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すみれ

作者: 桂螢

灰色をした分厚い雲に覆われた空だが、雨は降らない模様だ。何だか、泣くのをこらえる、けなげな人間のようだ。思いっきり泣いても構わないよと、声をかけたい気分に駆られる。


私は、家庭の事情と、精神疾患を公表して働く、CGデザイナーの卵である。


父は、性犯罪の加害者で、私が中学生の頃に、有罪判決を受けた、前科者だ。私と家族の間には、筆舌に尽くしがたい感情が渦巻いており、絶縁する運びとなった。


人生に灯し火が見当たらなくなり、自殺を考えている最中に、私のことを肯定してくれている、貴重な恩人のお陰で、今の職場に入社できた。背水の陣として、毎朝早起きし、一切手抜きせずに仕事に向き合っている。


指導係を担当してくれている先輩は、私と同い年の男性だが、勤続七年のベテランである。無駄口を叩かない寡黙な人で、私が腕前を直に拝見し、純粋な感激の言葉を漏らすと、一瞬照れ屋になる一面ももつ、魅力ある男性だ。一日も早く実務を任されたい一心で、マシンガンのような質問を浴びせても、きちんと助言や答えをくれる、誠実な人だ。


そんなある日、休憩室に、先輩が所属する音楽サークルが開催する、コンサートのポスターが掲示されていた。私は内密に、こっそりと見に行くことにした。


当日の本番前に、コンサート会場の近くにある、すみれが植えられた花壇を見て、ショックを受けた。紫や白や黄色をした、きらめくすみれのかたわらで、たばこの吸い殻が土に押さえつけられる形で、落ちていた。私はさほど美しくはないが、自分をすみれに投影してしまった。父は逮捕される前、しょっちゅう私に全裸になるのを強要し、拒むと火がついている煙草を手の甲を押しつけてきた。最低な親である。何も非がないものを侮辱する吸い殻のせいで、原爆投下のような過去がフラッシュバックしてしまった。


コンサートが開幕すると、仰天した。私は先輩はてっきりロックかポップスを披露するのかと、思い込んでいたが、実際は演歌だった。腰を抜かした。明日、感想を求められたらどうしようと、少し悩んだ。


翌日、先輩も私も終始普段どおりな振る舞いだった。変な感情がわき出てきそうだったが、そんなささいな心配に反し、とても大きな快事があった。明日から実務を任すことにしたと、障害者の私を認めてくれたのだ。わずかににじんだ涙で、先輩の生真面目な顔が、少しゆがんだ。


十分休憩時に、ミーハーな女性の先輩たちが、私にアイドルの話を振ってきた。ごめんなさい、よく知らないんですと、釈明すると、じゃあ、どんなジャンルの歌が好きなのと、聞かれた。ヘビィメタルですと答えると、隣で休憩時間中なのに、パソコンに向かい合っている先輩の手が、一瞬止まったのを見てしまった。女性たちは私の個性的な嗜好を知って、キャーキャー盛り上がっていたが、先輩はいつもどおり無口だった。今でも先輩は、抜かりなくきちんと、一人前の職人へと育ててくれている。

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