第三十七話 ラヴィ
「君にはある女性の監視役をして欲しいんだ。
監視役といっても難しいことじゃない。
只、近くにいるだけでいいよ。
逃げる様な気力はないと、本人が言っていたしね」
泥や砂で薄汚れた衣服の代わりに男にスタンドカラーの白いシャツと黒いズボンを渡された。
「これは渡しておくよ。
お湯ぐらいは使わせてもらえるはずだから。
身体を洗い流した後に着ればいい」
衣服を受け取ると、小さくお礼を口にした。
「先生、こんなチビに監視役なんてできますかねぇ? アレがもし暴走なんかしたらこいつ真っ先に盾に使われて、俺らが不利に陥るかもっすよ?」
雨宮はべっと舌を出すと、苦そうな顔をした。
「万が一そんなことが起こったとしても、私が処理しましょう。
私が不在時には貴方もジュライもいますし……」
「そうかもしれませんけどー……っていうか、そろそろお前名前ぐらい名乗れば?」
雨宮はそう言うと、眉を寄せ、睨んできた。
「……」
「うわっ、無視かよ」
「雨宮、彼にそんなに突っかからないでくださいよ。
ほら、馬車は揺れます。
大人しく座っていてください」
馬車は少し経つと、ゆっくりと減速しながら止まった。
「おかえりなさいませ。
只今、門をお開け致します」
外でそう声がすると、鈍い音をたてながら門が開いていく。
先に雨宮が馬車から降り、続いて男に背を押されながら、馬車を降りた。
目の前には西洋館が建っていた。
「ここは……?」
「私達の今の依頼主が用意された建物です。
今日から君には此処で仕事をしてもらいます」
「監視役……」
ポツリと呟くと、男は頷いた。
「ええ、そうです。
説明は実際に君が監視して頂く人物のところで改めて説明しましょう。
それに、私共の素性も説明しますよ」
屋敷の中から執事やメイド達が数人に向かえられると、浴場に案内される。
メイドが二人程一緒に脱衣室に入ってくると、汚れた衣服を脱ぐことを手伝いされそうになった。
それが私共メイドの仕事だと言われたが丁寧に断り、その場から出ていて欲しいとお願いをした。
渋々とメイド達は浴場の脱衣室から出ていく。
すると、脱衣室の扉が開くと雨宮が入って来た。
「悪いけど、俺も汗臭いんだ。
一緒に入らせてもらうぜ」
雨宮は上着を脱ぐと、衣服の上からでは分からなかったが、薄く割れた鍛えられた腹筋の体が現れた。
「お前は細いな。
皮と骨だけじゃねぇか。
まぁ、あそこに居ればそんな体にもなるわな……」
雨宮はそう言うと、そそくさと浴場に入っていく。
服をすべて脱ぐと、浴場に足を踏み入れた。
見たことない椅子や白い丸形の固体が置いてある。
雨宮が浸かる水からは煙が沸き上がっており、雨宮は頬が少し色づいていた。
どうすればいいのか分からず、その場に動かないでいると、雨宮が浸かっていた水から出て、近付いて来た。
「お前……もしかして風呂はじめて?」
こくりと頷くと、雨宮は呆れた様な顔をした。
すると、雨宮に手を掴まれ、引っ張られる様に歩き出し、椅子に座らされる。
「お前はじっとしてろ。
俺が今日だけ特別に体洗ってやる。
あと、湯舟入って体温めろよ?」
雨宮は白い個体を手に取ると、両手の平でそれを擦る。
白い個体は泡立つと、雨宮の手が頭の上に乗る。
そして髪をくしゃくしゃと動かし始めた。
泡は頭の上でも同様に泡立つと、ほのかにいい香りがした。
「お前、名前ないんだってな。
さっき先生に聞いた。
悪かったな」
雨宮はぼつりと呟く。
「……正直、貴方達には感謝してます。
あんな拷問じみた場所から出してくれたのは。
でも、先生とやらにこれも聞きましたか?
……あの商人も言ってたでしょう、俺は呪われてるって」
雨宮は手を止めず、泡を体にも付けていく。
少し驚き、避けるような動作をすると、雨宮は手を止めた。
「体、触られるの怖かったか?」
「……大丈夫。
突然だったから少し驚いただけ……」
雨宮は再度手を動かすと、ゆっくりと優しい手つきで全身を洗っていく。
「あぁ、聞いたよ。
他の子供と違って羽振りが良くない客や商人の都合が悪い客にわざわざ商品として送られて、商人がお前に始末やらしてたらしいな。
こんな皮と骨から人殺す力が出るのか不明だけど。
……そうしなくちゃ、あの場所では生き続けられなかったんだろ?
なんとなく察した。
だけど、殺し方は上手くはなかったみたいだな。
お前の身体、ついてる傷痕が異常なくらいエグイし。
今はあの場に居たときよりは表情も落ち着いてるみたいで安心したって先生も言ってたよ」
自身の体の傷を改めて見た。
切り傷、治る前に強打されるから消えない痣、銃弾の痕。
すべて今まで犯した罪の証拠だった。
いつからそんな風に人を殺めれるようになってしまったのか分からない。
恐怖に怯え、自身の生に必死にしがみついていた。
警戒心も偽る為の笑顔も言葉も覚えた。
中には色々な特殊な人間もいた。
接触性愛、少年性愛、小児性愛、体臭性愛、無毛性愛そして眼球性愛好者。
多くは刃物や道具はその場で調達した。
大抵は寝込みを襲い、場合によっては行為時に不意打ちをついて殺害する。
流石に子どもの力だと刃物であれば何回も刺さなくてはいけない。
刺し傷によって出血多量で絶命するまで身体の至る場所を殴られたり、稀に銃弾で撃たれることもあった。
銃弾で撃たれてからは先に、拳銃を握れない様に手を処理することを覚えた。
それを行うことに抵抗はなかった。
こいつらの方が汚い人間だと思っていたから、そう思わなくてはやっていられなかったのかもしれない。
自身の行為を善意だと疑わず、偽善者だと自ら思うこともあった。
雨宮は短い沈黙の後、口を開いた。
「別にだからといって軽蔑なんてしないし、否定もしない肯定もしないよ。
今までの自分は忘れて、変われとは俺も言えるような立場じゃないし、そこまで偉い人間じゃない。
何が正しかったのか、誤ってたのかなんて回答を出すこともそれを考えられる程賢くもない。
今もそんなこと言ってるけど、実際話してて意味わかんなくなってきてるし、そこまで真面目に聞かなくてもいいことなのかもしれない、俺の意見なんてさ。
あー……まぁ、対象は違うけど、俺もやってることは変わりないからな、実際」
お湯で泡をかけ流すと、水滴が髪の毛からボタボタと少量落ちた。
「先生からも同じようなこと後で説明されるかもしれないけど、俺達は人間の形はしてるけど違う異形の化物払ってるお勤めしてる。
先生はすごい退魔師なんだ。俺はその弟子。
お前が監視する対象者はその化物ってこと。
先生の力で今は只の無力な化物だけどな。
あとラッキーなことに俺も側に就けることになったからお前が万が一無力な化物に噛まれることがない様に見張ってるから心配しなくていいぜー」
身体が十分に温まり、浴場から出ると、用意されたシャツとズボンを着る。
そして雨宮と一緒に男のところに向かった。
長い廊下の先を進むと、広い中庭が現れた。
大きい木の下にアイアンガーデン調のテーブルに珈琲の入ったマグカップ、アイアンガーデン調の椅子に座り、本を読んでいた男は気づくと本を閉じた。
「体も顔も汚れてたから、大分綺麗になったみたいだね。
ついでに雨宮と何か話してきたかな? 少しすっきりした顔をしている」
男はそう言うと、ほほ笑んだ。
「その男の子か?」
女性の声がすると、木の陰から声の主が顔を出した。
翡翠色の瞳と艶やかで美しい真っ白な肌、ふわりと緩く巻かれた金色の髪に真っ赤なドレスを纏った彼女は目を細め、笑った。
「私はエリーゼ・クロフォード。
過去は最強の吸血鬼だったが、この《《先生》》に捕らえられて今は只の無力な化物だよ。
そこの少年が言うようにね」
「はっ?
もしかして会話盗み聞きしてた?!」
雨宮はギョッと驚いた顔をすると、エリーゼ・クロフォードはふっと笑った。
「カマをかけてみた。
さて、これから君が私の監視役なのだろう?
君の事はなんて呼べばいいかな?」
「……名前はないです。
勝手に好きに呼んでもらって構わないです」
エリーゼ・クロフォードはきょとんとした顔をし、片手を自身の頬に添えた。
「ふーん、呼び方がないと何かと不便だろう?」
今まで商品名と呼ばれているだけだった為、困惑し目を泳がせる。
エリーゼ・クロフォードは少し考える様に沈黙した後、閃いたのか人差し指をこちらに指差した。
「そうだ、君はこの男に《《命》》を拾われて違う生き方をもう一度やり直すのでしょう?
それなら、《《ラヴィ》》なんてどうだろう。
でも捻りもなく面白くもないかな?」
「別に、いいと思います」
「じゃあ、決まりだ。よろしくね、ラヴィ」
それが、古来最強である純血種吸血鬼の一人、エリーゼ・クロフォードとラヴィ・アンダーグレイとの出会いだった。




