壊れた日常の修復(4)
残りの十日余りをあくまでも冷静を装いながら勤務を全うし、新たな就職先も探さぬまま四カ月が経っていた。
大将は当然の事ながら、善ちゃんも森尾さんも、あの日を境に例の話には何一つ触れなかった。
いざ一人で旅行に行こうと考えても虚しくなる一方だったし、みんなと飲んでいる内に忘れ去ってしまう位のいい加減な感情だったのかも知れないとも思う。
夕方に起き、シャワーを浴びてから『日向』に出向く日常が、至極当たり前の様になっていた。
『日向』で意気投合した、その日の飲み仲間と連れ立って『シャングリラ』に繰り出すのも日常茶飯事だった。
この四カ月間の当初、私は大将に対して《お前は馬鹿か!》とも思える行動をとって来た。
仕事が終わって帰宅する大将を家の前で待ち伏せしたり、真夜中に電話を掛けたり、絵文字だらけのメールも・・・
大将は、ウーロンハイ3杯がちょうどいい。
家の前で待っていた私を宥めるようにキスしてくれる。
それ以下だと真面目に困った顔をし、
それ以上だと語尾がきつくなり、仕舞には叱り出す。
そして、都合二回振られた。
一度目はちゃんと告白した。
「好きなんだってば・・・」
「私じゃ、ダメ?」
「ダメとか、そんなんじゃなくてぇ・・・」
「誰か好きな人でもいるの?」
「・・・・・」
「もしかして、ママ?」
「・・・・・あぁ、そうだよ!!これでいい!?」
私から視線を逸らして言った。
吐き捨てる様な、投げやりな口調だった。
それが三か月前の出来事。
泣くだけ泣いた。
飲めるだけ飲み干した。
そして、二日酔いの気持ち悪さを洗い流すように私は降りた。
――ひかる・・・好きな相手がいるんならしょうがないよ・・・――
――お前はいつまでも引きずるような女じゃないだろ・・・――
――でも、なんでわざわざ旦那のいる人を・・・――
〝はずだった〟
そう、確かに
〝降りたはずだった〟
きれいサッパリ《飲み屋の大将》に感情を戻したのに、つい半月前、訳のわからぬ振られ方をした。
その日、『日向』に残っていた常連さん達と大将・ママで『シャングリラ』に繰り出していた。
ママは何やら『シャングリラ』のマスターときょうだい喧嘩をしたらしく、自分の支払いを済ませると先に帰ってしまった。
それから何曲かのカラオケが終わった辺りで常連さんと大将も帰った。
私は、いつも一人閉店迄残っては、覚束ない足取りで帰る始末。
だけど、その日だけは違っていた。
『シャングリラ』のママが外に大将達を送って戻ってくると、
「ぴかっち、帰らないの?」
「岡本さんが外でぴかっちの事待ってるよ!」
私は、一瞬呼吸が止まり、身動きも出来ず黙り込んだが、すぐさま立ち上がると会計を済ませ階段を駆け上った。
斜向かいの駐車場脇で自販機に寄り掛かりながら、どうにかこうにか立っているのが分かった。
――何で待ってんだろ?――
――あ~あ~、相当酔ってるよ・・・――
近くに歩み寄りながら、
「大将、何してんの?」
「あのさぁ、ハッキリ言って、俺、ママの事好きだから!」
「知ってるよ!前に聞いたじゃん!」
「だから、無理だから!」
「分かってるって!何で改めてもう一度言うわけ?」
「普通に、客として店に行ってるだけじゃない!」
「もう、いい加減自分の感情は捨ててたのに、何で今更・・・。」
「分かってるんならいい!じゃ、おやすみ。」
そう言うと、大将はふらふらと自宅方向へ歩って行った。
――何で、も一度振るわけ?――
――意味不明――
でも・・・落ち込んだ・・・
その後の記憶は無いに等しいが、店に戻って飲み直したのだけは覚えている。
後日、マスターから聞いた話によると、泣きながら演歌を熱唱していたらしい。
やっぱり《泣き上戸のひかる》は、いつまで経っても変わってはくれない・・・
感情移入が激しいのだ。
『シャングリラ』の常連なら既に誰もが知っている公然の事実。
「ひかるは、いつもモニターに向かって泣いてるよな!よく毎回毎回泣けるよ!」
マスターは、いつの間にか私の事を呼び捨てにするようになっていた。
だけど、別に嫌な感情は湧かなかった。
多分だが、《親しみを込めて》みたいな類のものだろう。
常連の女の客に対して、《さん》とか《ちゃん》などと付けて呼ぶ人は、明らかに年上か、上役の連れ以外にいなかったから。
今日は『日向』に行かず、8時のオープン時刻に合わせて『シャングリラ』に直行した。
私が一番乗りだった。
カウンター席に座り、中に居るマスターと二人だけの時間が流れて行った。
「ママって、マスターの奥さん?」
「んなわけないだろ!!」
「昔からのダチってだけだ!」
「えっ、じゃ奥さんは?」
「去年別れた。」
「へぇ、理由は何?」
「性格の不一致!」
「面白味の無い答え・・・」
「離婚が面白いわけないだろ!」
「やっと、苦痛の日々から解放されたよ!」
「俺にも、こんな楽な人生があったのかってね!」
「だよねぇ・・・」
「もう、結婚は懲り懲り」
――そっか、独り身なんだ・・・――
この感情が、後々の自分を左右するなんて、考え付くはずも無かった。