1#
もうじき春がやってきます。
クリスマス以来2本目のシーズン物を書いてみました。
至らぬ点が多いとは存じますが、是非最後までお付き合いください。
最後に感想等いただければ幸いです。
県庁所在地都市の駅前メインストリート。
このエリアの一等地に立つビルのオフィススペースには大手の企業が名を連ねている。1フロアはおよそ300人ぐらいの人が常勤している会社も多い。
フロアの一番大きなメインオフィスは一面を大きな窓が占め、そこに映し出される景色は、遠くまで高層ビルが連なる都会のビルの群集で、映画やドラマでみるような大都会のビジネス街そのものだった。
まもなくPM7:00になろうとしていた。いつの間にか窓から見える景色は、街の灯りやネオンが美しい大都会の夜景へと変わっている。昼間はまばらにしか人が見えないただ広いメインオフィススペースに外出していた営業マンがぽつりぽつりと徐々に戻ってきていた。
ここはヘルス&ビューティ関連商材のメーカーが持つ販社である。取引先の多くは大手ドラッグチェーンや大手のスーパーチェーンで、これらの店は開店が遅く、営業時間が長い。したがって、担当者に会わなければいけない営業マンは、仕事がどうしても長引かざるを得ない。しかも、土日に仕事を残したくないために、週末といえど、これからの時間は社内人口が増えるのだ。昼間は人口が少なく、電話の音や話し声、FAX、PC、コピー機などOA機器の音がすみずみにまで響き渡るほど静かな空間と化す。日が暮れてようやく少しずつ活気を取り戻してくるのが日常だった。しかし、そのオフィスの奥の一角だけは、常々違う空気が流れていた。ここは経理部である。
「あっ!また!」
名村彰子は、いつものようにリズミカルに書類の束に目を通していた時、その知的でやや広めの額を微妙に動かし、眉間にしわを寄せた。書類から目を離さずに自分のデスクにある電話に手を伸ばす。
「名村です。今よろしいですか。」
彰子は無表情に淡々と事務的に話を始める。
「昨日提出された経費清算書の件ですけど、これは何を購入されたんでしょうか。明細がないと清算できませんが。事務費といっても用途が広いんですよ。加村さん、何度目でしょうか。・・・はい、・・・はい・・・、清算画面の備考欄ありますよね、そこに内容を記入してください。わかります?・・・。」
彰子は受話器を肩にはさみながら、書類を次々に目を通していく。
「・・・えっ?」
彰子がこめかみをピクっと動かして意志の強さがあらわれているような切れ長で形のいい目をぐっと見開いた。知的でクールな美しい顔に微笑みがなくなるとひどく凄みを増す。向かいの席でPCを打っていた田端美咲が一瞬空気が変化するのを察知して表情を曇らせ顔をこわばらせた。
「ちょっと、それじゃあ、費用項目違うじゃないですか!加村さん、何回目だと思ってるんですか。なんでも事務費で請求しないでください!それだったら、調査費でしょう?加村さん、もう一回費用項目のマニュアル見て正確に請求してください。今度やったら、支払いしませんよ!」
そう、啖呵を切ると受話器を置かずに荒っぽく右手を伸ばして回線を切ると、すぐにすごいスピードで内線番号をまわす。
「佐藤課長ですか。今、よろしいでしょうか。」
少し低い声で感情を抑えているが、口調は明らかに怒っている。
「加村さんの経費精算の件ですが、何度か説明させていただいてるのですが、また今回、本来なら調査費に当たるものの費用項目を適当にして事務費で清算しようとしてたんです。・・・はい、・・・はい・・・はっ?」
また、彰子の目が鋭く光って厳しく書類を睨んだかと思うと、声を荒げた。
「再三、課長にも申し上げたはずです。内容を承認するのは課長なんですよ!サインしたあなたにこのツケがまわるんです。本社で発覚したらもっと大事なんですよ。今は内容を明確にしないと不正使用とも言われてしまうんです。何かあったら、あなたが責任を負わされるんですよ。いいですか、あなたは課長なんですから、その辺のことの重要性を理解してください!」
ガチャンッ!
啖呵をきった勢いで電話を置く。その音に向かいの田端はビクッとする。田端は今年入社したばかりの新人で、彰子が直接の上長となり、仕事内容を直接教わっている。
「名村主任、また、加村さんですか?」
やや引きつった感じで苦笑いしておずおず彰子に問いかける。
「ええ、何回言えばわかるのかしら。こっちも忙しいんだから、手を煩わせないで欲しいわよね。」
「いっそ、そのまま、本社の経理に送ってしまってはいけないのですか?」
「そうね。でも、そうすると本人だけでなく承認した人の責任にもなるのよ。それに加村さんの場合、今日みたいな簡単な内容じゃないときが多々あるのよ。」
彰子はため息まじりで苦笑すると田端も頷いて合わせた。
「先輩、なんだかんだ言ってもやさしいんですよね。」
そういって彰子の傍から急に聞きなれた声が割り込む。
「一之瀬お帰り。今日早いじゃない。」
彰子がすぐ横に立つ背高な青年に振り返ると、営業1課のホープ、一之瀬航が愛想のいい笑顔を浮かべて傍に立っていた。一之瀬は入社して4年目だが、頭が切れて仕事は速い。さらに機転も利くので顧客からの支持も多く、営業一課の主任候補の筆頭になっていた。そのうえ、学生時代にバイトで雑誌のモデルをしていたというだけあって、スタイルも抜群で美麗な顔立ちという恵まれた容貌も手伝って、社内外の女性にも絶大な人気を誇っていた。
彰子は会社の中で唯一この青年だけを呼び捨てにする。2年前の歓迎会以来、彰子に懐いてきて、なにかと面倒を見るようになって現在に至るのだ。
「ええ、今日は週末ですからね、早めに切り上げようかと思って、昨日の晩に仕事詰めたんですよ。」
「へえ。ちょっとは成長してるじゃない。あ・・・、もしかしてデートなの?」
彰子がニヤニヤして聞くと一之瀬は脱力して苦笑いする。
「ん、なわけないでしょ?居たら彰子先輩のところに顔出さずにとっとと帰りますよ。」
「なーんだ。一之瀬航に彼女ができたってトップニュースをメールで女子社員に打って帰ろうかと一瞬思ったのに。残念だわ。」
「ちぇ、彰子先輩ひでえの。俺の場合は、トップシークレット扱いですよ!勘弁してくださいよ。」
一之瀬は少しむくれ気味に負けじと言い返す。彰子はクスクス笑いながらPCの画面に向き直った。
「先輩まだ仕事するんですか?もう、7時ですよ。」
「あ、うん、これ、月曜の朝までに作成しておかないといけないから。」
そういいながら、キーボードの上を白くて細長い指が滑らかにすべり始める。一ノ瀬はその指をちらっと見ながらため息をついた。
「なんだ、まだ仕事があるのか。腹へったから、晩飯を先輩に付き合ってもらおうと思ったのに。」
一之瀬が少し寂しそうにぼそっとつぶやくようにいうと、彰子はPCを打ちながら一瞬ドキッとする。それでも、動揺をを見せずに平然としてキーボードをひたすら打ち続ける。
「なんで、わたしなのよ。営業1課の人たちと行けばいいじゃない。若い女の子たちがいるでしょ?イケメンアイドルのあなたが誘えばみんな喜んでついてくるわよ。」
少し微笑みながら冗談ぽく牽制する。
「先輩、そんなつれないこと言わないでください。」
一之瀬がむくれて彰子を睨みつける。彰子はその様子をちらっと見ると噴出すように笑った。
「はいはい。わかりましたよ。なんか、話を聞いて欲しいってことね。あと10分ぐらい待ってくれる?キリがいいところで閉めるから。」
「え?いいんですか?」
一之瀬がうれしそうに満面の笑顔でたずねると、彰子は軽くため息をついてしかたないわねといった表情で微笑んだ。
「明日、午後こっちに用事があるからそのついでに少し寄るからいいわ。一之瀬のねえさんですもん、話ぐらい聞いてあげないとね。」
「さすがは、ねえさん、理解あるじゃないですか♪じゃあ、休憩室で待ってますね。」
一之瀬がリズミカルに歩いて遠ざかっていく。その姿を見やって、ため息をもう一回ついた。
「名村先輩と一之瀬さん本当に仲がいいですね。うらやましいな。」
田端が少し頬を紅潮させて彰子に話しかけた。
「あら、そう言えば、ここにもファンがいたわね。」
彰子が苦笑いする。
「でも、主任と話をするときの一之瀬さんって別人みたいですね。いつもは、頼りがいがあって骨太な感じですけど、なんだか主任と話をしている時は甘えっ子の弟って感じ。でも、そんなところもかわいい〜。いいな。主任。やっぱり年上の特権ですか?」
「何言ってんの。いらんこと言ってないで、早く片付けて帰りなさい。」
彰子があきれたように田端をたしなめる。
「はーい。じゃ、お先に失礼しま〜す。」
「語尾は伸ばさないの!」
じろっと彰子の目が光る。
「きゃあ〜っ!はい!お先に失礼します。」
田端は急にピシッとなって挨拶をし直す。
「はい。よし。やればできるじゃない。いつもそれくらいシャキッとしてなさいね。」
そういってニッコリ笑った。
「お疲れ様。」
田端はほっとしたような顔をして笑顔で会釈をするとそそくさ帰っていった。彰子はキリのいいところまで入力がすませてPCの電源を落とした。貴重品をデスクの引き出しから出すとまだ残っているデスクまわりの人たちに挨拶をして足早にロッカールームへと向かった。




