3#
読んでくださる皆様ありがとうございます。
先程のウェイターが再びやってきて注文をたずねると、一之瀬がいくつかメニューを指差しながら注文する。その様子を彰子はなんとなく眺めていた。一之瀬は彰子と話す時以外はひどく大人で、なんでもスマートにこなす。話の中身は確かに弟が姉に甘えてる図なのだが、よくよく考えてみると、いつもさりげなくエスコートされていた。物腰はソフトで上品で、その容貌はとても営業マンには見えない。いわゆるエレガントな男なのだ。
ウェイターが注文を確認すると、一之瀬が彰子に視線を返してくる。ぼんやりと一之瀬を見ていたので目が合って、はっとする。
「いい男でしょ?」
一之瀬がにんまり笑った。
「はっ?」
彰子は図星をさされて、ややうろたえながらも強気で言い返す。
「何言ってるの?そういうのって自意識過剰って言うのよ。」
「ちぇっ!見とれてくれてたかと思ったのに。」
残念そうに口を尖らせる。
「んなわけないでしょ。ナルシスくんって言われるわよ。」
彰子はしてやったりとクスクス笑った。
しばらくすると彰子には赤ワイン、一之瀬にはビールがグラスで運ばれてきた。
「おつかれさん♪」
グラスを軽く重ねると、ゴクゴクとおいしそうに一之瀬がビールをグラス半分ほど一気に飲んだ
「今日はすごい勢いね。」
「え?ああ、喉が乾いてたんです。この一週間は特に疲れたから。」
一之瀬が苦笑いする。
その間にカルパッチョやらサラダやら運ばれてきた。テーブルの脇に積んであった小皿を彰子が差し出す。
「ふふふ。慣れない?」
「たまんないですよ。今どきのやつは何考えてるんだか!」
一之瀬が眉間にしわをよせ、少しむっとして言った。彰子はクスっと笑った。
「そうね、でも、ちょっと前まであなたもその口だったんじゃない?」
「ひどっ!彰子先輩。俺はあんな風じゃありませんでしたよ!」
一之瀬がムキになっていい返す。
一之瀬は先月から、季節はずれの新人を預かり、毎日営業に同行しているのだ。一之瀬は今回はじめて後輩を指導する機会をもったのだ。それが、なかなかの今どきの若者で、仕事に意欲的な一之瀬とは対照的な非常に受身のスタイルなため、何かにつけてイライラさせられるようだった。この1ヶ月、晩に事務所に帰ってくるとよく彰子にぼやいていた。
「今度は何があったの?」
彰子は穏かに微笑んで不機嫌そうにビールを飲み干す一之瀬に声をかけた。一之瀬はため息をつくと口をひらいた。
「そろそろ中本を独り立ちさせないといけないと思って、先週、商談の資料作らせようと時間かけて作り方を教えたんです。あいつ研修でやった基本的なことすらできないから、そこからもう一回教え直して・・・たいへんだったんですよ。それで、今週商談予定の一部をあいつにさせようと課題を与えたんですけど、その後うんともすんとも言ってこない。できたのかって聞いても、適当に濁すばっかりで・・・。で、翌日商談日だからと出来てるところまで見せてみろって言ったら、なんにもやってなかったんですよ。もう、時間がないからその晩作りましたよ。」
「それで、中本くんはどんな様子だったの?」
彰子はワインを口に含んで穏かな顔で一之瀬の話を促した。
「一応、憮然としながらも謝ってましたけど。」
彰子はそれを聞いてニッコリ笑った。
「ねえ、中本くんって研修の成績はどうだったの?」
一之瀬はえっ?という顔をして少し考えてから口を開く。
「確か・・・普通ぐらいですよ。特にによく出来たほうではないけど、悪くもなかったかな。」
「ふーん、じゃあ、まんざら馬鹿でもないじゃない。」
彰子が笑う。
「そりゃあそうですけど、でも、仕事やる気あるのかないのか、同行してても質問すらしてこない。一緒に居るのが結構つらいですよ。」
一之瀬は少し声を荒げてまた、新しく追加した2杯目のビールを勢いよく飲む。彰子はその様子に噴出してけらけら笑った。
「ふふふ。今まで仕事をなんでもスマートにこなしてきたあなたが苦労してるなんて、なんだかね、あなたも普通の人だったのね、なんだか親近感がもてるわ♪」
一之瀬は怪訝な顔して訴える。
「先輩!笑い事じゃないですよ。こっちの身にもなってください。」
「はいはい、ごめんね。ねえ、中本くんはなぜこの会社に入ってやったこともない営業の仕事をしようと思ったのかしら?聞いたことある?」
「えっ?中本の?」
一之瀬が急に真面目な顔して彰子の顔を見る。
「そう、中本くんの入社動機。」
彰子も真面目に一之瀬を見つめる。
「そういえば・・・そんな話をしたことは・・・。」
「そうなんだ。じゃ、聞いてみたら?だって、うちだって適当な人材を採用するわけないもの。うちの人事の課長、人を見る目は真っ当よ。何か、彼に可能性があったのよ。これからひとり立ちっていうなら、特にそこを掘り下げておくことが大切じゃない?なんとなく、聞いてると彼の場合、業務内容のことがわからないんじゃなくて違うところに問題がある気がするわ。うちの営業関連の研修は結構厳しいって聞いてるから、よっぽど何かないと続かないはずだわ。それを乗り越えて来たのに、現場に来てやる気が見えないのは何か他のところにあるんじゃないかしら?このままだとこの先どれだけ知識・技術を教えても身になっていかない気がするわ。」
一之瀬はじっと手元のビールを見つめながら黙り込んだ。その様子に彰子がフォローしかける。
「ごめんなさい。部外者なのに偉そうなこと言って。気に障った?」
申し訳なさそうに彰子が一之瀬の顔色を伺う。一之瀬ははっとして顔を上げた。
「いえ、そうかもしれないって思って・・・。俺、何焦ってたんだろ。同行が短いから一緒に居るうちにあれもこれも教えなきゃって思って・・・。もしかしたらひとりで空まわりしていたかもしれない。」
一之瀬はため息をついた。
「人を教えるってね、育てる方もものすごく成長させられるのよ。ほら、今の一之瀬みたいに。人って自分の思うようにならないでしょ?だから、考えるのよ。なんでっ?って。そうすると相手を理解しようと努めるでしょ?そのうち、どうすればいいかが見えてくる。でも、相手が違えばそのやり方ってすべて違うのよ。同じ人なんていない。だから、毎回苦悩する。難しいけど、人を育てるって面白いわよ。」
彰子は微笑みながら一之瀬に語りかける。一之瀬はじっと彰子を見つめて話を真顔で聞いていた。
「先輩にはかなわないな。なんでもお見通しで。いつも、何か話をすると大事なことを教えてくれる。本当に尊敬しますよ。」
そういって、照れくさそうに笑った。
「ただの年の功よ。」
彰子が遠慮がちに笑った。
「ああ、それから、手厳しいようだけど、あなただから言うわ。あなたは頭がいいのよ。1つ何か言うとその先から周辺まで考え付くから理解が深いの。だからおそらく仕事でも目的を考えて人が考え付かない先の先までふまえてくるんでしょうね。仕事を一緒にしてないけど、いつも接していてそれぐらいのことは十分に想像できるわ。だけど、大事なのは多くの他人は違うってことなのよ。そこを認識しなさいね。あなたの仕事のレベルで考えないこと。こういう仕事はここまでやって当然とかこういうことはこうするものだとか。それは高いレベルで仕事する人には当然だけど、そうじゃない人にとってはそこまで容易に気づけないのよ。だからって、仕事の質をさげろっていうんじゃないのよ。そこまで導くのには人によって違うステップがあるのよ。そのステップはひとりひとり違うわ。」
一之瀬はじっと彰子の話に耳を傾けている。彰子は一之瀬の様子を見ながら言葉を選んで話を続けた。一之瀬はプライドが高い男だ。営業1課で一番仕事ができるだけに仕事には特に高いプライドをもっている。
「人を教えるってことはこれからのあなたの仕事の人生考えたら、絶対に避けて通れないことよ。だから、きつく感じるかもしれないけど、聞いてほしいの。それはね、自分のものさしで人をはからないようにってことよ。」
真顔で話をしていた彰子の顔がふっと柔らかく微笑む。
「あなたは営業のエキスパートでしょ?お客様にはいろんな人がいらっしゃるでしょ?同じことを同じ方法で伝えても決して同じようには伝わらない。それはあなたなら十分すぎるぐらいわかってるでしょ?そんな時、あなたならどうする?」
「えっ?そりゃあ、あの手この手で作戦を考えてアプローチして心を開いてもらってそれからその人に合ったやり方で攻略しますよ。」
一之瀬が少し自身ありげに答える。その様子に彰子はニッコリと笑う。
「そうでしょ?それと同じよ。相手は人なんだから。まず相手の心を開くことじゃない?それから、中本くんのペースや内容にあわせて一緒に歩いてあげてよ。あなたは中本君の視点で今まで自分に見えなかったものがたくさん見えてくるわ。きっと後で中本君に感謝することになるわよ。」
一之瀬が一瞬驚いた顔をしてすぐに納得したように笑った。
「ねえ、先輩、ワインフルボトルにしちゃだめですか?」
一之瀬がいたずらっぽく見つめてくる。彰子は笑いながら頷いた。
「飲み過ぎないようにね。」
「大丈夫ですよ。先輩を送らないといけないから。」
「そうね、頼むわよ。ナイトさん。」
そういって二人して笑った。そのあとは飲みながらおいしい料理に舌鼓をうち、ワインのボトルは空になり、最後は彰子がデザートまで2人分平らげた。
店をでて二人で駅に向かって徒歩5分の道のりをのんびり歩く。
「おいしかったわ〜。いい思いができたな。ありがとう、一之瀬。」
無邪気に彰子が一之瀬に声をかける。
「先輩、超甘党なくせして酒強すぎですよ〜。世の中おかしすぎ。なんでこんなに先輩にかなわないことばっかりなんだろう?これじゃ男女逆ですよ。」
一之瀬は少々酔っ払いモードでくやしそうに彰子に噛み付く。
「だから、年の功だって。」
彰子がクスクスわらう。
「年の功と酒の強さは関係ありません。」
一之瀬が口を尖らせて子供が喧嘩をするように言い返してきた。
「そうね、あなたは少々弱いわよね。」
さらにその様子を見ては笑う。
「ちがいます。普通です。フ・ツ・ウ。先輩が特別なんです。」
一之瀬が意地を張って言い返してくる。彰子はあきれた顔して笑った。
「はいはい、そうね、普通よね。」
彰子は酔っ払い相手に愛想笑いする。
「先輩、気持ちがこもってない。」
一之瀬が真面目に怒っている。本当にこんなところを見てると子供みたいで、およそ会社で仕事してる姿からは想像できない。彰子は過去にいろいろ一之瀬の面倒を見る羽目になったことがあるが、それでも憎めないどころか、愛おしさすら感じる。この関係は楽しくもあったが、彰子はいい加減にしないとなと自分を戒めた。
「ありがとう、ここでいいわ。じゃ、また、月曜にね。おつかれさま。」
そういって笑顔で手をふり、帰ろうとすると一之瀬が真面目な顔してひきとめる。
「彰子先輩・・・。」
彰子も立ち止まって真顔で一之瀬を振り返る。
「ありがとうございました。」
そういって一之瀬は深々とお辞儀をして、もう一度彰子と目が合った時にはいつもの屈託のない笑顔で手を振った。彰子も笑顔でそれに答えた。




