part4 悲劇の騎士と希望の姫君
「本当に、いいんですか?」
竜の国チャロアイトにある港にて、潮風に髪を揺らすエリスは、傍らにいるカヌエに問い掛ける。
「それはこちらのセリフですよォ」薄汚いマントで全身を覆うカヌエは水平線から目を離し、エリスを見る。「……あの場にいたら、ノワールはともかく、ヴェルデアスル殺しの犯人もワタクシだと言いくるめられかねません。元より、ワタクシ並にクスリを呑んだ者なんてそうそういませんし、ワタクシ程強化されていなければ成竜を殺すことは不可能です。ノワールの死体が存在する時点で、ワタクシは容疑者の一人に名を連ねているのですよ。それに対して」
一旦きょろきょろと辺りを見回してからカヌエは話を続ける。
「エリィス、アナタは無罪ではありませんか。逃げる必要はないのですから、着いてくる必要はないのですよォ。カヌエは死んだとか適当に言っておけば怪しまれないでしょうし」
「……残るのも、つらいですから」
カヌエと同じ薄汚いマントで全身を覆ったエリスは悲しく笑む。返す言葉もないカヌエは、困ったように口角を吊り上げながらエリスから目を逸らす。と、そこに目に入ったのは黒髪の男。男はそれほど大きくない船に乗ったり降りたりを繰り返している。見たところ、あの髪の色からしてチャロアイト、そしてインジェリットの者ではないことは確かだ。潮風に髪がなびいてちらりと見えた耳も尖ってはいなかった。引き寄せられるようにカヌエは男に歩み寄る。
「失礼、そこの緑の黒髪の方」
男は振り返る。ショートカットの黒髪に赤いドレスシャツ、白いズボンは裾がブーツに入れられ、黒いロングコートを羽織っている。まだ着慣れていない雰囲気がある。
何より特徴的だったのが、その赤い瞳だった。ノワールのような、血を彷彿とさせる真紅ではなく、炎を彷彿とさせる緋色の瞳。強い意志を感じさせるその緋色の瞳は、美しかった。
「何ですか?」
いきなり話しかけられては不思議で仕方がないだろう。男はきょとんとしてカヌエを見た。
「この船はどこに向かうのですか?」
「あー……」気まずそうに頬を掻いて目を逸らす男。ちらりと様子をうかがって、全く動じないカヌエの様子を見て話すことを決意したようだ。「秋津洲、って国を知ってるか?」
アキツシマ。エイジの生家、コトトギの故郷だ。アキツシマの人々は美しい緑の黒髪を持つ。やはり、そう思いながらカヌエは頷く。
「俺はその秋津洲の出身でな。密出国の帰り……つまり密入国、秋津洲に帰るんだ」
「よろしければ乗せていただけませんか」
男は緋色の目を丸くする。
「何の用だ? あんた、見たところ秋津洲の出身でもなさそうだし……。密偵なら乗せてやらないぞ」
「本物の密偵だったらここで否定するので聞いても意味はないかと」カヌエは微笑みながら指摘する。「特に用はありません。この大陸から逃げられればそれで良いのです」
「……ワケアリか」
「エェ。よろしいですか?」
仕方ねーな、と男が頷くのを見、カヌエはエリスを手招きする。エリスがカヌエの元に来たのを見て、男はカヌエの背中を押しながら周囲の警戒をする。カヌエはエリスを抱え、船に飛び乗る。男も飛び乗ると、港の入り口に軍人達が丁度辿り着いたのが見えた。男はカヌエとエリスが軍人達から見えないように二人の頭を押さえつけながら、出港しろ、と叫んだ。頭を押さえつけられながらカヌエとエリスは、何故か笑い合っていた。
――――
「あんたら、愛の逃避行か?」
「違います」
「あ、アタマっから否定されるこの悲しさと言ったらないですよォ……」
「違うのか……。じゃあ、秋津洲に行ったら何したいとか、どこに住もうとか、あるのか?」
「イエ、全く」
「どこでもよくてアキツシマになったんですもんねぇ」
「……じゃあ、ウチ来るか?」
「ハイ?」
「討幕組っつってな、そうだな、国の改革をしようと頑張ってる組織だよ」
「もうそういう争いの中に身を置くのはゴメンですよォ……」
「討幕組拠点って屋敷があるんだが、家事の手伝いでもしててくれりゃあ戦わないでもいい。食うもの寝るところ用意してやるよ」
「カヌエ、どうしますか」
「エリスさまは?」
「お得かな、と思いますが……世の中にはそう言って奴隷扱いするところもあるので」
「じゃあウチの様子見てみりゃあいい。答えはそれからでも構わねーよ」
「タダでお船に乗せて頂き、労働力にするわけでもなく、その後は自由でいいなんて……とんだお人好しですねェ」
「よく言われるぜ」
「あの……お名前を伺ってもよろしいですか? 私はエリスです」
「ワタクシはカヌエと申します」
「エリスにカヌエな、分かった」
「アナタは」
「俺は、さっき言った討幕組ってところで筆頭やってる、一ノ瀬緋刀ってんだ。船旅だけの付き合いになるかもしれねーみたいだが、まぁ、よろしく頼むぜ」
――――
「エリィス。何故竜の国が、あの地に出来たかご存知ですか?」
「由来があるのですか?」
欄干に背をもたれるカヌエの横顔は斜陽に照らされている。憂えを帯びた微笑、流し目で見つめられたエリスは、カヌエの顔が整っていることを改めて実感した。
「その地に竜が多く存在したからですよォ」
「それは、当然じゃないですか」
「ならば何故、その地に竜が存在したと思いますか?」
カヌエの問いに、エリスは眉を顰めて首を傾げる。
「エイジも彼の両親も竜です。しかし、その祖父母は竜ではありません、エルフです」
「どういうことですか……?」
「エイジの両親の代に、何かあったと思いませんか?」
彼が何を言わんとしているか、全くわからない様子のエリスを見てカヌエは目を細める。
「コトトギはアキツシマの家です。しかし結局はエルフなんですよね。アキツシマで迫害を受け、一族の虐殺が人間によって行われ、コトトギの死体は海に流されました。……幸運なことに、その死体はチャロアイト近くの海岸に流れ着いたんですよね」
「死体、ですか?」
「エェ、死体です。……エリス、自分は何もしていないのに家族もろとも殺されるって、頭に来ますよねェ?」
「ええ、まぁ……」
「死してなお潰えぬ怨念が、彼らを竜にしたのですよォ」
カヌエの柔らかな口調とは対照的な衝撃的な内容にエリスは目を見開く。
「……は、い?」
「死んだエルフが、怨念……未練で竜に。これはエイジの話を聞いて、ワタクシがそう解釈しているだけですが……話を戻しましょう。チャロアイトとインジェリットのあるクライン大陸には、昔、何の国がありました?」
「エルフ……」エリスは口に出してから、ハッとカヌエを見上げる。「エルフキングダム・ハイル……!」
「そうです。エルフキングダムは、当時ヴァルム大陸にあったルチレーテッド王国によってなんとも理不尽な理由で滅ぼされましたよねェ? 侵略してきたら恐ろしいから、と。エルフキングダムは永世中立国宣言をしていたにも関わらず」
「つまり、エルフキングダムのエルフ達が、今のチャロアイトの竜の祖先、と……?」
「あくまでワタクシの推測ですがね」
カヌエは頷く。エリスは呆然とカヌエを見つめる。否、カヌエなど見ていない。見る暇がない。エリスにはあまりに大きな衝撃だったようだ。そんなエリスの様子を見て、カヌエはおかしそうに微笑んで付け足す。
「ルチレーテッド王国史を語る上で欠かせない出来事である反抗運動……第二次クラウ・ソラスに参加していたと言われる、エルフキングダムの王族、エミリア・リグ・ハイルも竜だったと言われていますしね」
「クラウ・ソラスって、人間の国に行ったときに、カヌエ……何か言っていませんでしたっけ」
クラウ・ソラスの単語に反応したエリスにカヌエは嬉しそうに顔を輝かせる。
ヴェルデアスルとノワールの前に敗北を喫し、エリスと共に一旦竜の国を抜け、人間の国に行った後のこと。汚れた服を替えるとき、カヌエはクラウ・ソラスという歴史事件の話を少しだけエリスにしたのだった。
「国家を転覆させるための、王国への反抗活動……ルチレーテッド王国では特にクラウ・ソラスと呼びますが、それは大まかに分けて三回ありましてね。三回目でルチレーテッド王国は転覆し、レツト王国という国になったのですが……」人間の国の時と同じようにカヌエが語り出す。こうなれば彼は話し終わるまで止まらない。「始めにクラウ・ソラスを名乗り始めたのが、第一次クラウ・ソラスの首謀者であるランドルフ・ワーナーとされていましてですね……」
エリスは曖昧に頷く。カヌエは自らの腰に下がっているレイテルパラッシュを見下ろした。
「彼は王国守護職の騎士団の一隊長でありながら、主導権を掌握し、騎士団を操って国に反旗を翻したのですが、最終的に両の腕を落とされ処刑されました。彼は赤いロングコートを纏い、レイテルパラッシュを愛用していたという記録が残っていまして、竜の国に赤い服を着ていったのは、驚異的な剣の腕を誇ったランドルフ・ワーナーに肖ったのですよォ」
「詳しいんですね」
エリスは竜の国の歴史こそ大まかに学んだが、人間の国の歴史は学んでいない。様々に名前を変えた人間の国の歴史の方が複雑そうだ。
「人間の国での就職先に図書室がありましてね。暇になると通って、主に歴史系の書物を読み漁りました。特にランドルフ・ワーナーは尊敬しています」
「国のために戦ったのに、国に殺されてしまったんですね……」
「それは彼が負けてしまったからです。しかしその後も、彼の意志を継ぐ者達がいた。シャレた言い方をすれば、第二次、第三次世代の心の中に、ワンドルフ・ワーナーは生きていると言えましょう」
ワーナーに同情してか、或いはその他のことに心を痛めてか、エリスは海を見落とした。横顔には悲しみさえ見える。そんなエリスを見て、カヌエは静かに微笑み、デスカラ、と続ける。
「きっと、チャロアイトにも現れましょう……マリィ様やヴェルデアスルのような、平和を望む後継者が」
――――
日が沈み、寝静まった船。カヌエとエリスに与えられた寝室は狭くはなかったが、それでも広いとも言い難かった。ベッドがある部屋はここしか余りがなく、しかしこの部屋に備わったベッドは一つだったため、カヌエが床で寝ると名乗り出た。ベッドは二人で寝られるほど大きくないし、寝たとしてもかなりの密着することになるので、カヌエに申し訳ないがエリスは甘えることにした。
明かりを消そうとしたカヌエの手を止めるエリスの声。
「話しておきたいことがあるんです」
カヌエは目を丸くした。真っ直ぐに見つめてくるエリスの顔を見て、はぁ、と返事をしながら備えつけの椅子に座る。
「カヌエと私、カヌエとヒナタさんは以前に会ったことがありますか?」
「真面目な顔で話し出すのでシリアスな話題かと思いましたが」カヌエは眉を顰めて、エリスに負けじと彼女を真っすぐに見つめる。「…………記憶障害にでもなりました?」
エリスはカッと顔を赤くした。その反応を見る限り、冗談で言ったとも思えない。カヌエは何事かと首を傾げる。
「見えたんです」
「なにがですか」
「過去、でしょうか」
エリスも何が見えたのか分からないようだった。エリスが言うには、彼女は対象の過去を見る力が、竜の能力としてその目に宿っているらしい。或いは前世の頃まで見えることがあるらしく、前世からの繋がりを見て占いをしてみたこともあり、それは的中したのだとか。
「カヌエと私、カヌエとヒナタさんにも同じような、過去の風景みたいなものが見えたんです。ヒナタさんはそっくりでしたが、カヌエはちょっと、カヌエとは分かりづらかったので……気になって」
「つまり、この奇妙な船路は前世からの運命とか、予め定められていただとか言いたいのですか?」
カヌエは声を出して笑い、明かりを消した。エリスの小さな悲鳴が上がる。そして笑いが止む頃、小さく呟いた。
「面白いモノですねェ……」
――――
海上生活も何日経ったか何ヶ月経ったか、そんなことも忘れる頃、そろそろ着くとやっとヒナタの声がかかった。秋津洲は霧に覆われていたが、霧なんてなんのその、透視できる男が船に乗っていたらしく、彼のおかげで心配はないらしい(ただし人間性に問題でもあるのか、エリスとそいつを会わせない方がいいとカヌエはヒナタに言われた)。
「カヌエ、今はどうだ?」
「何がですか?」
「討幕組の件」
「アァ」
夜霧の中、陰るカヌエの横顔。エリスは悲しげに俯きかけたが、カヌエが見ていたのは愛剣レイテルパラッシュだった。そしてヒナタだった。
「イイんじゃないでしょうかねェ。恩返し程度に、また剣を振るのも」
part4
【悲劇の騎士と希望の先読】
END




