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追 憶(1)

JRから地下鉄に乗り換え、駅から徒歩8分。

ようやく新居に辿り着いた。


タクシーで帰ろうかとも思ったが躊躇した。

夜中、酔った勢い任せに支払う高額なタクシー代を、朝のラッシュ時にまで応用させる気には到底なれなかったからだ。


マンションの階段を上ろうとして、一匹の猫を発見した。

首輪が付いている所を見ると、隣家の飼い猫なのか。家の前の小さな日陰で背中を丸め、地面にペタンと座り毛づくろいをしている。

――キミはのんびりでいいね・・・――

――私はこれから大忙しなんだ・・・本当に猫の手も借りたい位だよ!――

ゆっくりと歩みを進め、あと2メートルという辺りで私に視線が向けられた。暫くお互い身動きせずにみつめ合っていたけど、結局、路地に入って行ってしまった。

――ちょっと挨拶しようと思っただけなのにな・・・――


昨夜の『帰りたくない病』は、少なくとも今現在はない。

3階まで、一気に駆け上がり、荒い呼吸を鎮めながら玄関のドアを開けた。

カーテンの閉ざされた部屋は薄暗く、しかも、窓を閉め切っていたせいで空気が淀んでいる。

相も変わらず、大回りをしてベランダのガラス戸を開けた。

――早く、この段ボール達をやっつけなくっちゃ!――


山積みになっている一番上の段ボール箱を一つ持ち、床に置いた。

駅からの途中、自販機で買った缶コーヒーを鞄のポケットから出してその上に置き、今度は鞄のチャックを開けて煙草ケースを取り出した。

灰皿は昨日からシンクに置きっ放しで、数本の吸い殻が入っていたけど別に構わなかった。

――どうせ、一人っきりなんだから――

段ボール箱の脇に腰を下ろし、コーヒーを一口啜り、煙草に火を点けた。

吐き出した煙が風に流されて、あっという間に消えてなくなった。

灰を灰皿に落とした時、ふと思った。

――そう言えば、この煙草も離婚原因の一端かぁ・・・――

――前原と出会った頃は、まだ、あの人だってヘビースモーカーだったのに――

前原と知り合ったのは19年も昔に遡る。

その当時の私は、まだ離婚経験はなく、それこそ前原のとき同様にその当時の主人の(もと)で働いていた。名前は倉橋 俊輔(くらはし しゅんすけ)。私より13歳年上だった。

『だった』と、過去形なのは、4年前に糖尿病が悪化して亡くなってしまったからだ。

飲み薬・食事制限・インスリン注射・人工透析、入退院を繰り返し、仕舞には心臓にペースメーカー迄埋め込んだけど、結局、心臓の方がもたなかったらしい。

寝ている間に逝ってしまったようだから、もしかしたら、それ程苦しまずに逝ったのかも知れないけど、早過ぎたとしか思えない。

離婚してから何年も経っての出来事だったし、向こうも私と離婚後すぐに再婚していた。何より、離婚してからの方が友達感覚で仲も良かったから、倉橋に対する後悔は差ほどない。

――敢えて掲げるなら、私に男がいたことをずっと知っていて、それでも何も言わなかったこと・・・――

――子供でもいたら、また、違っていたのかも――


19歳の時、妊娠を期に倉橋と結婚しようとしたけど、入籍前に流産してしまった。

その後、私は妊娠することに恐怖心を抱き続け今日に至っている。


倉橋と前原は、共に家具職人だった。まるっきり別々の歩みをしてきた二人だったけど、お互いが勤めていた会社からの独立をきっかけに、大手建設会社の合同説明会で挨拶を交わしたのが付き合いの始まりだったようだ。


当時の私の仕事は主に事務処理。時にはデザイン画を描いたり、見様見真似で図面を引いたりもしたけど、事務所外のことは殆ど理解していなかった。そしてまた、前原と直接会ったこともなかった。


歳も近く、仕事に掛けては双方一歩も譲らないといった職人気質が、互いのやる気を一層熱くさせ、バブル最盛期の勢いも手伝って途中から提携を結んだらしいけど、奥の実情迄は私の耳には入って来なかった。

そもそも、あの二人ときたら

「今夜一杯どう?」なんて話にすぐ意気投合していたから。

――男同士はみんな一緒?――


個々の会社で仕事をこなすのは勿論、プロジェクトを組み共同で製作や現場での設置を行ったりもしていた。




私、25歳。

前原の会社から送られて来た手形に裏書きがされていなくて、私は電話を掛けた。

「はい、サイドシートです。」前原の声だった。

「アウルの倉橋です。いつもお世話になってます。」

「送って頂いた手形なんですが、裏書きが無くって・・・」

「え~、何やってんだ。内の経理は!」

「急ぐんでしょ?」

「ええ、まぁ・・・」

「じゃあ、これから仕事で日暮里方面行くから、途中、日暮里の駅まで来てくれる?」

「はい。何時に行けば良いですか?」

「そうだな・・・2時でどう?」

「分かりました。じゃあ、東口の改札で2時に。」

「社長、どんな格好で来ますか?」

「黒のスーツに黒い靴。金縁のメガネかけてる。あと、多分、図面、目一杯抱え込んでる。」

「ああ、じゃあすぐに分かりますね。」

「それじゃ、後ほど。」


初めての人に会うのって、毎回緊張した。

かなりの照れ屋。かなりのあがり症。そして、結構プライドが高い。

自分の恰好を(あらた)めて、まじまじと見た。

――だめだ・・・こんな恰好で行けるわけない――

いつものことだけど、Tシャツにジーパン。おまけにスニーカーで、しかもスッピン。

――昼休みになったら、着替えに帰らなきゃ――


始めに温めのシャワーを浴びた。温度が高いと汗がなかなか引かなくって、メイクに時間が掛かるから。

セミロングのソバージュは濡れたままハードスプレーをし、ドライヤーで固めた。

メイクも念入りに。ちょっとだけいつもよりマスカラを多めにした。

一番時間が掛かったのは洋服選び。箪笥の横まで姿見を移動し、30分はファッションショーをしたかも。

結局、ダークブルーに控えめなゴールドの四角い柄をあしらった、ちりめん地のスリーピースを選んだ。

さり気なく、ゴールドのネックレスをしてから、天井にコロンを3プッシュ。

その下で、静かに1回転。

ハイヒールはお気に入りの黒。8センチは背が高くなるから。

身長155センチの私には、必須アイテムだった。


昼食を摂る間もなく、昼休みが終わった。

事務所へ行く途中のコンビニでサンドイッチを買い、デスク脇のソファでお腹に納めた。

午前中に飲み残したアメリカンコーヒーで精神安定剤を1錠流し込む。

――よしっ!準備オッケー!――


留守をアルバイトの女の子に頼み出掛けた。


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