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夏祭り( 5 )

「藤原さん…」


僕は藤原さんを見て、何かを言おうとした。しかし、相手に何の反応もないのを見て、やはり、やめることにした。


さっきの返事が、原因だろうか。確かに、藤原さんには、別の意味に誤解される可能性もあるかもしれない。でも、俺には、本当に、他意なんてなかったんだ…。今、説明すべきか?でも、もし、これが原因じゃなかったとしたら?それこそ、「自分の非に気づかず、何が悪かったのかさえわかっていない、ただの馬鹿」だと思われるだけじゃないか。


なんだか、今、下手に説明しようとすれば、かえって、裏目に出そうな気がする。少し、黙っていた方がいいんだろうか?


それとも、藤原さんは、実は、俺が謝るのを待っている?


ああ…一度、外に出て、頭を冷やそう。起きたばかりの頭じゃ、考えがまとまらない。こんなに複雑なことは、今の俺には、処理しきれない。


それに、俺がいなくなれば、彼女も、好きな時に、帰れるだろうし。


そうしよう。僕は、どうしようもなく、こめかみを揉み、音を立てずに、リビングを出た。





そっとドアを閉め、左右を見渡すと、大和と芽衣が、右手の階段に座っていた。明らかに、もうしばらく、待っていたようだった。


「あれ?お前たち、どうしてここに。俺を待ってたのか?」


僕が出てきたのを見ると、二人は、すぐに駆け寄ってきた。


「浅村お兄ちゃん、お姉ちゃん、どうして、急に怒っちゃったの?私たちと遊ぶの、嫌だったのかな?」


芽衣が、僕の服の裾を引っ張りながら、とても、無邪気な声で尋ねた。


「あ、違うよ。お姉ちゃんは、ただ、俺に怒ってるだけだ。お前たちと遊ぶのは、すごく好きだと思うよ」


僕は、腰をかがめて、彼らの視線の高さまでしゃがみ込んだ。二人の顔に浮かぶ、心配そうな表情を見て、彼らを安心させようと、僕は、手を伸ばして、二人の頭を撫でた。


「お姉ちゃん、どうして、浅村お兄ちゃんに怒ってるの?」


「うーん…それは、俺が、悪いことをしたからだよ。お姉ちゃんを、怒らせちゃったんだ。お前たちは、関係ないから。だから、心配するな」


「でも、大和が、私の大好きなプリンを食べちゃった時も、私、怒らないよ。どうして、お姉ちゃんは、あんなに怒ってるの?悪い人なの?」


「え?違う、違うよ。そんな風に、思わないでくれ。最初に、悪いことをしたのは、俺なんだから。お姉ちゃんは、本当は、すごく良い人なんだ。だから、仲良くしてやってくれ。彼女のこと、怒らないでやってくれるか」


僕は、慌てて説明した。


二人の表情が、ようやく、和らいだのを見て、僕は、無理に、笑顔を作ってみせた。


でも、藤原さん、一体、どうしたんだろう。


さっきの、藤原さんの表情が、今も、脳裏に焼き付いて離れない。


くそっ。まだ、頭が痛い…こんなこと、わかるわけがない。


そうだ。散歩に行くってこと、忘れるところだった。僕は、顔を上げて、大和と芽衣を見た。


「俺と、一緒に、散歩に行くか?」


それに、もし、一緒に行ければ、藤原さんが帰る時も、彼らに、理由を問い詰められずに済む。


頭がすっきりしたら、その時、また、藤原さんに、説明しよう。


そう言って、僕は、振り返り、玄関へ向かおうとした。しかし、不意に、右手を引かれ、僕は、足を止めた。


振り返ると、その手の主——芽衣が、僕を見上げて、何かを言いたそうにしている。だから、僕は、再び、しゃがみ込んだ。


「どうした、芽衣?」


「私、お姉ちゃんのそばに、いてあげたい」


彼女の、潤んだ瞳は、無邪気さと、優しさで満ち溢れていた。そんな風に、間近で見つめられ、僕は、思わず、驚いて、視線を逸らした。


「芽衣は、本当に、優しい、良い子だな。羨ましいよ」


「羨ましい?浅村お兄ちゃんは、優しくないの?」


「…どうだろうな。でもな、俺くらいの年になると、自分が、大切だって思う人のそばにいたいって、そう思うだけで、嫌われたり、誤解されたりすることもあるんだ。だから、俺は、芽衣が、羨ましい」


「嫌われる?」


「そんな話は、芽衣が、もっと大きくなってから、また、しような。もし、藤原お姉ちゃんが、芽衣が、こんなに自分のことを心配してくれてるって知ったら、きっと、すごく喜ぶよ。早く、行ってやれ、芽衣」


今、自分の気持ちさえ、どう形容すればいいのかわからない。藤原さんとは、ぎくしゃくしている真っ最中だ。でも、芽衣がいてくれれば、きっと、藤原さんも、少しは、気持ちが晴れるだろう。


僕は、芽衣に、親指を立てて見せ、そして、振り返って、その場を去った。





…はあ。


本当に、疲れる。


僕は、あてもなく、田んぼの間の、あぜ道を歩いていた。


俺は、どうして、他人のことで、こんなに、頭を悩ませなきゃならないんだ。


もう、本当に。結局、ただの隣人じゃないか。どうして、俺は、一挙手一投足が、相手の好感度にどう影響するか、なんて、びくびくしながら、考えなきゃならないんだ。


もう、いっそ、彼女のことなんて、忘れてしまった方が、楽なんじゃないか?


そう思うと、心に、ようやく、ほんの少しの、安らぎが、温もりと共に、浮かんできた。


でも、いつも、こうだ。放っておいても、俺の人生に、何の影響もないはずのことなのに。時には、「どうして、俺が、こんなことで、気分を左右されなきゃならないんだ。俺の人生、これだけじゃないだろ」なんて、思うこともある。でも、得られるのは、ほんの一瞬の、安らぎだけだ。次の瞬間には、また、言葉にできない、重苦しい気持ちに、包み込まれる。


こんな風に、同じことを、何度も、何度も、繰り返し、考える。まるで、そうすれば、解決策が見つかるかのように、飽きもせず。でも、得られるのは、ただ、持続する、不快感だけだ。


結局、結果は、いつも、同じ。俺は、考えるのを、やめられない。


こんな、無責任に、自分の負担を、軽くするような、理由を、探しては、いけない。


俺は、もう、藤原さんのおばさんたちに、頼まれているんだ。どうして、せっかくの水を、めちゃくちゃに、かき乱しておいて、逃げ出すことなんて、できる?


じゃあ、今の、この、散歩っていう行為は、どうなんだ?この決断を下した時、俺は、何も、深く考えていなかった。ただ、頭を、リラックスさせたかっただけだ。でも、もしかしたら、藤原さんには、これもまた、彼女の気持ちを、めちゃくちゃにしておいて、何も言わずに、無責任に、逃げ出したって、そう、思われているんじゃないだろうか?


そう気づいた時、僕は、自分が、また一つ、間違った決断を下してしまったことに、気づいた。


だとしたら、あの時、俺は、藤原さんに、なんて言えばよかったんだ?


謝る?でも、何が悪かったのか、多すぎて、わからない。何を謝ればいいのかも。それに、もし、見当違いな謝罪をしたら、かえって、もっと、嫌われるだけじゃないか。


でも、もし、俺がやったことを、全部、一つ一つ、謝ったら?その方が、いいのか?それとも、もし、彼女が、俺が悪いと思っていることが、謝罪リストの、一番最後にあったとしたら?彼女は、俺が、延々と、見当違いな謝罪を繰り返すのを聞いて、途中で、痺れを切らして、俺の言葉を遮り、結局、最後まで、謝ることさえ、できなくなるんじゃないか?


じゃあ、俺は、どうすればいい?芽衣が、今、してくれているように、ただ、藤原さんのそばに、いる?


悪いことをした張本人が、どの面下げて、そんな、偉そうな、独りよがりなことができる?そんなの、悪いことをした人間が、やることか?他人の目には、完全に、自分が悪いってことに、気づいてもいない。ただ、彼女の体調が悪いだけだとか、そんな風にしか、思ってなくて、自分の非を、全く、認識していないくせに、しゃしゃり出てきて、「俺が、君を守るよ」みたいな顔をした、ただの、馬鹿にしか、見えないじゃないか。


じゃあ、もう、選択肢は、ないじゃないか。


僕は、足を止め、夕日に包まれた、遠くの山々を、呆然と、見つめた。





我に返った時、僕は、もう、家に向かって、走っていた。


周りは、静かだ。ただ、走る僕の、荒い息遣いと、靴が、土を蹴る、摩擦音だけが、聞こえる。


あの時、僕は、深く考えていなかった。もう、考える余裕なんて、なかったからだ。


僕は、必死で、走った。藤原さんが、帰ってしまう前に、家に戻りたかった。


どうしてか、わからない。家が、近づくにつれて、遠くから、もう一人、誰かが、僕に向かって、走ってくるのが見えた。


そして、同じように、僕に向かって走ってきた、藤原さんと、出会った。

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