アマリリスの兄、エディタ
アマリリスの兄エディタは、妹のことを大切に思っていた。
彼は頭脳明晰ではあるが、母親に似たのか筋肉が付きづらい体質だった。懸命に訓練を行っていても、同年代の男子と比べ劣っていることを恥じていた。その為さらに懸命に、努力を重ねていく。
アマリリスの記憶にはないが、エディタはずっと放置されている妹を撫でたり抱っこしていたのだ。
それも後継者教育が忙しくなると、出来なくなっていったが。
その頃のことが記憶にないアマリリスも、使用人達に聞いて知っていたがあまり実感がなく、素直に兄に甘えられなかった。
そんな感じで育っていくうちに、エディタが思春期に突入。
ただでさえ母親であるマリアが、好き勝手に遊び歩いていることを友人達にからかわれた経験が尾を引き、素直に女子にも話しかけられなくなっていた。
そんなこんなで、大切に思っている妹にも素直になれなかったのだ。
その後は妹からもやんわりと敬遠され、泣くに泣けなかった。
それでも彼は妹の様子を見守り、使用人達と笑い合う姿を見て安心していた。
「アマリリスをきちんと見てくれる人がいて良かった。寂しく泣いていなくて良かった」
そんなエディタを使用人達は知っていた。話しかけてみてはと声をかけられるも、彼には出来なかった。やろうと思っても、どうにも勇気が持てなかったのだ。
そして増える後継者教育に、苦手な剣術の訓練に時間を費やし、剣術で名高い学園に入学を果たす。
その学園は領地より離れ、家からは通えないので寮生活となった。
見ているだけで幸せだった妹の笑顔と離れ、心だけでなく本当の距離も離れることに辛くて今度は泣いた。
彼にとって、ずっと妹は天使のようだったから。
そして母マリアに対しては、憎しみがふつふつと湧いた。
「どうして母親なのに、妹を守ってやらないんだ」と。
暫くして母マリアが離縁され、生家に戻されたと父リシタルに聞くのだった。
「そうなるよな。当たり前だよな」
呟くエディタの顔が、悲しく歪むのに気づく者はいなかった。
憎むのは愛情の裏返し。
彼は時折見せる気まぐれな母親の愛情を受け、本当に嫌いにはなれなかった。彼も子供だったから母の愛を欲していた。それと同時に、何故妹には優しくしないのか疑問だった。
エディタは知らなかった。
父方の祖父母とリシタルは、みんな銀糸の髪だった。ピンクブロンドの髪を持つ孫を「男らしくない。嫁に似て線も細く、剣術もからっきしだ」と口にしていた祖父を、マリアは偶然知ってエディタを守っていたのだ。
当然のようにマリアに対する嫌みも度々見られた。酒の勢いにした、ちょっとした嫌がらせだった。けれどマリアは傷つき、注意しないリシタルに幻滅していった。
マリアはエディタのことを守っていた。
彼の耳に非難する言葉が聞こえないように。
だから祖父母がいる時に、エディタの周囲にマリアが常に付き添っていたのだ。それを見たアマリリスが羨ましく思ってしまうのは、仕方がないことだった。
アマリリスのことも守ってあげられる母親なら良かったのだが、彼女の精神はまだ未熟だったからリシタルと話し合いを持ち、研鑽していく術を持たなかったのだ。
その発散に社交の場を選んだのは悪手だった。
◇◇◇
そして年月が過ぎ、騎士の学園でエディタは頭角を現していた。
成長は彼に味方し、背も高く伸び筋肉の付きも良くなっていた。それに加えて努力をして身に付けた技巧を駆使したことで、優秀な騎士となったのだ。
ただ他の生徒もそうだが、長期の休みには騎士団の訓練に参加し自己を鍛えるのが通例になっていたので、家に帰ることも出来なかった。
1日2日くらいは思うが公爵領までは遠く、泣く泣く帰るのを諦めたエディタだった。
(アマリリスは元気かな? 大きくなったんだろうな?)
そう思い胸が締め付けられる彼に、転機が訪れた。
なんと同じクラスの中に、妹がアマリリスと同じクラスの者がいたのだ。
(知りたい。どうしているか)
そう思いながらクラスメートである、サイラス・アンファゾン辺境伯令息に声をかけた。彼の妹はビューレ・アンファゾンで、密かにアマリリスを守っているというではないか。
「ありがとう、アンファゾン殿。大変ありがたいよ」
「別にお礼なんていらないよ。俺が守ってる訳じゃないし。ただの妹の友人なだけだしさ。でも喧嘩でもしてんの? 近況なんて手紙でも書いて、直接妹に聞けば良いじゃん」
「それが出来れば苦労しないよ」
「何々? もしかして異母妹とか、義理の妹とかなのか? 愛しちゃってるのか? おおっ」
茶化されて怒るエディタは、本気で怒ってしまう。
「俺の天使に何言うんだよ。俺は崇めるくらい大事に思ってるのに!」
「あ、そっち系か。辛いなそれは。絶対に嫌われたくないもんな。お兄ちゃんとして」
「………そうだよ。嫌いとか言われたら、軽く死ねる」
「重症だな、おい! 大丈夫か?」
「大丈夫じゃない。お前と話して削られた。精神がガリガリと!」
「マジか? 剣術強いのにな、お前。弱点、妹とか笑えないな!」
「笑うなよ。失礼な奴め!」
「まあまあ。俺様がレクチャーしてやっからさ。元気出せよ! 取りあえず、あれだ。手紙書け、手紙。そのやり取りで親密度は図れるから!」
「本当か? マジかよ!」
「マジマジ! 信じてよ。わはははっ」
信じたエディタは素直に手紙を書いた。藁にも縋るように。その後に普通に返信が来たことで、サイラスを信じたエディタだ。
それからは普通に友人となり、「サイラス」「エディタ」と呼び捨ての仲となった。ストイック過ぎて友人が少なかったエディタに隙ができ、サイラスの交友関係も加わっていったのは予想外。その中で女性騎士との交流を持つことにもなった。
エディタの妻となる令嬢は、この学校の淑女科に通う者だった。女王や王女に接近して仕えるには、武力のある女性が最適なのだ。彼女達は侍女として能力を隠して主に仕えることになる。
卒業後は剣の腕を認められて、王太子の側近の1人となったエディタにはお似合いの令嬢だった。
フローディア・アンファゾン伯爵令嬢。
サイラスやビューレの従姉である、エディタより1才年上の豪傑であった。
清く、正しく、強く、美しくの、四拍子揃った見た目麗しい令嬢だ。黒髪に黒い瞳で、結い上げた髪には暗器を隠し持つ死角なしの最強護衛。後に一早く王太子妃の侍女となり、エディタを待つのだった。
包容力があり、何より守らなくても良い彼女にエディタは初見で惹かれていた。それを察したサイラスが、何気に後押ししたのだ(ちょっと面白がりながら)。だからエディタはサイラスの頼みを断れない。
「変わってるわね、エディタは。普通は私みたいなおっかない女は、お偉いさんは選ばないものよ。みんな可愛らしいのを嫁にするわ。正体を知らないなら、まだ分かるけど」
「変わってなんかいないさ。フローディアのことを知ったら、誰でも好きになるよ!」
「そこまで言うんなら、良いわ。結婚してあげる。その代わり、裏切ったら殺すからね!」
「ああ、頼む。君に捨てられるくらいなら、君の手で死にたい!」
「うわっ~。あんたタラシじゃないの? 私タラシ嫌いなのよ!」
「まさかっ。女性と付き合ったことなんてないよ。疑うならサイラスに聞いてくれよ!」
真剣なエディタにフローディアは微笑む。
(こんなに可愛くて格好いいのに。女っ気なし。で、私にゾッコンなんて嘘みたい。神様サンキュ♡)
彼女は口にしないが、かなりエディタを気に入っていた。後の最強(時々最恐)夫婦の誕生である。
それに話に聞く、義妹になるアマリリスのことも気に入っていた。
(エディタのいう天使って、どんだけなのかしら? 気になるから卒業したら見に行こうっと)
そう思い、ビューレに引き合わせて貰ったら、胸キュンだった。猫みたいなつり目なのに、なんともおっとりして家庭的なのだ。お土産に貰ったクッキーのまた美味しいことったら。
完全に餌付けされていた。
彼女が第二、第三王子にアマリリスを勧め、王宮で一緒にいる時間を作ろうとしているのは、エディタには内緒にしていた。エディタはアマリリスに「無理に結婚しなくても良い」と、言っているからである。
それでも幸せになれるなら、結婚も勧めたいフローディアだ。
(第二、第三王子くらい、私が調教してアマリリスの理想の旦那に仕立ててあげるから)なんて危険思想にも発展していた。
その後ド派手な結婚式を行い、アマリリスと王子達を出会わせる場も作ったフローディア。勿論エディタには内緒であったが。そろそろもう、ばれそうではある。
でも当のアマリリスは、まだまだ結婚なんて考えていなかった。
「平民になっても平気よ」なんて言ってるしね。
幼い時に弟妹が欲しかったアマリリスは、お菓子を作って孤児院に通い、愛情を振りまいていた。もう輝く美しさで。愛情と金銭を惜しみなく与えてくれる、孤児院の女神様である。
その中で教育を受けて成長して実業家となり、年上であるアマリリスと結婚を望む者が多数現れたり、憧れてアマリリスを目指す女の子が急増して、親衛隊のようなものが作られたりするのだった。ファンクラブは既に当初からあったりする。
それに貴族やら王子やらが絡み孤児院に来るのだが、「みんな孤児院に寄付に来るなんて、偉いわねえ」と、まったく相手にしていないのだった。
◇◇◇
そしてデバン・クラッチ侯爵令息は、辺境の騎士団でビューレにしごかれていた。辺境に戻った彼女は、実力で副団長に上り詰めた。数ある筋肉男をなぎ倒して。
その後、本当に辺境に送られたデバンを、半ば私怨で鍛えていた。こってりと。
「この女の敵が! 私のアマリリス様に冤罪をかけて辱しめた屑が! テキパキ動かんか!」
「は、はい、副団長。今やるところです」
「馬鹿者が! 指示する前に流れを読め! このウスノロ!」
「はいっ! スミマセン! ただちに!」
「ちょっと、ビューレ。さすがに罵倒が酷い! 慣れない極寒の地に着いたばかりの者に可哀想だぞ」
「何よ、デルク。副団長に逆らうんなら、決闘必須よ。かかっておいで!」
「もう、いい加減にしろよ! 逆らってない、アドバイスだ!」
「あー、あのクソ虫のせいで、イライラするわね! 山までランニングよ。行くわよ!」
「あちゃー。もう日が沈んでるぞ、おい。夜型の魔獣を狩る必要はあるにはあるが、今じゃないだろ! 準備してから、っておい。もう、クソッ。みんな行くぞ!」
「「「(しょうがない)了解です!」」」
だが脳筋のデバンは、数ある扱きに耐えていた。それどころか全て吸収し、最強の名を手に入れたのだった。
それでも未だにミレイを思っていた。
(何かの間違いだよな、俺を置いていなくなるなんて。きっと高位貴族達に脅されたんだろ? 一言相談してくれれば………。せめて元気にしていてくれ! 俺も今は動けないんだ。もう少し力をつけるまで待っててくれ!)
「認めないわ、デバンが団長なんて!」
屈辱に歪むビューレは、薄黄緑の髪に灰色の瞳の美しい筋肉令嬢だった。
まさかの下克上でデバンが団長になり、ビューレは副団長に留まった。実際に行われた昇格試合で、ビューレはデバンに負けたからだ。ちなみに団長は年齢を理由に退いた。62才でそろそろ孫を可愛がりたいと言って。それは強い騎士が揃ったことでの言い訳だったのだけど。
「精鋭ぞろいじゃないか。頑張ってくれよ、若人!」
と言いつつ裏方にまわる。
実力が認められたデバンは、補佐のビューレの力を借りて大活躍するのだった。
いつしか鈍感なデバンも、さすがにその頃にはミレイの行動について理解できていた。
(俺は最初から騙されていたんだな。まあ普通はそうだよな。俺は顔もいまいちだし、頭も良くないし。次期侯爵だという身分だけが自慢だった。女に好かれる要素がない………。クソッ。今頃まで気づかないとは、不覚すぎる! 考えてみれば俺も同じか。結局顔しか見てなかった。従順で可愛いしぐさ。中身は強欲だったことにも、少しも気づかないで)
そしてさらに年月が経ち……………。
「俺を支えられるのは、ビューレだけだ。婚約は吹っ飛ばして、結婚してくれ! 頼む!」
デバンからの熱烈な告白に、たじろくビューレ。
「あんなに虐めたのに、何なのよ。それにあんたは可愛らしい子が好きなんでしょ? 私なんて真逆じゃない。馬鹿にしないでよ!」
扱きに食らいついてくるデバンを、少しずつ認め始めたビューレは動揺していた。彼女は強い者が好きなのだ。顔は普通だけど鍛えられた筋肉は、彼女にはツボだった。それだけに苛立ちが募る。
「馬鹿になんてしてないよ。真剣に向き合ってくれるビューレが良いんだ。それに俺が顔のことなんか言える立場にはないことも知ってるし、ビューレはすごく可愛いぞ! ビューレじゃなきゃ嫌なんだよ。結婚してくれ、頼む!!!」
土下座で頼む彼に、ビューレが遂に折れた。
「裏切ったら殺すからね。瞬殺よ。私の実力は知ってるでしょ?」
「ああ。ありがとうビューレ。死ぬまで愛してる。生まれ変わっても、きっと大好きになるよ!」
「きっとって何よ。もう本当にムードがないんだから。もう良いよ!」
騎士団のみんなが、ニヤニヤして祝福している。ビューレも顔が真っ赤だった。傍にいた彼女が一番、彼の頑張りを知っていた。騎士団のトップに立つのは、楽な道ではなかった。いつの間にか悪感情は、尊敬に変わっていたから。
「漸くか。やったな、デバン。幸せにな」
「本当に裏切ったら死ぬぞ。貞淑にな!」
「おお怖い。猛獣も全速力で帰っちまう、最強夫婦の誕生だな」
「真面目にやってきて良かったな。幸せにな」
続々と声がかかる2人。
思えばデバンは、前情報が最悪だった。
女に現を抜かして、弟に侯爵位を奪われた軟弱息子として。
ビューレにもゲジゲジのように嫌われて、ひたすら扱かれていたし。たくさんの雑用もやらされていたし。
「よくも負けないで頑張った。お前の粘り勝ちだ」
「ビューレを幸せにしてくれよ」
「泣かせたら、私も協力して始末するからね。おほほっ」
知らないうちに、ビューレの兄サイラスと、両親である辺境伯夫妻も訪れていた。騎士の1人が、早馬で呼びに行っていたのだった。
婚約吹っ飛ばして辺境で結婚式を挙げたデバン達は、仲良く共闘しているそうだ。
デバンの父であるグラナス・クラッチ侯爵と侯爵夫人、弟のアランも、式の知らせには驚いたが祝福してくれた。式にも泣きながら参加してくれた。
「デバンをこんなに立派にしてくれて、ありがとう。感謝しかないです」
「ミレイに騙されて腑抜けた時は、もうダメだと思いました。デバンを躾てくれてありがとうございます。母親の失敗を正してくれて、もう本当に、うっ、うっ、あり、ありがとう。こんな息子でも、じんばいじでだの~、グスン、ヒックッ」
「兄上、おめでとうございます。幸せになって下さいね。時々僕にも稽古をつけて下さい」
家族の祝福にデバンも泣いていた。
「とっくに見放されていたと思ってたのに。来てくれてありがとう。アランも急に後継者にさせてごめんな。勉強大変だろ? 父上もありがとう、母上も。母上ごめんなさい。あんなに止められたのに。これからは心配かけないように頑張りますから」
「ああっ、デバンがちゃんとしてるわ。うわ~ん」
「うっ、うっ、立派になって」
「兄上が心配してくれた。うっ、ずるいよ、今さらこんな」
どうやら相当心配してたらしい。
手紙の一つも書いてないと知り、辺境のみんなは呆れていた。
「いや、だって。気まずくてさ。分かるだろ?」
さすがに騎士団長になったことぐらい、知らせてやれよという空気が漂う。まあそれがデバンだから仕方ない。「ビューレー、頑張れよ」と声がかかる。
「仕方ないわね」と微笑むビューレは、存外に幸せそうにしていた。デバンも一番良い笑顔を見せていた。
幸福な生活は2人の努力で続いていく。
辺境の女性はすぐに殺すと言うけど、物理で可能なので絶対逆らえないのだった。
◇◇◇
エディタはマリアが修道院にいる時に、こっそりと一度訪れていた。神父に許可を貰い、扉越しに懺悔を聞く役がマリアの時に。
「神様、懺悔します。私は子供の時に別れた、母が許せずにいました。でも今、親になり少しだけ気持ちが分かるようになりました。私の父は母が好きでしたが、母への不満を言う父の両親に、苦言を言えず聞かない振りをする人でした。それは母には辛いことだったでしょう。きっといろいろと知らない部分ですれ違ったのだと、今なら思えます。私はそうならないように、妻と話し合いたいと思います。そんな母に、手紙一つ送らなかった私は、許されるでしょうか?」
「………お聞きしました。神は許されるでしょう」
「………ありがとうございました。シスター」
礼をして出ていくエディタに、マリアは気づいていた。
「しっかり大人になったのね。元気で頑張ってね。ぐすっ、ぐすん」
涙に濡れるマリアに、神父はハンカチを手渡した。
「頑張って神に仕えてきた、貴女の罪も許されるでしょう」
「………あっ、あり、が、とう、ござい…………すっ、うっ、ぐうっ、ひくっ」
その後に彼女の母の希望で、マリアは生家のある国へ戻り、孤児院に勤めるのだ。エディタの許しがなければ、きっと前に進めなかっただろう。
その後に成長したアマリリスを孤児院で見かけ、こっそり涙する。声をかけずただ優しく見つめながら。
幸福を祈り暮らすマリアは、幸せに包まれていた。