59話
――好きだよ。大上くん―――
――好きだよ。大上くん―――
――好きだよ。大上くん――
何度も山峰さんの台詞がリピートされている。自分の意志ではとめられない。その度にあのときの甘酸っぱい空気も、胸のうちに広がっていくじんわりとした温もりが蘇る。
「山峰さん・・・・・・・・・」
――好きだよ
「でへへ・・・・・・・・・は!? ダメだ俺!」
こんなときに浮かれてる場合じゃないだろ。そんなことよりも、もっと先に考えないといけないことがあるじゃないか。
海外移住のこと。体質のこと。そして柊美音のこと。
彼女も後回しにしてくれていいって言ってたじゃないか。ただでさえどうすればいいのかわからないほど頭の中がグチャグチャだってのに。
でも、ハッキリ言おう。嬉しいです。
だって女の子に告白されたんだ。初めて。好意を抱いてくれていて。
そりゃあ意識しちゃうよ。そりゃあ嬉しくなっちゃうよ。
いや、ダメだ。一旦休止。人生初の女の子からの告白によるときめきタイムはストップ。そうだ、別のことで気を紛らわせよう。
柊にモフラれペロられているときのことを考えればいい。そうすれば自然とげんなりしてくるはず。
『んほほおおおおおおおおお♡♡♡ ああ大上くん大上くんキマルウウウウウウ♡♡♡♡♡』
ヌッポヌッポチュブチュブちゃくちゅくヌメヌメじゅるじゅるごくごくでれんでろんのぐっちょぐちょんぐっっぽぐっぽジュリュリュ・・・・・・・・・ゴクゴク、ああああ――――♡ んはっ♡ ああっ♡ ギュイイイイイイン!! ブボ、ブボボボ・・・・・・・・・♪ ヌチョネチョ♡ ポオンポオン、しゃぷしゃぷ、ぐっぽぐっぼシャブシャブチュッチュシャップカミカミハムハム♡
・・・・・・・・・・・・。
「おーい、謙ちゃん。今日の夕飯どうするー?」
「うん、今からいく・・・・・・・・・」
「なんでげんなりして悟り開いたみたいな顔してんの?」
精神的にガッツリ削られたからだよ。
「あ、この材料ならすき焼きたべたいなー」
「!?」
ガシャン!
「ちょ、どうしたの?」
「いや、今姉ちゃん好きって」
「うん。すき焼きって」
「あ、そっちか」
動揺してボールを落としてしまった。
「なんでもない。ただ手元が狂っただけ。ちょっと手伝って」
「? ほーい。そういえば同じ研究してる須々木さんが――――」
ガン!
「なんか鈍い音したけど!」
「いや、キッチンの手すりと角に手と足の小指をぶつけちゃっただけ・・・・・・!!」
「中々やらないよそんなミラクルツーヒット!」
ダメだ。偶然的になんでも告白されたときのことと関連付けて動揺しちまう!
「大丈夫、とりあえず鍋用意して」
「いいけど。それで須々木さんがススキノに行って鋤を買うか犂を買うか悩んで結局数寄ってところによってスキー場寄って透き通る空を見上げて――――」
ザク! ビシャアアア!
「ぎゃああああああああああああああああああ!!」
「謙ちゃああああああああああん!!」
指切っちゃった。
「ど、どうしようもうなにやってんの!」
あたふたとしていとおもいきや、咄嗟に指を咥えて一心不乱に舐めている。微妙な痛みとチュウチュウと吸われる感触。柔らかい唇とザラザラとした舌の感触が艶めかしく神経を時折刺激する。
「ふぅ、血ぃとまったかな・・・・・・・・・」
もう夕食の準備どころじゃない。それほど傷口は深いわけじゃないけど、手を引かれて手当されることになったのだった。
「ほぉ~れ、ピュッピュするよ~~~。ピュッピュ、ピュッピュ♪」
「ふぐ、ぎ、おお・・・・・・!」
軽快なリズムとは裏腹に、救急箱から取りだした消毒液と傷薬の扱い方は豪快だった。というか雑だった。ただ傷口に容赦なくぶっかけられる。
もっと優しくしてほしいけど、講義することはできず、ひりつく痛みに悶絶するのを耐えるのみ。
「ほい。これで終わり。なんだか懐かしいねー。昔はしょっちゅう謙ちゃんの手当してたし」
「いや、恵里奈姉ちゃんにもしてたからどっこいどっこいじゃないかな・・・・・・」
「あはは~。そうだっけね~~。でも細かいことは気にしない」
「ごめんな、本当・・・・・・・・・」
「な~にしょぼくれてんのさ。これくらいなんでもないでしょ。誰でも偶には失敗だってするよ」
手当を終えて乱雑に頭をワシャワシャとしていたけど、なにかに思い至ったのか、その手が止まった。
「柊ちゃんとは、話せてないの?」
「うん・・・・・・・・・」
「そっか・・・・・・・・・あたしも既読スルーされちゃってる・・・・・・・・・」
ははは、と力なく笑う。余計罪悪感を覚えて、情けなさが際だって、見ていられなくなった。
「しょうがないって、おもってるよ、俺は・・・・・・」
「しょうがないで終わらせちゃって、いいの?」
「山峰さんに教えられたんだ。ちょっとした喧嘩とか誤解とかすれ違いで縁がきれることがあるって。そういうのはよくあるし、下手になんとか仲直りしようとすると余計拗れるって」
「・・・・・・・・・うん。そうだよ。合ってるよ。山峰ちゃんの教えたことは正しい。人間関係って、どんなに仲良くてもそうして疎遠になることもあるし。そういうのが多いと慣れてしょうがないっておもえるし」
「恵里奈姉ちゃんもそういうときあるの?」
「あったよ。あった」
え、マジで?
「高校生のとき、友達の彼氏の中学生の弟が別のクラスの同級生の妹だって誤解してあたしに告白してきたときそれが原因で一緒に来てた中学生の女の子が自分の姉の仲の良いバスケ部の後輩にチクってそれが原因で大根でしばきあって険悪になったし」
「ちょ、なんて? なんて?」
登場人物多すぎて複雑。きっと半分も耳に入ってきてないよ。
辛うじて最後のは聞き取れたけど、なに? 大根でしばきあい? どうして文化祭で大根なんてあるんだよ。なんでそんなことになった?
「そんでその後さ。事情を知らない共通の友達と遊びに行ったとき、険悪になった子がいてね。共通の友達は悪ぎがなかったから、ぎこちなくって空気で最悪になっちゃったこともあったし」
「うわぁ・・・・・・・・・(ドン引き)」
地獄だなそれ。
俺だったら一時間で耐えられないぞ。
「そういうのが、かれこれ二十回くらいあるかな」
「それ共通の友達わざとやってない!?」
「でも、ちょっと後悔してる。もしあのとき、仲直りしてたら。声をかけて話をしようとしてたらって。もしかしたらまだ友達だったかもしれないって。一緒に結婚式出て売れ残り同志の慰めあいや新婦新郎の貶しあい、結婚式の引き出物のケチをつけて管を巻く。そんな関係でいられたかもしれないって」
したいか? もしも友達だったとして。俺だったら嫌だよそんな悲しいことしたくないよ。というかそんなことしてるから結婚できないんじゃね?
「けど、俺はもう必要ないみたいだし・・・・・・・・・」
「ん? それ、どういうこと?」
「どういうことって・・・・・・・・・」
「そういえば、いつ山峰ちゃんとそんなやりとりしたの?」
「っ」
自分の迂闊さを呪った。
なし崩し的に柊が通院をはじめたこと。そして山峰さんに告白されたことまで追求される(経験則)。
「えいっ」
「むぎゅ!?」
いきなり胸を押しつけるようにして顔を塞いできた。後頭部にもがっしりと腕を回し、完全に拘束される。
「なにがあったのか言いなさい。ほれ」
柔らかいたわわな感触を味わう余裕なんてない。息ができなくて苦しい・・・・・・・・・。
「ほれ、ほれほれ~」
腰をくねらせると共に、上体を大きく揺らしてくる。それに従って首へのダメージと余計酸素を消費する激しい動きが加わった。
背中を素早くタップしてギブアップだと告げた。
「と、いうわけだよ・・・・・・・・・これでオーケイ?」
恥ずかしさと情けなさ、そして体力と精神を摩耗している俺は、既にグロッキー状態。けど、どうせこの流れは恵里奈姉ちゃんに弄られるか弄られるか弄られるか怒られるかのどれかだ。
「山峰ちゃんに告白されたとき、人狼化した?」
「は!? してねぇよ! してたら初告白されたああ! なんて浮かれるか!」
「そっか・・・・・・・・・おかしいなぁ」
「なにが?!」
顎に手を当てて深刻そうに考えるポーズ。はしごが外された予想外の反応を見せている。
「だって謙ちゃんって他人とのコミュニケーション、特に女の子への耐性なかったでしょ? なんでもかんでもすぐに人狼になっちゃってたくらいだし」
「それは、そうだけど。それはでも柊のおかげで」
「女の子からの告白なんて、思春期からすればドキドキの塊じゃない。初めてされたことなんだったら慣れられるわけがない。今までのことを踏まえればならないほうがおかしいよ」
・・・・・・・・・。
言われてみれば。
俺の体が変わってしまうときは感情に大きく左右される。喜怒哀楽。そして、性欲。羞恥心。いわば心の動き。でも、山峰さんに告白された当時、どの感情もわいてこなかった。
突然だったから感情がついてこなかったというわけじゃない。しっかりとあのときのことは思いだせる。
驚いた。嬉しいとおもった。山峰さんのことを可愛いとおもった。トゥンク、とときめいた。
けど、体を変貌させるほどの衝動はなかった。
ただ、胸にチクリとした痛みが疼いた。
「あたしがさっきやってたことにも反応しないし」
「・・・・・・・・・」
ここ最近、日常で他の皆と話しているとき。過ごしているとき。ヤバいとおもったとき。そんな危ない場面を振り返ってもなかった。
けど、皆無というわけじゃない。なりかけたとき、なったときもある。
そういうときは大抵――――。
「うう~~~ん・・・・・・・・・」
「謙ちゃん?」
あのとき感情を説明し、納得するのには難しい。だって今まで体験したものとは違う未知のものだ。
形容するなら、熱かった。
熱く、重く締めつけられるほどの心地良い胸の高鳴り。頭の中がかき乱され、茹だったようにフワフワと浮いている雲になった心地。
――――おおがみくん――――
ドクン。
「え、ちょ、謙ちゃん?」
心の揺らぎが生じる。
抗うこともできず、受け入れる。未知の衝動、正体不明の感情、その自覚と共に。
ああ、そうか。そういうことか。
「そうか・・・・・・・・・そういうことか・・・・・・・・・」
「なにが? あたしのおっぱいの素晴らしいってこと?」
どうして俺が人狼化しなかったのか。
教えてくれた。恵里奈姉ちゃんが。山峰さんが。なによりも、柊美音が。
「恵里奈姉ちゃん」
だからこそ。
「俺、お父さんとお母さんのとこに行くよ」
自分がどうすべきなのか。いや、なにをしたいのか。ハッキリとわかったんだ。




