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壊れた日常の修復(3)

とうとう寝付けず朝を迎えてしまった。

ずっと、夜の情景を思い浮かべていた。

――58にもなれば当然か・・・――

――当然だとしたら、何故私を誘ったのか?――

――やはり、お酒の勢いだったのだろうか?――

泣き腫らした眼を冷たいタオルで冷やすこと30分。

何とかメイク出来る迄に回復した。

離婚してからの、出勤初日。

弛んだ姿勢で臨む訳にはいかなかったのだ。

――やる気の無さを見せたら、〝もう来なくていい!〟と、言われ兼ねない。――


事務所迄は自転車で10分程の距離だった。

9時8分前に到着したが、前原は既に来ていた。

中央の出入り口に対し、前原と他の社員のデスクは左側に、私のデスクは右側に配置されている。鰻の寝床の様な、横に細長い17畳程のスペースだった。

経理の仕事上、あまり人に見られない方が良いとの考えで、前原は昔から経理のデスクだけは孤立させていた。

でも、私的には個人の思いが他にあった。

――仕事をしながら、煙草の吸える空間。――

――仕事をしながら、音楽の聴ける空間。――

だから、4年前この事務所に移転した際には、自分の空間のみパーティションで仕切ってしまった。

事務所内での喫煙場所は、私の部屋とキッチンの換気扇前だけだった。


パソコンの電源を入れ、メールのチェックをしていると前原がノックしてドアを開けた。

「この一ヶ月間の納品書、全部見せて!」淡々とした口調だった。

一冊のファイルと未処理伝票を引き出しから出すと、

「これで、全部です。」そう言って手渡した。

ざっと、それらに目を通すと、

「『グッドサプライ』の伝票は?」

WEBサイトのいわゆる文房具店だった。文具の他に、日用雑貨や食品・家具等も

扱っている。

「無いですか?注文してるから、納品書あるはずなんですけど・・・」

「でも、請求書に内訳がみんな載ってますから、納品書が無くても問題ないですよ。」

――なぜ、『グッドサプライ』に(こだわ)っているんだろう?――

――現場の仕入れで利用した覚えは無い・・・――

――だけど、ただでさえ機嫌悪いのに、それに輪を掛けてもなぁ・・・――

不能に思われるのが嫌で、再度、未処理伝票の入ったクリアホルダーの中を捜し出した。

――あった!――

早速、前原のデスクに向かい、

「ありました。」

前原は内訳を確認すると、他の伝票の上に放り投げた。

――何なの?――


それから、一時間が経過していた。

再び、前原がノックする。

「ちょっと話があるんだけど、こっち来てくれるかな!」

ミーティングテーブルの椅子に座る前原の正面に腰掛けた。

「何ですか?」

「随分、会社通して仕入れしてたみたいだけど、そこら辺どうなってんの?」

今朝の意味不明な行動に、全て合点(がてん)がいった。

要は、『私が会社名義で散々物を買った挙げ句、支払いをしないで辞めるつもりだ。』と言う事だろう。

――冗談じゃない!――

怒りが込み上げた。

――そんな汚い真似なんかしないよ!――

でも、もう(いさか)いは御免だった。静かに残り半月を全うしたかった。

私は自分のデスクに行き、引き出しから一つの請求書を取り出すと、それを持って前原の下へ戻った。

「会社で買った物は全て自分宛の請求書を作成して、先週銀行に振り込みも完了しています。」

言いながら、前原に内訳明細の部分を開いて見せた。

「なんなら、銀行の口座照会もしますか?」

「分かった。」それ以上、何も言わなかった。

――そっちが、そういう態度なら、私にも聴きたい事がある。――

「ところで、退職金って出るんでしょうか?」

「出ない。今迄高額な給料を払って来たんだから。」

「それに辞めても、半年間は失業保険が出るでしょ!」

「私の場合、経営者の家族なので労働保険には加入できないんです!」

「だから、失業保険も貰えません。」

「とにかく、会社からの支払いは無い。」

「今回の事で、俺の方は杉田弁護士立ててあるから、何かあれば杉田さんに連絡入れて!」

――もう、何も言う気になれなかった。――

――変われば変わるもんだ・・・――

――大体、『高額な給料』って何?殆どが生活費に消えるって知ってたくせに!――



引き継ぎの為の残務処理が続いていた。

前原も他の社員もさっき帰り、やっと緊迫した一日が終わったように思えた。

煙草をゆっくり吸い込んで、ため息混じりの煙を吐いた。

――今夜はまっすぐ帰ろうかな・・・――

――でも、大将の顔、見たいしな・・・――

――大将が変わってたらどうしよう・・・――


ぼうっと時間をやり過ごし8時半になって退社した。

ペダルを漕ぎながらずっと悩んでいたけど、結局、『日向(ひゅうが)』の前迄来てしまった。

『日向』とは大将の店の名前。

宮崎の生まれ故郷から付けたらしい。


入り口で、まだ躊躇(ためら)っていた。

自転車の止め方を変えてみたり、締め終えた鍵をチャラチャラ鳴らしてみたり・・・

でも、その時救いの主が現れた。大ちゃんと森尾さんが連れだってやって来た。

二人共、オープン当初からの常連さん。

――何とかなった・・・――

――二人と一緒に居れば良い・・・――

――そうすれば、大将がもし私を無視しても平気なフリが出来る・・・――

「お晩で~す!」私から口火を切った。

「あらお嬢さん、随分遅いご出勤じゃな~い?」森尾さんは、時々女っぽい言葉を使って、おどけて見せる。

6人きょうだい中、男は森尾さんだけ。しかも末っ子で、お姉ちゃん達と過ごした少年時代に自然と女っぽい言葉を習得したらしい。

もっとも、結婚して30歳を超えた息子さんらがいるから、中身は完全に男なのだろう。

「今、仕事、片付いたんですよ!」

「二人一緒なんて、珍しいですねぇ。」

「そこで、偶然会ったんだよ!」大工の見習いで『大ちゃん』。これも、善ちゃんが突然言い出したあだ名。


大ちゃんがドアを開けて中に、そのあとを森尾さんに勧められたが、右手で『どうぞ』の仕草をして見せると、森尾さんが先に入った。続いて、私も恐る恐る入る。

「らっしゃ~い!どしたの?珍しい組み合わせじゃない」いつもの大将だった。

「今そこでバッタリだよ!」大ちゃんがカウンターの奥の席に座りながら答えた。

「さあさあ!レディは真ん中にどうぞ!」森尾さんの声に、

「どうもです~!」私は森尾さん用の椅子を引きながら腰掛けた。

「今夜は閑古鳥が鳴いてたの!」ママが奥から出て来た。

「もう店閉めようと思って、飲み始めちゃったよ!」そう言うと、大将はいつものビールジョッキに焼酎を足した。

――大丈夫そう・・・――

――まだ、話し掛けるのは怖いけど・・・――


――今日が平気なら、明日からはもっと平気になれる。――

そう思っていたのに・・・


その日から三日後、先に来ていた善ちゃんと森尾さんにからかわれた。

「ぴかっち、大将と何かあったらしい()じゃないですか~?」

善ちゃんの顔が、にやついている。

「えっ、何かって何?」

森尾さんを見ると、同様に知っているのが分かった。

「だからぁ、大将ん()行ったんでしょ?」

一瞬にして、頭が真っ白になった。

――大将が喋ったんだ!――

――どこ迄?――

私は、白を切った。

「別に、カラオケ屋のあと行ったけど、一杯飲んで帰ったよ!」

「ホントにぃ?それだけぇ?」

「何もあるわけないでしょ!」

「大将は、あれこれ言っとったけどなぁ・・・」

「酔っ払いのジョークを、いちいち真に受けないでよ!」

「そない言うんなら、そういうことにしときましょ!ねぇ、森尾さん!」

カウンターの中で大将は料理を作りながら、確かにその話を聞いていた。

でも自分が口を挿む事はなく、その後話題はプロ野球に移っていた。



自宅で0時の針を確認し、大将の携帯に電話した。

「もしもし」

「どういうつもり?」

「なんで善ちゃんや森尾さんが知ってるの?」

「あぁ、昨日酔っ払って話しちゃったかも!」

「ふざけないでよ!人に言いふらすなんて、あり得ないでしょ!!」

「他の人にも、話したの?」

「あの二人だけだよ!ごめ~ん」

「ごめんじゃないわよ!」

「兎に角、今後一切喋ったりしないでね!」

「それから、あの二人に何か聞かれたら、〝冗談だよ〟って言ってよね!」

「わかった。また、明日な!」

電話を切っても、怒りは治まらなかった。


それから、何杯(あお)ったんだんだろう・・・

何もかもが汚く見えた。

――前原といい、大将といい、この頃ムカついてばかり・・・――

――どっか旅行でもして、のんびり温泉三昧したいな・・・――


外は横殴りの雨だった。

――この雨と一緒に、あの二人の記憶も流れてなくなればいいのに――

そう願わずにはいられなかった。


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