるんじゃないか。こんな時間にこんな場所にいるからてっきりスクールに通っていない者かと思ったぞ?」
「で、これが何?」
「何ではない。ここは野生のアムモンの出現場所という注意書きじゃ。そんなことも知らんのか。このままのこのこ入ったら怪我だけではすまんのじゃぞ?」
そのまま入ろうとする。
「だから入るなっちゅうに!」
仕方がなくレドはまた老人に視線を戻した。
「全く、最近の若い者は……」
「しかし俺はこの先に行きたいんだが」
「そうなのか? しかしアムモンもなしに野生のアムモン出現地帯に入るのは危険じゃ。……よし、わしについてきなさい」
そう言うと老人はレドの手を掴む。
「……おい。何をする?」
「いいから言うとおりにせんか。わしが特別にいいものをやろうというのじゃ」
そういうとレドを引っ張るように老人は歩き出す。
年のわりに意外と力が強いな。
そう思いながらレドは口を開く。
「あんた何者なんだ?」
「わしか?わしの名はルルキド・ノウェイン。ただの一学者だ」
ルルキド・ノウェイン。
その名前には聞き覚えがあった。
「ルルキド? まさかアムモン研究の第一人者の?」
「おお、知っておったか」
知っているも何も歴史に残る有名人だった。
少なくともシフォン学園の生徒なら知らぬものは皆無だし、アムモントレーナー、もしくはアムモン使いを目指すものなら必ず授業で彼の著書を読むこととなる。
そんな有名人が自分を連れていったいどうしようというのか。
「おぬしの名はなんというんじゃ」
「レドだ」
「下は?」
「……クリーア」
「ん? クリーア? はてどこかで聞き覚えがあるような……」
思案するルルキド博士をよそにレドは話題をそらそうとする。
「それよりどこまで連れて行く気だよ?」
「慌てるな。もうすぐじゃ」
雑多の中、白衣を着た老人が十五の少年を手を引いて歩く姿は意外と目立つ。はたからはどう見られているだろうか。
「さあ、ついたぞわしの研究所の一つじゃ」
そこはこのルクンシティの名所でもあるアムモン研究所だった。
「ここってルルキド博士の研究所だったのか?」
レドは驚きを隠せない。
「普段は滅多に戻ってこないがな。――元々、ルクンシティはわしが生まれた町じゃよ」
そういえば学園の授業でそう教師が言っていたな。
今更思い出したようにレドはルルキド博士を横目で見る。
「さあ、中に入りたまえ」
ドアノブに手をかけて扉を開けるルルキド博士。促されるまま、研究所に足を踏み入れた。そして立ち止まる。
「あ、知らないおじさんについていっちゃ駄目だってママに教わったんだった」
「園児かお前は!?さっさと入れや!」
後ろから背中を押され、半ば強引に招待される。
まあ、初めて会ったとはいえ、知らない相手ではないからいいか。
中に入ると、二人の若い研究員がいた。一人の男はせわしなくパソコンのキーを叩いている。もう一人はおそらく、アムモンに関するであろう本をたくさん積んで持ち運んでいた。机の上にはたくさんのアムモンに関する本と資料が乱雑されている。
と。一人の無精ひげを生やした男が顔を上げる。
「ああ博士、おかえりなさい。――お客さんですか?」
「ただいま戻った。ああ、ちょっとそこで知り合ってな」
「へえ……。お名前は?」
「レドだ」
「こりゃ。敬語を使わんか」
「です」
「……変わった少年ですね」
「よく言われるぜ」
「いばるなや」
すかさずつっこむルルキド博士はテレビとは印象が違って見えた。促されるように机に座る。
「粗茶ですが」
そう言ってもう一人の女性研究員は湯飲みをレドの前のテーブルに置く。
「あ、どうも」
熱いお茶を一口喉に通す。食道を通り、胃に入った熱湯はいくらか体温を上昇させた。
「で、いいものっていうのはアムモン避けの鈴か?」
「そんなちっぽけなものじゃないわ。これじゃ」
ルルキド博士はそういうと大型のトランクを三つ取り出した。
大幅に設定変更。文章修正しました。