第六〇話 明日へ
半壊しかけていたノアの箱舟の組織形態は0により、存続基盤が建て直された。
リリィと東雲真緒はノアの箱舟に所属はしているものの、孤児院の再建に努めている。
第弐支部と第伍支部は統合し、七瀬と八百中心に引き続き、リビングデッドの討伐を行っている。
郁と夕凪、またユヅルと藍も連日の様にリビングデッドの目撃情報が入れば、すぐに現場に駆り出されていた。
今回もリビングデッドの討伐を終え、郁は休憩がてらビルの屋上で煙草をふかしていたところ、夕凪が合流して現在に到る。
リリィが施設の前に作ろうとしている像の話に郁達は笑い合った後、夕凪は目を伏せると、郁の方に悲しそうな寂しそうな何とも言えない表情を浮かべる。
「郁……本当にありがとう。
貴方に出会えて私は良かったと今は改めて思うわ」
郁は首を傾げ、隣にいる夕凪の方を見た。
「ねぇ、郁。
もし過去を変えれるかもしれないって言ったら過去を変えたいって願う?」
郁は驚いた様な顔をして瞬きを繰り返した。
すると、夕凪は着ているセーラー服のスカートのポケットから懐中時計を取り出し、郁の方に差し出した。
「これはお母さん……エリーゼ・クロフォードが最後に残していったモノよ。
今の私なら《《これがどんなことを起こしてくれるのか》》理解できる。
……今度は多分望んだ時間に戻ることが出来るのだと思う。
望んだ時間軸に郁を送れる……と思う」
夕凪は懐中時計をぐっと握ると、眉を下げ、俯いた。
懐中時計に郁の指が触れると、小さく身体を震わせた。
――本当は何処にも行かないで欲しい。側に居て欲しい。
そんな言葉を夕凪は唇を噛みしめ、呑み込む。
郁は夕凪の手から懐中時計を受け取ると、平場の方にそれをポイっと投げた。
夕凪は顔を上げ、驚き、慌てた様に声を出す。
「……っちょ、郁?
何を……!」
郁は腰のホルダーから拳銃を取り出すと、懐中時計目掛けて数発銃弾を放った。
懐中時計はバラバラになると、平場に落ちた。
「あ……」
夕凪は唖然としてしまい、言葉が上手く出て来ない。
郁はふうと一息つくと、夕凪の方に顔を向けた。
「夕凪ちゃんと出会ったばかりの俺だったら、奪ってでもそれを必要としてただろうね。
猿間さんが自分の身を挺して、俺を彼女《鹿山真由》から助けてくれた。
あのとき俺が、油断して気を抜いてなかったら……猿間さんは助かっていたかもしれない。
後悔してると言えば、後悔してるよ。
そのあと猿間さんに違う形で再会を果たして、生きていてくれたって嬉しくなった半面こんなこと俺が本当に望んでいたことだったのかなって、疑問が俺の中で段々と生まれた」
郁は眉を下げると、少し口を噤んでからまた言葉をもらし始めた。
「俺の我儘だったんだ。
猿間さんが俺を救ってくれた意味もちゃんと分かっていたのに受け入れられなくて……ちゃんと猿間さんの死を認められなかった。
アルカラから猿間さんを救いたかったのはね、死んでもなお生に縛られたままの猿間さんを俺が救いたかったからなんだ。
それが俺が出来る猿間さんへの……いや、違うな。
俺がちゃんと俺の恩人の死を認めて、踏み出そうという気持ちの証明を自分自身で言い聞かせたかったんだと思う。
だから今の俺にはそれは必要ないものなんだ」
郁はそう言うと、笑った。
夕凪はこくりと頷くと、セーラー服の袖で目を拭った。
「……これからも私の側で生きてくれるのか、郁」
「だって、俺、夕凪ちゃんの相棒でしょう?
え、もしかして俺だけがそう思ってただけ……?」
郁は焦った様に夕凪にかける言葉を探す。
すると、夕凪が次の瞬間、郁に勢いよく抱き着いて来た。
郁は驚き倒れないように夕凪を支えた。
「私はずっと別れが怖かったんだ。
私を置いて皆、いつか消えてしまうんじゃないかって……
郁を混血の吸血鬼にした後も何処かで恐怖がずっと自分の身に纏わりついてて……」
「……うん」
郁は短く頷いた。
「私のせいで大切なモノを奪うんじゃないかって……それが怖かったから種族なんて、自分自身と繋がる存在を創っちゃいけないって解ってたのに。
でも郁をその存在にしてしまった。
奪ってしまったって思って……」
郁は夕凪の目を見てちゃんと話したいのに、夕凪は頑なに顔を郁の胸に埋めている。
「そんな奪ったなんて……そんなことないでしょう。
考え過ぎだって、俺は夕凪ちゃんのせいで何かを奪われたなんて思ってないよ。
それに……まだ夕凪ちゃん、俺に言わないといけないこと隠してるだろう」
夕凪はぎくりとしたように、口ごもる。
「同族になっても半分はまだ人間だから歳は取ることが出来る。
だからさ、今の夕凪ちゃんなら今度こそ俺をちゃんとラヴィさんとエリーゼ・クロフォードの様にすることが出来るんだろう?
そうしたら、ずっと君を側で支えることが出来る。
俺と一緒に生きていこう、夕凪ちゃん」
郁は夕凪の両手を掴み、握ると後ろで手を組む形になる。
夕凪は驚いて顔を上げると、とびっきり笑顔の郁の顔が瞳に映った。
そして夕凪と郁は笑い合った。
「いちゃついてるところ悪いのぅ。
あとでゆっくりと愛でも深めてくれ、子供は甘いから儂は大歓迎だ……ぶっっ!!
痛いじゃろうがぁ! 主様」
屋上の扉の影から出ていこうとするマリアをユヅルは引き留めると、首を振るう。
「お前はもう少し空気を読め。
出ていくのは今じゃない」
「なぬ。
じゃが……ああいう空気の中だからこそ儂が加わると面白いと思わんか?
~っ、今度は頭を叩いたなぁ? 主様」
マリアはユヅルに拳を当てられた場所を擦ると、口を尖らす。
「むしろ主様こそ空気をもう少し読んだ方が良いと思うがのう……
あれほどまで部屋に引き籠っていたというのに、自ら進んで部屋の外に出てくるようになったのは、そこに放ってはおけない者が居るからじゃろうに。
無意識なのか知らんが、頻繁にこちらに呼ばれる儂にも配慮して欲しいものじゃわ」
マリアはそういうと、ユヅルの近くに居る藍の方に視線を向けた。
藍は焦った様に違う違うとマリアの方に首を振るう。
「?」
ユヅルは藍の方に振り向くが、藍は頬を赤くするとそっぽを向いた。
アルファは両手を自身の頬に添えると、にこりとする。
「むしろ彼らはloveじゃなくまだlikeじゃないかしら?
いや、でもloveよりのlikeかしら~?
良いわぁ~それぞれ違った初々しさがあってお兄さん楽しいわぁん」
「?」
ユヅルはアルファの発言に首を傾げる。
そんなユヅルを様子を見て、マリアはニヤリと笑う。
「主様は鈍感じゃのう。
そういうところは可愛らしい主《子供》だと思うよ。
お、もうわんころと吸血鬼の娘がいちゃついてないぞ?
つまらんのぉー……」
「行きましょう。郁さん達の元に。
一応今到着した装いでいきましょう。
《《一応》》です」
藍はそういうと、屋上の扉の影から出ていった。
ユヅル達も続いて郁達の元に進んでいく。
『西の方に二体。
東の方は現場にいる第壱支部の隊員の情報だと一体が一般人を後ろから襲おうと狙ってるそうだわ』
郁達の片耳にはイヤホンが付いており、そこから七瀬の声がする。
「近くにいる隊員じゃ対応出来ないの? 七瀬さん」
夕凪はそう言うと、七瀬は『無理ね、さっき他のデッド一体と戦った際に利き腕負傷。
足も痛めてる』と言った。
「それなら仕方ないね。
そっちは私が向かうわ、屋根を飛び越えていけば私の方が早く到着できる」
『頼むわ。西の方はまだ被害は出てないわ。
ユヅ坊と藍が向かって。
あとついさっき新しいデッド目撃情報が入ったわ。
そっちは郁くん、頼めるわね』
「了解です」
郁達はそれぞれ指示された現場の方に身体を向けた。
郁は屋上のフェンスに手をかけ、飛び越えると、近くの建物の屋根に着地した。
後ろで夕凪も着地した音がした。
「じゃあ、夕凪ちゃん。
怪我しないようにね」
「郁、それはこっちのセリフよ。
片付いたらすぐそっちに向かうわ。
不確定だけど聞いた情報だと最もデッドが多そうだしね。
それまで無茶しない様にね、郁」
二人は互いの手のひらを顔の高さで合わせて叩きあうと、笑い合った。




