16 - 夏祭りの前夜に( 2 )
「ごめん。うちの母さん、いつもああやって人をからかうのが好きなんだ。時々、加減を知らないこともあるけど、根はいい人だから」
「ううん、大丈夫。私の母もそういう人だから、もう慣れてるよ」
僕と隣の藤原さんは、顔を見合わせて微笑んだ。本当に、似た者同士だな、僕たちは。
僕と藤原さんは、彼女たちの後ろをついて、帰り道を歩いていた。
バスを降りた僕たちは、郵便局から出てきた母さんと藤原さんのおばさんとばったり会い、一緒に帰ることになったのだ。
「浅村の坊主、うちの花が、この間、何か変なことしなかったかい?」
「いえ、そんなことありませんよ、おばさん。藤原さんは、いつもとても良くしてくれて、何も問題ありませんでした」
「あら、本当かい?あの子が一人で、怖がったり寂しがったりしてないか、心配してたんだよ。まさか、浅村の坊主にそんなに高く評価してもらえるなんて、うちの娘も、見直したよ」
「藤原さん、うちの浅村が、何かあなたに失礼なことしなかった?ちゃんとしつけておくからね!」
「いえいえ、そんなことありません。浅村さんには、いつも良くしてもらって、とても優しくて、感謝しています」
そんな、たわいもない話をしながら、僕たちは駅近くの郵便局から坂を下り、十番目の交差点を右に曲がった。すると、辺りは急に開け、道の左側には低い位置に畑が広がっている。ここからは、遠くの山々が一望でき、太陽も、おそらくあの辺りに沈んでいくのだろう。とても、景色の良い場所だ。そして、右側には、手前から順に、藤原さんの家と僕の家がある。隣り合った二軒の一戸建てが、いつの間にか育った花畑の中に、凛として佇んでいた。
僕は目の前の変化に驚き、目を見開いた。記憶の中では、両家の庭は、特に何もないただの芝生だったはずだ。それが今、満開の花畑になっている。蝶が花の上を舞い、その蝶と戯れるように飛び跳ねる猫。それは、まるで夢のような光景だった。
「うわ、何だこれ。前は、こうじゃなかったよな?」
僕は、様々な種類の花々が集まってできたその小さな花畑を眺めた。太陽の光を浴びて、きらきらと咲き誇り、周りの環境を格別に美しく引き立てている。あまりの美しさに、意表を突かれた。
「すごいでしょ。あれ、私と藤原さんちのおばさんとで、随分時間をかけて完成させたのよ」
「すごいな。二人だけで?」
「ええ。だって、藤原さんちの旦那さんも、うちの浅村も、夏祭りの他の準備を手伝いに行っちゃうでしょ。どうせ暇だし、お隣さんと一緒に、周りを綺麗に飾って、帰ってくるあなたたちを驚かせてあげようってね」
「すごいよ。本当に、お疲れ様」
しばらくの間、見とれていた。僕の視線が、ようやくその彩りの海から離れると、隣でじっと僕を見ていた藤原さんが、僕が振り向いた瞬間に、さっと視線を逸らした。
「き、綺麗だね、本当に」
彼女のその反応と、どもる声を聞いて、何かに気づいた僕は、他の二人には聞こえないように、小さな声で藤原さんに尋ねた。
「写真、撮る?」
「ツーショット、撮ったらどうだい?ツーショット!」
「そうよ、そうよ。あなたたち二人のために用意したようなものじゃないの。私たちのこの気持ちを、無駄にしないでちょうだいな」
藤原さんが返事をする前に、隣にいた母さんたちが、もう藤原さんの両脇に陣取り、やいのやいのと囃し立て始めた。
僕は彼女たちを気にせず、藤原さんに向かって肩をすくめ、彼女の返事を待った。
「一緒に、撮…」
「もし、嫌なら、別にいいんだよ」
相手がためらっているのを見て、僕は、彼女に無理強いはしたくなかった。
「そうじゃないの。私が言いたいのは、もし、浅村さんがよければ、是非!」
「へえ、そうなんだ」
そう言うと、藤原さんの背後の母さん二人組は、意味ありげな「おぉ〜」という声を上げた。
「二人とも、そんなに囃し立てないでくれよ!」
*
「もっと、くっついてー」
僕は、藤原さんの方へ、少しだけ身を寄せた。
「もっと、もっとー」
僕はまた、藤原さんの方へ、ほんの少しだけ動いた。
「もっ…」
「もう、十分近いだろ!」
僕は花畑の間の土の上に立ち、隣の藤原さんとは、腕一本分ほどの距離しかない。僕は、道の上でカメラを構える母さんに向かって、苛立ったように叫んだ。
「これじゃダメよ。もし、家族のグループチャットに送ったら、みんな、変に思うじゃない」
「まだ、送る気なのか?」
「送るに決まってるでしょ」
僕が母さんと口論していると、それを見ていた藤原さんが、思わず吹き出した。彼女の笑い声と共に、前方から、カシャッというシャッター音が聞こえた気がした。
「すごく、生活感があっていいわねー。うわあ、花ちゃんの笑顔、本当に綺麗で人を惹きつけるわ。早く、家族のグループチャに送って、自慢しなくちゃ〜」
「おい、人の話、聞いてるのか!」
僕はため息をつき、隣で、さらに楽しそうに笑う藤原さんに顔を向けた。太陽の光を浴びて、彼女は、きらきらと輝いている。
微風が吹き抜けるたび、藤原さんの白いドレスが、さざ波のように揺れる。彼女の顔には満開の笑顔が咲き、その目は、逆さまの三日月のようだ。指の隙間から、彼女の口元が愛らしく動くのが見える。小さく、抑えたような笑い声と共に、花畑の中に立つ彼女は、一層、魅力的だった。今の彼女がもたらすこの幸福感は、この花畑を初めて見た時の感動よりも、ずっと、ずっと大きい。
僕が、笑い続ける藤原さんを、少し見とれていると…
「カシャッ」
「おい、この写真は送るなよ!おい、聞いてるのかって、おい!」