フレンチスフレパンケーキ ( 3 )
結局、またたくさん買ってしまった。
「本当に、いくら言っても聞かないんだから」
昨日より多そうな三つの食材袋を食卓に置き、私はシンクへ向かって朝食で使った食器を洗い始める。隣では、藤原さんがもう撮影の準備を始めていて、使う予定の食材や調味料を次々と隣の部屋から食卓へ運んでいた。
「…引っ越してきたばかりで、まだ調理器具が全然揃っていなくて。だから、浅村さんちのキッチン、貸してもらえませんか?」ということだったので、撮影は私の家で行うことになった。
私はちらりと、食卓の前で材料を確認している藤原さんを見た。
さっきの僕、かなりわけのわからないことを言ったよな。
また、嫌われたんじゃないだろうか。
食器を皿立てに戻した後、僕は手を拭いて食卓へ向かった。
「…クリーム…蜂蜜…うん、全部揃った」
「フレンチスフレパンケーキを作るの?」
「うん、そうだよ。浅村さんの助けがあれば、きっと私たち、お互いに色々学べると思う」
「なるほど。深い答えだね。ますます楽しみになってきた」
「うん、楽しみに待ってて」
「でも、一つ聞いていい?カメラの前でゼロから作るとして、僕がカメラと下ごしらえを担当するのか、それとも、撮影前に下ごしらえを済ませておいて、要点に集中して時間を節約するのか、どっちがいい?」
彼女は顎に手を当てて少し考え込み、言った。
「うーん…やっぱり前者の方がいいかな。でも、浅村さんにはあちこち動いてもらうことになっちゃうかも」
「なるほど、わかった。それなら、いっそ手順を書いたフローチャートを作らないか?一つの工程が終わった後の次の動きを決めておくんだ。カメラの下に貼っておけば、君がカメラに向かって説明している時に見れるし、僕も別のを一枚、そばに置いておく。そうすれば、撮影中に話さなくても済む。どう?」
「いいアイデアだね。頭いいじゃん、浅村さん」
褒められているのは間違いないんだろうけど、なんだか、どこか引っかかる。
まあ、彼女がそういう人じゃないのは確かだろうけど。たぶん。
「えっと…馬鹿にしてる?」
もしかして、このアイデアは彼女がとっくに考えていて、でも僕が先に言ったから仕方なく褒めてるふりをして、実は「そんなことも知らないと思った?頭いいね(笑)」みたいに皮肉を言ってるんじゃないか?
「え?いやいや、本当に褒めてるんだって」
相手が慌てて両手を振るのを見て、僕もこれ以上は言えないと悟った。
「そう」
僕は寝室に入り、パソコンデスクへ向かった。
姉貴が言っていた「あんたって、いつも人や物事をネガティブに考えすぎなんだよ」という言葉通りだ。でも、この疑念が湧き出るのをどう止めればいいのかわからない。問題があれば、当事者と直接話してはっきりさせたい。だから、多くの人に問題児扱いされてきた。
朝にあんな変なことを言える僕なんて、やっぱり問題児なんだろう。
だとしたら、またやらかしてしまったんじゃないか。
僕は引き出しから紙とペンを取り出し、部屋のドアを出た。
まずは、目の前のことをちゃんとやろう。
*
「皆さん、こんにちは。花です。どうぞ、よろしくお願いします〜」
表の予定通り、藤原さんはカメラに向かって挨拶をし、僕はその後ろで食材の処理を始めた。
僕が卵黄生地を担当し、パンケーキのふわふわ感を保つための鍵であるメレンゲは、当然、藤原さんが担当することになった。
ふるった後の小麦粉とベーキングパウダーを合わせたものを卵黄液に注ぎ入れ、今はもう滑らかな完璧な状態になるまで混ぜ合わさっている。
僕はその混ぜ合わせたものが入ったボウルを右後ろへ持っていき、カメラの視野外にあるキッチンカウンター、藤原さんが左手を伸ばせば届く位置に置いた。
「…最近、本当にどんどん暑くなってきましたね。秋冬はまだ先ですが、もしこの時期にスフレパンケーキの作り方をマスターすれば、秋冬に家族や恋人に、手作りの季節限定スフレパンケーキをプレゼントするなんて、絶対に誠意と愛の証になると思いませんか?だから…始めましょう」
導入の言葉を話し終えた後、彼女は卵黄生地の入ったボウルを自分の前に持ってきた。
この時、僕がすべきことは、カメラを三脚から外し、レンズをボウルの中身に合わせることだ。藤原さんの口頭での説明と、生地の粘度をテストする動きに合わせて、半製品の各基準をできるだけはっきりと見せる。実際に作る視聴者が、明確な比較基準を持てるようにするためだ。
「…卵黄生地は混ぜすぎないように。滑らかで、ダマがなくなれば大丈夫です。次はメレンゲ作り。これが今日のポイントです」
僕はキッチンの全ての照明をつけ、三脚とカメラを彼女の前のキッチンカウンターに設置し、カメラスタンドを高くして、彼女が作業するボウルにカメラが向くように調整した。
彼女の邪魔にならないように、僕は後ろの壁に寄りかかり、この工程の撮影が終わるのを待った。
彼女の、手慣れた、そして落ち着いた様子を見ていると、心から感心する。
もし本当に、彼女の助けになれるなら、それはとても良いことだ。
動画がアップされたら、リンクをもらおうかな。もし作り方を覚えて、お返しとして作れたら、きっと彼女が言っていたように、すごく誠意が伝わるだろう。
そう考えていると、相手はもう楽しそうに歌を口ずさんでいた。
そこで僕は、朝から今までずっと水を飲んでいないことを思い出した。僕は水筒が置いてある部屋へ向かおうと、振り返った。
でも、なんだか、このメロディー、どこかで聞いたことがあるような?
僕は去りかけた足を止め、彼女の方を振り返り、思わずもう少し聞いていたいと思った。
「あなたの存在で突き動く色づく街並みの細部に私がいるのあなたの言葉を待ってる足並みを揃えずに広まる歌は本当の私じゃないかもしれないだけど確かに感じるものがある自信が揺れる時もあるんだ...」
歌、うまいな。
だから。
僕は最初から、ずっと疑っていた。
彼女の正体について。
「...私の良さってなんだろうそう思い悩む時にはもうすでに誰かの生活の一部好きな歌を好きなように歌うそれだけは何も変わらないでも忘れ去られてしまうのか時が経てばまあいいや...」
見た目も声も、どう考えても、嫌疑を晴らすことはできないだろ。
あの、三年前に行方をくらました彼女。
僕が、忘れるわけない。
「浅村さん?あ、あなた、どうしたの?」
この声、完全に、瓜二つじゃないか。
「はっ!」
「おわっ!びっくりした」
「ふふ…だって、いくら呼んでも反応しないんだもん。メレンゲ、もうできたから。そろそろ混ぜ合わせるよ」
僕の反応を見て、相手は思わず笑い出したが、今の僕は、少しも笑えなかった。
言いたいことが、たくさんありすぎる。
もし、本当だとしたら…
「待って、藤原さん」
僕は彼女を引き止めようと手を伸ばしたが、伸ばしかけた右手は、急に不適切だと感じて素早く引っ込めた。
「うん?どうしたの、浅村さん?」
「あの…一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「うん、いいよ」
心臓が速く脈打っている。視線を彼女に合わせられない。今の僕は、まるで叱られている小学生が、担任の先生の前で過ちを認めている時のようだ。
「先に、謝らせてください。僕たちが初めて会った日の朝、実は、体調は悪くなかったんです。で、でも、低血圧なのは本当です。その理由も、実は、今から聞きたいことと関係があって」
「え?」
僕は深く息を吸い、震えながら肺から吐き出し、決意を固めた。
「君は、〇〇なの?」
瞼が、ゆっくりと落ちていく。
世界が、静かになった。
再び目を開けたとき。
彼女の瞳が僕を見ていた。すぐそばにいるのに、そこには、まるで化け物を見るかのような恐怖が、わずかに滲んでいた。
微笑みを失った、驚愕の表情。
「え?」
一声、疑問の声を上げた後、彼女は急に普段の様子に戻った。
「違うよ」
「や…やっぱり、違うのか」
「だって、うん…その、私も、あの子のファンだから」
そう言って彼女は、初めて会った日のように、胸の前に垂れているおさげをいじった。
「あの子が好きで、あの子の姿をしてるの。ずっと誤解させちゃってごめんね。でも、まさかこんな偶然、同じ人が好きだなんて思わなかったから…。ごめんなさい」
ただのコスプレだったのか?
その結論に至ると、ずっとドキドキしていた心臓が、落ち着きを取り戻した。
なるほど、そうだよな。そんな偶然あるわけない。やっぱり、昨日、姉貴と話して出た結論と同じじゃないか——もし犯人がつけている仮面が本人とそっくりだったら、それはもう仮面をつけていないのと同じだ。だから、同じはずがない。
でも、その後に湧き上がってきたこの喪失感は、一体何なんだろう。
僕だって、彼女がその人じゃないことを望んでいたはずだ。そうだろ。
だって、もし本当に彼女だったとしても、意味がない。僕が彼女を幸せにできるわけでもない。僕みたいな人間じゃ、状況をさらに気まずくさせるだけだ。
そうだよな。喜ぶべきなんだ。
「あ、なるほど。僕の考えすぎだったみたいだ」
「ううん、大丈夫。私も、同じものが好きな人に会えて、すごく嬉しいよ」
彼女は僕の目をじっと見つめ、その瞳を輝かせながら、そう言った。
*
「あー」
夜、僕はベッドにどさりと倒れ込んだ。
ポケットからスマホを取り出し、チャットアプリの新着メッセージを開く。
藤原さんから送られてきたメッセージだ。「明日、動画のリンク送るから、連絡先交換しよう!」と言われたからだ。
『今日は協力してくれて、本当にありがとうございました!』
『でも、まさか浅村さんもあの子の歌を聴くなんて、思ってもみなかったから、本当に嬉しい!』
『これからも、よろしくお願いします!』
そして、可愛い猫のスタンプが一つ。
僕はスマホを目の前に持ち上げ、指をスクリーン上で叩き始めた。
「こっちも、パンケーキありがとう。すごく美味しかった!」
送信ボタンを押した後、僕はスマホをベッドに放り投げ、疲れてぐーっと伸びをした。
リラックスすると、撮影中のあの会話を思い出してしまう。
彼女の歌、本当にうまかったな。
僕は疲れた体で、布団に潜り込んだ。
明日の彼女は、また何を仕掛けてくるんだろう。
もう、楽しみになってきている。
僕の人生では、小説のような出来事は永遠に起こらないんだと気づくたび、書き続けたいというモチベーションが大きく削がれてしまう。