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女主人達の異世界グルメ

紅葉亭で風を感じて

作者: 百鬼清風

 異世界の風が優しく頬を撫でる季節、私の店「紅葉亭」は相変わらず賑わっている。小さな宿屋だが、料理が評判となり、遠方からの客も足を運んでくれる。常連客や新しい顔ぶれが次々と訪れる中、今日もまた、私の心をくすぐる食材が手に入った。


「エリナさん、今日はこれを使ってみませんか?」


 イーリスが持ってきたのは、鮮やかな赤色をした果実。見た目は美しいが、これまでに見たことのない形をしていた。


「おお、これは珍しい…どこで手に入れたの?」


 イーリスは満足そうに笑った。


「町の市場で偶然見つけたんです。香りが良くて、どんな料理に使えるのか楽しみです」


 私はその果実を手に取ると、ほんのりと甘い香りが広がる。その香りに誘われるように、私は早速料理のアイデアを浮かべ始めた。


「紅葉亭に来る客は、料理の味だけでなく、その雰囲気を楽しみにしている。だから、どんなに小さな変化でも、おもてなしの心を込めていきたい」


 私が言うと、イーリスはにっこりと微笑んだ。


「エリナさんらしいですね。でも、少しは自分を大切にしてくださいね。あなたがあまり無理をすると、心配になりますから」


 その言葉に、私はふっと笑顔を浮かべる。イーリスは昔から私をよく見ていて、私の心情を察してくれる。それでも、私はこの宿屋を守り続けるために、毎日を必死に生きているのだ。


 その日の夕方、宿屋のドアが開く音が響いた。お客様かと思い、私は立ち上がる。しかし、扉の前に立っていたのは、一人の男性だった。

 その男性は、私たちが今まで見たことのないような、落ち着いた雰囲気を持つ人物だった。年齢は三十代前半くらい、短めの黒髪に深い青の目が特徴的だ。その目は、どこか遠くを見つめるような寂しさを含んでいる。


「いらっしゃいませ。お泊まりですか?」


 私は自然に声をかけた。彼は軽く頷くと、少しだけ困ったような表情を浮かべた。


「実は、料理が目的でここに来たんです。『紅葉亭』の評判は耳にしていたので、ぜひ食事をしてみたくて」


 その声には、どこか懐かしさが込められているように感じた。何か心に秘めた思いがあるのだろうか。それでも、私は宿屋の主人として、丁寧に対応しなければならない。


「料理が目的ということは…お泊まりなしですか?」


 男性は少し考え込み、そして軽く肩をすくめた。


「そうですね。少しの間、休んでいければ十分です」


「それでは、どうぞお食事をお楽しみください。お好きな料理をお作りしますので、どうぞお声がけください」


 私はその男性に、静かに微笑んだ。


 その後、彼はイーリスと共に席についた。静かな雰囲気の中で、私は彼に出す料理を考えながら、つい自分の心情を無意識に考えてしまう。彼のような穏やかな雰囲気を持つ人物が、なぜこんな町に来たのだろうか。彼の過去に何があったのか、私は気になって仕方がない。


 料理を準備しながらも、私はどこか心が落ち着かない。と、突然、彼が一言つぶやいた。


「実は、昔、この町で食べた料理が忘れられなくて…」


 その言葉に私は息を呑んだ。彼は一体、どんな料理に魅せられて、この町に再び足を運んだのだろうか?


「それについては、少し話してもいいですか?」


 私は心を決め、彼に聞いた。


「もちろんです」


 その言葉に、彼は少し驚いたように目を見開いたが、すぐにまた静かな微笑みを浮かべた。


「昔、ここで食べた料理の味を忘れられなくて。あの時の味が、僕の人生を変えたんです」


 彼の目の奥に、確かに深い思いが宿っていた。私はその言葉が、何を意味するのかを理解できた気がした。それと同時に、彼の訪れがただの偶然ではないことに気づき始めていた。



 男性の目には、何か切実な思いが宿っていた。その深い目線を見つめながら、私は少し戸惑った。彼が言った通り、昔この町で食べた料理が忘れられないという。それは単なる食事ではなく、彼の人生を変えるほどの大切な味だったのだろう。


 私が手を休めて料理を準備する手元を見つめる中、彼が静かに語り始めた。


「その料理は、確かこの『紅葉亭』で出されたもので…」


 彼は少し懐かしそうな表情を浮かべながら、続けた。


「子供の頃、家族と一緒に旅行をしていたんです。親は私にとって、唯一の支えだった。だけど、あの日、母が病に倒れ、急にいなくなってしまって…」


 彼はそこで言葉を止め、少しだけ視線を下に向けた。私は、心の中でその思いを汲み取ろうとしたが、何も言えずに黙って彼の話を待った。


「その時、父親と二人きりになって、ふとこの町に立ち寄ったんです。あの頃、父はとても無理をして働いていて、体調も崩していた。それでも、彼は必死に私を育てようとしてくれて。そんな父を見て、少しでも元気を与えてくれるような場所があるならと思って…」


 彼は短く息を吐いてから、またゆっくりと続けた。


「『紅葉亭』で食べた料理は、そんな父を少しだけ元気づけてくれたんです。その料理の味が、今でも心に残っていて、あの時の父の笑顔と一緒に記憶に刻まれている」


 言葉に詰まりながらも、彼はその深い思いを込めて語ってくれた。その話の中に、私は自身の過去を重ねているような気がした。私にも、大切な人を守りたくて、時に無理をしながらも頑張っていた時期があったからだ。だが、彼はその後どうなったのだろうか?父親と一緒に過ごしたあの日から、どんな人生を歩んできたのか、それが気になって仕方がなかった。


「その料理、もう一度食べてみたくて、ここに来ました。思い出すことで、少しでも昔のように、心が軽くなればと思って」


 彼の声は静かだが、確かな決意が込められていた。私は、その言葉に感銘を受けると同時に、彼の求める料理がどれほど重要なものなのかを感じ取った。


「分かりました。あなたが求めている味を、できる限り再現します」


 私はきっぱりと答えた。


「けれど、それには少し時間をいただけますか?当時のレシピを正確に覚えているわけではありませんので」


「もちろんです。時間がかかっても構いません」


 彼は少し驚いたような表情を浮かべ、しかしすぐに穏やかに微笑んだ。


 私はキッチンに戻り、彼が話してくれた料理の記憶をもとに、手探りでその味を再現するための準備を始めた。食材の選定や調理法、何度も試作を重ねながら、少しずつ料理が形を成していく。途中でイーリスが手を貸してくれることもあったが、私はどうしてもこの料理を完璧に作りたくて、一人で黙々と作業を続けた。


 時間が経ち、ようやく一皿が完成した。目の前に置かれた料理は、まさに思い描いていた通りのものだった。確かな手応えを感じつつ、私はその料理を男性の席へと運んだ。


「お待たせしました。こちらが、あなたが求めていた料理です」


 料理をテーブルに置くと、男性はその一品をじっと見つめた。目を細め、香りをかぎながら、少しだけ笑みを浮かべた。


「これです…これが、あの時の味」


 彼の声は震えていた。私が手を休めると、彼はゆっくりと箸を取り、料理を一口口に運んだ。その瞬間、彼の表情が柔らかく変わり、深い感動を覚えていることが伝わった。


「本当に…ありがとうございます。ずっと探し続けていたんです、この味を」


 彼はそう言って、満足げに微笑んだ。

 その笑顔は、過去の辛い記憶を乗り越えた証のようにも感じられた。私の心も、どこか暖かくなった。


 その夜、彼は料理を完食し、静かに立ち上がった。


「もう、心残りはありません。ありがとうございました、エリナさん」


 私は微笑んで答える。


「ご満足いただけて良かったです。どうぞ、これからもご自身の人生を大切にしてください」


 彼は深く頭を下げると、静かに店を後にした。その背中を見送りながら、私は一つ大きなため息をついた。彼の訪れが、ただの偶然ではないような気がしていた。彼にとって、私の料理はただの食事以上の意味を持っていた。それを知った今、私はこれからも彼のような人々に力を与えられる料理を作り続ける覚悟を新たにしたのだった。


 それから数日が経ち、紅葉亭の店内は相変わらず静かで温かい空気に包まれていた。夜の営業が始まるころには、町の人々や旅人たちが訪れて、私の作る料理を楽しんでいた。


 そんな中でも、先日来店した男性のことが気になっていた。彼が去ってから数日が経ったが、私はその後も彼の言葉が心の中に残っていた。彼が話していた過去のこと、そしてあの料理に込められた意味。それらは私にとって、ただの一皿の料理以上のものだった。


「エリナさん、少しお手伝いしてもいいですか?」


 イーリスが声をかけてきた。彼女はいつも元気で、店の中では頼りになる存在だ。私が調理に忙しくしている間、彼女はいつも店の外の様子を見たり、客の対応をしてくれたりしている。


「ありがとう、イーリス。今日は少し忙しそうだから、助かるわ」


 私は彼女に微笑みかけ、調理台に向かう。すると、突然、扉の鈴が軽やかな音を立てて鳴った。


「あら?お客さん?」


 振り返ると、そこには見覚えのある男性が立っていた。あの料理を求めてやってきた、あの人だ。


「こんにちは、エリナさん」


 彼は少し照れくさそうに、でもどこか安心した様子で挨拶をした。


「また来てしまいましたね…でも、今日は少し違う理由があって」


「どうしたの?今日は何かお困りごとでも?」


 私は思わず気遣いの言葉をかける。彼の顔に見えるのは、以前とは違う少し柔らかな表情だったが、どこか物思いにふけっているようにも見えた。


「実は…」


 彼は少し間を置いた後、ゆっくりと口を開いた。


「その料理、私が食べたことで、母のことを思い出して…その後、色々と考えてしまったんです。私の父は、その後すぐに病気で亡くなりました。それで、私は一人で生きていくことを決めたんです。でも、どうしても忘れられない。母の笑顔、父の愛情…その二人が一緒にいた時に食べた、あの味」

彼は深く息を吐き、少し疲れた様子を見せる。


「それで、私はずっと一人で過ごしてきました。だけど、あの料理を食べたことで、少しだけその時の気持ちが思い出されたんです。料理の力って、すごいですね…」


 彼は言葉を続ける。


「それで、私は考えたんです。過去のことを大切にして、これからの自分をどう生きるか。母や父のように、愛する人を守りたいと。そんな気持ちが湧いてきたんです」


 私はその言葉を聞きながら、彼の心の中で何が変わったのか、少しずつ感じ取ることができた。過去に囚われ続けていた彼が、少しずつ自分を解放していこうとしているのだ。


「それは、すごく大切なことだと思うわ」


 私は真摯に答えると、彼はほんのりと微笑んだ。


「そう言ってもらえると、少し安心します。実は、もう一つお願いがあるんです」


「お願い?」


 私は彼の言葉に少し驚きながらも、彼が何を言いたいのかを待った。


「もう少し、この町に滞在したいんです。そして、エリナさんが作る料理をもっと食べて、色々なことを考えながら過ごしたいと思って」


 彼は少し遠慮がちに言ったが、その表情からは本気でそう思っていることが伝わってきた。


「もちろん、歓迎よ。ここで過ごす時間が、あなたにとって何か意味のあるものになるなら、私も嬉しいわ」


 私は心から答えた。彼が町に滞在して過ごす時間が、彼にとって良いものであることを願っていた。


 その後、彼はしばらくの間、この町で過ごすことになった。私の店にも時折顔を出し、料理を楽しんだり、町の風景を散歩したりしている様子を見かけるようになった。彼の表情は、以前よりもずっと穏やかで、時折笑顔を見せることも増えていた。


 ある日、彼が店に来て、私に一つの質問を投げかけた。


「エリナさん、あなたはどうしてこの町に来たんですか?」


 その問いに私は少し驚いた。自分でも答えがすぐには出ない質問だった。町に来た理由は、どこかで新しいスタートを切るためだったが、具体的に何を求めていたのかは、ずっと曖昧なままだった。


「どうしてだろう…でも、多分、何か大切なものを見つけたくて、この町に来たんだと思う」


 私はゆっくりと答えた。


「この町で過ごしていくうちに、自分にとって本当に大切なものが見えてきた気がする」


 彼はその言葉を聞いて、しばらく黙って考えてから、静かに答えた。


「そうですね、エリナさんもきっと、何かを求めてここに来たのでしょうね」


 彼の言葉には、深い意味が込められているように感じられた。


 その日から、私たちの間には言葉以上の何かが通じ合ったように感じた。少しずつ、彼との距離が縮まっていくのを感じながら、私は自分の料理と共に、彼が何かを見つけていく過程を見守っていこうと思った。


 それから数週間が過ぎ、町はすっかり秋の深まりを見せていた。街路樹は黄金色に染まり、風が吹くたびに、色とりどりの葉が舞い散っていく。紅葉亭の窓から見える景色も、美しく変化し続けている。


 私はいつものように料理の準備をしていると、イーリスが声をかけてきた。


「エリナさん、今日も忙しいですね。でも、少し休んでくださいよ」


 彼女はいつも元気な声で私に気を使ってくれる。イーリスが言う通り、最近は多くのお客様が来店していて、正直少し疲れを感じることもあった。


「ありがとう、イーリス。でも、まだ少しだけ調理が残っているから、もう少し頑張らないと」

私はそう答えながらも、ふと考え込んでしまった。


 あの男性、ロウレンのことを考えると、胸の奥に何か温かいものが広がる。彼と出会ってから、私は多くのことを学んだ。彼が過去の痛みを抱えながらも前に進もうとしている姿に、私は何度も励まされた。


 その日、彼が店に顔を出した。いつものように少し照れくさそうに挨拶をしてくるロウレン。今日は、以前よりも少しリラックスした表情をしていた。


「エリナさん、今日はちょっとお話ししたいことがあって」


 ロウレンは私に向かって言った。その言葉に、私は心の中で少し緊張を感じた。何か大事なことがあるのだろうか。


「もちろん、何かあったの?」


 私は優しく問いかける。彼は静かに深呼吸をし、少し目を伏せると、ようやく言葉を続けた。


「実は、僕、町を離れることに決めたんです」


 その言葉を聞いて、私は驚き、そして少し寂しさを感じた。


「離れる?どうして?」


 私は思わず声を上げてしまった。


「この町に来てから、たくさんのことを考えました。過去のこと、未来のこと、そして自分の心の中にあるものを。そして…」


 彼は言葉を切った後、少しだけ私を見つめる。


「エリナさんのおかげで、少しずつ自分と向き合えた気がします。でも、今はもう少し広い世界に出て、何か新しいことを探したいと思うんです」


 私はしばらく黙って彼の言葉を聞いていた。確かに、彼はこれまでずっと自分の過去に縛られてきた。

 それを乗り越えようとする彼の姿勢は、きっと次のステップに向けての大きな一歩だったのだろう。


「そうか…それなら、ロウレンがその決断をしたこと、私は嬉しいと思うわ。きっと、あなたにはもっと大きな世界が待っているはず」


 私は心から彼を応援する気持ちで言った。彼が自分を見つめ直し、未来に向かって歩み始めたことが、私にとっても大きな意味を持つのだと感じた。


「ありがとう、エリナさん」


 彼は少し恥ずかしそうに微笑みながら、頭を下げた。その姿を見ると、私は彼が本当に前に進もうとしているのだと実感した。


 それからしばらく、ロウレンは町に留まり、私との時間を大切にしながら過ごした。私たちは時折、町の広場で一緒に散歩をしたり、食材を探しに市場へ行ったりした。彼の笑顔を見ていると、私もとても幸せな気持ちになった。


 そして、ロウレンが町を去る日が来た。朝の光が町に優しく降り注ぎ、彼は荷物をまとめて私の店に立ち寄った。


「エリナさん、今まで本当にありがとう。君のおかげで、僕は自分の気持ちを整理することができました」


 ロウレンはそう言って、私に手を差し伸べた。


「こちらこそ、ありがとう。ロウレンが前に進む勇気を持ってくれたこと、私は本当に嬉しい。どうか、これからも自分の道をしっかり歩んでね」


 私は彼の手を握りながら、そう答えた。


 彼は少し立ち止まり、深く息を吸うと、まっすぐに私を見つめて言った。


「またいつか、どこかで会えるといいですね。その時は、きっともっと強くなっていると思います」


「きっとね。私はあなたを応援しているわ」


 私は微笑みながら答えた。彼は最後に一度だけ深く頭を下げ、そして歩き始めた。町を離れるその姿は、どこか清々しさを感じさせるものだった。


 ロウレンが町を去った後、私は何か新しい決意を胸に抱いた。この町で、そして紅葉亭で過ごす時間が、私にとって大切なものになったことを感じていた。自分の料理が、誰かの心に少しでも温かさを届けていることを実感しながら、私はこれからも一歩一歩前に進んでいこうと思った。


 それが、私の新しい歩みの始まりだと信じて。




おしまい

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