09.模擬試合(2)
パッツィ、ドルーグとも騎士服の上から訓練用の革鎧を身に着ける。業務遂行の際には騎士団制式の鈑金鎧着用が基本だが、さすがに模擬試合にまでそんなものを着けていたら時間がかかるし、使う武器が木製の模造剣なのだから過剰な防御力は必要ない。
ちなみに革鎧は籠手と脛当てのほか、肩当てと胸鎧だけの簡素な作りだ。要は最低限の防護を施したに過ぎない。
それから、互いに自身の身に[物理防御]の魔術を発動させる。この術式は全身の皮膚の上に衝撃吸収効果のある皮膜を纏うようなもので、物理的なダメージをある程度吸収し、切創や打撲、骨折などの発生を防ぐ。だが皮膚を硬化させるわけではないので痛覚まではカバーしない。
それから両者は立会を買って出たオーサムから、規則に則った諸注意を言い渡される。卑怯な行いは慎むこと、急所は狙わないこと、騎士道精神に則り互いに相手を敬い尊重すること、一方が降参あるいは敗北した時点でそれ以上の追撃を控えること。
そしてパッツィ、ドルーグともそれを了承する。
「では誓いだ。騎士道精神に則り宣誓せよ」
「いいとも。ではオレ様は“玄狼”の赤き瞳に誓うとしよう!」
オーサムの宣誓の勧めにまずドルーグが反応し、旧ファドク王国騎士団の象徴でもある、赤い瞳の幻獣“玄狼”に誓いを立てた。ドルーグは旧ファドクの貴族の出身で、現在も旧ファドク地域の辺境騎士団に所属しているから、これは当然の誓いと言える。
「では、私は黒烏に誓って正々堂々と戦おう」
続いてパッツィも静かに誓いを立てる。黒烏は旧ポウィス王国に存在した騎士団の名称であり、同時に現在のカムリリア国邦の制式騎士団の名称でもある。これもまた、カムリリアを護る辺境騎士団隊員として相応しい誓いと言えよう。
そうして、ふたりは互いに開始位置へと移動し向かい合う。
パッツィは平静に、表情も佇まいも凪を打ったように落ち着いている。一方のドルーグはニヤニヤと笑みを浮かべ、態度にも余裕が感じられた。
両者とも左足を前、右足を引いて木製の模造騎士剣を身体の正面に両手で構える。互いに両手剣使いであり、丸盾は使わない。
「立会はこの第二小隊長オーサムと」
「さよう。第二小隊副隊長のメイストルが相務めよう。ふぉっふぉっふぉ」
「他の模範となるような佳き戦いを期待する。——では、始め!」
そうしてついに、パッツィとドルーグの模擬試合の幕が開ける。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
最初は静かなものだった。互いに相手の出方を窺いつつジリジリと歩を進め、間合いを詰めてゆく。だがそのうち、相手を牽制するかのようにゆらゆらと弧を描いて揺れていた両者の切っ先が、ふとした瞬間、同時にピタリと止まった。
「ハッ!」
最初に動いたのはパッツィだ。左足を大きく踏み込むと同時に両腕を引き、そこからドルーグに向けて鋭い突きを繰り出した。
「おっと!」
一瞬の差で先制を許したドルーグは、慌てることなく剣先を回してパッツィの突きをいなすと同時に一歩下がる。下がった瞬間には彼は右手を高く上げ、クロスハンドの要領で左手を柄頭に添え、切っ先を身体の前に下げる構えになっている。
この構えは攻防一体。まともに突いても下がった切っ先に絡めとられるだけだし、深く踏み込むと頭上からの打ち下ろしを頭や肩にもらってしまう。ゆえにパッツィは安易には踏み込まない。
だが彼女は止まりもしなかった。ドルーグの下げた切っ先をめがけて、下から剣を合わせに行ったのだ。
「なっ……!」
剣をかち上げられ攻防一体の構えをあっさり崩されて、ドルーグの顔に驚愕の色が浮かぶ。しかもそれだけでなく、彼の剣を跳ね上げて高く上がったパッツィの剣が、ドルーグめがけて袈裟懸けに切り降ろされたのだ。
「くっ!」
大盾も丸盾も持っていないドルーグは、この斬撃を躱すために身を投げ出さざるを得なかった。身をよじって鍛錬場の地面に倒れ込み、転がって何とか回避する。
立ち上がった時にはパッツィはすでに剣を戻し、顔の右で切っ先を水平にドルーグに向けている。一方のドルーグはいつもピシリと決めている騎士服に土埃がつき、髪も乱れて息も若干荒くなっている。
「おのれ……!」
「私とて鍛錬は積んでいる。いつまでも舐められたままでは終われんからな」
分隊員としてのキャリアはパッツィのほうが1年後輩に当たるが、騎士としてのキャリア自体はもっと大きな開きがある。幼い頃から父の背を追い励んでいたドルーグと、16歳になってゴロライにやってくるまでは独学の、見よう見まねの鍛錬しかできていなかったパッツィとでは、本来なら勝負にすらならない。
だが分隊長の息子、すなわち自分が次期分隊長だと信じ切って鍛錬に熱を入れてこなかったドルーグと違い、女ながらも認められようと、騎士として1日も早く一人前になろうと努力を続けていたパッツィとでは、実力の伸びに大きな差があった。
「なんだ、分隊長もなかなかやるじゃないか」
「ああ、女だと侮ってばかりもいられんな」
「これは逆転まであるかもな……?」
「ていうか僕、まだ分隊長に勝ったことないんすけどね」
「え……マジか」
そうして今ではパッツィは、分隊の中でも実力的には平均を超え、中の上といったところまで到達している。
一方のドルーグは剣の腕だけなら上位だが、それでもオーサムやエイスといったトップクラスとは明確に差がある。言ってみれば上の下といったところで、実のところパッツィとの実力差も縮まりつつある。
上を目指して弛まぬパッツィと、現状にあぐらをかき向上心を忘れたドルーグとの実力差がそれほど無いという事実が、僅かな攻防で次第に明らかになりつつあった。
「いい気になるなよ、女の分際で……!」
「そちらこそ、男だからと油断するなと言っておこう」
どうせなら、こういう時にこそ男扱いして欲しいパッツィである。
まあ、女相手だと油断してくれる面は確かにあるので、それも踏まえれば良し悪しだが。
「ハッ!」
今度はドルーグの方から打ち込んできた。
突き、袈裟斬り、横薙ぎ、逆袈裟。様々な角度から持てる全てを尽くして繰り出される技を、パッツィは冷静に見極め、受け止め、絡め取り逸らし、いなす。
「くっ……」
だがそこはやはり男の膂力か、ドルーグの一撃はどれも重い。トードらのように全く鍛錬をしていないわけでもないため、彼の技には相応のキレと破壊力があった。
こんなものを受け続けていたら、あっという間に体力を奪われてしまう。隙を見て反撃したいところだが、ドルーグもそんなチャンスは早々与えてはくれない。
「ハハッ、どうした!防戦一方ではないか!」
それが挑発だと分かっていても焦りを引きずり出される。早く何とかしなければ、体力的に劣るパッツィの勝ちの目がじわじわと奪われていくばかりだ。
だが、さしものドルーグとて永遠に連撃を続けることは不可能だった。彼の剣撃がやや鈍り、丸めた背中側が一瞬だけがら空きになった。
「そこだ!」
パッツィが大きく踏み込み、高く振り上げた剣をドルーグの背中側から振り下ろす。
振り下ろそうと、した。
「お……ごっ、」
「ふん、かかったな」
パッツィの胴に、ドルーグの剣先が突き込まれていた。手応えを感じ取り、ドルーグが勝ち誇ったようにニヤリと嗤う。
そう、隙ができたのではない。ドルーグは敢えて隙を見せてパッツィの攻撃を誘ったのだ。そうして彼女の剣が自分の背を痛打するより早く、神速の突きを彼女の胴に叩き込んだのだ。
痛撃に硬直したパッツィの手から模造剣が滑り落ちる。ドルーグはそれには目もくれず、素早く引き戻した剣を無防備な彼女の側頭部めがけて振り抜いた。
「あ、がぁ……っ!」
吹っ飛ばされ、地面に転がり、苦悶の表情を浮かべて身体を折り曲げたパッツィは。
「う、んぶ、おぼえええええっ!」
その場に蹲って腹を押さえ、胃の内容物を盛大にぶちまけた。
怪我防止のために最初にかけた[物理防御]のおかげで彼女に怪我はなく、訓練用に刃も付けず剣先も丸めてある模造剣が彼女の腹を貫くこともなかった。だがそれでも鋭利なもので腹を突かれた痛みが彼女を襲い、そして体内深部にまで響いた衝撃は嘔吐を誘うに充分だった。
その上さらに側頭部を張り倒され、脳まで揺らされた彼女はもはや立ち上がることさえできない。
「ゲエッ、ゲホッ、ゴホ、……っぷ、ゲェッ!」
蹲ったまま胃の中身を出し尽くし、さらに胃液まで吐いている彼女の背後に立ったドルーグが、残忍な嗤みを浮かべる。
「これで、——終わりだ!」
そうして模造剣を天高く振り上げ、彼女の項をめがけて非情にもトドメの一撃を振り下ろした。
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