05.実は私も
「やってしまった…………」
翌朝。
侍女たちに起こされ湯浴みをさせられて、その後髪を整えてもらいつつ頭を抱えるしかないパッツィである。
昨夜は途中から記憶がゴッソリ抜け落ちてしまっていて、どうやって帰ってきたかも全く憶えていない。褒め殺しの恥ずかしさにいたたまれなくなり帰ろうとして、でもアーニーが引き止めてくれたから居残った。その後、ウィットやオーサムから勧められるままに飲んだあたりまでは覚えているのだが。
「お嬢さま、動かないで下さいまし」
「あ、うん、済まない」
物理的に頭を抱えようとしたら侍女に怒られたので、内心で頭を抱えるほかはない。
だがそれでも、うっすらと憶えているのは。
『貴女は憶えていないでしょうけど、僕は決して忘れません』
『あの時助けてもらったから今の僕があるんです』
『その恩を、いつか僕は返したい』
囁かれ続けた感謝の言葉。
(……私、誰を助けたの!?)
だがそれが誰の言葉なのかが分からない。おそらく昨夜家まで送ってくれた人物だとは思うのだが。
「ねえ」
「はい、なんでしょうかお嬢さま」
「昨夜、私を送ってくれた人が誰か、あなた聞いている?」
「それは、酒場のアーニーさんだそうですよ」
「アーニーなの!?」
アーニーとは彼が酒場で働き始めたことで知り合った仲だから、基本的に酒場でしか会っていないはずだ。
「え……酔っぱらいに絡まれてるのを助けたり、したかしら……?」
そんな記憶はないのだが。でも確かに、彼も勤め始めた15歳の頃は酔客のあしらいも上手くはなかったから、あり得ない話でもない。
「待って全然憶えてない!」
「お嬢さま、動かないで」
「あっはい、ごめんなさい」
貴族令嬢の髪のセットは時間がかかるものだ。パッツィは今は辺境ゴロライの辺境騎士団分隊長だからきっちりセットしなくてはならないわけではないのだが、侍女たちはいまだに矜持にかけても完璧を追い求めようとしてくれる。だからパッツィもそこは逆らわないようにしている。
侍女たちも今の彼女が騎士だと分かってはいるため、それを踏まえた髪型にセットしてくれるので有り難い。今日は特に朝から湯浴みを挟んで時間がないので、それも踏まえて簡素な形に整えてくれている。
問題は、毎回微妙にセッティングが変わるという事実だ。パッツィ自身は鏡を見れば一目瞭然レベルで分かるのだが、むくつけき騎士隊員がそんな微妙な差異に気付くはずもない。つまりやるだけ無駄のレベルであって、侍女たちの矜持も報われないまま終わるのがいたたまれない。
「さあ、出来ましたよお嬢さま。本日もとびきりお可愛らしくなってございます」
「ええ、ありがとう」
いたたまれないと言えば、毎回努めて飾り立ててくれようとする彼女たちの気遣いもまたいたたまれない。
だって今のパッツィは騎士であって、侯爵家令嬢のパトリシアではないのだ。
そう、パッツィとは世を忍ぶ仮の姿。本来の彼女はカムリリアの旧五王国のひとつ、かつてのポウィス王国の旧王家に連なるカースース侯爵家の娘パトリシアである。
カムリリア地方全体の文化・政治の中心地である王都グリンドゥールで生まれ育った彼女が、何故旧ファドク王国の北辺に位置する辺境ゴロライで騎士などやっているのか。それは旧グウィネズ公国の、旧王家分家エリュリ侯爵家の子息ウヘルールから理不尽に言いがかりをつけられ、婚約破棄を言い渡されたからである。
元婚約者の態度にパトリシアはキレた。だが彼女以上に彼女の父、カースース侯爵カラタクスがキレた。彼はパトリシアを逃した上で「旧ポウィスと旧グウィネスとの連携強化の柱である婚約を維持できなかった娘を追放した。行き先は関知していない」と嘯き、エリュリ侯爵家にも「そちらの子息を処分した上で賠償を支払え」と迫ったのだ。
結局、元婚約者ウヘルールは追放されて行方不明になり、パトリシアはパッツィと名を変えてゴロライの町で騎士として生きている。
そうしてもう7年も騎士として生きてきて、男社会の中で女であることさえ半ば忘れかけている自分を、女らしく飾る意義がどれほどあるものか。
(でもそう言えば、アーニーは気付いてくれたわ)
唯一、アーニーだけは『今日の髪型、似合ってますよ』とか『少し、髪切りました?』などと言及してくれたことが何度かある。毎回ではないから彼も細々とした差異までは気付いていない可能性が高いが、それでも気付いてくれるだけマシだし、侍女たちの矜持も報われるようで嬉しくなったものだ。
今日の髪型はポニーテールになっている。パッツィとしては煩わしいから切ってしまっても構わないのだが、切ろうとすると必ず侍女たちが大反対してくるので、せいぜい毛先を整える程度しかできない。まあ短くしてしまうと後々実家に戻らねばならなくなった際に面倒なので、それでウエストラインの長さを常に維持している。
ちなみに騎士として出動しなくてはならない場合は兜を被るため、そういう場合は髪を下ろして後ろで結ぶ必要がある。なのでパッツィもその程度なら教わって出来るようになっているが、普段は侍女たちに怒られるのでやらない、というかできない。
髪が整い騎士服を着て朝食を手早くかき込んで、パッツィは執事や侍女たちに見送られながら邸を出る。ゴロライは小さな町だから、騎士隊の詰め所までは徒歩でもさほど時間はかからない。
これも最初の頃は執事のタルヴリンが馬車を出すと強硬に主張して譲らなかったが、ヒラの騎士が馬車通勤などできるわけがないと説き伏せたものだ。
「おっ、隊長さんおはよう」
「おはようございます」
「今日も決まってるねえ」
「ありがとうございます」
「あっ、お姉さまおはようございます!」
「ああ、おはよう」
「今日も凛々しくて素敵です!」
「褒めてくれて嬉しいよ」
徒歩なものだから、町民たちが次々と声をかけ挨拶してくれる。前分隊長から指名され職務を引き継いでそろそろ1年、今ではすっかり「騎士隊長パッツィ」として町に馴染んだ自覚がある。まあ正直、騎士としての実力はまだまだ未熟にもほどがあるのだが。
出勤途中、ついついアーニーを探してしまう。酒場はいつも深夜まで営業しているから、朝のこの時間に彼はベッドの中のはずで外を出歩いているわけがないのだが、それでも探さずにはいられない。
(あのアーニーに告白されたのよね、私)
まさかまさかの事態であった。よもや自分の妄想が高じて、ついに幻聴まできたしたのかと疑ってしまったほどだ。
というのも、実はパッツィもアーニーのことが好きなのだ。最初は可愛い歳下の男の子でしかなかったのに、年を追うごとに成長して爽やかにカッコよくなってゆく彼から、いつしか目が離せなくなっていた。
ただ、それに気付かされたのはつい最近のことである。それは7年ぶりに女性隊員としてフィーリアが採用され、先輩として彼女の世話を焼く中で仲良くなり、ある時雑談の中で問われたのがきっかけだった。
『分隊長って、誰か良い人いないんですかぁ?』
『今は特にそういう殿方はいないな』
いないと言いつつ、脳裏に浮かんだのはアーニーだった。職務上の関係を除けば、もっともよく話すのが彼だったから。
『あっ、今具体的に誰か思い浮かべましたね?』
『い、いや、そんな事はないよ?』
咄嗟に否定こそしたものの、それ以来彼の顔が脳裏から離れなくなった。その状態で毎日のように酒場で飲み食いして、彼とたくさん会話して、そして気付いたのだ。
彼との会話が全く苦痛じゃないということに。
なんならすごく楽しいということに。
彼は物腰穏やかで、立ち居振る舞いが爽やかで、そして笑顔が可愛い。ついでに言えば、騎士隊員からも町民たちからも男呼ばわりされるようなこんな自分でもきちんと女扱いしてくれる。それも性的な対象として見ることなく。
いや実際には見ているのかも知れないが、少なくとも女性が気付かないのだから、そういう目を向けてきていないのは明らかだし好感度が高い。
なんだ、パーフェクトじゃないか。一度そう感じたら、そこからは早かった。もう今となっては、そういう対象として思い浮かべるのは彼しかあり得ない。かつての婚約者なんてもう顔すら思い出せないというのに。
まあ、元婚約者で憶えているのなんて、尊大で高圧的で偉そうだった態度と、最後の時の嘲笑の声だけなのだが。それさえも綺麗さっぱり脳裏から洗い流してくれるから、アーニーの笑顔がやっぱり好きだ。
(……だけど、こんな私なんかがね)
アーニーは基本的に誰に対しても態度が変わらないから、今までは自分に対してもそうなのだと思っていた。そのうちに『僕達、今度結婚するんです』とかって恋人を紹介される妄想までして、妄想なのに枕を濡らしたことさえあった。まあ恥ずかしいので絶対誰にも言わないが。
その彼が、あろうことか自分を好きだと。女らしくないどころかオッサンくさいとまで言われる自分を好きだと、お付き合いして下さいと、ハッキリ言い切ったのだ。
(うわああああ!彼、本当に……!?)
「おっどうした隊長ちゃん、なんか顔が赤ぇぞ」
「えっ?——あ、いや、違う、これは何でもないから!」
「お、おう、そうか?まあ無理すんなよな」
「わわわ分かってる!」
そう、分かってる。きっと彼は自分に気を使ってくれたのだ。誰にもモテず嫁にも行けずに23歳になってしまった、可哀想な騎士隊長に夢を見させてくれているのだ。
勘違いダメ、ゼッタイ。本気にしてもしも気のせいだったら、もうそこから立ち直れる気がしない。だが嘘でも気遣いでも、告白されたのは事実には違いない。だからそれさえあればこの先もちゃんと生きて行ける。
そう、そうだわ。どうせそのうちに実家を継いだお兄さまや大伯母さまあたりから縁談を命じられるのだろうし、そうなっても彼に告白された事実さえあれば私はきっと大丈夫。うん、大丈夫!
「あ、おはようございます分隊長」
「……えっ?——あ、ああ、おはよう」
妄想している間にいつのまにか、町政庁舎に隣接する騎士隊詰め所にたどり着いていた。門衛の敬礼を受けつつパッツィは中に入り、二階の分隊長執務室に向かった。
ちなみに門衛からも「顔赤いけど具合でも悪いんですか?」と聞かれてしまったから、昨夜飲み過ぎただけだと誤魔化して押し通した。
いつもお読み頂きありがとうございます。
次回更新は27日の予定です。
【小ネタ】
主人公パトリシア(Patricia)、その名前の短縮形がパッツィ(Patsy)です。
短縮形ではあるけども、実は別の単語としても同じスペルで存在してたりします。それぞれ意味を調べると、ちょっと面白いかも?
あとパトリシアの元婚約者ウヘルール君(Uchelwr)は一見間抜けなネーミングですが、発音的に正しい読みを調べて設定しています(ChatGPT調べ)。「貴族、上流階級の人」という意味のUchel+人名語尾-wrの造語になります。
カムリリア全土でも上から数えた方が早いレベルの貴顕のお嬢様なのに、騎士生活に染まりすぎて女であることさえ半ば忘れかけてる残念女子パトリシア=パッツィ。なのに侯爵家令嬢としての自覚がしっかり残っているせいで、なおかつ女らしくあれてない自覚もあるせいで、アーニーからの告白を素直に受け止められていません。
はてさて、この先どうなりますことやら。
ここまでお読みいただいて、ふたりの関係がこの先どうなるのか気になる方、続きを読みたいとお感じの方、そうでもないけどまあ作者を応援してやるか、なんてお優しい方、おられましたら星評価、ブックマーク、リアクション、感想その他をよろしくお願いします。
現状ほとんどポイントも入ってなくて、日当たりPVが100前後という壊滅的状況なので(半泣)、作者のモチベーションアップのためにも応援を頂ければ有り難いです。よろしくお願い致しますm(_ _)m