07.合同訓練
「分隊長」
朝礼を終え、各小隊が業務開始するためにそれぞれ個別に集まり始める。パッツィも麾下の第一小隊の元へ向かおうとして、低く太い声に呼び止められた。
振り返ると、そこにいたのは第五小隊長のステヴニグだ。がっしりとした大柄の男で、職務に忠実かつ領主と騎士団長に無二の忠誠を誓う、質実剛健を絵に描いたような人物である。
「先ほどの騒ぎ、見ていたぞ」
「……見ていたのか。見苦しいものを見せてしまったな」
他の騎士たちの姿は特に見えなかったから、誰かに見られていたとは思わなかった。だが後からエイスも来たのだし、そもそも廊下でやり合っていたのだから、他の騎士たちが声をかけずに様子を見ていたとしてもおかしくはなかった。
「そんなことはいい」
そしてステヴニグの顔は、不満の色を隠そうともしていない。
「何故言い返さなかったのだ。あれほどあからさまに侮辱されておきながらなんの処分も与えないとは、一体どういうつもりだ」
「そうは言ってもな」
前分隊長イヘルガロンは高潔な人格者で、こんなワケありの人間の吹き溜まりのようなゴロライの町にあって異彩を放つほどの人物だった。だがそれゆえに分隊員から町のスラムのゴロツキまで、多くの人から敬われ慕われてもいた。
だからこそ彼がゴロライを離れると知って惜しむ人は多かったし、後任のパッツィを彼に遠く及ばぬ未熟者として認めない分隊員もそれなりに多い。目の前に立つステヴニグもそうしたひとりだ。
「分隊長たる者、下に示しを付けずになんとする。隊の風紀を乱す者を放置などして、それで部下がついてくると思っているのか」
ステヴニグの言は全くもって正論である。ああもあからさまに分隊長である、つまり上司であるパッツィを蔑ろにするような者たちには、懲罰を与えて然るべきであろう。
だが同時に、ドルーグは前分隊長イヘルガロンの嫡男で、そのことを知らぬ分隊員などいないのだ。下手にドルーグを処罰などすれば、逆に不満を募らせる者も必ず出てくることだろう。
「彼はイヘルガロン卿の」
「だからどうした」
「……っ」
「イヘルガロン様のご子息だからと、特別扱いをするというのか」
パッツィとしてはそんなつもりは毛頭ない。自分を軽んずる者がいたとて、よほどの事がなければ処罰するには及ばないと考えているだけだ。だから彼女は、今ここで面と向かって堂々と自分を批判してくるステヴニグを叱責するつもりもない。
「貴様は、分隊長の地位をなんと心得ている」
「私はただ、皆に認められるよう尽力するだけだ」
ステヴニグが敢えて挑発しているのを分かった上で、だからこそパッツィは聞き流す。苦言を呈されるのはむしろ歓迎すべきこと。
「部下からの侮辱に言い返すこともできない奴が、部下に認められるはずがなかろう」
今やハッキリと、ステヴニグの顔にもパッツィに対する失望と侮蔑の感情が現れている。
分隊副長兼第三小隊長のドルーグと、第五小隊長のステヴニグ。彼らのように、小隊長クラスであってもパッツィを認めぬ者たちがいる。平隊員まで含めれば、そうした者たちはもっと多いはず。
就任から1年経ってもまだこうなのだ。パッツィが分隊全てを掌握するまでに、あと何年かかるものやら。態度にこそ出さないが、内心で大きくため息をつかざるを得ないパッツィである。
「そう言われてしまうと、なかなかに耳が痛いな。先輩からの忠言、ありがたく拝聴させていただく」
ステヴニグは今年で30歳。辺境騎士団に入隊して10年以上経つベテランで、ゴロライ分隊の小隊長としてももう5年ほど務めている。
対するパッツィは23歳。騎士としては7年目のまだ若手で、ステヴニグやドルーグからすれば彼女は後輩のひとりでしかない。
「だったら少しは——」
「貴方の言うことは正しい」
だから彼女は、先輩の言を責めることもなく肯定する。
「全ては私の至らなさのせいであって、ドルーグ副長に非はないと考えている。ゆえに彼を罰することはしない」
「……愚かな」
「そしてそれは貴方もだ、ステヴニグ。分隊長の決定に異を唱える貴方もまた、処罰の対象とはなり得ない。それが私の方針であり、決定だ」
分隊長の決定という言葉に、ステヴニグが息を呑んだ。騎士団という組織にあって上司の決定は絶対であること、にもかかわらずその上司に自ら楯突いたことに、今ようやく思い当たったのだろう。
「……ふん。ではもう何も言わん」
言わない、ではなく言えなくなったわけだが、それを認めようとしないステヴニグはそう言い捨てて踵を返した。そうして少し離れたところで待っていた第五小隊員たちを従え、彼は靴音を鳴らしながら詰め所を出ていく。
それに付き従いながら、第五小隊員のウィットが気遣わしげな目を向けてきたので、何でもないと装って笑みを返しておいた。
「……分隊長、そろそろ」
「ああ。私たちも出るとしようか」
先ほどのドルーグとのやり取りの後でしっかり釘を刺しておいたせいか、表向きは平静を装っているエイスが声をかけてきたので、パッツィはそれに応えて第一小隊を率いてやはり詰め所を出た。本日の第一小隊任務は、町周辺の警戒業務だ。
「……待て、スラッカーはどうした?」
ふと気付けば、パッツィを除いて5人いるはずの小隊員が、この場には4人しか見当たらない。
「今日はまだ姿を見ていません」
「…………今日もサボってるのか、アイツは」
「おそらくは、また診療所かと」
「仕方ないな。エイス、カフレディンと一緒にスラッカーを確保してくれ。合流したら、そのまま南門から出て西側を頼む」
「ハッ。——聞いたなカフレディン。行くぞ」
「はい。でもスラッカーさん、いますかね」
「いなきゃ奴がいそうな場所を片っ端から当たるだけだ」
「えええ……面倒くさいなあ……」
ぼやくカフレディンを連れて、一足先にエイスが詰め所を後にする。それを見ながらパッツィも、残る隊員のジャックとフィーリアに「私たちも行こうか」と声をかけ、北門に向かって歩き始めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから2日後。
パッツィ率いる第一小隊が夜番を明けて休日となる本日は、分隊の合同訓練の当日である。
合同訓練はパッツィが分隊長になり、同時に第一小隊長を兼務するようになって新たに設けた訓練日である。週に一度、つまり月に三度の割合で組まれている。それまではこうした訓練の日程はなく各隊が、あるいは隊員たちがそれぞれ個別に、勝手に稽古や鍛錬を重ねていた。
だから中には全くと言っていいほど鍛錬をしてこなかった隊員もいる。騎士とも思えぬほど太っている第三小隊のトードや、すぐサボりたがる第一小隊のスラッカーがその悪例である。
パッツィの始めた合同訓練は、そうした隊員たちの気を引き締めると同時に分隊内の規律を保ち騎士としての技能を維持し、さらにパッツィ自身を分隊員たちに見てもらい、認めてもらうことを意図している。分隊長として率先して奮励努力する姿を見せれば、そのうちにきっと認めてもらえる日も来ると彼女は信じている。
まあそのために、貴重な休みを半日潰される第一小隊員たちにとってはたまったものではないだろうが、そこはもう諦めてもらうしかない。通常業務を取りやめてまで鍛錬の日程を組んだなら、必ずやそれを見計らったように物盗りや空き巣が横行するはずだから。
カムリリアからもアングリアからもワケありの人間が流れてくるこの町では、そうした治安を乱す者もまた多い。戦など遠い昔の話になった今なお分隊が本部のあるチェスターバーグに引き上げないのは、主にそれが理由なのだ。
ちなみにパッツィが分隊長に就任してから導入したものはもうひとつある。それが各小隊ごとに開く懇親会である。最低でも月に一度、小隊長を含めた6名の小隊員たちを集まらせて飲み会を開かせているのだ。
これは要するに、パッツィ=パトリシアの感覚で言うところの“お茶会”である。王都で主に貴族令嬢たちの間で開かれるそれは、内実はともかくとして表向きは参加者の親睦を深める名目で開かれる。だから平民の多い分隊員たちにとっても、互いに胸襟を開き腹を割って話し合う、いい機会になればと彼女は考えたわけだ。
それはさておき、合同訓練である。
騎士としての基礎となる剣術、槍術、馬術、体術などの鍛錬のほか、分隊員同士の試合や基礎体力の維持向上のための走り込みや身体鍛錬など、なかなかみっちりと組まれている。そのせいで一部の分隊員たちからの不満も漏れ聞こえてくるが、パッツィはそれには一切耳を貸さないことにしている。
言論は比較的自由にさせても、騎士としておろそかにしてはならない部分まで好きにさせるつもりは彼女にはない。そして、尚武の気風を尊ぶ旧ポウィス王国でも武門の誉れ高いカースース侯爵家の娘として育ったパッツィの課す鍛錬は、なかなかに厳しかったりする。
「型稽古、はじめ!」
昼下がり、騎士隊詰め所に隣接して設置された鍛錬場にて。パッツィの号令以下、30名の分隊員たちが隊列を組み一斉に木製の模造剣を振り始める。
と言いたいところだが、合同訓練の時間中に通常業務を全て取りやめるわけにもいかないので、日中業務担当の三小隊から2名ずつ計6名が訓練を外れて通常業務に当たっている。そのため参加者は総勢で24名といったところ。現在は第四小隊に欠員が出ているので、今鍛錬場にいるのは23名である。
本来なら、分隊は総勢で32名いなければならないのだが、もう3年ほど2名欠員のまま回している。2名までなら分隊長と分隊副長が小隊長を兼務すれば事足りるため、現在の30名体制でも特に支障はないわけだ。だが今回、新たにひとり除隊者が出てしまったため、早急に補充要員を回してくれるよう本部に督促を出している。
模造武器を使った型稽古のあとは、走り込み。ゴロライの町を囲む城壁の周りを2周、全員で走るのだ。
「では次。外周走、行くぞ!」
パッツィの号令にトードがあからさまに嫌そうな顔をする。
ゴロライの町の城壁は、年々増える人口を加味した上で余裕をもって築かれているため比較的綺麗な円形をしている。だがそのせいで現在の人口規模に比してもやや大きく、一周がおよそ1ミリウムと2スタディオンほどある。トードは毎回、まともに走りきれたためしがないので、鍛錬を免除されて通常業務に回される組に入れてもらえないのだ。
まあ通常業務に回されたところで、それは3回に1度だけなのだから、結局のところ走らなくてはならないわけだが。
詰め所敷地を出た段階で走り始め、大通りを北門に向かって2スタディオンほど走る。北門を出てまず東回りで一周、北門で折り返して西回りで一周し、北門まで戻ってきてゴール、である。全員が戻ってくるのを待ち、あとはクールダウンを兼ねて詰め所まで歩いて帰る。
トードやネイティ、フィーリアあたりが遅れがちだから、早めに戻ってこれた面々はその分多めに休めたりする。
「よし、では次——」
そして、全員で詰め所の鍛錬場に戻って隊員同士の模擬試合を始めようかというその時に、事件は起こった。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は31日の予定です。