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彰子はオフィスを出るとロッカーに寄ってコートとバックを掴み取り、休憩室に急いだ。
休憩室では、一之瀬が営業1課の女の子たちと雑談していた。この場合、声をかけると営業1課の女の子たちを敵にまわすんだよなとやや苦笑いをしながら、遠慮がちに一之瀬に声をかける。
「一之瀬くん、ちょっといいかしら?」
さも、仕事の用事があるかのようによそ行きの話し方で話しかけた。
「あ、彰子先輩。待ってたんですよ。」
彰子は、こらこらせっかく繕ったのに、おまえから墓穴掘るなよと思いつつ苦笑いする。彰子に振り向いている一之瀬の背後の女の子たちの視線が痛い。
「先輩帰りましょう。」
何事もなかったかのように普通に一之瀬は彰子に声をかける。
「え〜、もう帰っちゃうんですかぁ?今から飲みに行きましょうよ。」
中でも、アイドル級のかわいい顔した今どきモテ系OL西倉絵梨が甘ったるい声で誘いをかけた。
「ごめん、今から先輩と食事がてら仕事の話で相談にのってもらうんだ。また、今度な。」
そういって一之瀬は少し申し訳なさそうに丁重に断る。思わず女の子たちに彰子もすまなそうな表情をするとなかなか意地の悪い目つきで睨まれた。一之瀬は能天気なのか当の本人はまったく気付いてない。一之瀬は女の子たちに挨拶をすると、彰子をともなってエレベーターホールに歩き出した。彰子は少しため息をついて、あきらめたように笑うと一之瀬についていった。
「あのさあ、もう少し気を遣えない?いいんだけどね、自分がどういう状況にいるかわかってる?」
「えっ?どういう意味ですか?」
一之瀬はとぼけているのか、天然なのか不思議そうに彰子の顔を上から覗き込む。一之瀬は180センチで女としてはやや背高な彰子を12センチ見下ろす。
「あなたのおかげで私は営業1課の子たちに随分と恨みをかったわよ。」
冗談ぽく笑いながら彰子は一之瀬に文句を言う。
「ああ、誘いを断ったこと?」
「そうじゃなくて、せっかく気を遣っていかにも用事があるようにつくろったのに一之瀬ったら、先輩待ってたんですよ、なんて暴露しちゃったもんだから、あなたの背中でこわーい顔してにらまれたわよ。」
一之瀬はけらけら笑う。
「何言ってんですか、この会社で彰子先輩程怖い人はいませんよ。なんせ、本社の社長に認められた
陰の支店長ですもんね。」
「ちょっと、その言い方やめてよ。私は別にそんなんじゃないわ。」
眉間にしわを寄せて困った顔をする。
「そんな謙遜しないでくださいよ。この会社のお金の管理はすべて彰子先輩にかかってるようなもんですからね。彰子先輩がいないと成り立たない。知ってました?彰子先輩がいない日は何か事件がおこらないかとみんなひやひやしてるんですよ。よく休日でも、電話かかってくるでしょう?」
「ちがうわよ、便利なだけでしょ?」
彰子は苦笑いした。
地上に着くと、エレベーターホールを抜けて、メイン玄関から外へ出る。途端に刺すように冷たい空気がビル風とともに吹き付ける。
「寒っ!」
一之瀬がコートの襟を両手でぎゅっと閉める。彰子はその様子を横目でちらっと見た。
「ふふふ、おなかすいてるからよ。でも、本当今夜は冷えるわね。雪降るかも。」
「そういやあ、毎年降るのに今年はちらついただけですね。過ごしやすいけど、変ですよね。」
「本当ね。でも、これから本格的に降ったりして。今夜あたり、帰るときにすっかり雪でおおわれて電車止まってます、なんてことになったりして。笑」
「そしたら、先輩、俺のマンションは地下鉄1本で先輩より近いですから泊めて差し上げますよ♪」
「遠慮しときます。」
彰子は眉間にしわを寄せて一之瀬を見上げる。
「なんでですか?人が親切に寝床を提供しようってのに。」
面白がってるのか、にやにやしながら一之瀬が彰子の視線をキャッチする。彰子は瞬間、ドキッとする。それでもできるだけ平静を装いながら苦笑いした。
「あのね、何考えてるの?いくらねえさんって言ったって、私は一応他人でさらに一応女なのよ。そんな事実がばれたら、私、会社の女の子たちに殺されるわよ。」
「俺がついてますよ。そんなことはさせませんって。」
一之瀬がクスクス笑いながら彰子に向かってウインクする。
「あほっ!余計こじれるわ。」
毎度毎度こんな調子で会話して、色気のある話なんてないのが日常だったが、彰子はこの関係がわりに気に入っていた。
会社のあるビルから歩いて程なく、一之瀬は最近注目の商業ビルにまっすぐはいっていく。
「ねえ、もしかして・・・。」
彰子の顔が緩む。一之瀬は少し口元で笑った。たどり着いたところは、ビストロ&カフェのお店だった。つい、先日このあたりに来たときにこの店の前を通り、雰囲気がよさそうだったので彰子が行ってみたいとしきりに言っていたところだった。
「へえ、覚えていたのね。」
彰子は子供のような表情でうれしそうな顔を向けた。一之瀬はその様子をちらっと横目でみて少し照れたように笑って店の中に入っていった。
「一之瀬ですが。」
「はい、一之瀬様ですね。お待ちしておりました。」
そういうとウェイターが丁寧に一礼して店の奥へと案内していく。ウェイターは一番奥のテーブルで止まると、二人を招いて、椅子を勧めた。二人が席につくと、メニューを差し出してまた軽く一礼して遠ざかっていった。
「ぬかりないわね。いつの間に予約したの?」
彰子がニコニコしながらメニューを広げる一之瀬に声をかける。一之瀬が笑っている。
「ほんと、そういうとこソツないから、すぐ彼女でもできそうなのにね。こんな週末にねえさんといっしょじゃなくってかわいい彼女とこれるようにしないとね。さみしすぎるわよ。」
「デートならしてますよ。今。」
そう本気とも冗談ともとれそうな感じで整った甘いマスクで彰子に特級の笑顔を向けてくる。彰子はまた、一瞬ドキっとして目のやり場に困る。それでも、年上風を吹かせて平然を装った。
「そんなこと言ってるから、女の子たちに恨まれるんじゃない。女の恨みは恐ろしいんだから。」
そういって頬を膨らました。一之瀬はクスクス笑っている。
「なに食べたいですか?彰子先輩。」
彰子は一之瀬から差し出されたメニューに目をやり、すぐにニッコリ笑った。
「もちろん、チーズフォンデュ。」
ひどく上機嫌な笑顔に一之瀬は噴出す。
「先輩、子供みたいですね。」
クスクス笑われて、彰子が真っ赤になる。
「なによ。いいじゃない。別に仕事じゃないんだから。」
「いや、いいですよ。仕事の時の厳しくソツがない先輩もいいですけど、こっちの顔もいいですよ。親近感が持てるから。」
「じゃ、仕事のときはなんなのよ。」
彰子がまた、口を尖らす。一之瀬はその顔を見てまた笑う。
「仕事のときの先輩に逆らえる人なんていませんよ。だれよりも支店のこと考えてて、間違ってる、損失になるとなれば、支店長だってしかりつけるんですから。」
「ちょっと、変なこといわないでよ。私はべつに・・・。」
彰子が困ったような顔をして言い訳しようとすると一之瀬がつつけて口を開いた。
「だから、誰からも信頼が厚いんじゃないですか。」
一之瀬が彰子を見てニッコリ笑うと彰子は小さくため息をついて苦笑いした。




