第二十三話 雪白と紅薔薇
姉さん、僕が貴女に抱いていた感情は執着に似た感情だったのでしょうか。
自身でも恐ろしいと思うほどの禍々しい魔力が宿っていることは周りの魔女達の反応を見なくても分かりました。
沸々と渦巻く強い力がいつか僕の肉を破り捨てて出てくる夢を見てしまう夜もありました。
決まって夢の中で僕の声に似た誰かが耳元で「お前はいらない」と囁くのです。
「ユヅル、どうしたの?
また怖い夢でも見たの?」
姉さんはそう言うと、幼かった僕を泣き止むまで抱きしめてくれました。
姉さんの心臓の音を聞いていると温かい感情が込み上げてきて、安心する気がしました。
僕の家族は姉さん一人だけでした。
周りに何て言われても姉さんだけは僕の味方になってくれました。
僕は姉さんの為なら、どんなこともやってあげたいと思いました。
(姉さんが町の青年と仲睦ましい姿を見たときはヤキモチを焼いてしまいそうになったけれど姉さんが幸せになってくれるのなら僕は嬉しかった。
二人の仲を邪魔してはいけないと思って、家を出て行こうとした時の姉さんの寂しそうな顔には少しだけ胸が痛んだけれど、遠くで僕なりに姉さん達を見守ろうと思った。
きっと青年だったら姉さんを幸せにしてくれると、そう思っていたのに……)
《《次に会った姉さんは火炙りにされていました》》。
「こいつは薄汚く傲慢な魔女だ。
私はこの魔女に騙されていたんだ!!」
姉さんと愛を誓いあっていたはずの青年はそう言い、火炙りにされている姉さんに笑みを浮かべていました。
魔女の村にも町の住人が押し寄せ、魔女の村は一夜のうちに塵灰となりました。
魔女の中には襲ってきた町の住民に魔法を使い、返り討ちにしている者もいましたが、何人もの魔女が姉さんの様に捕まり、火炙りにされていました。
僕を見た魔女の一人は「お前が災いを招き入れたんだ。お前のせいでこんな風になってしまったんだ」と叫びながら町の人達に串刺しにされ、息絶えました。
僕は村の魔女達がどうなろうが興味もありませんし、そんな言葉は心底どうでも良かったけれど姉さんに関してはどうしてか僕が殺してしまったと深く思ってしまったのです。
そこからは記憶が曖昧で、いつの間にか町の住人も村の魔女達も真っ黒に焦げた只の物体になっており、僕は姉さんの亡骸を抱えながら泣き叫び疲れていました。
もう姉さんのいない世界はどうでも良く思えてきて、このまま僕も呼びよせた悪魔に魂でも献上し、終わりにしようかと思いましたが、ふと思い出したことがありました。
火炙りにされていた姉さんを見ていた青年の隣に気持ち悪い程べったりと青年の腕に絡まり、不敵な笑みを浮かべている女がいたことを。
女は褐色の肌に長い銀髪、首から垂れる十字架のネックレスを下げている派手な女でした。
その女は僕の隣にいる悪魔に視線を移すと、怖がることもせず眉を吊り上げ、舌打ちをし、
「……なんで貴方がいるのかしら? 私の邪魔をしないでよ」
そう言うと青年から離れ、逃げるように姿を消していたことを僕は思い出してしまい、沸々と怒りが込み上げてきました。
あの女はきっと悪魔の類だったのでしょう。
姉さんはアイツのせいで幸せになるはずだった未来を壊されたのだとそう確信したのです。
「なんて当時は考えていたけれど、改めて事実を目のあたりにするとあの色欲の悪魔には本当に色々と聞き出して、僕の手で消さないと怒りが鎮めそうにないな」
ユヅルはそう言うと、自身の耳たぶにぶら下がったイヤリングに触れた。
「これが姉さんのものだと、あのとき気づいたってことは生きてるときの姉さんに会ったってことだからね……」
「……っ、おかあさんが此処から出ちゃ駄目よ、私が出て来ていいよって言うまでって言って扉を閉めたんです……」
ユヅルに抱き抱えられていた藍はユヅルの腕の中でぽつりと呟いた。
「もう泣き止んだみたいだな」
「……はい」
ユヅルは歩みを止めると、藍はユヅルの腕の中から降りる。
そしてユヅルに頭を下げた。
「……ごめんなさい。
全部思い出しました。
私、今まで貴方に酷いこと言って……ごめんなさい」
藍は鼻水を啜りながら、ユヅルに謝罪の言葉を述べた。
「謝らなくていい。お前は何も悪くない。
……幼い頃のお前に記憶を失うほどの辛い思いをさせてすまなかったな」
藍はフルフルと首を振るうと、ユヅルを見上げた。
「いいえ、違います。多分それはお姉ちゃんが私の為に記憶を今まで閉まってくれていたからだと思います」
「……お姉ちゃん。それは《《朱》》のことか? 」
「……はい。
お姉ちゃんは一人だった私の中にずっと居てくれた、もう一人の私なんです」
藍はそう言うと、ゆっくりと〖藍〗と〖朱〗の話をし始めた。
◇◇◇◇◇◇
森の奥に小さな家がありました。
そこでは〖おかあさん〗と女の子が二人で住んでいました。
おとうさんはあまり帰ってきません。
でも新月の夜の翌朝は決まって家の前に沢山の食糧や日用品等が置かれているのであまり不自由はありませんでした。
女の子は不思議に思っておかあさんに聞くと、おかあさんは優しくほほ笑むだけでした。
女の子はある日とても熱を出してしまい、すぐにお医者さんが来ましたが、原因がわからず何日も何日も苦しい日が続きました。
おかあさんは女の子にお守りとしていつも首に下げているペンダントを女の子にかけてくれました。
「これはおかあさんのおばさんのものでね、これを着けているとどんな災いも払い除けてくれるような気がするのよ。…ごめんね、辛い思いさせちゃって」
そう言っておかあさんは女の子の頭を優しく撫でました。
おかあさんは女の子と同じくらい辛そうな顔をするので、女の子はおかあさんに心配をあまりかけたくなくて、精いっぱいの笑顔を作りました。
熱に何日も悩まされ、女の子は少しだけ心細くなりました。
こんなときに側にいてくれて、お話相手になってくれるお友達がいてくれたらなっと思いました。
するとペンダントが窓から漏れ出す月の光に反射して一瞬ピカッと光った気がしました。
いつの間にか女の子は眠りにつくと、ふと同じ背丈の女の子が夢に出てきました。
女の子はその女の子に近付いていくと、だんだんと顔がはっきり見えてきました。
鏡に映ったように女の子と瓜二つの姿をしていました。
「こんにちは」
女の子はあいさつをされました。声もとてもそっくりです。
女の子は何故だかその女の子に対してとても嬉しいという感情があふれ出てきました。
「藍がずっと気づいてくれなかったらどうしようと思っちゃった。
でも良かった、これからはいっぱいお話出来るね」
その女の子は朱と名乗りました。《《藍》》の対は《《朱》》だから、と。
藍と朱はそれからいっぱいおしゃべりしました。
朱は藍に色んなことを教えてくれました。
簡単なおまじないのやり方や文字の書き方も教えてくれました。
「あのね、朱お姉ちゃんに鳥さんとお話しできるやり方教えてもらったの!
こうやって親指と人差し指をね……」
おかあさんも藍の話をいつも楽しそうに聞いてくれました。
おかあさんに付いて時々町に下りることがありました。
そこではおまじないは使っちゃ駄目よ、とお母さんに言われていました。
藍はおかあさんとの約束を守って大人しくしていましたが、町の同じくらいの歳の子供達が藍へちょっかいをいつもかけられてきました。
歳の割に小柄な藍を面白がっておかあさんや他の大人が見ていないところでいじめてくるのでした。
藍はおかあさんに悲しい顔をさせたくなくて、黙っていましたが何でも話せる仲の朱にだけはいつも相談していました。
「……ふーん、質の悪い悪ガキね。
女の子の髪をひっぱるなんて最低。
そうだ、明日町に行くでしょう?
ちょっと今回だけ私に藍の身体貸してよ」
「うん、いいよ。
あ、でもおまじないは使っちゃ駄目だよ」
朱は藍に頷くと、ニコリと笑いました。
「うん。
それに私もおかあさんに言われてるから大丈夫よ」
藍と朱は時々身体の主導権を変えていました。
時々帰ってきたおとうさんにはとても気味が悪く思われていました。
朱に身体を貸した日には藍の悩みがすべて解決していました。
町の子供達もちょっかいを出してくることもなくなりましたし、おとうさんと《《一緒に来た綺麗な女の人》》も追い払ってくれました。
「私は藍のお姉ちゃんだから藍を絶対何があっても守ってあげる。
だって藍とおかあさんがずっと幸せに暮らして欲しいもの。
そう決めたの」
けれども、幸せは長くは続きませんでした。
大好きなおかあさんは藍の目の前で無残に殺されてしまった。
あの日朱が追い払ってくれた綺麗な女の人は藍を助けると言いました。
「貴女のおかあさんを殺したのは……魔女よ」
その言葉を聞いた瞬間、頭がキンと痛くなると何かが消えてしまった気がしました。
藍は朱のことを忘れ、強い憎しみの感情がどんどん大きく成長していきました。
◇◇◇◇◇◇
「ひどい……」
リリィは悲しそうに眉を下げ、呟いた。
郁も言葉が出て来なかった。
マリアはふぅと溜息をつくと、ユヅルの髪を撫でた。
「儂と主様は記憶の共有が出来るからのう。
今の主様が小娘に聞いたことや体験したことも儂を通しておぬしらに話すことが出来る。
と言っても儂が口を滑らしたと主様に言うなよ?
怒られるからのう……」
「でもユヅルさん絶対話したろうって言いそうですよね。
だって記憶共有してるんですよね?」
郁がそう言うと、マリアはバツの悪そうな顔をした。。
「そうじゃのう。
自ら言っておいて忘れてたわ。
しかしまさかあそこまで執着していたとは……ずっと一緒に居たが意外すぎて驚いとるわ」
「ユヅルくんのこと?
ユヅルくんドールに対しても異常に執着心強いからなぁ……ちょっと触れただけで睨むし、過去の事ネチネチ言うし……はっ、これも共有してる?
……ううっ怒られる」
リリィがしょぼんとした顔をすると、マリアは腹を抱えるほど大笑いする。
「ふっ、ふふふっ……狼の娘、それは言っていいぞ!
どんどん言ってやれ!
儂が言ったのは別の奴のことだ。
傲慢の悪魔のことだよ。
主様の種の方と言えばいいかのぅ。
時々姿を消すなとは思っていたが……健気と言うか想像していたより執着してたというか。
二○○年前に傲慢の悪魔にノリで誘惑して夫婦ごっこした馬鹿な悪魔がいたが、そいつのことなんてずっと放置するような奴があんな小娘にねちっこく執着して……正直主様のねちっこさも種側のあやつのせいかもしれんのう」
「その傲慢の悪魔ってマリアさんの知り合いの悪魔なんですか?」
郁がそう言うと、マリアは頷いた。
「そうじゃよ、ワンころ。傲慢こそ一番の罪の象徴だと伝えられているように、傲慢の悪魔は悪魔の中でも異才の存在だよ。
儂とあやつは《《ただならぬ関係》》だからなぁ。
友であり、夫でもあり、妻でもあり、親子でもあり、兄弟でもあり、宿敵でもあるからのぅ。
唯一まともにあやつと会話できるのは儂と……あと一人だけか?
さてさて、そろそろ主様達も起きてもいい頃だが。此処ももうもたなそうだからのう……」
周りを見ると、段々と建物の内部が歪んでいっている。
郁は原因に気づき、マリアに問いかけた。
「もしかして怠惰の悪魔が消えたから?」
「おお、ワンころ勘がいいのう。
ここは怠惰の悪魔が作った疑似空間だったってことじゃな。
長居すると巻きこまれて本当に戻れなくなるかもしれないかもなぁ。
主様が起きてくれれば何とかしてくれるかもじゃが……」
「そういえば二人はどうやって来たんですか?」
「あぁ、おぬしらの後をこっそり付けてきたんじゃよ。
主様はねちっこいからのぅ。
《《愛していた姉さん》》と類似した魔力を持った小娘を逃がしたくなかったんじゃろう」
マリアはフッと笑みを浮かべると、ユヅルの額を指で弾いた。
◇◇◇◇◇◇
ユヅルと藍はある場所で歩みを止めた。
「此処って……」
「イザベラが傲慢の悪魔を呼んだ場所だ。
ここで夢から出る為に悪魔を呼ぶ」
ユヅルは地面に魔法陣を書いていく。
「僕の相棒である暴食の悪魔……マリアが怠惰の悪魔を倒した影響で夢の中に引き寄せる力が無効化した。
けれど僕たちが今も出ることが出来ないってことは同じくらいの力を持ってる悪魔によって現実の世界に戻るしかない」
「現実世界側にいるマリアさんでは難しいということですか?」
「マリアだけの力じゃ、同時に二人を引き戻せない。
それに現実世界の方も此処みたいになり始めてるみたいだしな」
ユヅルの視線の先を見ると、藍たちが歩いて来た道が少しずつ消えていっていた。
ユヅルは魔法陣を描き終わると、藍の顔を見た。
「一度悪魔と契りを交わしていている者は他の悪魔とは契約が出来ないことにはなっている。
僕はすでにマリアと契りを交わしていて他の悪魔とは契約が出来ない。
でも無理にとは言わない。
悪魔と契約すれば死んだあと魂はその悪魔に食べられる。
方法はいくらでもある。
……僕が一度マリアとの契りを解いて」
藍は自身の指を強く噛むと、血の滴る手を魔法陣に近付けた。
「……心配してくれてありがとうございます。
でも、もう覚悟してますから」
血はポタリと魔法陣が描かれた地面に落ちると、魔法陣の文字が光だした。
『汝、我…「もうこんな硬そうな挨拶疲れちゃうわ。ふぁー、眠たい。
アタシを呼べるなんて結構レアよ?
アタシを呼んだのは貴女かしら?」
魔法陣から顔に鱗があり、下半身が尾びれの様になった美形の男が現れた。
「はじめまして、アタシは嫉妬の悪魔のアルファよ。
……ん? 眼鏡の切れ目の彼は……マリアの契約者かしら?」
「……早速だけど嫉妬の悪魔お前に」
アルファは一瞬にしてユヅルの目の前に姿を現すと、人差し指をユヅルの唇に当てた。
「ちちちっ、貴方の言うことは聞けないわ?
それにアタシを呼んだのはこの女の子だし、ねぇ?」
アルファは藍にウインクすると、藍はこくこくと頷いた。
「時間がないんです。此処が消えてしまう前に彼を現実世界に戻してください」
「あらん?
彼だけでいいの?」
アルファの問いに藍は頷き、魔法陣から一歩ずつ後退していく。
「はい、私は…此処に残って一緒に消えます。これが私の贖罪だから……」
「でもあの子はそうじゃないみたいよ?」
藍の背中が後ろから強く押され、藍は先に魔法陣の中に入っていたユヅルの胸に顔を埋めた。
「……お姉ちゃん?」
魔法陣の外には朱が居た。
「藍、貴女も戻りなさいよ。此処に居ちゃ駄目。行きなさい」
「お姉ちゃんは……?
朱お姉ちゃんも戻ろうよ。一緒に行こうよ」
朱はフルフルと首を横に振るう。
「私は元々は存在していない存在なのよ。
だからそっちに戻ることは出来ない」
「なんで?
そんなはずないよ。
一緒に戻ろうよ……やっと、思い出したのに。また一緒におしゃべりとかしようよ。
……お姉ちゃん」
朱は何も答えず、藍に笑顔を向けた。
藍は泣きじゃくりながら首を横に振った。
「……こらっ、いつまでも泣かない!
もう昔から泣き虫なんだから藍は。
藍はもう私が居なくても自らの足で進んで行けるようになったよ。
お姉ちゃんとしては本当に自慢の可愛い妹だよ。
あと、そこの眼鏡のロリコン魔術師」
朱はユヅルを指さした。
ユヅルは眉を寄せ、目を細めると嘆息を漏らす。
「僕はロリータコンプレックスじゃない。
お前もリリィと同じく何を勘違いしてるんだ……」
朱はハハッと笑うと、「最後くらいからかってあげたかったの。ありがとうね、ユヅル。藍のことちゃんと見ててあげて」と寂しそうな表情で微笑んだ。
そして朱はもう一度藍の方に視線を向けた。
「私は……私達はずっと藍の事遠くで見守ってるから。
大好きだよ藍」
「……ぐすっ、朱お姉ちゃんありがとう。
私も……大好き」
藍は袖で涙を拭くと、目の下を赤くしながら、朱に向かって満面の笑顔を向けた。
「本当に、藍はずっと私の一番可愛い妹だよ」
朱はそう言うと、藍に笑い返した。




