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4話

「おかえり〜。遅かったね謙ちゃん」


 家にたどり着いたときには、もうすっかり日がくれていた。体力と精神を著しく消耗してぐったりとしたままリビングを通り過ぎる。


 洗面台の鏡に写ったモサモサの髪と冴えない顔は、今にも死にそうなほど酷くしょぼくれている。間違えようのない、人間の自分自身の顔。だけど、今はこの顔が忌々しくてたまらない。無性にどうしようもなくなって勢いよく顔を洗う。


 ここまでどうやって、帰ってこられたのか記憶を手繰る。


 教室での一件の後、俺は柊を取り残し、逃げてトイレに引きこもった。そしてなんとか元の姿に戻って、誰にも遭遇しないようにこっそりと校舎を脱出した。うん、そこまでは覚えてる。


「お~~い?」


 それでも、見られた。見られてしまったのだ。マジマジと。隠しようがない。


 俺の正体に気づいていないにしても、きっと普通の人間じゃないということは柊にも伝わってしまったはず。


 どうしよう。今までこんなことなかった。というかこんなことがおきないように細心の注意を払って生きていたのに。時間を遡りたいくらいだ。


 けど、過ぎてしまったことはしょうがない。問題はこの後、明日だ。柊は俺の姿をばっちり見てしまった。人狼だということに気づいてはいないにしても、普通の人間ではない認識は持ったはず。


「謙ちゃん? 顔洗いすぎじゃない?」


 明日の学校で、柊をどうするか。柊がどうするか。いや、もしかしたら他の奴にも広まっているかもしれない。


 ああ、ダメだ。かつてない非常事態に答えなんか出なくて、考えがあっちこっちに広まってしまってまとまらない。


(どうしよう?)


「ふぅ~~」

「ぎゃあああ!」


 いきなり耳元に生暖かい吐息を吐きかけられ、ゾクゾクとした感覚に陥る。


「な、なにすんだよ恵里奈姉ちゃん!」

「だって謙ちゃんがあたしを無視するもんだからさ~~」


 背後に立っていた女性は、唇を尖らせながら腰に手をやり、不満げにぶぅ垂れている。大人っぽい見た目とは裏腹な子供っぽい仕草が妙に似合っている。


 高司恵里奈。俺の従姉妹。海外に行っている両親に変わって保護者として俺と一緒に暮らしている同居人だ。


 保護者とは聞こえがいいものの、あまりそんな気がしない。今の悪戯めいた行動はしょっちゅうだし、小さい頃から知っていた間柄。それに一番の原因は彼女のだらしなさにある。


 生活能力は皆無でこっちが言わなければ着替えも風呂も入らない。朝は目覚ましを複数用いても意味が無く、誰かが無理やりにでも起こさなければずっと寝ている。そんなレベル。 


 家事を尽く引き受けなければいけないこちらが保護者なんじゃないかと思う時が多い。


「ははは。まぁそんな興奮しないで~」

「怒ってんだよ!」

「ええ~~? でもでも興奮したからその姿になっちゃったんでしょ~?」

「ち、違うわい!」


 指摘されなくても、既に姿が変わってしまっていることなんて承知だ。それでも柊にバレたときとは正反対の、いつもの調子のやりとりを。


 こんなことができるのは、彼女が俺が人狼であることを知っている数少ない人間の一人だからだ。


「照れない照れない~。女の人に興奮しちゃうのは男の子なら自然だから~。よそよそしいかんじにならないから~。距離とったり気をつかってギクシャクしたりしないから~」

「その言い方だと俺があんたを異性として意識してて発情したみたいだからやめてくれ!」

「隠さなくていいじゃん~。大丈夫。思春期なんだから仕方ないって~。こんな美人と一緒に暮らせてるんだしさ~~~あっはっは~」

「自分で美人いうな! いたいけな高校生の思春期をなんだとおもってんだ!」

「はいはい、ステイステイ」

「犬扱いもすんな!」

「犬は狼とほぼ同じなんだよ~~~。知ってるでしょ?」

「知ってるけどなんとなく腹たつんだよ!」

「やっぱ仮にも狼としての誇りがあんの?」

「人として扱われてる気がしないからに決まってるだろ!」


 ペットさながらに頭を撫でられて、余計腹立たしさと落ち着かなさで毛が逆立つ。歯茎を剥き出しにしてしまい獰猛な威嚇をしながら後ろへと跳び退る。


「ん~~~。昔はこうするとすぐ元に戻ってたのにな~~~。難しい年頃になっちゃったね~~~。成長とともに人狼化の条件も変わっちゃったりするのかな~~~」


 人狼の姿になってしまう条件は、昔から一貫している。


 大きな感情の揺らぎ。主に喜怒哀楽が激しいとき。


 そして異性を感じて気分が昂ぶってしまうときだ。


 昂ぶるというといやらしいイメージをもたれるかもしれないが、普通の男だったら仕方がないって理解してもらえるだろう。普通の学生だったら自分とは違いすぎる異性を必要以上に意識してしょうがない年頃だ。


 そして人間に備わっている五感は、まさにそんな女性を意識させるのにうってつけの器官だ。嗅覚は匂いを。視覚は女性の見た目を。聴覚は声を。触覚は柔らかい肌を。否が応にも感じずにはいられない。思春期ともなれば尚更だ。


 それらを少しでも防ぐために俺はマスクをつけていた。人と関わりを持たないようにしはじめたのも異性を感じないようにするため。


 今ではもう体の一部として扱っているからこれがないと外に出るのも嫌なくらい。


「やっぱりDNAになんらかの糸口があるのかな~~。けど既存の生き物とは一線を画しているし・・・・・・・・・・・・いっちょ解剖されてみる?」

「親戚に人体実験勧めんな! あんた血の通った人間か!?」

「嘘嘘。冗談冗談~~。ごめんてば~~。可愛い弟分をモルモットにしてホルマリン漬け送りになんてするわけないじゃん~~~」

「じゃあなんで、んな詳細に言えんだよ! 前々からチラッとでも考えたことなかったら言えねぇだろ!」

「まぁまぁ。うりうり~~」


 ようやく人の姿に戻ったのに、首根っこをヘッドロックしようとしてきて、また脈動がはじまる予感から懸命に逃げる。


 というか、恵里奈姉ちゃんとこんなやりとりをしている場合じゃない。死活問題をどうやって解決するか。


「あれ、ねぇ謙ちゃん。マスクは?」

「!」

「なにかあったの?」


 急に真面目な表情とトーンで問われ、ついぐっと引き下がってしまった。


「な、なんだよ、もう」

「だって謙ちゃん、絶対外じゃマスク外さないでしょ。それにいつもより帰りが遅かったし、上の空だったし珍しいな~~って」

「・・・・・・・・・・・・」


 そうだ。ここで一人であわあわしていても意味がない。せっかく恵里奈姉ちゃんがいるんだ。こんなときこそこの人に頼らないと意味がないじゃないか。


 そんな当たり前のことさえ思いつかないほど追い詰められていたのかと、少し恥ずかしくなる。


「姉ちゃん。隈凄いけど」

「ん? ん~~~。調べてる奴の解読と翻訳にけっこうかかっちゃったからね~~」

「・・・・・・・・・ちなみに何時まで?」

「ん~~~。五時くらい?」

「は!? 朝の!?」

「ううん? 夜の」

「夜というには無理があるだろ! 太陽がもう昇ってたら朝だろ!」

「違うよ~~~。厳密には午前六時から九時までが朝だよ~~~。気象庁で定められてるし~」

「おかしい! その理屈は絶対おかしい!」

「あ~~。大丈夫大丈夫。朝ご飯食べたし、仮眠もできたから~~」

「じゃあまたあんまり寝てないんじゃないの?」


 恵里奈姉ちゃんは生物に関する考古学の研究をしている。たまに調査のために家を空けたり海外に行くことはあるけど、基本的にこの家を拠点にしている。本当は海外の研究所からも有名な大学からも声をかけられてたにも関わらず。


 研究熱心で、本当なら研究さえできていればなにもいらないという人だ。なのに態々保護者役になって、日本に留まっている。


 姉ちゃんだけじゃない。俺の両親も海外にいるのは仕事のためだけじゃない。


 それはきっと・・・・・・・・・・・・。


「いや、なんでもない」


 きっと俺の正体がバレてしまったと知れば、恵里奈姉ちゃんと両親にまで迷惑がかかる。なんだかんだで今でもけっこうな世話になっているんだ。


 そもそもは俺の不注意が招いてしまったこと。だったら要らない世話をかけて負担をかけたくない。


「今日の夕飯なににしようかって考えてて本屋とかでうろうろしちゃってただけ。レパートリー少ないし」


 まずは俺一人でなんとかしなければ申し訳がたたない。


 それに。


「本当に?」

「本当だって。それより、夕食の準備したいんだけど」

「・・・・・・・・・・・・」


 少しの間。まるで心の底を覗こうとしているような鋭い瞳と真っ向から対峙した。


「そ。ならいいけど。でもなにかあったら言いなさいよ。謙ちゃんは一人で抱え込もうとする癖があるって叔父さんも叔母さんも言ってたし」

「ふぅ~~ん。そっか。気を付けるよ」


 キッチンにたって準備をしはじめた俺の肩に、顎を載せる。気を許している態度に、罪悪感で胸がズキンと疼いたけど、なんとか誤魔化せたとホッとした。


「んでんで? 今日の献立は?」

「ああ。なんでもいいよ」

「それ普通こっち側が言うことじゃない?! 結局こっちの意見に委ねてるし! ん〜。じゃあ生姜焼き食べたいな〜」

「そう。わかった。じゃあこれから準備する」

「それに鶏肉の唐揚げと牛丼」

「肉ばっかりじゃねぇか! 栄養バランス壊れるぞ!」

「謙ちゃんだったらお肉を食べたいという欲を満たしつつきちんと栄養バランスとカロリーがちょうどいい献立を作ってくれるって信じてるし」

「重い・・・・・・! ただの高校生に託す期待には!」


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