夏祭り( 1 )
夏祭りは、今まさに、熱気と興奮の渦中にあった。
伊香保の夏祭りは、ハワイアンフェスティバルと花火大会の二部構成だ。花火大会は、通常、八月の第一金曜日の夜に榛名湖で開催され、ハワイアンフェスティバルは、その数日前に始まり、花火大会の閉幕と共に、夏祭り全体も幕を閉じる。
今日は、夏祭りの初日。花火大会まで、あと二日だ。
「お兄ちゃん——」
「ぐほっ!」
早朝。まだ夢の中にいた僕は、子供の叫び声と、床をドンドンと踏み鳴らす音で目を覚まされた。目を開けようとした、その時。ほぼ同時に、何かが僕のお腹の上に、どすん、と落ちてきた。僕は、ベッドから飛び起きた。
「お兄ちゃん、早く起きてよ!」
「浅村お兄ちゃん、早く早く!」
僕は片手をベッドにつき、もう片方の手で口を押さえた。お腹を圧迫されたせいで、喉に唾が詰まったかのように、げほげほと咳き込みが止まらない。
「お前たち…何しにきたんだ…」
「お兄ちゃん、サッカーしようぜ!」
「浅村お兄ちゃん、おままごとしよ?」
叔父さんの家の子供たち二人が、部屋中をぴょんぴょんと跳ね回っている。その甲高い声が、僕の部屋を満たしていた。
「本当に、元気だなあ。げほっ、げほっ…」
「ごめんねえ、浅村くん。ほら、あなたたち、早くこっちへ来なさい。お兄ちゃんの睡眠の邪魔をしちゃだめよ!」
叔母さんが、ドアの外から、申し訳なさそうに僕に頷き、彼らに向かって手招きした。
「あ、いえいえ、大丈夫です。もう、起きる時間ですから」
僕はスマホを手に取った。時刻は、午前九時三十二分を指している。
「浅村くん、私たち、これからちょっと準備で出かけるから。この子たちのこと、お願いできるかしら」
「はい、お任せください。行ってらっしゃい」
「ふふ…浅村くんは、本当に良い子ね。じゃあ、お願いね」
そう言って、叔母さんは笑顔で去っていった。僕は布団をめくると、二人は、すぐに僕の足に抱きついてきた。
「おい、離せ」
「浅村お兄ちゃん、昨日、時間があったら遊んでくれるって約束したのに、ご飯食べた後、あの知らないお姉ちゃんと遊びに行っちゃった」
「だから、またあのお姉ちゃんと遊びに行って、俺たちのこと、構ってくれなくなるんじゃないかって、心配なのか」
「うん!」
「はあ…本当に、敵わないな。じゃあ、仕方ない。午前中だけ、お前たちの遊びに付き合ってやる。午後は、俺にも用事があるからな」
「約束だよ!」
「嘘つかないでね!」
「はいはい、わかったから。とりあえず、離してくれないか」
「やだやだ!」
「逃がさないからな!」
「はあ…本当に、参ったな」
僕は立ち上がり、重い足取りで、二人にしがみつかれた両足を引きずりながら、階段を下りていった。
*
朝食を終えると、大人たちは皆、出かけてしまった。家には、僕と、叔父さんの家の子供たち二人だけが残された。
「さて、それで、何をして遊ぶ?」
「サッカー、サッカー!」
「おままごと、おままごと!」
僕はリビングに立ち、二人が、どっちの遊びを先にするかで言い争っているのを見ていた。なんだか、少し、時間を無駄にしているような気がした。
うーん…もし、先にサッカーをしたら、おままごとをする時には汗だくになる。でも、先におままごとをしてからサッカーをすれば、終わった後すぐにシャワーを浴びられるし、おままごとをしている間、汗でべたべたする不快感を我慢する必要もない。
「よし、じゃあ、先におままごとをしよう」
僕は、彼らの口論に、無理やり割って入った。そして、どさりと、後ろのソファに腰を下ろした。
「えー…先におままごとかあ。まあ、いっか…」
「やったあ!じゃあ、どんなお話にする、浅村お兄ちゃん?」
「うーん…俺も、わかんないな。どんな話がいい?」
僕はソファに寝そべり、あくびを一つして、眠い目をこすった。
「『家を出て浮気した旦那さんと、一人で家を守る奥さんと、餓死寸前の息子』っていうのは、どう?」
「…は?」
「じゃあ、『妻子に逃げられた旦那さんが、ホテルでやけ酒してたら、ダンサーがまさかの奥さんだった話』は?」
「やっぱり、サッカーの方が、健康的だと思うぞ…」
「だめ?じゃあ…『四人家族の、再婚家庭の、休日の日常』っていうのは?」
「四人家族の、再婚家庭の、休日の日常?どうして、そんなややこしい設定でやらなきゃならないんだ?まあ、これなら、まだ普通に近いけど。でも、人数が足りなくないか…待てよ」
人数なら、藤原さん、この時間なら、もう起きてるかな?彼女、暇してないだろうか。
まあ、「おままごと」を口実に、彼女を邪魔するのは、さすがに気が引ける。でも、あの子たちが、藤原さんのことを「知らないお姉ちゃん」って呼んでたってことは、まだ、三人は、ちゃんと話したことがないんだろう。
おかしいな。藤原さんの、あのお姉さん的な雰囲気を、拒絶できる子供なんているのか?ここに来る途中だって、たくさんの子供たちが、藤原さんにキラキラした目を向けていたのに。
僕は、昨日の藤原さんの服装を思い出し、目の前の二人の子供に、少し不思議な気持ちを抱いた。
「そうだ。お前たちが言ってた、あの知らないお姉ちゃんなんだけど。昨日の夜、一緒に遊ぼうって、誘わなかったのか?」
「うん。だって、あのお姉ちゃん、見たことなかったし。それに、あの時、顔色が悪そうだったから。後で、私たちのところに来てくれたけど、断っちゃった」
どうやら、藤原さんも、子供好きなタイプらしい。でも、どうして、断ったんだろう?
「だって、お姉ちゃん、あの時、地面にしゃがんでて、顔がすごく熱そうだったから。無理させたら、かわいそうだなって」
「へえ?お前たち、結構、優しいんだな。えらい、えらい」
僕は、その答えに、少し意外な気持ちになり、笑顔で二人の頭を撫でた。
そうか。あの時、藤原さんも、リビングは息が詰まるから、僕を散歩に誘いたいって言ってたな。二人が、藤原さんを気遣って誘いを断ったからこそ、彼女は、僕のところへ来たのか。ある意味、二人のおかげだな。
「浅村お兄ちゃん、あのお姉ちゃんと、仲いいの?」
その質問に、僕は、二人の頭から、手を離した。
「ごほん…それは、秘密だ。それより、お前たち、あのお姉ちゃんと遊びたいか?」
僕がそう言うと、二人は、顔を見合わせ、頷いた。
「どうして、今は、遊びたくなったんだ?」
「お姉ちゃん、良い人そうだし。それに、浅村お兄ちゃんと仲がいい人は、だいたい、良い人だから」
「うんうん。お兄ちゃんの友達は、悪い人じゃないもん。それに、お姉ちゃんのスカート、可愛かった!」
二人が藤原さんを嫌っていないのを見て、僕は、ほっと息をついた。
よかった。親戚たちにまで、藤原さんを可愛がってもらうのは無理でも、子供たちとなら。僕がいない時でも、藤原さんが、楽しめるかもしれない。それに、どうやら、藤原さんも子供好きなタイプみたいだし。もしかしたら、三人が仲良くなれば、次に帰省した時、あの親戚の集まりを、正当な理由で避けられるかもしれない。そう考えると、彼女も、ここを好きになってくれるんじゃないだろうか?
「じゃあ、さっきの…『再婚家庭の、四人家族の、休日の日常』っていうのをやるか。どうだ?」
「やる!」
「面白そう!」
「よし。じゃあ、お姉ちゃんに、連絡してみるか」
「うん!」
「うん!」




