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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

バーデン・ロード

作者: オオミノガ
掲載日:2026/06/13

5年前。

第4王子率いるセントクオーラ大聖堂騎士団の大反乱でソフィロト王国の王政は覆され、3世代と74年というその沈黙の暴政に幕を下ろした。

それまで国民を苦しめていた税も新しい王となった第4王子によって大幅に下げられ、インフラや生活水準も目立つほどに改善された。

新しい生活の中、人々は少なくとも表面上は大きな事件に巻き込まれることなく、それまでと同じように自分の人生を歩んでいた。






チューリップが咲き始めた頃の季節、キャンタラの町にて───

人の賑わう午後過ぎの酒場で数人の男たちがテーブルを囲いながら話し合っていた。

「なあ、聞いたか?昨日また『出た』ってよ」

「あの『辻斬り魔』か?聞いたぞ、今度はキャンタラへ来たってな……」

「それで夜道を歩いていた運の悪い酔っぱらいがそいつ遭遇してしまったらしい……夜警が発見した頃にはもう両足が切断されてたんだと……」

「断面が凍っていたから犯人は氷魔法の使い手であることは確かだ……だが考えてみろ、氷魔法なんぞ今じゃあその辺の修道院学校に通ってるガキでも難なく使える……ましてや犯人はキャンタラやトルーヴィアなどの人口の多い都市をターゲットにしている。これでどうやって炙りだせってんだよ」

「数日の間は夜道を歩くのを避けるべきだな、これは……」

「…………」

男たちの話に尖った耳を傾けるのは青髪のエルフ族の女性。客に差し出すはずの料理を手に持ったままその場に立ち止まり物珍しそうにじっくりと話を聞いていた。

「ちょっとアンジェアくん!何ぼーっとしてるの、お客さんが待ってるよ!」

カウンターテーブルから聞こえるのは店主の声。さっぱりとした顔立ちにメガネをかけた彼の姿はなんとも知的だ。

「あっはいすみません!」

彼の声に驚きながらぎこちない足つきでアンジェアと言ったそのエルフ族の女性は客に料理を差し出す。

その時、酒場の扉が静かに開く。中に入ってきたのは1人の若い男。赤黒いの髪に紫色の瞳を持っていた彼は中性的な顔立ちだった。黒いローブを羽織っており、中心にXの字を模した模様と2つの縦線が引かれた奇妙な紋章を持つマントが背中に背負った剣を包み隠すように靡いていた。

(ここらでは見かけない顔だな……)

人々がそう戸惑う中、男は酒場の中へと歩き寄る。そして何をしでかすのかと思えば、突然彼は跪き、うつ伏せに倒れる。

困惑しつつもアンジェアは彼を起こそうと駆け寄った。だが男はうつ伏せになりながらも震える右手で人差し指を立てながらこう言った。

「み……水を一杯くれないか……あと出来ればパンも……死にそうなんだ、マジで」

男のその姿が人々とアンジェアの戸惑いと困惑、そして呆れを更に加速させた。



「いやー、助かったよ。エルフの嬢ちゃん。これであと3日は死なずにすみそうだ」

コップ一杯の水を飲み干しながら男は元気のいい笑顔でアンジェアに声をかける。

「……老舗の酒場のオーナーをやっている以上、ここら辺の区域の住民とはほぼ全員面識があるんですが……あなたは見たことがない顔ですね。その衣装と装備から見るに旅人でしょうか?」

鋭い目つきで店主はすぐさま男の正体を見破る。

「はい。オレはちょっとした旅の者でしてね。名乗るほどの者じゃありませんが『トレーガー』と呼んでもらえば結構です」

「なるほど、『冒険者』ですか……でもソフィロトにある古の財宝はもう全部掘り起こされてる上に特にこれといった冒険スポットはないし、もっと別の国を選んだ方が良かったのでは?第一この国でそんな目立つように剣なんて背負ってたら兵士たちに目をつけられるし……」

「そのことは承知しています。でも、オレには『この国を旅しなくっちゃならない理由』があるんですよ」

その瞬間に、それまで呑気な笑顔だったトレーガーという男の目つきは鋭くなった。

「ねえねえトレーガーさん!その剣ちょっと見せてもらってもいいですか?」

トレーガーと店主の会話なんかそっちのけで、彼の背負っていた剣に目を光らせるのはアンジェア。

「どうしたんだ嬢ちゃん、まさか生まれて一度も剣を見たことがないってことはないだろうな」

「そのまさかですよトレーガーさん。彼女は山奥のエルフの里の出身でしてね、剣はおろか新聞もバックギャモンも何もない小さな村に生まれたから見たことのないものにはすぐに興味がわく好奇心旺盛なんですよ。もっとも、彼女は他の同族と比べて外交的な性格だったから人一倍天然で能天気な困った子なんです」

「そうなのか……まあでも、物事に興味を持つことは悪いことではない。よし、思う存分オレの剣を見てけ。手を切らんように気をつけろよ」

「はーい!」

トレーガーは背負っていた剣を抜き、アンジェアが誤って剣身に触れないよう、ポンメルが上に向くように床に剣を立たせる。にこやかな表情で剣を見たりヒルトを触ったりするアンジェアを目に、トレーガーの目つきもいつしか穏やかなものに戻っていた。

(バックソード……ソフィロトの一般の剣士が使うような剣ではない……この国の剣士は確実に相手を仕留めるためにブロードソードかダガーを持っているはず……なのにこの男、わざわざ両刃の剣ではなく『峰アリ』の剣を使うとは……この男……一体何者だ……?)

無邪気なアンジェアとは裏腹に、店主の目は疑問と疑いに満ちていた。



「さて、腹ごしらえも終わったことだし……オレはまた旅路に戻るとしましょう」

「待ってくださいトレーガーさん。まだ勘定を済ませてないでしょう?」

「ギクッ!!」

店主の言葉に、酒場から去ろうとしていたトレーガーは思わず足を止めた。

「なっ……さっきの水とパンはタダじゃないんですか……?」

「確かにオードブルにも満たない量ですがちゃんとうちの品なんですから定価はつけてますよ。もしかしてトレーガーさん……文無し?」

「恥ずかしいことに……まったくもってその通りです」

トレーガーは何も入っていない巾着袋を店主に見せた。これにはさすがの彼も呆れたようだ。

「そ、そうだ店主さん。1週間だけツケさせてくれませんか。それまでオレは近くのダンジョンに生息するモンスターたちから錬金術師にでも売る素材を採取して来ますんで……」

「ふむ……ならいいでしょう。それにあなたも長い旅でどうやら体が疲弊しているようですし、払い終えるまでうちで泊まっていきませんか?うちは2階と3階が宿屋になっているんですよ」

「え……ツケさせてもらった上に泊めてもらえるなんてそんなたいそうな……」

「なあに、大丈夫ですよ。もっともうちは古いため宿が安いことで有名ですから。今夜はぜひここで寝ていってください。3階にベッド付きの空き部屋が残ってますよ」

「ベ、ベッド!?は……半年ぶりのベッドだ……ありがとうございます……!なんて恩を返せばいいか」

(ベッドでここまで喜ぶとは……さぞ壮絶な旅を続けて来たのだろうな……だが中々腑に落ちない……ソフィロトみたいな平和な国ではここまでするほどの危険な旅はしたくてもできないっていうのに……)

メガネの裏に映る店主の疑念の眼差しは相変わらずだった。






トレーガーが宿で泊まってから3日が経った頃だった。

「はい、今日の分ですよ、オーナーさん」

「ご苦労様です。疲れているでしょう、ハーブティーをどうぞ」

彼の腕は確かなものだった。毎朝鶏が鳴く前に起床してはダンジョンに向かい、戻って来た頃には巾着袋いっぱいの光沢のあるウロコやツノを持ち帰っていた。初日に平らげたパンと水のツケも既に払い終えており、今や彼がこの酒場に残っている理由は「次の旅のための休憩」であった。

「そういえば、あれから『辻斬り魔』について何も聞きませんね」

トレーガーがハーブティーをグビグビ飲みながらポツリと店主に声をかける。

「ええ、噂によれば別の町に向かったとかなんとか……」

「まあいずれにせよ、平和であることに越したことはありませんね……ところでさっきからアンジェアがオレのマントをベタベタ触ってくるんですが」

「よっぽど彼女に気に入られたようですね」

「……こうやって誰かと話し合ったり触れ合えたりできるのは久しぶりですね。オレなんてずっと……『一人ぼっち』でしたから……」

次の瞬間、酒場の外で大きな声が響く。

「号外!!号外!!辻斬り魔逮捕!辻斬り魔逮捕!!」

その声を聞いた瞬間に大勢の人が新聞売りの方へ駆け寄る。

「犯人はギトラン・フリューゼオ、32歳。元スペンセリア家の護衛の剣士で9年前に引退し現在は鍛冶屋を営んでいる……か」

「この地方では数少ない第1級氷魔法取扱資格の所持者だったことから第1容疑者として警察にマークされていたが、トルーヴィアの現場に落ちていた『1本の』ツーハンデッドソードと同じデザインのものを『1本だけ』自宅に置いていたことから即座にグリファス傭兵隊長によって真犯人と断定されたらしいってな」

「逮捕された後はずっと『オレはやっていない』と言っていたって。ツーハンデッドソードについては『これと同じデザインの剣なら金さえあれば王都の武器屋で買える、オレが片方しか持っていないのは去年失くしたせい』だと」

「これだけ証拠があるんだし、処刑は免れんだろうな……」

真犯人が捕まったと聞いて、町の人々は安堵に満ちていた。店主もアンジェアも町の平和が戻ったとホッとしていたが、トレーガーだけは違った。

彼の目つきはどの刃よりも鋭く、そして普段の穏やかでどこか抜けている顔つきとは打って変わって、憎悪に満ちたような顔つきになっていた。

(違う……違う……コイツじゃない……!)

怒りで震える手で彼は新聞を握りしめ、睨みつけるように何度も何度も読み倒す。

「トレーガーさん……?」

困惑する店主の声を聞くと同時に、トレーガーはハッと我に返ったように、普段の顔つきに戻る。

「イヤー、真犯人ガ捕マッテ良カッタデスネーオーナーサン」

「ぎこちなさが隠せてないですよトレーガーさん」

いつしか西の空はキンセンカのような橙色に包まれていた。





フクロウの声が聞こえ始めた頃。

閉店時刻直前の開いた酒場にテンガロンハットを被った一人の男が訪れる。

「おや、これは……珍しい客ですね」

男の気配に気づいた店主は扉の方へ目を向ける。そんな彼に応えるよう、男は静かに帽子を脱いだ。

「ヘメーンテ・キャンタラの傭兵隊長、グリファスさん」

その男とは、あの『辻斬り魔』を捕らえた市民の英雄ヒーローであった。凛々しい顔つきに、数々の切り傷が頬に刻まれていた彼はまさに歴戦の戦士を思わせる風貌だった。

男はカウンターテーブルの方へ歩み寄り、チェアに腰をかけた。

「エールを一杯注いでくれないか、喉が乾いているんだ」

グリファスの要望に応え、店主はコルク栓を抜き、淡々とエールを木製のコップに注ぐ。

「中心街で活躍しているあなたが、ここに来るとは意外ですね」

「ちょっと人を探しているんでね。この区にいると部下から聞いたからわざわざここへ足を運んだのさ」

酒場の中にはもう誰もいなかった。その2人の男と、上の宿で寝ているトレーガーと寝室にいるアンジェアを除いては。宿に泊まっていた旅人たちも辻斬り魔が逮捕されたと聞いた瞬間に全員部屋を引き払ったものだから、その酒場と宿屋にはたった4人しかいなかった。

「人探し……ですか」

「そうそう。ソイツはこの酒場にも訪れていたって聞いたのだが……『レヴァン・ザイオンベルク』と言う男を見かけなかったかい?」

「さあ……知りませんね」

「ああ、そうか。この名は今じゃ通用しないんだった。その男は今……『トレーガー』と名乗ってるんだっけなぁ……」

「……!!」

ほんの一瞬だけだった。酒場の空気が氷ついた。


ドゴォォォン

 

何かが強く吹き飛ばされた、そして壁か床にぶつかったような鈍い音が上の宿と寝室にまで届いた。

その音で真っ先に目を覚ましたのはアンジェア。エルフ族特有の直感で異変があるとすぐに察した彼女はすぐさまベッドから飛び起き、1階へ向かう。そこで彼女が目の当たりにしたのは、左腕が凍ったままカウンターテーブルの奥で壁にもたれたまま座り込んでいた店主。おそらく斬撃を受けたのであろう、幸いなことに大怪我ではなかったものの、腕を纏う氷は少し赤く滲んでいた。

「て……店長!!」

階段を下りてきたばかりのアンジェアは店主の姿を見るなり駆けつける。必死に店主を起こそうとする彼女の目には涙がこもっていた。

「やめてくれアンジェアくん、揺らすんじゃない、もっと死ぬ。それよりトレーガーさんだ……さっきグリファス隊長がここへ来たんだがどうやら彼を探しているらしい……彼に会わせるのを断った瞬間にいきなり吹き飛ばされたんだ……」

「え!?じゃあグリファス隊長は今どこに……!?」

「キミが階段を下りている間に彼は外へ飛び出たんだが……ついさっき地面を蹴る音が聞こえたからおそらくジャンプで上の階へ向かってトレーガーさんを探している頃だろう……不甲斐ない、店主ともあろうものが客を守りきれなかったとは……」

「店長……!」

店内は沈黙に満ちた。何の音も聞こえなかったが、2人の悲嘆だけが確かに響きわたった。




3階の窓を割り、グリファスが宿に入り込む。彼が侵入した部屋の隅ではベッドに横たわったトレーガーがいびきをかきながら心地よさそうに眠っていた。

「やっと……やっと見つけたぞレヴァン!!」

あまりの歓喜に、グリファスは心臓の鼓動と荒い息を隠せなかった。彼は物音すら立てずベッドの方へ歩み寄り、ゆっくりとサーベルを抜く。

「これで終わりだ、レヴァン。今すぐ仲間の元へ送ってやろう!!」

サーベルの刃がトレーガーの眉間に当たる寸前、トレーガーは落雷の如き速さで目を覚まし、横へと身をかわしグリファスの斬撃を見事に躱した。

バタッ


「痛ってェ!!アザ出来るってこれ!!アザじゃなくてもタンコブ出来るって!!」

だが転がる勢いが強かったのか彼は見事にベッドから転げ落ち、額を勢いよく床にぶつけた。

(なんだ……コイツは……これがあのレヴァンなのか……?)

そのマヌケさにどうやらグリファスですらも呆れを覚えたようだ。

「おい貴様。レヴァン・ザイオンベルクで間違いないな?」

グリファスは再びその名を口にした。その言葉を聞いた瞬間にトレーガーの目つきはまた鋭くなった。だが彼は感情を抑えまたいつもの穏やかな顔つきに戻った。

「レヴァン……?知らないな、そんな名前は。お前の目の前にいるのはトレーガー、ただのしがない旅人だ」

「どうした、旅の途中で頭でも打ったのか?いや、お前のことだ、『忘れているフリ』が正しいか。お前がどう演技したってこのオレを欺こうなど無理だ。よく見てみろ、このサーベルに見覚えはないか?」

薄暗い部屋の中で光を反射するターコイズブルーのサーベルが視界に写り、トレーガーは何かを思い出したかのように叫ぶ。

「お……お前は!!『氷蝕のベルナラント』……!!」

「ラストネームだけは覚えておいてくれたか。さて、改めて……5年ぶりだなァ!!セントクオーラ大聖堂騎士団、第1部隊隊員……『レヴァン・ザイオンベルク』よ!!」




アンジェアは必死に階段を駆け上がっていた。もう遅いかもしれないが、せめてもの少しの希望にかけて、トレーガーをこの宿屋から助け出すために。

「トレーガーさん────」

彼女が3階に着いた瞬間だった。火花が散るほどの、金属がぶつかり合う激しい音が聞こえた。廊下の壁と床は既に刀傷だらけで、窓も絵画も割れていた。

そして彼女の目に映るのは激しく斬り合う2人の男。お互い互角なようでどちらも中々傷をつけられずただ鍔を競り合うのみだった。

「わざわざ例の事件が起きたばかりのこの町へ来るとは……お前も犯人がオレだと薄々気づいたのだろう、レヴァンよ」

「『辻斬り魔』の被害者は全て新王政の支持者あるいは5年前の大反乱で第4王子側についた者……ギトランがかつて仕えていたスペンセリア家は元々第4王子を支持していた一族だ。ましてやギトランもあの時オレや騎士団たちと共に戦っていた反乱側の人間……かつての戦友ともあろう者たちをギトランが斬るはずもないし、そもそも斬るメリットなどない」

剣のグリップをさらに強く握りしめ、トレーガーは続ける。

「被害者たちの断面に氷がついていたことからお前だと疑っていたけどな……お前は旧王政から抜けたあとどこで何をしているのか、そもそも生きているのかすら分からなかったから深く考えるのは避けていたが、まさかこんな形で出会うとは……先王の近衛兵の次は傭兵隊長か?ずいぶんと余裕こいて生きてるじゃないか」

「お前こそ、あの時第1部隊の連中と一緒に死んだと思っていたんだがな……今は寝床を探すことすら必死な浮浪者か?だいぶ成り下がったようだな、レヴァンよ。心なしかお前の腕力も剣術も下がったような気がするぞ!!」

ひらりとトレーガーの刃先をかわし、グリファスは階段を上がって来たばかりで立ちすくんでいたアンジェアに目をつける。

「そういやこの女、餓死寸前のお前を救ってくれた恩人だってな?ここに一発……傷をつけたらお前は5年前みたいに本気を出してくれるかな?」

「ひっ……!」

邪念に満ちた笑みでアンジェアの首に刃先をつきつけるグリファス。冷たくそして鋭い金属が首に当たったその感触は、膝から崩れ落ち、涙を出すほどの恐怖を与えるのに十分だった。

「やめろオオ!!」

正に鬼のような形相で駆けつけるトレーガー。今にもグリファスを斬り倒すと言わんばかりにバックソードを構えていた。

「右半身がガラ空きだぞレヴァン!!」

おそらくこのこともグリファスの想定に入っていたのだろう。彼は即座に左手に冷気をまとい、それを勢いよくトレーガーの左肩にぶつけた。

「ぐっ!?」

次の瞬間、トレーガーの右肩が凍りつく。不運なことに彼の利き腕は右腕である。だがトレーガーは即座に左手に剣を移し、目にも留まらぬ速さで剣を振り上げる。

「ぶっ倒れろォ!!」

「なっ……」

グリファスが反応する暇もなく、その剣は振り下ろされる。だが、トレーガーは彼を斬らなかった。ポンメルでグリファスの額を叩きつけたのだ。

頭蓋骨が軽く陥没したような鈍い音と共に、グリファスの額から廊下の灯を赤く反射する血が滲み出た。

ふらつきながらも、グリファスは上手く壁にもたれかかり、立ち直る。



「回復魔法、か……」

ポンメルから血をポタポタと滴らすバックソードを左手に、トレーガーはグリファスを睨みつける。いつの間にか、彼の額は止血しており、さっきまでふらふらとしていた足取りも元通りになっていた。

「御名答。今のオレには切断された腕を復活させるほどの魔力はないが、陥没した骨を直すことぐらいはできるようになったのだ」

叩きつけられたはずみで落としていたサーベルを拾い上げ、グリファスは続ける。

「時にレヴァン、さっきの打撃だが……”甘かった”ぞ。5年前のお前ならアレで十分オレを殺せていたんだろうが、今のは回復魔法なしでも後遺症は残るかもしれんが死にはしない……どうしちまったんだ?平和ボケでもしたのか?」

「わざと手加減しておいたんだよ。お前を殺すつもりなど毛頭ない。これは情けでもなんでもねえ、オレなりの”お前ら”に対する『復讐』だ」

「傍から聞けば負け惜しみにしか思えねえがな……まあ、そんなことはどうでも良い。どっちみちお前はオレに斬り殺される運命なんだよォ!!」

「来い!!ベルナラントォ!!」

2人の男は向かい合って駆け出す。肩が凍った右腕の代わりに、利き腕ではない左腕で剣を握りしめるトレーガーの左肩に、グリファスは再び右手に冷気をまとい狙いを定める。

「もう片方……!!無力化しちまえばお前は剣すら振れん役立たず(デッドウッド)だァーッ!!」

「油断しているのはお前だ、ベルナラント……!!『両足』がガラ空きだぞ!!」

グリファスの両足めがけて、トレーガーはローキックを一発入れた。

「ぐっ!!」

蹴られた勢いでグリファスはバランスを崩し、膝から転げそうになったが、うまく足をつき直すことでバランスを保った。だがその間にほんの1秒だけ時間を食ってしまったせいか、彼がバランスを取り戻した瞬間にトレーガーの左肘が彼の視界を覆う。

「落ちろ」

その重く硬い左肘はグリファスの顔面と衝突した。トレーガーはそのままグリファスをラリアットで突き落とそうと、バルコニーめがけて走り出す。

そして何を思ったのか、トレーガーはグリファスと共にバルコニーから身を投じた。




石畳で敷き詰められた道路では、酒を届けるための馬車が酒場に訪れていた。

「ええと、確かここだったな……」

馭者は店内で何が起きているのかも知らず、店前で馬車を停めようとしていたその時だった。

ガッシャアァアァァン

「うわあああァぁ!?」

突然、3階のバルコニーから2人の男が降ってきて、幌を潰し中に積んでいた酒瓶をほとんど割ってしまったのだ。幌を支えていた骨組みも全て2人の体重でへし折られ、地面には酒瓶の欠片がばらまかれ、中に入っていた酒は水たまりならぬ酒たまりとなった。

高所から落ちたダメージですっかり満身創痍の2人だったが、すぐに立ち直り、潰れかけた馬車から飛び降り、再び剣を握り睨み合う。

あまりに驚いた馭者は幌が潰れたままの馬車に乗って逃げていった。




フクロウとコオロギの鳴き声だけが響く真夜中。

薄暗い灯りで照らされるキャンタラの町では2人の男がまた剣を交わり合っていた。

「なぜあの時魔法を使わなかったんだ……お前なら魔法を使う才能は十分にあるだろう……!まさか脱退した今になっても、大聖堂騎士団の『魔法を使ってはならない』という古臭い掟を守ってるわけじゃないだろうな!?」

「お前の言う通りだ……確かに名義上だとオレは既に騎士団を抜けている……でもな、どうやら心はまだそこに置いているみたいなんだ……」

さっきまで鋭かったトレーガーの目つきはどこか憂いを帯びたものとなった。

彼の脳裏に一瞬だけ現れたのは、大聖堂の紋章を飾ったマントを羽織る彼の後ろ姿、そして左右には12人の同じマントを羽織った男女。

「やはりお前は過去に囚われていたからそんなに弱くなったのか。そうかそうか、そんなに仲間たちが恋しいんだな。なんならオレが今すぐ会わせてやろうかァ!!」

その叫び声と共にグリファスは逆袈裟斬りでトレーガーを斬りつける。

「うっ……!」

うまく後ろにかわそうとしたが、少し遅れたばかりに腰に深傷が入った。瞬間、グリファスはトレーガーの背後に回る。

「トドメに……お前の背中とその忌々しい色のマントを切り裂いてやろう!!!」

その声を聞いたと同時に、トレーガーの目つきはグリファスのサーベルよりも鋭くなる。

「オレ”たち”のマントに触れるんじゃねえ!!!」

その怒声と共に、トレーガーは刃を後ろに回し、そのターコイズブルーの剣を斬る。

「なっ……!?」

アレほど丈夫だったサーベルの剣身が真っ二つに折れた。武器を失くしたグリファスは即座に魔法で立ち回ろうと、両腕を構える。

だがその一瞬の隙をトレーガーは見逃さなかった。バックソードを強く握りしめた左手を思いっきり上に振り上げ、そして振り下ろした先の石畳を強く斬りつける。その際に、刃と石畳の間に生じた摩擦熱により、炎が生まれた。

「何ィ!?バカな、魔力なしの斬撃で炎を生み出すとは一体……一体どれほど腕力と剣術を極めれば……!?」

「これで終わりだ……ベルナラント」

グリファスが戸惑う暇もなく、周囲に溜まった酒の影響で炎は一気に燃え広がる。酒場からやや離れた場所で燃え上がったため火事にはならなかったが、それでも周りを照らせるほど強く燃えていた。

「クソッ!!魔法が出せねえ!!魔力をまとった瞬間に冷気が熱され飛び散ってしまう!!」

トレーガーの肩についていた氷塊も炎の熱で溶け、凍傷は負ったが肩が軽くなった。

両手でバックソードを握りしめ、抜刀のような構えを取る。

「生きて……生きて、生きて、生きて生きて生きて生きて生き続けて…………」

顔を上げた。真顔だったが、その鋭い瞳には計り知れない憎しみと悲しみがあった。

「詫びろ」

次の刹那、閃光の如き早さでグリファスに斬りかかる。

「ぐあぁっ……!!」

鋭い音が轟音の中響き渡る。そしてその直後、肋が何本も砕けるような、鈍く、そして乾いた音がした。

左一文字斬りだった。だが、グリファスの肉体から血は一滴も出なかった。

峰打ちだった。


グリファスは跪き、倒れ込む。

その直後。トレーガーも跪く。バックソードを燃え盛る石畳に突き刺し、うつむいたまま、跪いた。




「トレーガーさーん!!」

酒場から飛び出たのはアンジェア。彼女は炎の轟く道路へ駆け出し、必死にトレーガーの安否を確認しようとしていた。

「アンジェア……か……」

轟々と燃える火炎の中から返ったのは弱々しい声。そこにはボロボロのまま、跪いたトレーガーがいた。

血だらけになった彼の姿にアンジェアは涙を隠せなかった。そして彼を立ち起こそうと必死にその傷だらけの身体を揺らす。

「トレーガーさん!トレーガーさん!!死んじゃダメー!」

「揺らした方がもっと早死にするんだよアンジェア……」

そして次に彼女の目に映ったのはうつ伏せに倒れ込んだグリファス。

「あ……アレは……グリファス隊長……?」

「ああ。そろそろ『元』隊長になるがな」

そのうつ伏せに倒れ込んだ影はゆっくりと立ち上がる。

「!!」

グリファスに逆襲されることを警戒し、トレーガーは再びバックソードを握りしめる。だがグリファスは降参したと言わんばかりに両手を挙げた。

「完敗だよ。もうお前と戦う気はない。腐ってもオレは剣士の端くれだ。やられたら潔く負けを認めるさ」

戸惑うトレーガーとアンジェアをよそに、グリファスは続ける。

「……最後に一つ聞きたい。レヴァンよ、なぜオレを生かしたんだ?あの時のお前ならオレを両断出来たはずだ」

少し間を置き、トレーガーは答える。

「……仲間の元へお前を送りつけたくないからだ。”お前ら”がアイツらと同じ場所に立つ資格などない」

「クックック、滑稽だな。実にお前らしい」

ボロボロになった衣服を整え、グリファスは背を向けた。

「今から自首しに行くつもりだ。そうじゃないとオレに罪を被せられたギトランが報われないからな」

聞こえは良いが、良心の欠片も感じられないその言葉にトレーガーの目はまた鋭くなる。

「おっと、殺気が漏れ出ているぞレヴァン。まさかオレが自ら死刑になることを選んだことに苛立っているのかい?悪いな、オレはひねくれものだからお前の『生きて詫びろ』という要望に応える気なんて毛頭ないのさ。それじゃ、地獄でまた会おうか」

乾いた笑いと共にグリファスは去っていった。

月明かりが消え、小雨が降る。

石畳を焦がしていた炎は雨水と共に流れてきた泥で消え、明け方前の薄暗い町は雨音で満ちた。

トレーガーの瞳は、町を照らすかすかな灯りすらも反射していなかった。





昨晩の乱戦がウソであったかのように、朝の町並みはいつものように変わることなく賑わっていた。

「グリファス隊長が真犯人だったとはな……」

「昨晩血みどろの姿になりながら自首しに来たらしい……ちなみに罪をなすりつけられたギトランは釈放されたってよ」

「あれほど人望のあった傭兵隊長が辻斬り魔とは……やはり人は見かけによらないものだな……」

酒場では新しく出た号外に戸惑いながらもゆっくりと受け入れる人々がいた。

「いてて……腰がうずくなぁ……」

昨晩の傷を和らげるために手足や頭に包帯を巻くトレーガー。彼は『怪我してしまった』こと以外は何事もなかったかのように、いつものように酒場に居座りながらハーブティーやパンを嗜んでいた。

「私の治癒魔法ならそんな傷も治せるのに……ほら、店長の凍傷も私の魔法のおかげで完治してるんですよトレーガーさん。一回だけ試してみてはどうですぅ?」

執拗に自分の治癒魔法を勧めるアンジェア。しかしトレーガーはそれをきっぱりと断る。

「いや、いいよ。オレは教会側の人間だからな。魔法は可能な限り避けるよう教えられてんだ」

「ちぇっ、つまんない」

「こら、アンジェア。そんなこと言わない」

ハーブティーを飲み干し、トレーガーはふと何かを思い出す。彼は巾着袋から硬貨を取り出そうと中身を漁る。

「そうそう。今日でオレはこの町を去る予定なんでそろそろ宿代を……」

「あ、それなら全部チャラにしておきましたよ」

「え?」

「昨日(グリファス)に襲われそうになったアンジェアとこの店を守ってくれたことですし、せめてその恩義を報いようと……」

「オーナーさん……あなたって人は……!短い間でしたが本ッ当にありがとうございました!」

店主に深々と頭を下げ、再び旅路へと戻るトレーガーであった。


「ねえねえ店長」

「どうしたんだい、アンジェアくん」

「昨日ね、トレーガーさんが隊長と戦っていた時なんだけど、トレーガーさんは隊長のことを『ベルナラント』と呼んでいたの」

「『ベルナラント』……ボクの記憶が正しければ、先王直属の近衛兵の一族だったような気がするな。確か5年前に一族の長男がセントクオーラ大聖堂騎士団の第1部隊と真正面から戦い、その後は上手く生き延びて、身分を隠してどこかで生きていたとかなんとか。トレーガーさんがグリファス元隊長のことをベルナラントと呼んでいたならもしかしたら彼の正体は本当にベルナラント家の長男だったのかもしれないね」

「大聖堂騎士団第1部隊……強そう」

「騎士団の中でも特に強い騎士たちが集う部隊だったからね。でも大反乱の時に13人のうち12人が戦死し、残った1人は墓がないから生死不明だって。噂によれば、その残った1人の瞳は紫色だったらしいけど……まさか、ね」







人が集い、声と足音が飛び交うキャンタラの市場を通り過ぎるトレーガー。昨晩の傷の痛みと共に、おそらく生涯消えることはない、今もなお彼を縛り付けている過去の記憶が脳裏をよぎる。



およそ8年前。

当時のトレーガー、すなわちレヴァン・ザイオンベルクは、セントクオーラ大聖堂騎士団第1部隊に所属していた。

この部隊の隊員に選ばれたのは彼を含めてたったの13人。まさに強者しかたどりつけない境地であった。

だが、そんな堅苦しい騎士団の空気とは裏腹に、彼らは互いに心を通わせていた。

共に戦った戦友であったのと同時に、共に喧嘩し共に笑い合った、かけがえのない仲間ともであった。

……その時が来るまでは。



5年前───

白く染まる空の下、大雨の降る墓地。

雨具も持たず紫色の瞳を持つ1人の男が12基の墓の前に立っていた。

「やはりここにいたのか」

ウールマントを着た神父がレヴァンの背後に現れた。

「神父さん」

「風邪を引くぞ。そろそろ聖堂へ戻るんだ」

「……もう少しだけ待っててください。もう少しだけ、仲間たちのそばにいたいんです」

「……もうそれ以上悲しまないでくれ、レヴァン。お前の悲しむ姿を見て私も悲しくなってしまう。その惨めな姿を天国にいる仲間たちが見てしまったら彼らはどう思うのか……なにより仲間はいなくなったが、お前は孤独になったというわけではないだろう?故郷にはまだ家族がいるはずだ……」

「死にましたよ」

「え?」

「死にましたよ。オレの妹は。反乱に成功して、仲間たちを失った悲しみをこらえて故郷へ戻った時には、地元の住民に埋葬されてました」

「……」

「疫病だったらしいです……可哀想に……」

「……本当にすまなかった」

「神父さん」

「何だ?」

「神はいると思いますか?」

「神父の身としては『いる』と答えたいところだが……私にもわからん。誰もその姿を見たこともないし、その声を聞いたこともない。ただ、神がいるとするならきっと彼は人間に無関心なんだろうな」

「神は人間に無関心……あながち間違ってはいないでしょうね。神がいつも天から人間を眺めているなら、悪人たちはきっと皆んな裁かれていた……けど、今もこうして、悪政の限りを尽くした旧王政の生き残りたちが、どこかで身分を隠しながらのうのうと生きてるんですよ。アイツらは死んだっていうのに……なんで……」

「…………」

雨はさらに強くなった。レヴァンの顔は雨か、それとも涙でびしょ濡れになったのかすらわからないほどだった。




3年前……反乱から2年の月日が経った頃。

たまたま港町を訪れていたレヴァンの元へ一人の男が駆け寄る。

「ついに……ついに見つけましたぞ!!レヴァン殿!国王陛下がお呼びです!どうぞ馬車へ!」

その男は服装から察するに国王直属の近衛兵だろう。「どうせ行く当てもない」と考えていたレヴァンは、大人しく馬車に乗り王宮へと運ばれた。


華やかで派手だった旧王政の王宮とは違い、新王の王宮は装飾の少ない、やや質素なものとなっていた。レヴァンの姿を見るや否や、新王は玉座から降り、彼の元へ歩み寄る。

「おお、レヴァンくん、キミを探していたよ。2年前の大反乱以来、キミは行方をくらましたと聞いて焦っていたが、どうやら無事で良かった。ここで一つキミに聞きたいが……私の側近になってくれないか?2年前、私はキミの活躍を間近で見てきたから、キミがどれほど優秀なのかは私が一番良く知っている。今すぐじゃなくてもいいから、どうかじっくり考えてくれ」

ほんの数秒だけ考えたあと、レヴァンはこう返した。

「誠に光栄です。ですが、仲間が死んでいるのに私1人が栄職に就くなど到底考えられません。この命、お断りいたします」

「……そうか」

レヴァンの言葉に苛立った1人の兵士が叫ぶ。

「おい貴様!!陛下の命を断るとはどういうつもりだ!!」

「落ち着いてくれバルノくん。私は戦線で彼とその仲間たちをずっと見てきた。だから彼が仲間を失った気持ちもよく知っている。ここは無理に彼を引き止めず、そっとしておいてやるべきだ」

王宮を去るレヴァンの背中は、静かでありながら底しれぬ悲しみをはらんでいた。


その日の午後、レヴァンが王都を去ろうとしていた時だった。

壁に張られた手配書に、かつての敵である旧王政側の人間の名前と似顔絵が刻まれていた。

「こ……コイツは……!?」

レヴァンがその手配書に張り付くように見つめていた時、王都民の中年男性が声をかける。

「おや、コイツを知らないのかい。ヤツは新王政に反攻しようと火薬を密輸していた罪で指名手配されているのさ。今は逃亡に成功してどこかで暮らしているんだってな……身分を隠して海外で資産家になったって噂もある……」

その言葉を聞き、自分の人生の中で彷徨っていたレヴァンはついに答えを見つけた。

(暴政の限りを尽くした旧王政側の残党は今もどこかでのうのうと生きている……これじゃ、死んだ仲間たちが浮かばれないじゃないか。オレは唯一の生き残りだ。アイツらの無念をオレが晴らさなきゃ、誰が晴らす……?)


その日から、『レヴァン』という人間は消えた。

残ったのは『背負う者(トレーガー)』のみ。





キャンタラの町を抜けた先には夕暮れでくすんだ色に染まる平原。

そこへ一吹きの風が通り過ぎる。まるで彼を旅路から追い返すように。

トレーガーは歩いた。風向の方へ。


1つのバツ印、そして2本の縦線を引いたマントを握りしめ、彼は声を上げる。

「ランドール……レオン……クロエ……ウィットニー……」

「グレン……ベルフィールド……ブラムバーグ……リエム……」

「ヴィオラ……サイラ……ローゼベルト……ロイエル……」

「待っていろ……この旅が終わったら……」


たった一人の弔い合戦は、今日も続く。

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