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ありがとうございます。あともう少しです。

 抜けるような青空。以前より日差しもまぶしい。立春といっても暦の上だけだと常々思ったが、外にでるとさすがに着実に春を告げていた。河はどこかの雪解け水を含んでいるのか豊かな水量で穏かに流れていた。ぽつりぽつりと水鳥が、時折、河の中の魚を採るために水面をつついている。河岸の広場では小学生ぐらいの子供たちがサッカーボールを追いかけて元気よく走り回っていた。

 彰子はぶらっとしばらく歩きながらのどかな風景を楽しんだ。この3日間恭二との思い出の場所に足を運んでいる。その最後がここだった。

 恭二が住んでいたマンションの近くの河川敷。このあたりでよく恭二は写真を撮っていた。ここから大学までは結構時間がかかる。自宅通学じゃないのになぜこんな遠くから通っているのかと聞くと、恭二は笑って


『ここに集まる鳥が好きなんだ。こいつらの自然なままの綺麗な姿を撮りたいからさ。』


と目を輝かせて言っていたのが、今でも昨日のことのように思い出される。

 ここへも恭二が亡くなってから一度も来たことはなかった。恭二と居た場所にこうして再び1人で来るなんて思いもしなかった。つい最近まで、恭二との幸せだった時に触れたくなかったのだ。少しでも触れてしまえば、会いたい思いがつのり、寂しくて寂しくて耐えられなくなりそうだったからだ。この3年・・・恭二が心の奥底にいつも居たのに、ずっと見ないフリをしていた気がする。彰子は乗り越えたはずだと思っていたのに、この現実から逃げていただけで自分はなんにも変わってないことを思い知らされた。今度こそ、恭二がいない現実に目を向けないといけない。そうしないと、自分は前に進めない。彰子は思いっきり、息を吸い込んだ。まだ冷たかったが、水際のすがすがしい空気に体の中から生き返る気がした。この空気も匂いもすべてあのときのままだった。


「よし、大丈夫。」


そうつぶやくときびすを返して、彰子は河に背を向けて歩き出す。そうして、2〜3歩あるいてもう一度振り返ってにっこり笑った。彰子が振り返ったのはその一度きりで、もう二度と振り向くことはなかった。


 翌日の朝、彰子は静岡県の田舎町にあるお寺に現れた。ここは山々の景色に囲まれた自然が美しいところだった。毎年一度は訪れている恭二の墓標の前に立つと、持っていた花を供え、桶の水を墓標にかけた。ろうそくをともし、線香を供えるとじっと彰子は墓標を見つめる。そして、静かに合掌した。


「やっと見つけた。」


聞きなれた声が後ろから響く。彰子が驚いて顔を上げる。


「一之瀬?・・・どうして・・・?」


一之瀬はニッコリ笑っている。


「もう、何も言わずにどっかいっちゃうから心配したんですよ。」


彰子が申し訳なさそうに笑う。


「でも、どうしてここが・・・?」


「彰子さんの考えそうなことはわかります。ダテに2年彰子さんを見てきたわけじゃないですからね。三枝さんを説き伏せてここを教えてもらったんです。お土産買って来いと言われましたよ。」


彰子は三枝が言いそうなことだと噴出した。


「元気そうでよかった・・・。」


一之瀬はほっとしたような顔をした。よくみるとコートの下は仕事のときのスーツだ。


「もしかして、昨日仕事終わってからそのまま来たの?」


「えっ?ああ、どうしても彰子さんに会わなきゃって思ったら、そのまま新幹線に乗ってた。」


一之瀬が照れくさそうに笑う。


「ええ?じゃあ、朝までどうしてたの?」


彰子が驚いたように目を丸くしてたずねてくる。


「そのまま来たから泊まるところも考えてないし、駅で朝まで仮眠してましたよ。」


彰子があきれたようにクスクス笑った。一之瀬が照れたようにふくれっ面をする。


「しょうがないでしょ?だまってどこかに行ってしまった誰かさんを探しに行くのに必死だったんですから。」


「ごめんごめん。」


彰子は笑いながら誤る。彰子はそんなにまでして一途な思いを自分に向けてくれる一之瀬がひどくいじらしくかわいく思えて、彰子の笑いを誘う。


「もう、なんで連絡くれなかったんですか。俺、彰子さんの姿が見えないんでほんと気が気じゃなかったんですから。」


一之瀬は綺麗な顔の眉間にしわをよせて訴える。一瞬空気がかわって彰子が真顔になる。


「ごめんなさい。どうしても言えなかった・・・。1人になりたかったの。1人になってもう一度恭二のいない現実に向きあわなきゃって思った。3年前から私何も変わってなかったのよ。恭二がずっと心の中にいるクセに見ないふりをしてきた。この前、それに気がついたの。」


彰子はじっと恭二の墓標を見つめる。


「このままではいけないって思った。私は一生このまま現実から逃げたままでいいのかって・・・。このままじゃ前に進めないよ。」


彰子の目から涙がこぼれた。一之瀬がとっさに彰子に触れようと手を差し伸べようとするのを彰子は手で制した。


「待って、最後まで聞いて。」


彰子は涙を拭いて小さく息をして呼吸を整えた。


「私ね、休んでた間にね、恭二と過ごした思い出の場所に行ってみたの。以前だったら考えられなかった。恭二と過ごした場所に自分ひとりで行くなんて。でも、行かなきゃって思った。そしていろんなところで恭二に会ってきた。もっとね、泣けるかと思ったらね、なんだかうれしかった。そしたら恭二がいない事実をはじめて受け入れられた気がしたの。そして、ここが最後。」


そう言うといつもの凛々しい聡明な彰子の顔に戻って一之瀬の目を見た。


「ここへはね、あなたのことを恭二に許してもらおうと話をつけにきたのよ。私、一之瀬のこと好きよ。こんな5つも年上で偉そうな女だけど本当にいいのかしら?」


一之瀬は呆然としている。彰子はクスクスわらって一之瀬の瞳を見つめていた。


「・・・彰子さん?本当に?」


彰子はコクリと頷いた。


「やった!」


一之瀬は子供のように喜んで彰子に抱きついてきた。


「ちょっと!一之瀬!ここどこだと思ってるのよ!」


彰子は笑いながらはしゃぐ一之瀬をいつもの調子で叱りつける。一之瀬は彰子を抱いたまま恭二の墓標の前に立つと急に真面目な顔になる。じっと墓標を見つめる。


「恭二さん、俺、あなたを好きになった彰子さんだから好きになったんです。俺、絶対幸せにしますから、どうか見守ってください。」


そういって目を閉じて合掌した。彰子は驚いて目を見開いたが、その瞬間うれしくて涙がこみ上げてきた。じっと目を閉じていた一之瀬がふと目を開けて彰子をみると彰子の目から大粒の涙が流れていた。一之瀬はふっと優しく微笑んで彰子の肩を抱き寄せた。一之瀬はいつも暖かくやさしい。彰子は一之瀬に体を預けた。それに気付いて一之瀬がやさしく目を細める。


「彰子さん、ここんとこ泣いてばかりですね。」


彰子は一之瀬の胸を軽く叩いて訴えた。


「今のはあなたが泣かしたんでしょうが。」


「え?俺?俺は幸せにするとは言いましたけど泣かせるなんて言ってませんよ。恭二さんににらまれますから、泣き止んでくださいよ。」


そういって困ったように笑うと彰子も一之瀬の胸に顔をうずめたまま声をたてて笑った。


 その日の午後、春一番が暴れん坊のように冬の寒さに冷え切った日本列島に暖かい空気を吹きこんだ。気温は暖かいのに風の強さに人々はこぞって春の肌寒さに震え上がった。そうして、今年も春がやって来た。








ありがとうございました。

ほとんどエンディングです。

次回はエピローグ。最終話です。

是非最後までよろしくお願いします。m(__)m

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