表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/28

夏祭り( 8 )

「藤原さん。俺、ここにいようか」


その言葉が終わるやいなや、相手ははっと顔を上げた。まるで何か衝撃的なことでも聞いたかのように、両目がまっすぐに俺の目を射抜いている。驚いた、という表情だ。


この反応。図星か?それとも、あまりに見当違いすぎて、かえって驚かれたか。どちらにせよ、普通の反応じゃない。


視線が交錯する。相手は俺の目を見つめたまま二度瞬きをし、すぐに俺の顔から視線を逸らした。


「でも、私とここにいたら、浅村さん、行けないでしょ。そこまでしなくても、いいよ…」


そんな風に答える相手を見て、俺は思わずその素直じゃないところに笑ってしまった。


完全に、昔の俺が言いそうなことだからだ。


相手に良くしてほしいと期待する一方で、相手に自分のために気を遣わせたくないし、相手に借りを作ってしまうのが怖い、とか。


それに、藤原さんは他人の善意に不安を覚えてしまうタイプだ。その、善意に対する彼女のあまりに臆病な姿に、俺は少し胸が痛んだ。俺の善意が拒否されたから悲しいんじゃない、彼女が善意をそんな風に警戒しながら受け止めなければならないことが、悲しいんだ。


こういう時、ロジックで道理を説いても無駄だ。たとえ彼女がその場で口先でどれだけうまく頷いたとしても——もし頷いたとして、その後彼女はきっとこのやり取りを反芻はんすうし、ロジックで新しい疑点を見つけ出して俺の善意の源を審判しようとし、これが相手の心からの助けだとは決して思わないだろう。


なぜ俺がこんなに断言できるか。だって、俺自身がそういう人間だからだ。


だから、俺は自分から踏み込むしかない。彼女に俺の感情をはっきりと知らせ、説得するより、この善意が「心からの助け」から来ていると伝えること自体が、一番重要なんだ。


「藤原さんだから、この程度の損失なら全然構わない」


俺自身がそういう人間だからこそ、こういう人間が何を渇望しているか理解できる。だから俺はできるだけ彼女を喜わぜてやりたい…。まあ、表現が不器用で、時には裏目に出ることさえあるけれど。


「だ、だから、そういうこと言わないでってば。浅村さん、また忘れてる」


「ただの本心だ」


「じゃあ、もし今日が私じゃなくて、浅村さんと一緒に夏祭りに行くはずだった別の誰かが怪我をしても、浅村さん、同じことをするの?」


どうやら俺の彼女への態度が他の誰かとどう違うのか確かめたいらしい。藤原さんの顔が再びこちらを向き、知りたがる表情で俺を見上げ、答えを待っている。


他の誰かだったら、そんなこと言うわけないだろ——そう喉まで出かかったが、すぐに冷静になった。こんな直白すぎる発言は、かえって信憑性を下げる気がする。完全に本心だが、念のため、冷静に答えた方がいい。


「関係性による、だろな。藤原さんみたいに俺と親しい人間は他にいないから断言はできない。けど、もしいたとしても、藤原さんに対するのと同じように接するとは思わない」


「え?もしその人が私よりも浅村さんと親しかったとしても、そんな風には接しないの?どうして?浅村さんは、私にだけそんな風なの?」


藤原さんの眉が内側にきゅっと上がり、立て続けの質問と共に、俺たちの距離が徐々に縮まる。俺を見るその瞳には戸惑いと、それから俺には形容できない何かの感情が宿っていた。


「理由、か…。ただ、衝動、かな。藤原さんのそばにいたい、っていう」


それに、この時間なら藤原さんのおばさんたち、もう出かけただろ。藤原さんの家には彼女一人だけだ、どう考えたって藤原さんを一人にしておくわけにはいかない。


それに、もしあのまま一人になったら、静かな環境で、藤原さんはきっとまた余計なことを考え続ける。最悪の結果、またこの前の時のように、藤原さんを「嫌われたかも」っていう思考の嵐に陥らせてしまう。


そこまで言って、俺は口を閉じた。自分の言葉が効いてくれと祈りながら、相手の反応を待つ。


相手はそれを聞くと、ゆっくりと俯いた。


彼女は何も言わない。ただ静かに俺の目の前に立ち、さらさらな髪が微風に吹かれて、風の向くままに優しく揺れていた。


やがて彼女は左足を踏み出し、続いて右足が震えながらついてくる。俺の目の前、一歩手前の距離で、止まった。


周りは奇妙なほど静かで、まるで世界に俺たち二人だけが残されたかのような錯覚に陥った。


…嫌われたか?


「…浅村さん」


彼女は腕を上げ、俺にも同じ動作をするよう促した。


「…ほら、浅村さん、手、広げて」


俺は彼女の突然のそのポーズを見ていたが、俺にも真似るよう言われ、我に返った。


「え?あ、な…」


俺はすぐに彼女の真似をして両腕を広げ、体の横に伸ばす。


すると、藤原さんは顔をそむけ、ゆっくりと体を寄せてきた。


藤原さんの顔が俺の胸に当たる。さっきまで広げられていた両腕が今、俺の体に回され、手のひらが背中に当てられた。突然の抱擁。相手の温かい体温と、花のような香りが伝わってきた。


俺が驚きから我に返ると、俺に寄りかかっている藤原さんの喉の奥から、小さな呟きが聞こえていることに気づいた。


「ずるい、ずるいよ、ずるすぎ…」


全てを理解した次の瞬間、頭と耳が一気に熱くなった。


「もう、安心できたか、藤原さん?」


「…うん。藤原、安心した」


「じゃあ、休みにいこうか。な?」


「うん。うん、休みにいこう」


また赤ちゃんみたいになってる。こんな藤原さんと過ごした時間は、きっと未来に思い返した時も、人の口元を緩ませてしまうんだろうな。


そう言って、俺は藤原さんを支え、家の中へと向かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ