引っ越していった隣人と、最後のありふれた日常(1)
また同じ夢を見た。
目を覚ますと、頭はまだぼんやりしていた。窓の外からは雨音と、濡れた道を車が走り抜ける水の音が、わずかに開いた窓から部屋へと入り込んでくる。
部屋は薄暗く、外も長雨の影響で明るさは控えめだった。カーテンも閉じたままだったので、起き抜けの目でも外を眺めてまぶしさを感じることはなかった。
視界が徐々にはっきりしてくると、かすかな風の音が聞こえてきた。音の方を見やると、エアコンが静かに冷気を送り続けていた。
その冷たさにようやく気づいた僕は、慌ててエアコンを切り、リビングへと向かった。
「浅村くん、ずっと応援してくれてありがとう。世界中のみんなが私を忘れても、君だけが覚えていてくれたら、それで――」
なぜか教室の床に仰向けに寝転がっていた僕。
そして、なぜか僕の足に寄りかかるようにして倒れていたオッドアイの美少女が、突然そんな台詞を、甘く愛おしい声で告げてきた――。
朝ごはんをレンジで温めながら、さっき見た変な夢の内容を思い出していた僕は、思わず口の中のお茶を吹き出してしまった。
「なんだよこの夢……でも、現実だったら、案外悪くないかも?」
まったく、もう少しで二度寝してしまうところだった。
ちなみに言っておくけど、僕はそんなに軽い男じゃない。美少女だったら誰でも舞い上がるわけじゃない。
あの子が特別だったのは――僕がずっと応援していた、元・バーチャルシンガーだったからだ。
彼女の歌声は、感情がこもっていて、音楽への愛が感じられた。
曲調は激しいものが多かったけど、ときには落ち着いた曲や中性的なものもあり、どれも心に響いた。
何よりも、普段は控えめな話し方をする彼女が、歌い出すとまるで別人のように力強く、情熱的になるそのギャップに、僕はすっかり惹かれていた。
――でも、それももう三年前の話。
レンジから弁当を取り出して席に着き、僕は静かに「いただきます」とつぶやいた。
窓の外では、まだ雨が降り続いていた。
朝食を食べ終えた僕は、ふと窓の外を眺めながら思った。
高校最後の夏休み。
もっと特別な始まりを想像していたけれど、なんだか地味なスタートだな――。
この夏は、人生で一度きりの特別な時間。
軽い気持ちで計画したわけじゃない。
なのに、もうすでに「普通の日々」に戻ってしまったような気がして、少しだけ悔しさが胸をよぎった。
恋人がいたら、また違ったのかもしれない。
だけど、学生の恋ってたいてい勢いだけで始まって、些細なことで終わってしまう。
そんな軽い関係に時間を使う気にはなれなかった。
朝食を終えて部屋に戻ると、少し早いけど予定していた筋トレを始めた。
学校があるときは夕方にやっていたけど、夏休み中は朝にもやることにした。
ダンベルを持ち上げながら、部屋の中を見回す。
家具の配置は三年前からほとんど変わっていない。クローゼット、書棚、パソコンデスクと椅子、そしてベッドだけ。
壁は白く、何も飾っていないので少し殺風景だが、それがシンプルで気に入っている。
書棚にはライトノベルとコンピュータ関連の専門書が並んでいる。
半分は引っ越してくる前に持ってきたもので、残りはこっちに来てから買い足したもの。
ラノベはどれも青春や日常を描いたものばかりで、「勉強にはならないけど、心の栄養にはなる」――そんな本ばかりだ。
デスクは窓に面していて、ノートパソコンと周辺機器だけが並んでいる。
PCの画面を閉じれば、すぐに視線を外の風景に向けられる。目に優しい位置だ。
独り暮らしを始めたのは、中学を卒業した年の夏休み最後の月。
高校が遠すぎて、通学は現実的じゃなかった。
当時は「やっと親の束縛から解放される!」なんて浮かれていたけど、すぐに後悔した。
親がいないと、ごはんの時間さえ守れなくなる。そんな自分にびっくりした。
誰かと一緒に暮らすのとは違って、ひとり暮らしは、やらないと何も始まらない。
正直、面倒くさいことも多いけど――いつか必要になる力なら、早く覚えておいて損はない。
そんなことをぼんやり考えながら、気づけば筋トレも一通り終わっていた。
僕はダンベルを置き、水を飲みにキッチンへ向かった。
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