壊れた日常の修復(2)
大将の家は、店から自転車で5分程の距離の所にあった。
マンションの7階。
2DKの部屋は、整然としているせいか、男やもめには広過ぎると思った。
畳敷きの居間には、テレビが乗ってるローボードとテーブルしかなく、開け放たれた引き戸の向こうにはフローリングの床に少し大きめのベッドとサイドテーブルだけが置かれていた。
「随分、生活感の無い部屋だね!」
「殆ど店にいるからな・・・」
「何、飲む?」
「お酒の類、何かある?」
「いつもの焼酎で良いか?」
そう言ってキッチンに立つと、手際良くウーロン茶割らしきグラスを二つ、手に抱え戻って来た。
「岡本さん、まだ飲むの!?」勢い余って言った。
「バカ!俺のは酒入ってないよ!」
――良かった・・・大将が二日酔いだと、いつも機嫌悪くて周りの気が滅入るトコだった。――
「家で飯作ってないから、つまみは無いぞ!」
「全然平気・・・」
――吸い殻がいっぱい。私と同じだ・・・――
ベランダには、今日洗ったと思われる洗濯物がたくさん干されていた。
「一人暮らしって、寂しくない?」
「風呂入って寝るだけの空間だから、どうってことないよ!」
「俺の大好きなテレビはあるし、エロビも観れるし!」
エッチなビデオに無関心だって分かったのは、それから半年も後の事だった・・・
「俺、シャワー浴びてくるから、ちょっと一人で飲んでな!」そう言ってテレビを点けると、リモコンを私の前に置き部屋から出て行った。
吸い殻をゴミ箱に捨てようとキッチンに行くと、左脇の浴室からシャワーの音が聞こえてきた。
――結局、付いて来ちゃったよ!これっていいのかなぁ・・・――
――好きな人にあんなキスされて、帰る気になんてなれなかったし・・・――
――でも、別に大将は私の事、何とも思ってないんだろうな・・・――
――まっ、いいか・・・お互い独り身なんだし・・・――
暫くすると、短パン姿で現れた。
上半身は裸だった。
首にバスタオルを掛け、いつものオールバックの髪は濡れて瞼の辺り迄あった。
「ひかるも浴びる?」
「うん・・・」
「これでいいよな!」そう言いながら、首のバスタオルを軽く放り投げた。
浴室もきれいに掃除されていた。
――へぇ・・・案外、几帳面なんだ・・・――
店の中は、お世辞にも綺麗とは言い難かった。
壁の染みも床の隅の埃も、常連客にとっては然したる問題ではないが、たまに訪れる人にとっては決して好印象ではないと思う。
――今日掃除したって言ってたからそれで綺麗なのかなぁ・・・――
ロンTだけ身に付け居間に戻った。
深夜のスポーツニュースでゴルフの順位表を掲げているテレビをじっと観ながら、
「サッパリしたか?」
「うん。どこもかしこも綺麗にしてるね!」
「掃除、好きなんだよ!」
「もっとも、週末しかやらないけどね!」
大将が隣室に向かった。
そして、ベッドの布団をめくると壁際の方に寝転んでこっちを見た。
私はあれこれと言葉を探したけれど一向に出てくる気配は無く、観念したのか或いは待っていたのか、さも促されたかのように、黙ったまま居間のテレビと照明を消して後に続いた。
カーテンを閉めていない外からの月明かりだけが、互いの位置を明確にした。
「脱いで・・・」
「自分は?・・・」脱ぎながら聞いたけど、大将は右腕を伸ばしただけで私の要望には応えてくれなかった。
枕の無い右腕だけの傍らに掛布団と一緒に横になった時、瞬時に掛布団が捲られた。
大将の視線は、明らかに私の身体を舐めまわしていた。
私はこの段になっても、まだ躊躇していた。
――何か、喋らなくっちゃ!!!――
そんな私の思いなんかつゆ知らず、乳房から太もも、そして次には秘所迄、徐々に手を這わせていった。
指先が密林を侵入してきた時、思わず嗚咽が漏れた。
――ダメダメ。ひかる!何か喋らないと!――
だけど、その指先が徐々に奥へと進むにつれ、いたずらっ子のように右往左往を繰り返す指先に翻弄された。
滴が洪水に変わる・・・自分でも分かった。
そして又、『自分は弱者』なんだと思い知らされた。
次第に腰は反り返り、呼吸も荒くなっているのが分かった。
「天井桟敷か・・・」静かな声が、確かに耳に届いた。
「どうやらそうみたいね・・・自分じゃ分からないけど・・・」擦れた声の私・・・
指先の動きに呑み込まれぬようにと、頭の中だけは必死でもがいているのに、私の身体は何と正直な事か・・・
男性にとっては一種憧れ的存在らしいが、私自身はどうでも良かった。
『天井桟敷』と言う言葉は、昔、沢渡から聞いていた。
――喋るなら、今?――
「昔、付き合ってた人が同じこと言ってた・・・」
今にして思えば、何とくだらない発言をしたものか・・・
でも、その時は無我夢中だった。
尚も奥を淡々と弄ぶ指先に『好きな大将』は『愛する人』に変貌していた。
「ねぇ、きて・・・」
「お願いだから・・・」
懇願とも思える一言・・・一言・・・
でも、大将のそれに触れた時、現実を・・・
そして、我に返った。
お酒のせいか、歳によるものか、はたまた、私に魅力を見い出せなかったのか・・・
――そんなはずは・・・嫌っ!・・・――
短パンと一緒にトランクスも下ろして顔を近づけ様としたけど、両手で脇を抱えられ、自分の胸元まで持ち上げられてしまった。
大将は黙って私の肩を抱いていた。
「なんで?」私はその場に起き上がって聞いた。
「ねぇ・・・」大将の胸元を揺すった。
それでも、眼を瞑ったまま腕を組み、返事は無かった・・・
私が着替えようとベッドを離れた時、
「眠たいなら、寝ていけば?」相変わらず、眼は瞑ったままだった。
「うぅん、帰るよ・・・じゃあね・・・」
大将がそれ以上、私に意思を示すことはなかった。
帰り道、色んな方向性から答えを見つけようとしたけれど、所詮は無理だった。
歩きながら、胸の痛みに涙が溢れた。
――遊びでも、抱いてくれてたら、今ここにこうしていなかったのに・・・――
――お酒のせい?私のせい?――
――この次、どんな顔をして会えば良いの?――